ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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意識の領域 V
2017/10/17

A領域からB領域への移行。これだけで、心の状態はかなりすっきりし、整理されてきます。自分の中に起こる感情は全てパターンであり、ワークを続けることでそれは自分ではないことが腑に落ちてわかるようになると思います。

A領域での、大きな特徴として、自分を楽しくしてくれて、癒してくれる他人、物事、自分の価値を証明してくれる他人、物事をひたすら探し続けるということがあります。それらが自分の黒パターンであることに気付いて語りかけ(B領域)をすることになります。それが己に向き合うということであるというところまでがきのうまでに書いたことです。

B領域からさらにもうひとつ上の領域がC領域です。道場では白黒ワークがそれにあたります。白パターンを選んでそれに基づき「私」がそれを成就するために日々の生活の中で実践する領域です。

ここでは、今までは選択できなかった、新な自分の在り方を自分で創り、それを現実に形にしていくことが行われます。白黒ワークには黒パターンと白パターンのバランスをとるということだけではなく、C領域に慣れ、C領域の住人になるということも含まれています。

白黒ワークには実践が伴いますので、その実践中はC領域にいると体感できるようになります。その領域にいる「私」それは明らかにA領域、B領域にいたときとは違うことも感じられると思います。実践により得ていくものごと、それはきっとA領域で欲しいと思っていたものごとではないことがほとんどです。この段階でいかに自分が今まで黒パターンで生きていたのかがわかります。

C領域で選択するものは「私」=魂が選択するものであり、それは目の前の損得から離れたものです。ここで選択した白パターンで実践をするということで得られるものは自分自身への信頼になります。そして、実践で得られた結果を受け取り、初めて、きっと「そうか自分で自分の人生をこうやって創っていけばいいのか」ということにも気付くと思います。続く。

意識の領域 U
2017/10/16

きのう書いた意識の領域をAとします。ここで一生を終える人がほとんどです。でも、死後「あーーー、なんで今回も機能不全のままにしちゃったんだろうー」と思うと思います。だからまた転生。次回こそ!

この次に出てくる意識領域は、自分に起きていることは自分の心の中で起きていること、ということに気付く領域です。今までは自分に起きていることの原因は全て外側にあって、それのせいで自分がこうなっているというものでしたが、よくよく周りを見てみると、同じことがあっても、自分とは違う反応をする人もいるということからそこへ気付く場合が多いです。

その次の領域をBとします。そこにおいては起きていることは自分の責任(責任というのは自分が悪い、ではなくて、自分の意思で軌道修正可能であるということ)として全て引き受けるという領域です。

道場では、まず、語りかけのワークをやりますが、このワークは自分で引き受けることを具体的に行っています。感情から自分の中にあるパターンを探し、それに語りかけることで、あたかも外側から与えられたものだと思っていたものが、自分のパターンによるものであることがだんだんわかってくるようになります。

こうなると、領域Aのように、他人が出てこなくなります。他人によって自分のパターンを教えてもらった、だから後は自分の責任として自分で自分のパターンをケアしよう、という所です。

領域Aでは思考優先だったものが、領域Bでは感情や感覚、自分の内側へ耳を傾け、自分の内側へ自分が語るというものにとってかわります。慣れてくると、思考するのはせいぜい語りかけ文章を考える時ぐらいにさえなります。領域Aのときのように、他人との比較、闘い、勝敗からだんだんと遠ざかっていくので、以前のようにああだ、こうだと思考しなくていられるからです。

今まで外に向いていた視線は、内側に向き、初めて、己と向き合うことになります。語りかけを行うということは、ただ、パターンをケアするためだけではなく、このB領域に慣れ、そこの住人になっていくためでもあります。A領域からB領域への移行、ここがまず第一段階ですが、最も大事な段階です。続く。

意識の領域 T
2017/10/15

意識の領域というものがあります。

例えば5人の人が今同じ場所にいるとして、物体的には同じ場所にいますが、それぞれの意識はそれぞれの領域にいます。A領域にいる人、B領域にいる人、C領域にいる人・・・・と領域は色々です。時には皆が同じ領域にいることもありますが(そんなときには私達、話が合う、理解し合える…と言います)

