ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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抗わないで・・・・
2019/06/20

令和になってから、変化が起きていると言う方がまわりに多いです。

今まで考えなかったような展開や、予想外のことが起きる、何かを手放すことになった、など、今までのままでいることに固執してしまうと身動きがとれなくなっていくかもしれません。

こういうときには、抗わずに、展開に乗る、起きたことも受け入れてみる、手放すことになったことは手放す、ということをしていくのがいいと思います。

誰でも、自分が慣れ親しんだものごとがなくなることは怖かったり、寂しかったり、不安だったりすると思いますが、何かが変わること、終わることは何かのスタートだし、何かがなくなることで、新なものが流れてきます。そして、全てが変わることが自然なありかたなので、それを受け入れるといいです。

楽しみながら。これからだ、きっと何かが待っていると思って。

今日はこれからとても久しぶりですが、山形、庄内へ行ってきます。先日大きな地震があったのですが、庄内は大丈夫だったということでした。それでもきっと大きな揺れだったと思います。・・・・ということで、行ってまいります。

「私」を育てることは、奇跡を起こす
2019/06/19

それぞれの「私」が成長・進化していくときに、ほとんどの方に見られることとして、自分の両親への理解、許し、愛おしさ、などが、人によっては徐々に、人によっては一気に起きてきます。

それはたとえ、両親との確執があり、言葉や実際の暴力に傷ついた体験があり、一生、この親のことはきっと許さないだろう、この親が死んでも悲しくない、早く死ねばいい、と根深く思っていても、それでもこの奇跡と言えるような体験をするようになります。

それは理屈を超えて、自分の中に芽生える純粋な気持ちです。それは、私はその方の「私」が育ち、その資質である、理解や、許しや、共感や、受容などの力が成長・進化したからだと感じています。

「あんなに嫌いな父だったのに、あるとき、父の背中を見ていたら泣けてきた」「母に愛された記憶もなく、じゃまものとしてずっと扱われてきたのに、だんだんと、この人の痛みを感じて、泣けた」「なぜだか、もういい、昔のことはもう全ていい、と心底、納得できてて、今は一緒にいてあげたいと思う」などなど。

私は、この体験こそとても神聖なものであり、崇高なものだと思っています(愛は身近にあるんです。天の高いところにあるのではありません)そして、まず、親に対して(兄弟に対して)のそれが起きてから人はそれが自然と他人にも向かっていきます。ですから、そういう話を聞くと、よかった・・・と思います。

それは、その方が自分を変容させたという証です。具体的に何の変容なのかというと、もう、自分で自分を満たせるようになってきたという変容です。それがないときに一番近くにいる親からそれをもらおうとします。

その方がつかんだそれは、自分の肯定になっていくものです。そして、そういうその方と一緒にいることでご両親は自分の子を誇りに思い、そういう子供を生み育てた自分たちを肯定していきます。特別なことじゃないんです。でも、気高いものです。

「私」を育てることは、奇跡を起こします。

愚痴や悪口
2019/06/18

愚痴や悪口って、いけないものと思っている方が多いと思いますが、愚痴も悪口もパターンの言い分なので、いけないというものではないです。

かと言ってそれを誰かれ構わずに言うと、色々と問題になるので、控えるべきでしょうが、それは、パターンが言いたいことです。だからそれは「私」が聞いてあげるといいです。「そうだよね・・・」とそのままを受け取ってあげます。それだけでも、ちょっと落ち着く感じがあると思います。

又、それを聞いてくれる人がいたら(その人もパターンというものを知っていれば)吐き出してもいいと私は思っています。「これはパターンが言いたいことなんだけど・・・」と頭につけて言えれば、自分も相手も納得してその話ができると思います。聞いている方が話の終わりに「・・・・ってパターンは言いたいんだね」と言ってあげてもいいと思う。そこで2人でそれはパターンであることを再度確認するということですね。

愚痴や悪口はよくないものだからと言いたくてもぐっと我慢をして、抑圧していくと、それは身体中の毛穴という毛穴から出てくる、とおせわになった先生から聞いたことがあります。どんなに抑えつけても、本人もわからないうちに、出ているものなんですね。

だとしたら毛穴から無意識で出すよりも、意識的に(これはパターンの言い分であることを認識して)出してあげたら?と思います。

人が持っているもので不必要なものはありません。全部が必要なものです。何のために?「私」を育てるために。育った「私」が愚痴や悪口を言いたいパターンたちを安心させてあげて一緒に生きていくために。

