ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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青写真
2019/03/24

「人は青写真を持ってやってくると言われていますが、青写真とは何ですか?」と聞かれました。

「青写真とは、ざっくり言うと、その人の「私」が今世でクリアすると大方決めてきた見取り図です」と応えました。

青写真の意味としては「化学反応を利用した写真・複写技法で、光の明暗が青色の濃淡として写るためこう呼ばれる」とウィキペディアにはあります。

この青写真は青色の濃淡なので、いまいち現実味がないというか、おぼろげ、です。だからこそ、「私」の計画書、見取り図としてはマッチする言葉なのだと思います。

人には自由意志があるので、青写真通りではない人生を組み立てることもあります。そして、それはそれで許されています。

質問をされた方は、その青写真に写っているものは、その人の職業なのだろうか(私は〇〇になる、私はこんな仕事をするなど)と思っていた、と話されました。これは職業ではなく、あくまでもその人の内的なところのものです。

例えばある人は恐怖に打ち勝つことを青写真とし、ある人は自分を許すことを青写真とし、ある人は自分を肯定することを青写真とし、ある人はさぼらないことを青写真とし、ある人は他人へのコントロールをやめることを青写真とし、ある人は自分を信じるということを青写真とするというように人によってまちまちです。そして、どれがレベルが高いとか低いとかというものでもありません。

ざっくりと、でも、しっかりとそれをやろうと決めて(青写真をもって)やってきます。そして、その決めたことをクリアしやすい両親のもとに生まれ、兄弟を持ち、又は一人っ子で、クリアしやすい教育を受け、環境に置かれ、人と出会い、クリアしやすい仕事につき、結婚をし、親になり、介護もする・・・というように、全ては課題のクリアのための道具、環境となります。そこまでセッティングする「私」のすごさは大したものです。

クリアしやすいというのは、安易にクリアできるような状況を与えるのではなく、嫌なこと、悩み、問題を起こして何が違っていたんだろう?何を変えていけばいいんだろう?と自分を省みて、新に選択していくことを体験するクリアになります。そのあたりの苦痛と喜びの配分も「私」はよくわかっているのだと思います。

そうやって自分というものを捉えて、自分に向き合い、生きていくうちに青写真は、色をおびていき、その姿をはっきりと映し出していきます。ああ、これだったのか・・・・・・とあるときわかります。

森に入りたい U
2019/03/23

かくして、本が届きました。

ちょっとわくわくしながら梱包をあけてみると・・・・・なんかイメージと違う。まず、こんなに厚い(490頁)とは思わなかった。ハードカバーなので重さもある。そして中を見ると、字が小〜さ〜い。あーーーーやっぱり本は手にとって選ばなくちゃだめだぁーーーーと思いました。これじゃあ、寝っ転がっては読めないなあ・・・と。

しかし手元に来てしまったのだからと読んでみることにして、毎日少しずつ読んでいきました。最初はどこか義務感からの読書でしたが、気がつくと、毎晩、この本を読むことが楽しみになっていました。

1日の終わりに、私はこの本を必ず読み、その時間、私は現在から切り離されて、植物に、森に(自然に)につつまれます。今までいるところからガラッと変わるその世界は「私」の感覚に近いものですが、「私」という個よりはあきらかに、全体的であり、大きな存在として感じます。

そんな感覚がどこからきているものなのかを教えてくれた、こんな文章があります。

「先住民族の考え方によれば、すべての生き物による民主制度において人間は劣った存在である。生き物の中では「弟分」とされており、年上の者から学ばなければならない。一番先にここにいたのは植物で、彼らは長い年月をかけて色々なことを理解してきた。植物は地上にも地下にもいて、大地を安定させている。光と水から食べ物を作る方法も知っているし、自分で自分の食べ物を作るだけではなく、他のあらゆる生き物の生命を維持できるだけの食べ物を作ることができる。生き物のコミュニティー全体を養い、絶えず食べ物を差し出す植物は、まさに寛大さの手本である。西欧の科学者が植物を、研究の対象としてではなく教師として見ることができたなら何が起きるだろう?」(植物と叡智の守り人より)

