ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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心が整っていくと・・・
2017/08/22

きのうの日記の「導いてくれるもの」(私はこれを宇宙のルールだと思っています)それがいてくれるから安心して生きられるというのは…本当だろうか?と思うと思います。

そんなことを信じてしまって、結局、損する、大変なことになるんじゃないだろうかと思うと思います。根拠はあるのか、説明がつくのか、大体、そんなことを信じて生きている人なんているのだろうか、と。

しかし、よくよく自分自身と自分に起きたこと、自分の周りを観察してみると、確かに、何かの力が働いていたと思えるような体験を誰でもがしていると思います(そのときには偶然と思うかもしれません)それは一見してよくないできごとでも、それがあとから自分を救うものであったこと、そのことがあったことで、自分がより強く、大きな目を持つことができるようになれたこと、何が最も大切なことであるかということに気付くことになった、などなどなかったでしょうか。それは何かの導きだったのかもしれません。

心が整っていくと、現実的にも、今まで執着していたものごとからだんだん離れていくということが起きてきます。それは物質的なものであり、他人です。他人への執着というのは、他人から自分の足りないものを埋めてもらおうとするものです。その足りていないものは、不安や不満や憤りなどいろんな感情をともないます。それは苦しいので感じないでいられるように、他人にそれを求めます。

他人から褒めてもらう、すごいと言ってもらう、いつも自分を大切にしてもらう、称賛してもらう、認めてもらう・・・それらが与えられれば、今度はよい気分の感情で満たされます。それはそうとうの執着になり、自分でやめないかぎりずっと続けていくことになります。ネガティブもポジティブも感情がともなうというのは、この領域の特徴です。それが良い、とか、悪い、とかではなくて、現実に起きていることはそういうことで、心が整っていくということは、ここからは卒業していくということです。

今日はこれから盛岡です。今回も、善いセミナーを行ってきます。これからまた暑くなりそうですね。皆さまもどうぞお元気で!

導かれるように生きる
2017/08/21

心が整ってくると、気付くことのひとつに「導かれるように生きる」ということがあります。

何かに導かれるように日々の生活を自分が送っていることへの気付きです。それは、こうしなさい、と何かサインやメッセージがあって、それに従ったら、こんないいことがあった、とか、感情が薄れて楽になった、とか、ラッキーなことだけが起きる、というものではなく、スムーズに事が運んでいくというものです。

いいことが起きる、悪いことは起きないというところではないところで起こっているスムーズさです。

その特徴のひとつとして、思考していない(というのは、自分から取りにいくとか、計画立てて合理的にやるとか、を、思案することに思考していない、従って、疲れない)というのがあります。しかし、仕事や家事など肝心なことは考えます。でも、そこにすらスムーズさがあります。

今まで100%自分で考えていたものが半分くらい自分であとの半分は導いてくれるものがいるので、そこにおまかせという感じです。一緒に生きている、というイメージでしょうか。それがより、鮮明に、現実味をおびていきます。目に見えないものだから信頼できないんじゃなくて、目に見えないものだけど、これだけスムーズにいくと、そのサポートは確かなものだと思えます。で、そう思えれば思えるほどそことの結びつきは強くなります。

この体験は、心が整ってくると、ということが条件になります。心を整えるということはもう、黒パターンで生きないということです。「私」が白パターンを選んで生きるということです。白パターンを選ぶということは、正直さと素直さと謙虚さと誠実さ、勇気と忍耐と努力と挑戦を使うということになります。それらを具体的に現実の生活の中で自他に使うことで、心は整っていきます(純粋化していく)そうなっていったときに感じられる「導かれるように生きる」です。

もう、ひとりで頑張らなくていい。導いてくれるものと一緒にいけばいい。そもそもそのように私達は創られているから、ということです。

使えるものは全てを使って
2017/08/20

語りかけで必ず行っていただくのは、文章の中に「あなた」を入れるということです。

文章的におかしくても「あなた」を頻繁に入れてください。又、語りかけの文章を書くときにも必ず「あなた」を頻繁にいれてください。

これは「あなた」をたくさん入れることで「私」と「あなた」との分離感(「私」はパターンでも、感情・感覚・思考でもない)を体験していくためです。

言葉に出して言う、ということで耳からそれを取り入れ、書くということで目からそれを取り入れ、心の中でつぶやくということで心にそれをしみ込ませ、文章を考えるということで頭にもそれを教えていきます。時には、語りかけに動作をつけて、体にも協力してもらう、と、使えるものは全てを使って「私」と「あなた」との分離感、非同一化、脱同一化を行っていきます。