で、今日から数回にわたって、その領域について簡単に書いてみようと思います。

まず、人は(よほど魂レベルが高くないかぎりは)誰でもが、自分に起きていることは外からやってきて、それにより、自分はこうなっているという意識領域にいます。例えば、夫が理解がないから私は苦しむ、部下がやる気がないからストレスになる、会社がだめだから私はお金に苦労する、親が頑固だから私はこうなった、など。又は、よいこともそうです。例えば、夫が優しい人だから私は幸せでいられる、部下がやる気があり仕事に積極的なので安心、会社が申し分ないので私はお金に苦労しない、親が私の言うことを聞くので私は元気でいられる、などなどなど。原因は自分の外側にあり、それによりネガティブな体験をしたり、ポジティブな体験をしたりです。

それはいつ、何がやってくるかがわからないので、とにかくネガティブな体験をしないですむように思考すること、そして防御することが常になります。

もし、ネガティブな体験をしてしまったら、思考で対処します。もしかしたら、こうだったのかも。きっとうまくいく。気にしなくていい。思い違いかも。こんな捉え方もできる。こうして、こんなふうに話せばわかってもらえる・・・と即、思考で対処して解決しようとします。とにかく思考優先の領域で、寝ていても頭がぐるぐるしているようなところです。でも、それが普通なのでそんな自分にも気付かないです。

この領域では、意識は常に自分の外側に向けられ(特に他人)ます。それにより、比較、闘い、優越感、嫉妬、表面的な付き合いが普通です。又、誰かの情報と常識が自分の指針となり、そこから離れてしまうことを怖がります。他人から認めてもらうことを求め、自分が孤立することがないようにします。

この領域がダメ、レベルが低いと言っているのではなく、現実としてそうだということです。ここが快適であればいいのですが、この領域は自分を苦しめることになります。機能不全の領域だからです。

人はまず誰でもここからスタートします。続く

元気が若い
2017/10/14

近所のお店のおじさんは、いつみても、もくもくと仕事をしていて、小柄な方だけれども「元気」という気が体中に満ちている方です。

その元気の強さと質の高さを会うたびに感じていました。挨拶はしていたものの、きのう、初めて話をしました。

私はその方は60代だと思っていたら、73歳でした。まず、これにびっくり。おまけにマラソンをやっていて20キロ程度普通に走っているのだそうです。またまたびっくり。若い頃は全く運動はやっていなくて、定年するまではずっとデスクワーク。定年後、体を動かしたいと思ってマラソンを始めたのだそうです。

3か月ほぼ毎日少しずつ走っていくうちに、それまで太っていたのが、痩せる体に変わり、それからは太らなくなったと言っていました。夢は80歳になったら富士山に登ることなんだそう。話を聞いているだけで、こちらの体にまで元気が伝わってきます。

「この年になると、体を動かす仕事がいいですね、健康でいられますよ」と言っていました。

思いっきり動いた後って、高校生の頃の体育の授業の後のような感覚が今もよみがえるときがあります(逆にぐったりしてしまうこともあるけど)体の底から活力が湧きだすような。この感じをあのおじさんは毎日感じているんだろうなあと思いました。だから73歳でも高校生のように元気が若い。いいですねえ。

シンプルに生きたい U
2017/10/13

私達を霊的存在として創造した大元の意思に沿って生きるだけ。これほどシンプルなことはない、と私は思います。

霊的存在である私達なので、まず、出発はここ(霊性的シンプル)からと私は考えています。

そこが元になって(指針になって)精神的に、物質的にと広がっていきます。霊的存在の自分が大元の意思に沿うというシンプルな在り方が、では、精神的にどうあるべきなのか、そのために何を選ぶのか、物質的にどうあるべきなのか、そのために何を選ぶのか、ということになる。いずれもそこはシンプルです。

では、大元の意思とは何でしょう。大元の意思はそれぞれに内在している大元(神)の部分を使って自分の人生を豊かに創っていってね!というものです。幸せを感じて生きてほしい!というのが大元の意思です。