「絶えず食べ物を差し出す植物の寛大さ」が、知識や物語を超えて、毎晩、私に、特別な瞬間を与えてくれているのだと思いました。

植物はマザー・アースの長男、長女。そして私達は弟、妹。著者の言うように植物を教師として見たとき、そこにくりひろげられている世界は今までは全く知らない世界であり、システムであり、もう、今までのように植物を(自然を)見ることができなくなっていくことがわかります。

今の私にとっては必然の本でした。

著者のすばらしさもさることながら翻訳家の方も素晴らしいのだと思います。読み終えるまでにまだしばらくあります。毎晩、森へ遊びに行ってきます。

森に入りたい T
2019/03/22

リビングから見える、広い空と流れる雲、朝日のまぶしさと美しい夕焼け。輝く青い海、月を写す夜の海。このひらけた景色と生活していることにとてもとても感謝しています。このさえぎるもののない遠くまでひらけた感覚は自然と私の心身にしみ込んでいて、それは、カウンセリングにおいてきっと私とお会いしている方を助けてくれていると思います。

・・・しかし2か月程前、森の中に行きたいなあと突如思いました。それも、人の手があまり入っていない自然な森。例えばアマゾンの奥地?(・・・行ったことないけど)そこは、雨の後の土の香りがキョウレツにしていて、しめつけられるような草いきれと、力強い樹々と、生物がいるところです。そんな中に入りたいと思いました。空と海とは反対にあるようなそれら。そこはひらけてはいないので、上下左右の視野がさえぎられるような圧迫感があるでしょう。

そんな世界で心が遊べるように、何か本を読んでみようと思いました。アマゾンには行かれないけれど、アマゾンで本をさがす。

そして、1冊の本を見つけました。それは「植物と叡智の守り人」(ロビン・ウォール・キマラ‐著 築地書館)という本でした。この本を読んでみたいと思いました。それは、本の推薦の言葉から、この本はきっと私をその世界につれていってくれるだろうと思ったからです。

エリザベス・ギルバートの推薦の言葉には「ロビン・ウォール・キマラ‐の書くものには類まれな優美さがある。自然界について書く彼女の言葉は情熱に溢れ、一度彼女の目を通してこの世界を眺めた者は、決してそれまでと同じように世界を見ることができなくなってしまう」とあります。

又、ジェーン・グドールの推薦の言葉には「私が何よりも好きなのは、彼女の美の描き方だ・・・・巨大なシーダー、野生のイチゴ、雨に濡れる森やかぐわしいスイートグラスの草原の心象は、この本の最後の頁を読み終えても長くあなたの心にとどまることだろう」とありました。

そして、オレン・ライオンズは「本書は「教育的な詩」である。」と言っていました。

この推薦の言葉を読んだだけでも、私の心はまだ行ったこともないその森へ入っていき、そこの香りやただよう空気につつまれているような気持ちになりました。

著者は1953年生まれの、ニューヨーク州の山岳地帯の森の中で暮らす植物学者です。大学で教鞭をとり、環境保護活動家であり、作家であり、母であり、ネイティブアメリカン、ボタワトミ族の出身の方です。学者としての科学的知識とネイティブアメリカンの智慧、一見相反するものが著者にはあるということも私には魅力的に思えてこの本を注文しました。続く。

良質な種を蒔く
2019/03/21

日々「私」が善きものを選択していれば、カルマを増やすということはありません。

カルマは自分を苦しめる罰ではなく、純粋に、自分の選んだもの(原因)に対しての結果です。蒔いた種を刈り取るということです。これはセットなので、種を蒔きっぱなしということでは終えられません。原因→結果で一つ終わります。

このことがわかっていれば、日々、いや、一瞬一瞬どんな原因を自分が生み出しているのか、そしてその結果はきっとこうだろうという事も察しがつくと思います。だったら、良い結果を受け取って一つ終えられるように自分が(「私」)が何を選ぶのか、というところが何よりも大切だと思えると思います。

これは自論ですが、今世この地上に生きている自分の中に(卵の部屋の最下部に)今までに改められなかった、共通のカルマをもっている過去世の自分が何人もいて、今世の自分ももちろんそれを引き継いでいます。