そのくらい意識的に行わないと、私達は、あらゆるものと自分を同一化していて、それが自分だとずっと思ってきているので、そこに目覚めることは大変なことです。しかし、この分離感が、人の本来の在り方を示してくれます。

語りかけは、最初は、変な感じがすると思うし、よくわからないし「私」がパターンに語っているつもりでもパターンと同一化してしまって、感情が大きく騒いだり、憂鬱な気持ちになったり、面倒くさいと感じたりすると思います。でも、それを続けてください。とにかく「あなた」を意識的に使ってください。

そのうちに、だんだんと「私」と「パターン」の分離感ができてきます。それだけでも心はかなり整理され、シンプルになります。今までからまって、ごちゃごちゃだった心の中が、ほどけていくことで、今の自分の心の中が管理しやすくなります。

これは新しい意識を自分の中に創る作業なので、戸惑いながらになるかもしれませんが、続けていけばきっとそれができるようになります。

・・・・・創ろう「分離感」・・・・・

後悔の念
2017/08/19

先日、母の夢をみました。

母は私に向かって「ごめんね、ごめんね」と言いいながらぼろぼろと涙をこぼしていました。その悲しい目が印象的でした。

目を覚まして、あの「ごめんね」は何についてだったんだろうと考えてみました。いくつか思い当たることはあるのですが、それとは別に「そうか」とわかったことがありました。

それは、私が、父の死後、母に対して抱いていた後悔の念(父のように入院中の母に接してあげられなかった、可哀そうなことをしてしまった、というもの)です。これは私の中に(勝手に)起きていることですが、母にしてみれば自分のせいで、私に後悔をさせてしまっている、と思っているんじゃないかと思いました。

そのことへの「ごめんね」だったのかもしれません。

これに気付いたときに、私が母を、私の後悔の念で悲しませてしまってはいけないんだということにも気付きました。

実は父に対しても私は後悔の念があります。それは倒れてしまった父に気付かず丸1日放置してしまったことです。これは今でも残っていて、語りかけをすることでだいぶ小さくなりましたが、それでもそれは私を悲しい気持ちにさせます。申し訳なかったという気持ちや、一番大切なときにいなかった自分を責めるものでもありました。

しかし、これも、私がそうやって自分を責めたり、悲しみにくれてしまえば、きっと父は自分のせいで・・・と思うと思います。お互いに、後悔の念を持つことになる。ですから、もう、私はそれではない在り方をしていこうと思いました。

・・・・と言うものの、後悔の念というパターンはあるので、それへの語りかけもまだしばらく続け、白を選んでいきます。そうやって心底、後悔の念から解放された私をみて、きっと両親は安心できると思います。

人が亡くなったときによく言われているように、残された人たちが悲しんでいては亡くなった人は成仏できない、というのはこういうことなんだろうと思いました。お互いに安らかに、元気に過ごしていきたい。そのためには私がそのように生きていくことだと気付きました。

楽しんで生きていい
2017/08/18

セッションにおいて、いろんなワークや、対話を行っていくうちに、今まで、パターンに突き動かされて自分は生きてきたんだ、ということにはっきりと気付くときがあります。これは衝撃です。

そして、もう、パターンに突き動かされるのではなく、本当の自分の(「私」の)意思で、選択をしながら生きていきたい、生きていこう、と自分の中に欲がわいてきます。そうやっていくことが、今までの自分の苦しみから自分を解放することであることを(まだそれができていなくても)感じとっているからです。魂は知っている。

しかし、そこへのステップは、継続と時間を要するものであり、きっと生まれて初めて体験するものになると思います。それは、誰も今まで教えてくれなかったものです。だからこそ、イメージができなくて、わかりにくいのだと思います。

