ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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カツを入れる
2017/12/12

先日いらした方からお聞きした話です(ご本人の承諾を得ています)部屋に入っていらしたその方のお顔が、はっとするほど、今までと全く違って見えました。それは、明るく、軽く、柔和でした。目がしっかりと開かれ、光があり、何か突き抜けた感がありました。

何があったのかをお聞きしたところ「先生に、前回、カツを入れてもらって、スイッチが入りました」という応え。それは、自分でやるというスイッチ。語りかけもやってはいたもののまだどこか本気ではなかったのだと言います。

で、私が言った言葉「もんもんとしているのなら語りかけして!」それを聞いて、そうだよなあ、と思っていたけれど、後から、先生から見捨てられたという気持ちや、くやしさや、自分の弱さに負けたくないとか、なさけなさとか、いろんな感情が出てきて、とにかく自分でやろうと決めたのだそうです。

それから1か月は自分の人生で初めてと言っていいくらい自分に向き合い、語りかけもちゃんと行ったそうです。夜寝る前には「全て自分の思い通りにしたい」というパターンに語り続け、夜中に目がさめたときにも語りかけ。鏡のところに「もんもんしているときは語りかけ」と書いた紙を貼り、実践。

そのうちに語りかけをすると胸のあたりが温かくなることに気付き、自分の中が落ち着いてきたのがわかったとおっしゃいました。それにより、今までその方がずっと悩んでいた家族との会話を行ったのだそうです。それにより家族とちゃんと話すことができたとそれはとてもうれしいことだったと話されました。

お話を伺っていて、結局、本人しだいということと、語りかけを正しく行えているかどうかということを思います。正しくというのは色々あるのですが、何よりもどんな動機で行っているかというところはとても大事です。

11月、12月と私はカツを入れることが多いです。何かに動かされるようにそれはやってきています。ぜひ、カツを入れられた方(笑)はプレゼントだと思ってスイッチを入れる起爆剤に使ってください。

さて、今日から岩手です。今年最後の出張です。岩手クラスにもカツを入れてくるかも。逆にカツを入れられるかも。行ってきます。

「私」はそうは思っていない
2017/12/11

キーは「クール」と昨日書きました。

このクール、一般的には冷たい、よそよそしい、壁があるなどをイメージするかもしれません。そして、そのクールの反対にあるホットは、あたたか、親しみがある、優しい、とイメージするかもしれません。ここでのクールとホットは同じ線上の左と右に置かれている意味づけです。ですので、これだけでクールを見てしまうと、ホットのほうがいい、と思うと思います。

しかし、意味づけは同じ線上だけで成り立っているものではなく、クールの深さというところでの意味づけもあります(領域によって変わる意味づけ)クールを今までとは違う体験をすることでそこの意味づけは生まれます。

それが昨日書いたような、俯瞰的、達観的、未来的、そして非2極的というものです。

そして、語りかけでは必ず「あなたは〇〇と思っているんだね」と語ります。これはあなた(パターン)はそのように思っていて、こんな感情がわいているけれども、「私」はそう思っていないので、その感情はない、ということが含まれています。

ここから見えてくることは、共感とは、相手のそれへの理解であり、でも、自分も同じということではないんです。たぶん、同じところで共感をした場合は同調になりやすい気がします。ここにも「私」のクールさがあります。

パターンに飲み込まれたときにはこのことも思い出してください。パターンが言っている、感じていることを「私」」はそうは思っていないんだということ。そしてそれが本当の自分であるということ。

クールに
2017/12/10

語りかけでは、パターンに飲み込まれないように。パターンへの語りかけは、パターンに共感して、愛のかたまりである「私」が行ってください、と言っているので、その共感、愛というところの捉え方によっては、それが同調の語りかけになってしまい、パターンに飲み込まれているということが起きていることがあります。

そのことはとても自然に起こるので、飲み込まれているということに気づかないかもしれません。飲み込まれている=熱心に行っているという感覚かもしれません。どちらかと言うと語りかけは