で、そうなるためには、大元の意思に沿った生き方をすればいいということになります。大元の意思に沿った生き方というのは一言で言ってしまうと黒パターンで生きない、大元の本当の自分として生きるということです。その意思に沿って生きるためには「私」が選んだ白パターンで、この現実を精神的にも物質的にも何を選択したらいいのかを考え、実際に選択していくことになります。

それを継続するということで、よりシンプルさは増し、シンプルであるがゆえに、今までムダに使ってきた時間やスペースに余裕が出てきます。その余裕により、今まで気付かなかったことに気付いたり、新たなものごとの見方の幅が広がります。これは余裕があってできることです。

そしてまた、そこから受け取るものがあり・・・ということで・・・進んでいきます。どうですか?シンプルでしょう?

シンプルに生きたい T
2017/10/12

シンプルに生きたい。物質的にも、精神的にも、霊性的にも。

物質的にシンプルというのは(以下、私の意見なので絶対ではないです)今生きていく上で必要なものだけもっているということです。持ちすぎることなく、足りなさすぎるのではなく、少々不便さはあっても、その不便さを解消すると物が増えてしまうのなら、不便のほうを取るというものです。

それでも十分に豊さと幸せを感じられるくらいの分量で、その分量だから美しい空間を感じられるというようなもの。物質的にシンプルになるということは管理する手間暇がいらなくなります。そして、自分の持てる量もわかってくると思う。それは快適です。

精神的シンプルは、物事を素直に見聞きし、素直に感情を感じ、素直に考えること。そこに、裏にあることを探るとか、戦略的思考とか、分析とか、先回りとか、深読みとか、物事を深刻に複雑に常識の枠にはめ込むことをしない精神です。ゆがみなく在る。それは自他に向けられるものです。単純。わかりやすい。難しくない。直感的。

霊性的シンプルは、私達を霊的存在として創造した大元の意思に沿って存在することです。そこから離れることで私達は苦しみ、悩み、問題をかかえます。そして、離れているので、あちらが与えたいと思っているものを受け取ることができません。

…なんでいつも私だけが?…、…なんで私はずっとこうなの?…と思うときはたいがい離れています。でも、それは罰ではない。気付きをもたらすものであり、これからどうなりたいのかを想起させるものです。幸せを感じて、生きていきたいのだとしたら、その意思に沿った存在に自分がなっていけばいいだけです。

これほどシンプルなことはないと私は思っています。

続く。

あきらめる
2017/10/11

あきらめるということは素晴らしいこと。というと誤解されそうですが。

それは、生きることをあきらめるとか、機能していない自分を機能する自分に構築していくことをあきらめるとか、自分の夢をあきらめるとかという、自分を生かす、活かすための責任をとることをあきらめるということではありません。

それらを成就させていくためによけいなものごとはあきらめるということです。

それは、もっともっとと物欲に走ることや、ひたすらお金を貯めるとか、若さと美への執着とか、自分の価値を自分のために欲しくて他人を駒のように使うとか、他人との闘い、比較、自分への卑下、不満、など、動機に恐怖と不安があるものごとです。それらをあきらめていく。

あきらめることは、それは必要がない、嫌、あるとかえって自分を苦しめるということに気付くことです。だからそこにエネルギーを費やし、時間とお金も費やすことはもうあきらめよう、ということです。

その分、本当に必要なところにそれらを使って、自分を生かす、活かすための責任をとっていくということです。あきらめることでの清々しさや、どっしりと地に足をつけている状態なども感じられると、そこにはとても安定感があるので、それをもっと欲しくなると思います。そこはあきらめないで自分に与えてあげるといいです。

やりきる
2017/10/10

語りかけは「やりきる」ということが大事です。

語りかけの途中で、他のパターンがちょっかいを入れたり、割り込んできたりすることがあります。そんなときに、そっちの声を聞いてしまったり、何を語っていたかわからなくなってしまったり、色々と思考してしまうことで、語りかけを「やりきる」ということをせずになんとなく終えてしまうということがあります。

