ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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グループセッションのよさ
2017/03/27

先日、茅ヶ崎グループセッションがありました。

もう、笑ってしまうくらい「自分のほうが上、あの人は間違っている、おかしい、自分のやっていることを認めさせたい、自分が上であることを知らしめたい、間違っていることを教えたい、認められたい」など、ここまで、自分を洞察できて、それを皆で開示できて、それを話あうことのできる人間関係のすばらしさを感じました。

一般的にはそういうことは隠すことです。というよりも、まず、自分にそういうパターンがあるということにほとんどの人は気付かず(だいたい、自分にはそういうものはないと言う)他人と自分を比較し、争っていることにも気付かず、の状態にいます。先ほどでてきたパターンは、誰でもがもっているでしょう?これがないと言う人はいないと私は思っています。

このような他人に関わるパターンがあるからこそ、人は自分を知り、成長し、進化し、実は自他のないワンネスの気持ちを体験していかれるのです。そのために、まず、自分の中のこれらを知り、ちゃんと認め(時々黒パターンが認めたがらないというのもありますが)ケアし、選択していくことになります。又、このように、開示していく、それについて話合う、ということを通して、ネガティブで否定的なもの、世間では良くないと思われているもの、感じてはいけないものへの抵抗感や、差別というものがうすれていきます。

人は他人を差別してはいけないと言いますが、自分の中にあるものへは差別をしています。これ自体も一致性がなくておかしなことです。ただただあるものをあるものとして一切の差別なく扱えるようになっていってもらいたいです。開示すること、話合うこと、はそのための練習になっています。

グループセッションのよさのひとつはこれです。「みんなでこのパターンは超えていこう」と皆さん話していました。努力して、超えていきましょう。必ず超えられます。

光と闇を半分ずつ
2017/03/26

「先生には光だけしかないように見える」と言われたことがありました。

「そうではないよ、私も、みんなも光と闇を半部ずつ持っているの。それに私の闇は深いと思う。だからこそ選ばないだけなんだよね。選ばないという姿を見て、光だけに見えるのかもしれないね」と話しました。

そうなんです。自分の闇を知っている「私」はそこを選ばないんです。それを選ぶことでどれだけ自他を傷つけ、後悔の念に押しつぶされ、苦しみ、今まで努力して創ってきた心が壊れてしまうかも、今までの自分の体験を通して知っているからです。

心を創るのには時間と努力がとてもかかっているのに、壊すのはほんの一瞬でできることもわかっています。一時の衝動でそれを壊してしまえるんです。でも、その後は苦しむことになります。だから「私」が選び続けるんです。いつも。

でも、闇が悪いのではないんです。闇は傷ついている、怖がっている、怒っている、悲しんでいる、挫折し、絶望しています。そんな彼らを「私」は見捨てたりは絶対しない。彼らも一緒に住んでいるし、神があたえてくれたものたちだからです。全部を愛し、理解し、許していく。そうやって心のバランスをとっていく。

今日もそうやって生きていきます。

努力
2017/03/25

努力は大事。自分の夢や希望を叶えたいのであれば、努力なしでは無理です。

スピ系になじんでしまっていると、この努力がまるでいけないことのように、かっこ悪いことのように思えるのかも。努力がないと成せないのは、霊的レベルが低いから、神に愛されていないから、というイメージを持っているのかも。

努力なくして、霊的レベルも、精神性も、体力も、気力も上がりません。

祈っていれば、潜在意識にインプットすれば、きれいな心をもっていれば、神に選ばれ、全部がよいように動いて自分の夢や希望も自然と叶えられる、ひきよせられると信じている人は多いです。これ、あり得ないです。これで叶うのなら楽勝。

ここでの祈り、インプット、きれいな心というのは努力するときの動機を創るときに使うものであって、パフォーマンス的にそれをやれば全てOKと言っているのではありません。「私」の正しい動機で努力するということが求められます。

しかし、この、努力を嫌う人がほとんどです。でも、自分の夢や希望は叶えたい、それも自分のペースで、自分のやり方でと思っています。そういうことを自称スピカウンセラーが「努力なくして叶いますよ、ゆっくり、リラックスして自分を変えることなく神にゆだねればいい、浄化された心でいればいいんですよ」とか言いますが、そういう人に限って、集客に頭をいためていたりするものです。

努力って、日々やることを言います。そして、努力には苦手なものごと、やるべきことが含まれています。それをやり続けることを努力といいます。それが自分でどれだけできるか、そこにこたえがかえってくるんです。