すごーーーーく・・・・・・『クール』・・・・・・です。

共感はしていてもとてもとてもクールです。それは、俯瞰している感じ、達観している感じ、今だけじゃないこと、先があることを知っているからこそ、という感じ、これからの可能性を知っているからこそ、という感じ、そして、不必要なものがないことを知っている感じ、とか、「私」はハイアーセルフなので。

同調は一見優しく、とても寄り添っているかんじですが、どこか重いです。べたっと感がある。結局、それはパターンを増長させることにもなります。

これは他人との接し方にも現れます。一見優しい同調と、ちょっとクールな共感とで、印象は変わります。一般的には同調のほうが求められ、優しい人と言われます。

しかし、相手を尊重したいと思ったときには、共感を選ぶと思います。同調はその場だけ、共感はこれからを見据えてということもあり、人との関わりにはやはり共感が自他ともに気持ちいいです。

誰にでも、共感で接することはありませんが、自分が大事に思う人には、共感をしたいです。

この同調と共感の違いの微妙なところをぜひ体感してください。語りかけをやっていくうちに(うまくいくとき、いかないときを経て)きっとその感じがつかめるはずです。キーは『クール』・・・・続く。

シンプルすぎて・・・
2017/12/09

オカメインコのポロン、我が家での生活がそろそろ1年になろうとしています。

尾羽の付け根にできたガンが広がってしまい、気持ちが悪いのでしょう、しょっちゅう嘴でつついています。つつくと痛いらしく「ぎゃ」と声をあげています。時にはそれで血が流れることも。

それでも、まだ食欲があり、こっくりこっくりと昼寝をし、目が覚めれば自分で菜っ葉に頭をすりつけて、とても気持ちよさそうにしています。

鳥だからといってしまえばそれまでですが、未来のことを考えないで、今だけにしかいないんだなあと見ていてつくづく思います。過去のことも未来もない。

気持ち悪いからつつく、つつくから痛くてぎゃっと叫ぶ、おなかがすいたから食べる、眠くなったから眠る、気落ちいいから菜っ葉に頭をすりつける、甘えたいときだけ甘える、そしてまた気持ち悪くてつつく。

この今やりたいことをやるという行動のみなので、未来への恐怖はないでしょう。

そんなポロンを見ていると、自分が成長していくうちに忘れてしまった大事なことを見せてもらえている気がします。そう、このことを取り戻すことを私はやっているんだろうなあと思います。過去にも未来にもいないで今にいるだけで何かを行っているという状態を。そんなシンプルなことなのに、シンプルすぎて人間には難しい。ポロンは私の先生。

皆、本当は知っている
2017/12/08

皆、今の自分をよりバランスよくするのには自分に何が必要なのかを知っています。

これは今までお会いしてきた方々もそうだし、プライベートで会っている人達もそうだし、私自身も。

自分に必要な何かを得ることで、自分はこうなっていかれるだろうというところも実は知っています。だったらそうすればいいのに、ということなんですが、わかっていてもなかなかできないのが人間です。

自分が望んでいる在り方と現実の自分とのギャップ、ここが皆つらいところです。そこを問題、悩みとして、どうしたらそこを超えられるかという積極的行動がカウンセリングです。進むべき先(ありたい自分)は見えているし、知ってもいるんです。でも、できない、というところ。

進むべき先を見ているのは「私」そしてできないと言っているのはパターン。パターンはできないを通そうとして、色々なアイデアを出してきます。例えば、ストレス解消していけばいい、お金を貯めればいい、結婚できれば大丈夫、子供をもてば幸せ、どうにかなると考えていればいい、苦手なこと嫌いなことは無視していけばいい、だれかのせいにしよう、自分はもうすでに幸せだと思おう・・・など。そしてその声を聴いて行動します。そして、それに基づく現実を生きることになります。

