ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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一生懸命ではなく
2024/02/23

なんでも一生懸命にやりすぎてしまう、というのも、またアンバランスで…。

時には自分を追い込んで、徹底的にやる、という事も私は必要だと思っているんですが(結果出してくるし)。でも、それと、なんでも一生懸命っていうのはちょっと違う気がします。

一生懸命は、そうしているうちに、物事を深刻にしてしまい、重くし、気がつけば、これを手にしなければ、〇〇せねば、という焦りや不安などを伴いながら行動してしまう気がします。ここには自分を追い込んで、徹底的にやるという、そこだけにその時集中というものがあまり感じられなくて、やっているつもりがやらされている感があるのかも。

この、なんでも一生懸命は長期にわたる(クセのようになってしまっている)ことがあるので、息切れしてしまうかもしれません。だから一生懸命で継続するのはしんどい。一体いつまでやればいいんだと思う。

一生懸命ではなく、丁寧に、自分の自発性を持って、楽しんで、待つことを使って、ということかもしれない。なぜ、なんでも一生懸命にしてしまうのか?とその傾向にある方は自分をみてみるといいと思います(日本人はとても勤勉なのでそこは強い)そこには色々なパターンが関わっている気がします。

これが全てだ
2024/02/22

良いカードを選ぶ(損得ではなく)、良い感覚の方を選ぶ(パターンではなく「私」の)、いつもいい感覚でいる、などなど、言っていることは同じです。

これって本当に大事なことなんです。多くの人は、この感覚をわからずにいます。そんなことやっている場合じゃない、仕事が忙しい、家のことで大変、お金が…あの人が…時間がない…と自分を感じることなんかに関わっていられない、と決めてしまっているから。

そして、この感覚は、離れてしまううちにどんどん鈍麻してしまいます。使わないものは退化するんですね。逆に常に関わっているうちにどんどん磨かれていきます。

なんで、そんなにその良い感覚が大事なのかというと、それを感じている状態の継続が現実に反映されていくからです。現実化の出発はまずここからです。現実と言う目に見えてわかるものを先に作っても、どこか満たされない、また同じようなことが繰り返されるのは出発の場所を間違えているからです。現実化って心が満たされること。だからまずは心から。

で、そんな良い感覚を味わうためにも白黒ワークを行ってください。1日に1回でいいですから、丁寧に、集中して、自分を自分で誘導して、白の部屋の感覚を感じる、ひたる、味わう。そこに広がる良い感覚「これが全てだ」「これがあれば生きられる」と思うくらい(その時点で、もう違うところへ自分という意識は行っています。そして、いずれはそこの住人になります。それが普通になる)

自分にとっての白の部屋の良い感覚、これを指針にしながら、今日も良い気持ちで、感覚で、良いカードで過ごしてください。もちろん、明日も、あさっても、それを継続させていってください。

練習の勧め
2024/02/21

「練習しよう」と、ここのところ、話すことが続いています。練習って何を?なんですが。道場で言うところの練習です(結局、他の事も同じだけど)

例えば、誰かに自分の気持ちを伝える、自分が言うべきことを言う、そして、自分は今こういう状態です、と開示する、などのとき、多くの場合「次にその状況が来たときにやってみます。次はやります」と言います。それはそうなんです。でも、次にその状況が来たときにその場でやることってできないですよ、ということです。

次のその状況に備えて、今日から練習が必要になるんです。気持ちで、勢いで、思考で、その時にではできない、ということです。

具体的に、その伝える相手が(もしくは複数人のメンバーが、同僚が)いることをリアルに想定して「話したいことがあるのですがいいですか?から始まり、その本題を伝える。そして、聞いていただきありがとうございました」と終える。この一連の練習を繰り返してするということです(この通りの言葉で言うということではありません。状況に応じて)

何もそこまでーーと思うかもしれませんが、大事なことは「練習体質」になるということなんです。(練習することに慣れていて、それを上手く使える体質のこと)その体質になったときが自分のものにしたというときなんだと思います。

自分で行うセミナーも、個人で行うカウンセリングも、実は実は、練習あってのものなんです。その場でやれる、は、違います。実際私もカウンセリングを始めた頃は練習していました。声に出して(←これ大事)。この部分はゆっくりのほうがいいかな、とか、もっと落ち着いて言ってみよう、とか。それも実際の声出し練習があったので改善していかれるのです。練習して、そのフレーズがごくごく自然に出てくるまで身につけていく必要があります。

しかし、それは危機回避のために、自分を守るために、すごいと言われるために、用意しておくものではないです(これは恐怖と不安からのもの)そうではなく、自分の体質にしたいものなので、今より高度であり、洗練されていくものです。そして他のためにもなる。ぜひ、なりきって練習してください。「時には女優になることがカウンセリングには必要」とは先生のお言葉。だから女優になりきって練習。

己を知る
2024/02/20

己を知る…って。何故大事なのか?