誰もがわかっている
2019/06/16

人は誰でもが、本当は自分がどうありたいのか、どういうふうでいたいのかをわかっていると感じます。

本当は自分のことも他人のことも許して、おだやかに誰とでも仲良くいたいと思っています。争いや、競争や、勝ち負けなんかで他人と闘いたくもないと思っています。

それが本当の自分の姿だから。

それでも、それができない。できないのは、その本当の部分を覆い隠してしまうほど、悲しみや、苦しさや、不安や、怖さや、絶望や、くやしさや、生きにくさを感じているからです。そして、それも分かっている。だから、どうしたらよいのか、何を変えるべきなのかもわかっています。

でも、それができない。そして、できないそのこと自体が苦しいことになります。きっと多くのほとんどの人がそうだと思います。

だからこそ、自分を信じることが大事です。覆いかぶさっているものがある、わかっていてもできないことがある、でも、自分は本当はどうありたいかを知っている。そして、そこが最も大事なことであることもわかっている。だからそれを信じる。

これを忘れないでください。迷ったときも、つらいときも「本当はどうなの?」と自分に問い、本当は自分はどうありたいのかを思い出します。とても大事なこと。

関係性が変わる
2019/06/15

朝の連ドラ。アニメーターを目指す主人公のお話しですが、出てくる人、出てくる人が美男美女で、そうではない人はひとりもいない。・・・うーーーん、これはあり得んな・・・と言いながらも毎日見ています。

で、きのう、そのドラマのオープニングの可愛らしいアニメを制作したという女性2人のインタビューを見ました。このアニメは、ササユリアニメーション制作会社のお二人の仁美さん(社会人2年目で今回、大抜擢された仁美さんと、その仁美さんを抜擢した代表取締役の仁美さん)によって制作されたのだそうです。

そのときのお話しで代表取締役の仁美さんともう一人の仁美さんは、とても仲良しで、手作りのケーキを作ってわたしたり、楽しくつきあえる間柄だったそうです(気が合ったのでしょうね)

しかし、この仕事に仁美さんを抜擢をしたときに代表取締役の仁美さんは「これからは、今までと同じつきあいではなくなる。ケンカをすることもあるだろうし、これからは関係性が変わる」ともうひとりの仁美さんに話したそうです。抜擢された仁美さんはそれを受け入れ、2人での仕事がスタートしたようでした。

この話を聞いて、アニメの先輩でもあり、代表取締役でもある人の言葉だな、と思いました。仲が良いからよいものができるのではなく、時には、ケンカになったり、気まずくなったり、悩んだり、話合ったりしていくから良い仕事につながる。仲良しだけでは仕事はできないものです。

仕事の関係性というのは、プライベートのそれとは違います。仕事には、自分をわかってほしい、自分に優しくしてほしい、自分を守ってほしい、楽しく仕事させてほしい、などは要求しては仕事にならず、いかに良い仕事をするか、お互いに、スムーズに、効率よく、というところが求められます。

特に女性は、どの場面においても、自分をわかってくれること、自分に優しくしてくれること、自分を守り、楽しくいさせてくれることを望みやすいです。しかし、その場面、場面で必要なものは変わってきます。それを知っていることは大事です。そして、それを知っているほうが自他に楽。

この代表取締役の仁美さんのように、技術的なことだけではないところでも仕事というものを後輩に伝えていかれる人がいるというのがうれしくありました。

そういう世界への旅
2019/06/14

きのうの日記の続きです。

特に今は感情が波立つことがないときでも、自分でこれは不十分だろうと思うパターンに語りかけを続けてください、と書きました。

これはこの目に見える世界で楽になることがだけが語りかけなのではなくて、次の世界へ続くものだからです。

で・・・「魂の道場」としては、ここから先が真骨頂だと思っています。特にひっかかることもなく、総体的に楽であっても、語りかけをし続けていくと、語っているものの質をだんだんと感じることになります。

ちょうど、先日の日記に書いた「禅マインド ビギナーズ・マインド」鈴木俊隆著の「座禅は実際は私達の本性のあらわれ」とあるように、語っている「私」という仏性、神性の質を感じるようになります。

そのときというのは、次の領域に片足を入れているようなものです。今までの物質界からその次の世界へ。語りかけはこの両方の世界をまたいで行っている質のものに変っていきます。それを続けるうちに自然と、またいでいた両足は次の世界へ着地します。そしてそこの住人として生活をするようになる。