エックハルト・トールさんが言う「機能不全の自分を本来の機能していく自分に変容していく」、アサジョーリさんが言う感情や思考との「脱同一化」ということになります。

・・・自分が感情や思考や肉体や記憶や性格でないのなら自分とは何なのか?・・・

これを見つけ、体験し、その自分として社会の中で、家庭の中で生きていくということを「魂の道場」では行っています。

そこで得ていくものは数々ありますが、肉体をもって仕事をしながら生きていくことにおいて、あらゆることがいいあんばいで(その人が管理できる範囲で)動いていくことになることがあります。

精神的に楽に自由になっていくということは確かに貴重なことですが、日々の生活をしていく上で、いいあんばいで生活が動き出すことはこの地上での生活を楽しむことになります。自己探求というと、内面的なことだけに目がいきやすいですが、生活がスムーズにまわるということもありがたいことです。精神性、霊性だけが高くても、生活が貧しく、苦しければ、それのバランスをとっていくことも大事です。内面も物質的なものごともバランスよく、楽しんで生きていいということです。

・・・・・・・・・清福・・・・・・・・・・

どうなんだろう?
2017/08/17

「自分が何をやりたいのかがわからない」ということを聞くことがあります。

やりたいことがわからなくてもんもんとしている、不安になる、焦るなど。ということは、やりたいことを求めている、ということですね。

どうしてやりたいことを求めるのでしょう?やりたいことがみつかればそこから何が得られるのでしょう?・・・・と見ていくと、やりたいことをやることで、没頭すること、情熱をもってとりくむこと、生きる目的が得られること、生きるはり、などが得られるのだと言います。それは一言で言うと「喜び」なんだと思います。

ここでの「喜び」は楽しいとかわくわくするとかハイテンションとかということとはちょっと違っていて、もう少し根源的な感じです。もしかしたら本能に近いものかもしれません。それを得たい、感じたい、包まれたい、ということなんじゃないかと思います。

人が生きる上で最もパワフルな力になるものは「喜び」なんだと思います。私達はその「喜び」を体験するために来ています。そして、その喜びは変動するものではなくて、昔から続いてきているものなんじゃないかと思います。それを誰もが自分の中にもっていて、そこがうずくのかもしれません。そして、それは自分のやりたいことがみつかればそれを感じられると思うのかもしれません。

それは、やりたいことがないと得られないのでしょうか?日々の生活の中でそれに触れることはできないのでしょうか?どうなんだろう・・・・・。やりたいことがみつからなくても、今、生きて生活をしている自分が「喜び」を感じられることって、あるのだろうか・・・・・。それについて熟考することもいいと思います。そこからまた、自分のやりたいことについての幅が広がる気がします。

おかげさま
2017/08/16

昨日は、お墓参りに行ってきました。

そのときにお寺でいただいた小冊子にこんなことが書いてありました。

『私達が当たり前のようにいただいている、水や日光、空気など生き物が生きるために必要な環境は基本的にタダなのです。しかし、そのどれもが当たり前ですまされているところに人間の行き詰まりが生じるのでしょう。「当たり前」の反対語は「おかげさま」なのだそうです。ふだん見えない「かげ」の力に対し、「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と表現されます。当たり前でなくなって、初めて知るありがたみ』

なるほどなあと思いました。・・・ふだん見えない「かげ」の力・・・それは水や日光、空気などを創っている力です。それが植物を生かし、動物たちを生かし、海や山を生かし、私達ひとりひとりを生かしています。それは地球を生かし、この宇宙を生かしている力です。その「かげ」の力がなければ私達は生きていくこと自体できません。

そんな、かけがえのない「かげ」の力、それに感謝をこめて「お」と「さま」をつけて「おかげさま」と呼ぶ。

そして、祈りとは、この「おかげさま」との対話であり、そこへの感謝と自分がやるべきことの宣言をすることです。目に見えない「かげ」の力に心を向けてそれとともに今日も1日、すごしていきたいです。