ひとつは、今の自分を知らずに、自分を成長させていくことはできないからです。これってわかると思います。今の自分を知るからそこからスタートできます。そういう意味では自分が今まで気づかなった自分を知っていくことはとても大事です。

しかし、ここに抵抗する人が多いのも事実。自分の嫌な部分を見たくない、汚い部分を見たくない、自分のイメージが崩れてしまう、他人からそう見られたくない、などなど多くの人は抵抗をしめします。しかし、それらが無い自分として生きるってすごく大変だと思う。うその自分として生きることになるので。

で、自分を知るということですが、それは自分を赦すことに向かっていくということでもあります。

自分の内のあらゆるものを知っていくこと、そこには黒パターンもあるし、白パターンもあるし、今までの体験やら記憶やら個性やらいろいろなものがある。それら全てを知れば知るほど赦すことになります。

そして、その自分への赦しは自然と他人を赦すことになります。今まで時間をかけて自分を赦すことで培われてきた「理解」がそのときにはもう「理解」の質を変えて「愛」に変わっていくからです。

だから己を知ることは、他人をも愛することになります。自分の内の全てのものに光をあててあげる。そして、風を通してあげる。そんなことも己を知ることには含まれています。

ずっと嫌い
2024/02/19

相変わらず、料理が嫌いだ。

これはパターンとも言えるし、そうではなくもっと根源的なもののような気もする。私の個性には「料理」はないのだろう。しかし、生きている以上、食べなくてはならないから、しかたなく料理をする。いや、料理と言えるほどのものではなく、食事の用意をするという感じです。

だったら、作らなければいいのに‥と思うけれど、やはり作らなくちゃがあります(これはいまだにパターンに囚われてしまっています)この、矛盾に満ちた、すっきりとしない、きっとずっと好きにはならないものが私にとっては料理です。今まで、1度も料理をしていて楽しいと思ったことがないので、これはホンモノだと思う。

先日、ある高齢な男性の方の記事を読みました。お一人で自宅で生活されている80代の方です。奥様を亡くされてからは自分で試行錯誤しながら自分の食事を作ってきたのだそうです。外食をする日もあるし、お惣菜だけの日もある。栄養のことも考えられていたかもしれないし、お金もあまりかけないように、と思われていたかもしれません。

そういう日々を繰り返しながら現在は、自分にとって満足な食事の在り方ができました、というものでした。

その食事とは、1日1回、具沢山のお味噌汁を作り(丁寧に出汁をとり、好きなものを入れて作るお味噌汁。これはご本人も楽しいのだそうです)あとは1品、好きなお惣菜を買ってくる、というものだそうです。

もしかしたら、朝、お味噌汁をつくり、その日1日それをお昼と夜もいただいているのかもしれません。そんな食事のスタイルがご自分にとっては楽しいのだそうです。

いいなあ・・・・と思いました。いつか私もそんな食事にしてみたい。私もお味噌汁を毎日作るのは嫌ではないです(唯一これだけ)それに好きなお惣菜1品買ってくる、というのは、自分の心の負担にもならず、気楽です。このくらい食事もライトにできたらいい。なんせ毎日のことなので。

もう少しの間は、嫌いでも作る(パターンを選びます)そして、いよいよ嫌なときは、外食にしながら、いつか、そうなりたい。食事に対してのその在り方で自分の個性が完成されるような気がします。

ただいま
2024/02/18

人は変わるのではなく帰るのだということ。

そもそものところからスタートして(この世に生まれて)黒パターンを周りから刷り込まれ、自分自身でも刷り込み、それはごくごく自然に行われるので、誰もが黒パターンで生きることに何の疑問も持たないで過ごしています。

こうあるべき、こうであるのがあたりまえ、こうであってはいけない、こうならなくてはいけない、これが正しい、これは間違っている、これは良い、これは悪い、などなどという黒パターンに従って生きている。そこに生きにくさがあっても、我儘であってはならない、自分本位であってはならない、皆誰でもそうなんだから…ということを合言葉のようにして。