なぜ、ここまでしてパターンはできないを通そうとするのか、というと「私」が進むべきところを選んでしまうと自分は抹消されると思っているからなんです。パターンにとっては死活問題なので必死です。だから語りかけがあるんです。語りかけでは「これからは「私」があなたを守っていくから、あなたは、あなたのままでいていいから」と言います。こうして信頼関係がつくれると「私」の意思を選択することを妨害しなくなります。

パターンは生きています。「私」という愛のかたまりとの信頼関係を彼らは求めています。それを創っていってください。

歯の検診にいく
2017/12/07

先日、3年半ぶりに歯の検診に行きました。

検診の予約を入れては父のことで行かれなかったり、また予約を入れては風邪をひいて行かれなかったりをくりかえし、やっとこの日をむかえました。

こちらのクリニックにはもう、26年もお世話になっています。

35歳の頃、急に右奥の親知らずが痛み、近所の歯医者さんにいったところ、親知らずが倒れている状態で、抜くとなると、骨を削ってになるのでと、口腔外科を紹介されました。で、口腔外科で、麻酔の説明を受けたときに、あまりに怖かったら全身麻酔もありだけど、その場合、リスクもあって・・・と話をされて、びびりーな私は、そこもお断りしてしまいました。

その後、痛みが和らいでいきながらも、また痛み出したらどこへ行ったらいいのだろう、と思いあぐねていたときに、このクリニックを知りました。

その親知らずは今でも存在しています。この先生に初めて診ていただいたとき「伊藤さん、大丈夫だよ、いざとなったら僕がどうにかしてあげるから。親知らずで全身麻酔なんてしなくていいよ」と言ってくださいました。ものすごく安堵して、助けられました。

そんな先生との3年半ぶりの再会。

先生、年をとられたなあとお顔を見たときに思いましたが、先生も『伊藤さん、年とったなあ』というお顔をされました(お互いにね)信頼できる先生がいてくれることは本当にありがたいことです。先生にはいつまでもお元気でいていただきたいです。

2極から中心へ
2017/12/06

以前日記に書いたこと。

3歳頃の私は一番の仲良しの男の子にいじわるをして泣かせていた、という話。それをとても心配して母は2人の専門家に会いに行きました。そして、そのお2人からいただいた言葉は「いじわるも出来ないような子じゃしかたない」この言葉に母はびっくりだったろうし、信じがたいことだったと思います。そして、びっくりなのはその先生の言うとおりそれはその後3か月ほどでぴたっととまったということ。

これは、一般的にはいけないことです。そんな子供にした親のせい、又は子供に何か問題がある、いずれにせよ、他人にいじわるをすることはどう見ても認められないことです。でも、それもできない子じゃしかたない、ということには、その行為についやしている時間に何か意味があり、人が成長するうえで必要なことなのかもしれません。

で、大人になってからは、ほとんどの人はいじわるをしません。どちらかというと誰にでも優しくしようとします。でも、でも、心の中では嫌いな人もいる、悪口を言いたくなる人もいる、許されるものならやり返してやりたいと思うことも。それは実際行ってしまうとまずいので隠されていますが、自分の中には確かにそれがある。それに対して自分の中でそんな自分を裁くこともします。

でも、これも成長している途中のことだろうと私は思うんです。だから、そういう自分をそのまま受け入れていけばいいと思います。そういう気持ちも持てないようではどうしようもない。どこかに向かうための今そこ。そこを許せるということは2極から中心に向かって動いてきているということです。

やすらかさ
2017/12/05

カウンセラーというと、出来上がった人というイメージがあるようです・・が・・私は全くそうではありません。

カウンセラーである前にひとりの女性としての自分が常にあります。皆さんと同じようにいろんなパターンをもっているし、それにひっかかってネガティブな感情が湧いてくることももちろんあります。だから、そのときは語りかけ。まずやることはそれだけです。

語りかけは、今の自分に起きていることをそのまま受け取っているということ。そして、そういう自分を受け入れているということ。そんなシンプルで優しい行為だから、きちんと行われていれば、語りかけにはやすらぎがあるのだと思います。