引き継いだのは今世、彼らを代表して「私」がそのカルマを改め、ひとつのカルマを終わらせるためです。今、生きている自分がそれを託されている。それによりひとつの魂の中にいる彼らの同じカルマも終えられると思います。もしかしたらそれこそが供養なのかも。

これは絶対に生きているうちにやろうと思っています。たくさんのカルマを背負ったまま、あちらへ帰るのは重いでしょう。出張用の荷物を自分で持つのさえ重くて宅配で送っているぐらいの私なので、身軽であちらへも帰りたい。

だから、今日も「私」が選択します。善きものを。そうやって良質な種を蒔いて、収穫を楽しむ。その収穫がうれしくて、また良質な種を蒔く。この繰り返しです。

領域の特徴の続き
2019/03/20

「語りかけ」を行っているその瞬間には、一つ上の領域にいます。

語りかけを続けることで、心身が実際、軽くなっていくのを感じられると思います。

そこでは自分の中に起こっていることを誰かの、何かのせいにしてはいなくて、又、何かを他人から与えてもらおう、足りないものを揃えて安心しようとするのではなく、自分のパターンにひっかかったから今自分の中にこんな感情がわいているんだ、と自分の中に起きていることの責任をとろうとします。

ここは、自分のパターンと「私」の世界となります。パターンと「私」だけなので(他人がいない分)静かであり、意識が分散することなく、自分に向き合うってこういうことか・・・ということがわかると思います。

そして次に黒パターンに対しての白パターンを考え、白黒ワークをして、選択をすることにつなげていきますが、この段階でまた次の上の領域に意識は移行します。

この領域の特徴は「選択」と「創造」です。「私」が選択した白パターンに沿っての実践。ここにとても意味があります。「選択」というこれからの枠を新に決めて、それを実践することで、エネルギーをその枠内に流し込みます。その継続でそれは固まり、現実に現れてきます。

結局、誰の人生も「選択」したものを「創造」してできていきます。この領域は語りかけの領域よりもパワフルであり、動的な領域です。

今、自分がどの領域にいるのかを時々チェックしてみてください。各領域には、その特徴を持った人たちが住んでいます。自分の意識をどこにおくかで出会う人も変わっていきます。

そして白黒ワークの領域から一気にスタートした領域に落ちること(いわゆる黒パターンにのまれ、それで行動したときで、そのときにはそれに対しての結果=一番下に落ちて、そこでの体験をすることを受け取ります)もあります。それはそれでいいんです。気づいたら、また上がってくればいいだけです。そこは神経質にならずに、でも、意識的にあれば、だんだんと白黒ワークの「選択」と「創造」の領域の住人となります。

そういう人達が住んでいる領域なので、そこにはやすらかさや、深い理解があります。

領域の特徴
2019/03/19

意識の領域の話はよくするのですが。

まず、誰でもが一番下にある領域からスタートします。そこをスキップして上の領域にいく人はいません。下の領域という言い方をしていますが、レベルが低いということではなくて、こういう特徴を持っている領域ということです。

その誰でもがスタートする領域はどんな特徴をもっているのかというと、自分に起こる嫌なこと、問題、悩みは全て誰かのせい、何かのせい、として物事、自他を捉えている領域です。国が悪い、政治家が悪い、上司が悪い、部下がだめ、親のせい、夫のせい、子供のせい、住んでいる場所がよくないから、自分の身体が弱いから、自分は頭が悪いから、綺麗じゃないから、お金がないから、生まれが悪いから、だから、自分はこんなに苦しくて、つらいんだ、とうまくいかないことのあらゆることが何かの誰かのせいです。

ですからそんな相手、物事を変えれば楽になれると思っています。誰かに与えてもらわないと、いられないというものです。

又、物質重視であり、短期決戦を求めます。この領域はそういう人達の世界なので、いつも闘いがあり、差別があり、勝負があり、他人による評価が自分の価値を決めます。この領域で生きている人が圧倒的に多く、それゆえ、そこでできあがっている社会、国と言えます。

そこにいることで、苦しさや、もやもやを感じながらも、そこに居続ける人がほとんどです。人間とは、人生とはこういうものだ。だから、ひたすら我慢して生きる。皆がそうだから。という信念で出来上がっている領域です。