私の場合は、そんな生きにくさを感じている頃に「私」はとてつもなく大きなセッティングをして、一気にどん底へ突き落す作戦(これくらいしないとわからないと思ったのだと思う)に出たわけです。おかげで、私は少しずつ少しずつ目が覚めていきました。ここも少しずつ少しずつです。これ、一気にいくと崩壊してしまうんだと思います。

で、そこから自分探求の旅が始まったわけですが。今ももちろん歩き続けています。そこで起こる様々な出来事。与えられていく課題。そしてそれにより発見すること、気付くこと、実際、新に手にする物事。こうして人は変容していくと思っていたのですが、変容ではなく、帰っていっているのか、と思いました。

遥か遠くに目を向けると、スタートした家があり、そこに向かって帰って行っている気がするんです。誰にとってものそもそもの家へ。その道のりの途中で自分が何ものであるのかをこれもまた少しずつ少しずつ体験を通しながら思い出していく。

そして、いつか「ただいま」と言ってその家に入っていく。そんなことを思います。

笑顔
2024/02/15

先日、TV中継で初めて「日本大相撲トーナメント 第四十八回大会」を見ました。初めて、見たって…相撲ファンとは言えない大失態。トーナメント戦なので、どんどん勝ち抜いて、優勝者が決まるわけですが、これがおもしろかった。

いつもの取り組みとは違い、どこか、なごやかな雰囲気でした。力士は勝って笑顔。負けて、悔しがりながらも笑顔。見事に土俵から落ちても笑顔。OB戦もありましたが照れ笑いのような笑顔。観客も、全体に緩い感じで楽しそう。

笑顔っていい。これは大相撲のことだけではなくて。お会いしている方々を見ていても、笑顔っていいととても思います。年とともに現れる顔の変化は誰でもがあるものですが、笑顔ってそういうものを払拭する力がある。

そして、笑顔にはその人の晴れやかな心の状態が現れると思います。晴れやかさもそれぞれに個性があって、ある人は無邪気さを、ある人はやさしさを、ある人は聡明さを、明るさを、楽しさを、と色々です。

で、実はそれだけではない、はかなさとか、悲しさとか、迷いとか、恥ずかしさなどもブレンドされていたりする。そんなそれぞれの笑顔。だから素敵だし、だから深みがあるんだと思う。ただただ、小さな子供のような笑顔ではない大人の笑顔です。

小さな子供の笑顔は、こちらへの警戒心がなく、だからこそ無条件に可愛いけれど、深みはないです。

自分だけの笑顔を大事にしていってください。もっともっと笑顔の大人が増えれば、社会も変わっていくだろうと思います。

超えていく
2024/02/14

自分のパターンでこれは根深い、これは大きいというものはきっと誰にでもあると思います。そしてそれがどんなパターンなのかも自分で気付いていると思います。それを落ち着かせていくための語りかけもやり続け、白パターンを作り、白黒ワークを通して白を選ぶこともしていると思います。

それはそれで大切なことなので継続していくとして、この、根深く、大きなパターンについて考えます。

例えば、認められたい、褒められたい、大事にされたい、自分の力を誇示したい、他人を思い通りに動かしたい、傷つきたくない、嫌われたくない、などなど、色々とあると思います。

で、パターンはそれを信じているのですが、それは何故かというと、それが価値あること、と思っているからです。認められること、褒められること、大事にされること、誇示すること、他人を動かすこと、傷つかないこと、嫌われないことが価値あること。だからそれが欲しいし、それを追い続けてしまう、それがパターンです。

では、ここをワークをしつつ、どうやって超えていくのか…というと、パターンの価値ではない、新な価値を自分がみつけていくということになります。結局、人って自分が今持っていて信ずるに値するものを指針にして動くのだと思うんです。

白パターンを選ぶというのは、これをワークでやっているということです。だいたい、黒パターンの反対にあるものを白パターンにもってくるのでわかると思います。超えていくって、反対にあるものに価値を感じられるようになっていくということでもあるんです。

認められなくていい、褒められなくていい、大事にされなくていい、誇示しなくていい、思い通りに動かさなくていい、傷ついていい、嫌われていい…ここに価値を見出すとは?どういうことだろう?決して我慢して耐えていくことに価値があるということではありません。そんな黒パターンの価値なんて一切いらないです、私、でもないです。ちょっと難しいかもしれませんが、認められる、認められないという発想自体がない状態です。