だから、努力をしよう。そしてし続けよう。自分の夢や希望が叶うまで。自分の人生のために。自分を生かすために。神さまに「よし、よし、もう、わかったから〜」と思ってもらえるぐらいの気迫をもって。

よかったね
2017/03/24

「私、さびしいの。家族から愛をもらえないの」と近所のお店のスタッフの女性が私に言いました。

その方とは、買い物にいくたびに軽く話をするようになり、先日、この言葉を聞きました。「愛をもらえないの?」と聞くと「だんなは、私には無関心だし、子供たちも、もう高校生なので、母親といるより友達といるほうがよくて必要なときにしか私によりつかないし。だから、私、家族から愛をもらえないの。でも、このお店に来るお客さんたちは私に優しくしてくれるのでみなさんから私は愛をもらえるので、どうにかやっていかれているの」ということでした。

「そうか、お客さんが優しい人たちでよかったね」と私は言って、買い物をすませました。「そうなの、ここで働けて本当によかったのよ」とその方は言いました。

この方に「あのね、愛はもらうものではなくて、自分の中から生み出すものなんだよ。誰の中にもその力があるんだよ」とは言いませんでした。それは道場に来ていない人だからじゃなくて、このミームだとわからないだろうからじゃなくて、今のその方が「このお店に来るみなさんから愛をもらえるので、どうにかやっていかれている」という話をされたからです。それは違うでもなく、それは正しくないでもなく、今のその方がよかったと言っていることにただ「よかったね」ということです。

よかったことは人それぞれです。そのよかったもまた変わっていくのも自然なことです。自分の知っていることが今自分にとって正しきことでも、それを欲していない人に押し付けてはいけないということです。このあたりはライトに、柔軟に、相手にとって・・・ということも考えられると人間関係はよりスムーズにいくと思います。

道に迷わないために V
2017/03/23

道に迷わないために・・・ということは死後においてだけではなく、現生においても同じです。

この世に肉体をもって生きながらも、自分が本来どういうものなのかを探求し、思い出し、その本来の在り方として生きていくことがこの世での道です。・・と言うも、これはひとつの哲学なので、そうは思わないという方ももちろんいます。そこは自由意志で。

私は(「魂の道場」としては)自分が今まで自分だと思っていたものが自分ではなく、本当の自分「私」として生きていくことがこの世での道であり、それは死後も、また生きる世界を変えて永遠に続く道だと信じています。

そんな永遠なる道に、現生で迷ってしまうということを、昨日書いたに日記になぞらえて言うと『肉体、感情、感覚、思考、記憶、性格が自分であると思っていたり、そこへの執着が強かったら、この現生で迷うと思います』と言えます。

自分が本来どういうものであるのかを知っていくことは、自分ではないものへの執着から少しずつ少しずつ離れていくことでもあります。執着から離れていくことで、永遠なる道に合流していくことになります。

合流していくことで、道に迷うということはなくなっていきます。道に迷わないで、死を迎え、そのまま迷わずに次の世界へと入っていきます。

道に迷うことがだめだと言っているのではありません。迷うことも迷わないために、必要なことです。ただ、迷いっぱなしでは、現生は日々が闘いになります。安泰を心底感じられるときがなく、これだけ揃ったら、あの人が変わったら、自分は安泰だろうというところで闘っていくことになります。

今日から、道に迷わないために・・・どうしていったらよいのかはもうわかっていると思うので、ぜひ実践していってください。

道に迷わないために U
2017/03/22

Aさんの隣にいるという方(男性)を、どんなに目をこらしても、見えないものは見えない。「Aさんには見えているんですか?」と聞くと「はい、私、実は時々見えるんです」と話されました。

「その方は、何故、ここにいらしたの?」と聞いてみると「自分が死んだことはわかっているんだけど、どこに向かっていったらいいのかわからない。ずっと長い間、どうしたらいいのかわからなくて困っているんだそうです。ここでわかるかも、と思って来たらしい」と言いました。

「ずっと長い間って?」と尋ねると「茶色っぽい着物を着ていて、ちゃんと正座して、両手を膝の上にきちんと置いています。細身の方です。でも、胸から上が消えていてわかりません。もしかしたら江戸時代とか?」とAさん。江戸時代から彷徨っているんだろうか?そりゃ、たいへーーーーん。

「とても礼儀正しい方です。そんな方がどうして迷っちゃったんでしょう」とAさんも不思議そうです。そこを男性に聞いてもらうと、まわりが暗くて、手がかりになるものが見えないだそうです。