そして、そこの住人としての意識の自分が物質界へ降りて、仕事をしたり、人と関わったりしています。これは決して上から目線とか、他人をバカにしているというものではありません。ごく普通にそこにいつつも、いろんなものごとが俯瞰して見えるようになります。俯瞰してみるから自分のことだけではなくなってくるし、細部にわたります。

それは自然と、ひっそりと、きっと誰にも気付かれなく、他人に良い影響を与えていく・・・ということを思います。ここが道場としてはやりたいところです。

ちょっとわかりにくい話ではありましたが、わかっている方々は世界中にいると思います。そういう世界への旅、昔から探求好きな人たちがその旅をしてきたのだろうと思います。

自分の人生を創造する
2019/06/13

お会いしているAさんのお話しです(ご本人の承諾を得ております)

Aさん曰く「私は強運の持ち主ではなくて、運が良いということがなくて」と話されました。それに対してある方から「それなら強運のパートナーを見つけるといいよ」と言われたそうですが、その強運のパートナーを見つけられるくらいの運がなかったとおっしゃいました。この時点で、Aさんは、運のない自分はうまくいかないと思っていたかもしれません。

しかし、先日お会いしたAさんは、もう、そうではありませんでした。今までの仕事の集大成と言えるようなAさんにふさわしい職につき、そこでの目標もでき、以前よりも給料アップし、体調もよく、新な生活をしていました。

自分には運がない、と思っていた頃から、今までには、職場で嫌なつらい思いを繰り返し、体調がすぐれなかったり、家族のことで悩んだり、転職も何度か経験して、決して平穏な日々ではありませんでした。そのころのお話しからは、さぞつらいだろうと思うこともたびたびでした。

しかし、Aさんはそれらを自分の運の悪さというところで諦めてしまうのではなく、悩みながら、戸惑いながら、自分に向き合うことを諦めずに、努力を続けてきました。その結果が今だと思います。

「自分の人生を創造するというのはこういうことなんだとわかったようです」と話されていて、そう話すAさんは晴れやかに見えました。そうです、人生を創造するってそういうことです。

そこから話は進み「自分という「魂」は自分でやりたいのだと思う」と話されました。「運がないという自分でスタートして、そこからやりたかったのかも」と。

「そうだったんだね。自分でやりたかったんだねーー、そうやって人生を創造したでしょ?これからも、これを繰り返してまた創造する、そしてまた、と続けていけばいいね・・・で、語りかけの宿題やってきた?」と私がたずねると「あぁーーーーやってないですぅ・・・」というAさん。「生活がよくなってしまうとやらない、は、だめだよ。今は引っかからないからいいじゃなくて、楽だからいいじゃなくて、そうであるなら余裕をもってもっと落ち着いてできるはずでしょ?パターンはまだ傷ついたままいるんだよ」と私に言われてしまいました(大笑)

これはAさんだけではなく、多くの方がそうです。苦しいときには語りかけをするけれども、楽になるとしなくなる、現実がよくなったからいい、というところをひとつのゴールとしてもいいんですが(そこでの道場卒業もありです)もし、次の領域への探求を望むのであれば、どんなに楽なときでも、何もひっかからなくても、自分が不十分だとわかっているパターンには語りかけをし、白黒ワークをしてくださいね。そうやって自分の中にある全てのものへ光を当て続けること、白を選ぶということで自分で自分を引き上げること、そこが次の領域への道となります。

Aさん、頑張りましょう。

幻影という牢獄
2019/06/12

今朝の日記は、アルベルト・アインシュタインの言葉です(書くことがないときは、これこれ!)どうぞ。

「人間とは、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。私たちは自分自身を、思考を、そして感情を、他と切り離されたものとして体験するが、これは意識における幻影である。この幻影は一種の牢獄である。個人的な欲望や近しい人の愛情に私たちを縛りつけるのだ。 我々はこの牢獄から自らを開放するよう努めなければならない。生き物全て、自然の全てを、まるごといつくしみ、深い熱情の輪を広げることで、我々はこの牢獄から解放される (アルベルト・アインシュタイン)

自分が自由になるためには、やはり、愛しかないと感じます。

本来、自由なはずの私達は自分で自分を牢獄に入れて、苦しんでいます。どうして自分だけ、こんなに苦しまなくてはいけないのだろうか?と、もんもんとするわけですが、それはここに書かれているように、まるごといつくしみ、深い熱情の輪を広げていないからということになります。

私レベルの体験ですが、この・・・まるごといつくしみ・・・を体験すると自然とその熱は輪を広げていくと感じます。わざわざ、広げなくっちゃではなくても自然と。

そのぐらい、まるごといつくしみは、大きくなりたがっているし、広がりたがっているし、まるごといつくしみを扱っているものたちがその大きな腕でそれをどこか必要なところへ運んでいくのだろうとも思います。