総体的に自分を見たときに、根深く、大きいパターンから離れられないのは、まだ、そこに価値を感じているパターンに引っぱられている状態なんだということを確認しておくといいと思います。かと言ってそれをやめればいいということではない。そこを救うのは新な価値なんです。そして、そこへ向かうための一連のワークの継続。

自分の新たな信ずるに値する価値とは?それが見つけられれば、その体質になっていけば、そこへ乗り換えていく=超えていくということになります。

岩山展望台
2024/02/12

今年の岩手クラス、よいスタートを切ることができました。

クラスでは大きな変動がありましたが、私としては全て、誰にとっても、善きほうへ動いていると思えます。ひとりひとりが、今年をどう生きるのか…(私ももちろん)「私」で考え、「私」で決めて、「私」が行動していくことをいよいよやっていく時にきているのだろうと思います。

昔お世話になった先生のお言葉「今年は特に心魂の純化と高次の意識への目覚めが重要になる。我々ひとりひとりが内面の平和を培い、外側の世界にポジティブな影響を与えることが、究極的にはこの地域(台湾を含むアジア、太平洋地域)の安全保障に貢献する」

そうですね「貢献する」なんです。そうしていれば自分が「守ってもらえる」ではなく。いつもいつももらうことだけを思うのではなく、今までいただいたものから、今まで学んだことから、外側に何かをお返ししていく。貢献していく。そんな、年にしていきたいものです。

で、岩手クラスですが、今年は、もう1日延泊してクラスの方の個人カウンセリングの時間を設けることになりました。クラスだけではどうしても消化不良気味になると思われたからです。ですので、必要なときには個人カウンセリングでばんばんと私に向かってきてください。

今回は個人カウンセリング後、私を含め5人でランチをし、そのあと「お天気が良いので、展望台へどうですか?」と誘っていただき、岩山展望台へ連れていっていただきました。展望台からの風景は大変美しいものでした。ぐるりと360度見渡す山々、盛岡の街。夜景も素晴らしいとのこと。とてもよかったです。

そして、そこにあるカフェでのひととき。https://www.kissagenki.com/こちらで、壮大な山々を見ながら、黒千石大豆珈琲(これが初めての味。美味)とシフォンケーキをいただきました。また伺いたいです。ありがとうございました。

今年1年、とにかく無事に岩手クラスが行えますように、と願っております。

冬のコート
2024/02/07

「今年も冬のコートを買わなかった」‥‥と多分10年以上言っていると思います。毎年、欲しいなあとは思っているんです。自分の中でもこんな感じのがいいと思い描いているのですが、今年もそういうものに巡り合うことなく、今までのものを着ています。

毎年、冬になるとちょっとした憂鬱でもあるそれ「欲しいコートがない」なのですが「いいですねぇ、そんな楽な悩みで。皆もっと大変な悩みがあるのに…」と言われたことが昔あり、おいおい、と思いました。

しかし、考えてみたら、冬のコート以外は、完全に着るものが決まってしまっているので、楽でありがたいです。若い頃からおしゃれが好きで、服が好きで、こだわりがあって(今思えば、当時が最も質のよいものを着ていました)という私でしたが、ここのところ、完全に着るものを決めてしまい、着ることへのこだわりからはずいぶんと遠ざかった気がします。もう日常の制服という感じです。

冬のコートはまた次の冬にかけよう。そして、気に入ったコートがあれば、完全に着ることから自由になれるだろう、と思いました。

どれが着たい、どれが好き、ということをしたかったのではなかったのかもしれないと今思います。いや、好きなものを着てきたからの今かもしれませんが、こだわりをもっていた「物」から解放されていくこと、そこが一番やりたかったことなのかもしれない、と思いました。こだわりからの解放、本当に欲しかったものはそれだったのかも。

これは、服という物だけではなく、精神的なものもそうだなと思う。精神的なものもこだわりなくいたいです。

今日はこれから盛岡へ行ってきます。今年初の岩手クラスです。毎年、この時季は凍結している道を歩くときに、滑らないようにとへっぴり腰で歩いてましたが、現在、盛岡はほぼ雪がないそうで、安心して歩けそうです。

今回も、楽しく学んでいただいて、今年のスタートを切っていただきたいと思います。では、行ってまいります。

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