「そうですか・・手がかりになるものが見えないんですかあ」と見えない相手に普通にレスポンスしながら、さて、どうしたものか。こういう方をあちらへかえすということは一度もやったことがありません。それを専門にやっている方もいるとは思いますが、そういう方を紹介するというのもどうなんだろう。紹介してそこへ無事に行けるのだろうか、と色々考えました。そして今こうしていらしているのだから、力にはなりたいと思いました。

まわりが暗いということなので、光を集め、それをその方に向けることで周りが明るくなるんじゃないか、と大変単純な考えで、それを行うことにしました。≪きっと明るくなってくると思うから、そうしたら自分の周りをよく見て、光のある方へ行ってください≫と心の中でその方には言って、行いました。Aさんは目を閉じて、時々首を左右に動かし何かを探しているようでした。

どのくらい時間がたったか、覚えていませんがAさんが「だんだん、明るくなってます。見えてます・・光が見えるでしょう?そこへ行けばいいですよ。・・ああ、今、ありがとうございました、と深々と丁寧にお辞儀をされて、光に向かって進んでいっています」と言いました。

正直、よくわからない。Aさんの妄想かもしれないし、もし、本当だったとしてもはたしてあれでよかったのかもわからない。より、彷徨わせてしまったら本当に申し訳ない・・・しかし、もし、善いあんばいでいっていたら、よかった。というできごとでした。

先生の言葉が思い出されます。私達は霊的存在であり、肉体の死はあっても魂は死なずに、次の世界へ向かっていく。そのときに、肉体のみが自分であると思っていたり、この世への執着が強かったら、死後、迷うと思います。霊的学びは死後の世界へのガイドブック。今ここにいながら次の世界への予習も大事。

道に迷わないために T
2017/03/21

以前、霊性について学んでいた頃「霊性についての学びをすることで最も役立つ時というのは、あなたが死ぬときです。その時に道に迷わないために」と先生がおっしゃいました。

この言葉はずっと残っていて、きのう、お風呂に入りながらふと、そのことを思い出しました。そこからまた続いて思い出した出来事がありました。もしかしたら、前にも書いたかもしれませんが。

・・・・今再び・・・・

それは、15年ほど前のことです。

その頃はまだ「魂の道場」ではなく、カウンセリングとヒーリングを行っていました。そのときにいらしたAさん(女性)疲れがとれないということでヒーリングを希望されました。

そこで、いつも通りにヒーリングを行いました。ヒーリング中は多くの方がうとうととしたり、寝てしまったりします(施術者に対して警戒心がないかぎり)これは特別はことではなくて、普通のことです。疲れがとれないということは体としては休みたい、休むためには眠りたい、そんな体の持つ要求を促進させる「気」をおくるわけですから。ヒーリングが気持ちいいと言われるのはこれがあるからでしょう。もちろん、他のケースも色々ありますが。

そんなで、ヒーリング後「うとうとしちゃいましたあ・・」と話しをしていたAさん。2人でお茶を飲みながら、色々と話をしていたときにAさんが「あの・・・・・変な話をしてもいいですか?」と言われました。「なんですか?」と聞くと「一人、いらしていて・・今・・私の横にいるんですが」と言いました。

いらしているって?・・Aさん以外は私には見えません。「どういうことですか?」と聞いてみると「男性の方なんですが、今日、ヒーリングをここで行うということを知って、一緒に来たみたいで、でも、私が終わるまで待っていました、と言っているんですが」と話されました。続く。

誰の人生も・・・
2017/03/19

今、父が入院している部屋は4人部屋です。おじいちゃん4人です。

で、ご存知のように、ベッドとベッドの間はカーテンでしきられているのみ。ですから面会に来るご家族との話は自然と聞こえてきます。時にはソーシャルワーカーの方との話やドクターとの話、看護師さんとの話なども聞こえ、その方の背景や心身の状態も知ることになります(お互いにね)

4人ともにまだしばらくは入院が必要な状態のようで、話の内容はそれぞれですが、より、現実的な話にもなります。

で、そういう話を耳にしながら思ったのは、誰の人生も貴重なんだということです。今は自分一人では動けなかったり、認知力が落ちていたりする方たちですが、その方がここにくるまでに体験したすべてがその人に成っていたんだということを思いました。