しかし、ここで、実は自分に起きていることの全ては自分に責任がある(自分が創っている)という新な目を持つことでこの領域を抜け出ることができます。自分に責任があるというのはだから自分が悪いのではなくて、軌道修正できるということです。

そこに目を向け、今自分の中で何が起きているのかを知ることが道場での語りかけワークです。語りかけワークを続けることで、今までの領域から一つ上の領域へと意識は移行します。

その新しい領域は「自分に起きていることの全てを自分で責任を取る(引き受ける)」という、自力で生きるという特徴を持つ領域です。続く。

天国からの・・・
2019/03/18

先日、TVで「天国からのお客さま」(2018年放映の再放送?)という番組を途中からでしたが見ました。

そこには天国からのお客さまである落語家の立川談志さん(のアンドロイド)がいて、その立川談志さんにインタビューしている女優の坂井真紀さん(こちらは健在です)が出演していました。

立川談志さんは見た目そっくり。目の動きや、身体の動き、何かを聞かれて考える様子など、まるで生きているかのようでした。こんなに精妙で、人間くさいアンドロイドに驚きました。毒舌の立川談志さんですが、相手が女性なのでそこは少々抑え気味のようでもありました。

そんな中で立川談志さんがこのようなことを言いました。「自分は正しい。なぜならば俺はいつも自分は間違っていないか?と自分を見ているから。しかしほとんどの人はそんなことは思わずとにかく、なんでも、金、金、金となる」

いつも自分は間違っていないか?と自分を見ている、だから、それにより自分には間違いが入ってくることなく、だから自分は正しいということです。これには共感です。

正しくあるためにはいつも自分を、間違っていないか?正しさを選んでいるつもりだけど、間違っていないか?と自分をちゃんと見ることが本当に必要だと私も思います。そこでの正しさは「私」が納得するものです。そして、自分は本当にそれを選んでその生き方をしているのだろうか?といつも自分を見続けることで、人は間違った道へいくことがなくなります。

ほとんどの場合、つらいことや、問題や、悩みが起きて初めて人は「自分の何が間違っていたのか?」と自分に目を向けます(ここへの気づきがないという人のほうが圧倒的に多いです)しかし、そういう現象が起きないときから自分をいつも見ることは、より、いいわけです。

やっぱり、正しい道を歩むことが一番大事です。それによりスムーズな領域で生きられるからです。そこで生きてほしいから私達はそのように創られています。

立川談志さんがあちらの世界でどんなふうに生活しているのか、どんなことを日々やっているのか、あちらでの体験から何をこの世にいる人達に伝えたいのか・・・・というところもあったらよりよかったんですが・・・・・。「天国からのお客さま」は他にも俳優の勝慎太郎さん、文豪の夏目漱石さんも制作されたそうです。

古い日記
2019/03/17

棚のかたづけをしていたら、2007年〜2010年の「Ponta日記」をプリントアウトしたものが出てきました。

日にちは飛び飛びではありますが、けっこうの量ありました。それは、沖縄クラスの方が昔、プリントアウトして渡してくださったものだと思い出しました(H子さん、ありがとう!)

で・・・・読み返してみると、今の日記よりもその文章や内容が若い気がします。若いと言っても50代なので若くはないけれどそれでも10年前の自分はまだ若い。

そして、その頃の私が書いていることは、今書いていることと全く同じでした。それは「私」を育て、その「私」として生きるということ。自分の中のどんな感情も悪いものではなくて、パターンは助けを求めている存在であるということ。この2極の世界は心の中も同じで黒パターンに対して白パターンが存在しているのでそれを「私」が選択し、実践すること。そうやって自分の力で機能不全の自分を機能させることを生きているうちにやろうということ。現実をしっかり見て、ファンタジーや幻を追い求めず、地に足をつけて生きようということ。そして今の自分を好きになろうということ。

このことを言葉をかえ、アプローチをかえながら言い続けてきたんだなあと思いました。10年前のものではありますが、今でも使えそうなものもあったので、これからは時々それをアップするのもいいかもしれないと思いました。