ここは、ひとつ、「やりきる」。

「そうだよね…」と声をかけたパターンだけに集中し、それだけを見つめて(どんなに途中で何かが出てきても)意志力を使って最後まで語ってください。ここは練習です。そうやって意志力と集中力を鍛えていきます。

筋肉といっしょで、使わないと鍛えられないのが能力です。鍛えるためには毎日使う。そうすれば必ず鍛えられます。

しかし、これが苦手な人がほとんどです。で、自分にはできない、無理、もしくはできないことを認めたくなくて、自分には必要ないから、やる価値のあるものではないから、それなりにいけてるからいいじゃん、などなどのパターンの声に耳をかたむけてしまいます。

以前おせわになっていた先生が「ほとんどの人が、自分を変えたい、もっと楽に生きたい、人生を豊かにしたい、というけれど、変わる前に止めちゃうから」とおっしゃっていました。先生のおっしゃっていたことがよくわかります。先生の言葉は続きます「・・・ということは本当に変わりたいんじゃないんですよ」それもわかります。ここを乗り切るために意志力と集中力が必要になります。だから鍛える。語りかけではそれも鍛えられる。だからやる。やることはシンプル。

よかった、よかった
2017/10/09

きのう、お昼頃、斜め向かいのお店(アジアンレストラン)からレゲエの曲が流れ、楽しそうな声が聞こえてきました。

ベランダに出て見てみると、お店の外にまで人があふれていて、どうも、店の中でライブが行われているようでした。子供を連れてきている方たちもいて、皆で楽しんでいるのが伝わってきました。お天気もよかったし、皆の楽しそうな声が聞こえてきて「よかった、よかった」と思いました。

そして、ふと、海のほうに目をやると海にはヨットがたくさん出ていました(ヨットクラブの練習?)波もおだやかな海の上できっと皆が楽しんでいると思います。これも「よかった、よかった」。

で、私はというと、クラスで使うワークペーパー作りで部屋でひとり、考え、切り貼りしながらひとつを完成させました。次回はこれを使って、こんなふうに展開させていけば、練習になるかも、ということを考えると楽しくて、これにたいしても「よかった、よかった」でした。

トミーはミロンガ(タンゴを踊る場所)に出かけていて、それも「よかった、よかった」

皆が自分の「よかった、よかった」を体験していれば、他人のことをうらやんだり、批判したり、他人からもらおうともしなくなります。世界中の人たちが「よかった、よかった」になることを願って。

この一連の作業をやる
2017/10/08

盛岡は寒かった。ライトダウンをもっていってよかったです。これからいよいよ寒くなってきますね。寒いのは苦手ですが、今回も焼肉&冷麺で、これは盛岡が1番です。おいしかった。

さて、ずっとずっと、くどくどと言っていること、それは、語りかけ→白黒ワーク→実践→結果を受け取る、という一連の作業です。

私の仕事の根幹はこれをご本人が自分のものにしてこの作業の結果を受け取るというところまでを一緒に見るというところです(そして、希望があればその後へもまだ続きます)ですので、余計なことを考えずにやっていただきたいと思います。

余計なことというのは、語りかけ中に「あっているんだろうか」「自分じゃできない」「面倒くさい」「どうせやってもムダ」などなどの思考で中断せずに、やりきり、白黒ワークでは白に何を持ってくるのかを考え、考えた後に「ああ、それね、それを白にして選べばいいんだ」ではなくちゃんとワークをして、白黒の部屋に「私」が入りそのときの感覚で「私」が選ぶというところに集中し、その後、「私」がしっかりと考えてその選んだ白に基づき具体的にどのような言動をしていくのか、を選び、それを実践するということです。実践も1度やればいいのではなくて継続するということ。あとはそれに基づく結果を受け取ってください。

この作業をスキップしないで自己流にしないで行うことで、それに基づく結果は、きっと今までにないものとしてやってくるはずです。そして、それはよかったね、で終わるものではなく、こうして自分の人生を創っていくことができるんだということの気付きにもなると思います。

仕事、人間関係、お金…生きるということ全てをこうして自分が創ればいいんだという発見はきっと新な生き方になると思います。

それはお金では買えないものです。この一連の作業を今一度確認してやっていってください。

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