まるごといつくしみはまず自分へです。自分の中のパターンや感情や感覚をまるごといつくしんでください。その感覚が自然と他人に向けられていきます。そうなってくると他と自分が切り離されているとは思えなくなってきます。これも自然と。

幻影という牢獄、今、そこにいることを認め、そこから解放されるために、自分の中の「私」という愛の塊を使う。それに努める。すごくシンプルなこと。でも、シンプルだからこそ難しいこと。だからやる。

再び再会
2019/06/11

昨日は、(も)、高校の同級生3人と再会しました。

以前も同じメンバーで会い、ちょうど3年ぶりでした。会ったとたんに皆から「どうしたのお?髪」と言われ、そうか、3年前はまだしっかり染めていたのか・・と思いました。

「いいよ、自然だよ」と言われ、皆も、もう染めることを辞めたいという話になりました。ここへの勇気・・・がねえ。

その後の話は、親の介護のことだったり・・・「ねえ、ねえ、めまいしない?」「するする」「大きな病気した?」「したした」・・・と身体についてのことなど、一般的にこの年代になると話題になることがみごとにオンパレードでした。たぶん70代に入ると今度は終活の話になるだろうと思います。

高校の同級生というのは、お互いに子供の頃の自分たちを知っている人達で、そのころのその人への認識が皆の中には残っていて、そのままに接してくれたり、接するからか、安心します。あのときの私と今の私とそこには大きな違いがあるものの、子供の頃の私から今の私までを「洋子ちゃんならこうだよねえ」と許してくれていて、自由にさせてくれている気になります。

一人がクラスの集合写真をもってきて、それだけで十分盛り上がり「この人は今?」の話でまた盛り上がる。高校生のままでいられる私達でした。

それでも、ひとりひとりの63年を聞けば、まさに「人に歴史あり」です。どの人の人生も、本当に貴重であり、その人だからやってこれたものであり、それをお互いに大事にできることが何よりだなあと思いました。

大人になるって、歳をとるって、他の痛みがわかることで、それはいいなあ、同級生っていいなあ、と思いました。

今月は再会の月です。月末にまた一人再会が待っています。これだけ続くと、何かあるのだろうかと思います。

自分の与えたものが・・・
2019/06/10

令和に入ってから、私はいろんなこと(仕事も、プライベートも)がどんどん流れ、変化していっています。

そこには新な情報とか、知識とか、出来事とか、行動も加わり、心の模様替えというかんじです。きっとこれはこれからますます続いていくのだろうと思っています。

今までのいわゆる安定しているところから新なところへ動いていくときには、今まで握っていたものを手放すことに自然となるし、慣れ親しんだものを終わらすことも必要になります。

このあたりは自分で選択はできないので、仕事でも、プライベートでも、ただひたすら「私」が納得する在り方(天の望む在り方、宇宙のルールに沿った在り方)をより意識的に日々送り、やってくるであろう変化という流れそのものは、あちらにおまかせしています。

そんな中、以前の自分なら「激怒」するだろうと思うことがありました。これは絶対激怒して相手を切り捨てることをしていただろうということでした・・・が・・・それに対して激怒どころか、怒りや、いらいらや、頭にきたさえもありませんでした。

いわゆるパターンに全くひっかからないという状態を「私」は見ていて、平成の時代に頑張って自分を創ってきたことへのひとつの成長の証だと思いました。それ以来、何かが抜けたような感じがしていて、それにより流されていくことができそうです。

そんなこともあり、今回の岩手クラスで「自分に向き合っていくうちに(これは自発的にワークを続けていくということ)ある日、全然パターンにひっかかっていないことに気づく日がやってきます」という話をしました。この体験を多くの方にしていただきたいです。そして、その体験をしたときに見える世界がどんなものか、それを見ている自分がどんな感じかを知ることになるのだと思います。その日がいつ来るのか、それはわかりません。自分で決められるものではないし、ましては手をのばして手に入れるものでもありません。自分の在り様を大いなるものが見て、あちらが与えてくれるものだと私は思っています。だからこそリバウンドしたり、抵抗や闘いがないものなんだと思う。

そして、それは今まで自分が自分のパターンたちに与えてきた優しさへのあちらからのお返しなのかもしれません。自分の与えたものが自分に与えられる。

自分のパターンに与えたものも、また与えられるんです。

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