こうして日記をとっておくというのも自分の変化を見るのにいいですね。10年という時間は自分の変化を見るのにちょうどいい時間のような気がしました。10年以上にわたって学んでいる方々が道場には多いので、そういう方々はぜひ、ご自分の変化を確認し、感じ取っていただけるといいと思います。

軽さと柔軟性
2019/03/16

きのうお会いした方と、成長とか進化(ここでは「私」の選択と実践をしていくことで生きる領域が変わっていくということ)ってとにかく軽くなっていくよね・・・という話をしました。

それは、軽く、より軽くなっていく。

自分と向き合うことで、そんな自分の軽さを感じている方は多くいるのではないかと思います。深刻ではなくなっていることに気づく、ひとつひとつに感じていた重さがなくなってきていることに気づく、人の言葉も自分の言葉も重く固いものだったのが、軽く感じられる、などなどです。

この軽さとともに柔軟性というものも身についてきていることも感じられると思います。そう言えば、以前のように、こうあるべき、こうしなくてはいけない、あの人はこういう人、自分はこういう人、これが正しい、これは間違っている、と自他を縛っていたものが柔軟になり、それゆえもう他人に押し付けなくてもいい、他人のやり方に口をはさまなくてもいい、自分のこともいいあんばいで適応できる、という柔軟さが自分にあることにも気づきます。

軽くて柔軟だから楽なんです。

真正面から来ているものも軽さがあるのでひょい、とかわし、柔軟さがあるのでするりとすり抜け、ぶつかることを回避していく。だから平和。スムーズ。

軽さと柔軟性が現れてくるまで「私」が選択し実践することの繰り返しで、だんだんと今までとは違う領域に入ってきます。そこで生きるということになります。

普通に自然なレスポンス
2019/03/14

沖縄は、ほぼ、毎日雨でした。寒かった。そして、帰る日は良い天気。日頃の行いが悪いからか・・・・と思いつつも、帰りの飛行機の中で食べるいつものお弁当(にんじんしりしりとゴーヤの炒めがご飯の上にのっている)を空港で買って、おいしくいただきながら帰りました。

前回見たANAの「機内安全ビデオ(歌舞伎)」を今回はしっかりと堪能し、降りる際にはそれのメイキングビデオもじっくりと見て楽しみました。

思わずそばにいたCAの方に「機内安全ビデオも、メイキングビデオも、おもしろいですねぇ」と話しかけてしまいました(おばちゃんの、あれ、です。やたら話しかけてくるじゃないですか、おばちゃんって)

すると、CAさんは「ありがとうございます。そうですね、おもしろいですね。私も見いってしまいます」ときちんと目を見て返してくれました。レスポンスが上手いと思いました。

そうですね+私の言った言葉のオウム返し+自分のことも相手への共感とともに返す。訓練しているのでしょうか。

このレスポンス(応答)は基本中の基本で、カウンセリングにおいては、土台となっているものです。たったこれだけの言葉の中に「私はあなたの話したことをちゃんと聞いていますよ、あなたの言っていることを否定していませんよ、あなたの言いたいことはこういうことですか?(確認)あなたの感情に共感していますよ、こんなふうに私も同じように感じていますよ」など、たくさんの意味合いが含まれています。

話かけたほうとしては、それらを総合して聞いていて(というより感じ取っていて)聞いてもらっている、それもぶれなく、共感もしてもらっているということから自分にちゃんと向き合ってくれているという気持ちになり、それがあるからその人との信頼に発展していきます。

この短いレスポンスはあらゆる場面で使えます。家庭の中でも、友人同士、恋人同士、夫婦、親子、ビジネスの場でも使うことができます。カウンセラーにならなくても、この短いレスポンスを知り、練習し、実践していくと、今までの会話とは全く違うように会話自体が感じられると思います。

ただ、大事なことは、こういうふうにレスポンスしたら相手が喜ぶだろう、このレスポンスだったら相手を助けられる、こんなふうにレスポンスしたらいい人だと思われる、できる人だとアピールできる、など、黒パターンでレスポンスをしないということは大前提です。

CAの方のように、普通に自然なレスポンスは気持ちがいいものです。そこまでできるようにこれも練習あるのみです。

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