尊い人生なんです、誰の人生も。それぞれに一生懸命生きてきたのだから。一生懸命に生きるとは大変なことです。

大きなことを成し得たとか、大金持ちになったとか、有名になったとか、そういうことではなくて、一人一人が魂の体験をしにやってきて、そのために一生懸命生きることを求められ、自分に課し、必死で生きた人生だったのだろうと思いました。たくさん笑い、たくさん泣いて、悩み、進み、そうして生きてきたのだと思うとそのこと自体に意味があると思います。

向かいのおじいちゃんが時々見せる孤独感も、隣のおじいちゃんが漂わせている腹を決めたような様子も、斜め向かいのおじいちゃんがじっと空をみつめる姿も、そして父が話す楽しかった思い出と戦争時の話しにも、その人にとっての大切なものがみっちりとあるのだと思う。

父に会いにいきながらも私はそんな大先輩に囲まれています。そして、私達も同じです。誰の人生も意味があり、貴重なものなんです。

選んでいるのは誰?
2017/03/18

語りかけがつらいと、ついつい、そこはスキップして白を選ぼうとしてしまうと思います。いずれ白を選ぶんだから、面倒くさい語りかけはスキップして早く白を選ぼうもあるかも。

白パターンは黒パターンと違って良いもの、感情的にも自分を苦しめないし、と思っているので、嫌な黒に関わるよりは早く白を選んでしまおう・・・とします。だって白はいいこと言うし。

でも、これも誰が選んでいるの?ということです。白を選べば嫌な黒を見なくてすむ、というのは「私」ではありません。これもまた黒パターンです。良いもの、楽しいこと、ポジティブなことを選べばそれは正しいということではありません。

・・・・『選んでいるのは誰?』・・・・というところが最も大事なところなんです。

良いもの、楽しいこと、ポジティブなことを選ぶのが黒パターンのはずない、ということじゃないんです。そのときの良いもの、楽しいこと、ポジティブなことが黒パターンにとって満足なものであれば、黒パターンはすぐに選ぼうとします。

黒パターンはそんな存在で「私」のように心全体をみながら、宇宙の意思に沿って、心を統合していく能力は持っていません。そんな黒パターンを小さく、静めていくためにも語りかけ、彼らを救ってあげてください。それを続けるうちに、彼らは自分に語ってくれる「私」を信頼し、もう、そんなに過敏に反応しなくてもいいんだ、「私」にまかせておいていいんだ、ということを学んでいきます。「私」がリーダーになるときです。そして「私」が常に選ぶようになります。力のある「私」が選ぶからこそ心の中には平安がやってくるのです。

語りかけがつらい
2017/03/17

「語りかけがつらい」と言われる方がけっこういらっしゃいます。

何がつらいのかと聞くと、自分の中にそんなパターンがあることを突きつけられるようで嫌、パターンの言い分を聞いていくうちにまたそのときのことが思い出され落ち込む、などです。

あとは、単純に面倒くさい、というものです。これはねぇ・・わからなくもないけれども、面倒くさいと言えるくらい今の状態でいかれているということ、それはそれでいい。ただ、そこには心の成長と進化はありません。でも、普通に生活できているからいいという方もいるのでそれはそれでいいと思います。

で、前者の語りかけがつらいですが。語りかけは「私」がパターンへ語る(パターンの言い分を代弁する)という行為です。「私」には一切ジャッジがありません。ただ、あるものをあるものとして優しい目で向き合います。そこには感情や感覚がともないません。従って、パターンをつきつけられるようで嫌、そのときのことが思い出されて落ち込んでいるのは誰かということになります。

それは「私」ではない、それも「パターン」です。語られるパターンを嫌うパターンが反応します。そして、それが語ってしまうことがよくあります。もともと反感を持っているパターンが語るのですからいくら「そうだよね・・あなたは・・」と語っても、そこには怒りや不快しかありません。語りかけがつらいと感じている方はもう一度そこをチェックしてみてください。

そして語られるパターンを嫌っているパターンにも語りかけをしてください。そのパターンへのほうが語りかけが必要です。そのときには「私」が語るんだと思ってください。「私」というものを感じられないからそう思おうとしても思えないと言うのは違います。感じられないから、そう思うということです。はじめはそれが必要です。そうしていくうちに「私」の存在を感じられるようになります。

それから大事なことは「私」の存在を信じるということです。「仏は仏を信じているから存在する」とどなたかが言っていましたが、そういうことです。信じていることでその力は働きます。そんなのいるわけないじゃない、という気持ちで「私」を感じようとしてもそれはできません。今はわからなくても自分の中に「私」が存在していることを信じます。そうやって、小さい「私」を育てていきます。

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