自分のパターン全てをただ、そのまま、どのパターンの存在もOKであれば、そこには、ジャッジや闘いが発生しないので、自然にやすらかです。

ただ、難しいのは、これを頭で理解してそうなるということができないということ。頭で理解できたという気になることはできますが、それは一時のものにしかなりません。在り方、心を創っていくためには、自分観察を継続し、ワークを継続し、白を選択し続け、実践を体験することです。それの積み重ねで、自分の持つ全てのパターンの存在を許せるようになります。

許せるから、やすらかなんです。頭でのやすらかではなく、心からのやすらかをぜひぜひ自分のものにしてください。

ありがとう
2017/12/04

高校の時の同級生の家のことを思い出しました。もう、43年も前の頃の話。

仲が良くて、よく遊びに彼女の家に行っていました。こじんまりとした2階建ての、樹々に囲まれた家でした。ご両親とめちゃめちゃかっこよい弟さんと4人家族でした。

彼女は、私とは全くタイプが違う人で、美術が好きで、手作りの服や、アクセサリーを身につけていました。独特の雰囲気のある人でした。

いつものように彼女の家のリビングにあるテーブルでお菓子を食べながら(お菓子はいつもお母さんの手作り)2人で話をしていました。そのテーブルは4人掛けで、引き出しが4つついています。彼女が「引き出しをあけてみて」と言ったので、引き出しをあけてみるとそこにはお茶碗とお椀とお箸、フォーク、スプーン、ナイフがきれいに入っていました。

それぞれの座る椅子の前にある引き出しに、その人の食器類がこうして収められているのだそうです。だから、食事になると、それぞれがそこから自分の食器を出して、食事をし、食後はお母さんが洗ったものをまたそれぞれがそこに戻すのだそうです。それを聞いて高校生ながら、これ、すごくいい、と思いました。こんなふうにしたいと思ったのを覚えています(いまだに実現していないけれど)

彼女の部屋も屋根裏部屋のようなところで、窓をあけると樹々に触れることができてとても落ち着きました。彼女の描いた絵や、粘土作品や、アクセサリーや服や帽子や・・・たくさんの物に囲まれて・・・2人でよく話たものです。

今思うと私は彼女から多くの影響を受けていたと思います。自然に細胞レベルでその影響は受け取っていて、それは、今に生きていてカウンセリングにも活かされているとおもいます。ありがとう、とたくさん彼女に言いたい。

どう見られているのか
2017/12/03

自分は周囲の人からどう見られているか…ということにとらわれると、それは、それは、苦しい人生になります。

もちろん、自分ひとりで生きているわけではないので、周りに合わせていくことも、我慢することも、リクエストにこたえることも必要ではありますが、それではなくて、とにかくどう見られているのか、どう評価されているのか、というところに集中してしまうと、一体誰の人生を生きているのかということになります。

で、このどう見られているのか、というところには、こう見られたいというものがあります。しっかり者とみられたい、できる人に見られたい、優しくレベルの高い人に見られたい、良き母、良き妻であるように見られたい、成功者に見られたい、幸せそうに見られたい、などなどなど。色々あります。

そう見られていないとき、表現される言葉として「ちゃんと理解されたいんですよねえ」というのがあります。

これは自分の(パターンの)思うような自分として見てほしいということです。この言葉が自分の脳裏に現れているときは注意です。自分をこう見てほしいという黒パターンがささやいているからです。

そこに気付ければ、語りかけ、白黒、選択、実行で、変わっていきます。周囲の人たちもほとんどが(たぶん世界中の90%〜95%の人が)パターンで自他を見ているので、パターンによっての人への称賛だったり、人への評価だったりしているのが現実です。ですから、他人の称賛、評価ほどあてにならないものはありません。

自分がどうありたいか、パターンではなく「私」は、というところを自分の指針にしていってください。

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