良いストレス
2017/08/15

きのうは用事で渋谷へ行きました。

渋谷に住む知り合いの家へいくためでした。

渋谷駅に着き、外へ出ると・・・・・人、人、人、人、人・・・・・前から、横から、斜めからくる人、人、人・・・・・・歩くのが大変でした(こういうときには身長の低さがこたえます)

迎えに来てくれた知り合いが言うには「今日はこれでも少ないほうだと思う。土、日はこんなもんじゃない」なのだそう。知り合いの家へ着くまで、その人の後ろを必死でついて歩いて、いつになく緊張感がわきました。しかし、今の私には、こういう緊張感もあったほうがいいとも思いました(かと言って、もう、都心には住めないですが)

近頃、脳の使っている部分が偏っている気がしています。私の場合、ほとんどが家でのカウンセリングなので、カウンセリングで使っている脳や、資料を作るときに使っている脳は活性化されて、クリア感があるんですが、そこには緊張感はないので、きのうのような緊張感を感じているときに使っている脳の部分は、今の自分に必要な気がしています。

良いストレス、これが必要な気がします。良いストレスを自分に与えて、緊張感を満喫して、脳がまんべんなく使われることが大事な気がします。たまに、渋谷へ行こう!と思った昨日でした。

それでいい
2017/08/13

人の成長・進化には時間がかります。

何かに気付いて、ああ、そうだったのか、と理解できて、それでも、また元に戻って。また、気付いたところに戻って、でも、また元に戻って・・を繰り返します。

それでいいんです。

しかし、その戻っているところだけを取り上げてしまうと、自分が全く成長していない、進化していないと思うと思います。成長する、進化するという事へのイメージがあるからですね。きっとこんなふうになるんだろうなあ、きっともう何も苦しみがなくなるんだろうなあ、全てがうまくいくんだろうなあ、というような。

すると、気付いたのに、相変わらず苦しいし、いらいらする自分は成長・進化していないと思うんですね。おまけにそんな自分を責めるパターンがあらわれたりもします。

一気に変わるということはありません。できたと思ったら、またできなくなっていたり、気付いたと思ったのに、またもんもんとしたり。やろうと決めたのに、もう嫌だと思ったり。誰でもがそうです。

それでいいんです。

そうやりながらゆっくりゆっくりと力をつけていっているからです。

私達は、とにかく、早く、望むものを手にいれたいと思います(というパターンがある)そのために頑張る、ということに慣れています。これだけ頑張れば、これが得られると思っています。

しかし、ここでのそれは全く違うものです。時間をかけ、確実に成長・進化していく先にあったものは、今思っているもの(パターンが思い描いているもの)とは違うものかもしれません。しかし、それはその人にとっての宝です。

それを楽しみにして・・・ゆっくり自分のペースで歩いていけばいい、と自分を許してあげてください。

やりたいという気持ちになったら・・・
2017/08/12

きのうの日記で自分の中に…苦しさはないか、違和感はないか、無理していないか、と、自分を見ていくといいです…と書きました。

これを見て「そうか、無理してワークしなくていいんだ、やりたいという気持ちになったらやればいいんだ」ということではありませんので〜〜誤解なきようお願いします〜〜

ワークをするときに、苦しさ、違和感、無理感があるということはそれらを作り出しているパターンがあるからそれをみつけて、ケアして、白を選んでからワークしてね、ということです。

さて、この「やりたいという気持ちになったらやる」というのは無理が一切なく、自然そうに見えるかもしれませんが、それで変容した、成長した、やり遂げたという人はいません。

やりたいという気持ちになったら…というぐらいに嫌で面倒なそれです(ワークだけに限らず)それがやりたいという気持ちにある日自然になるということはないです。

でも、それが必要なんだろうなあと思えるのであれば、又はそれはやらなくてはいけないことであるのなら、それを行うために自分で気持ちを上げていくことが必要です。気持ちを上げるためには、白を選ぶ。白黒ワークで感覚としての白を選ぶ。そこに流れる感情を感じてみる。そして、それを「選択」する。そして実行。

そうやって、もう「気持ちがのらないからさぁ、やりたくない」というもの(黒パターン)をリーダーにしないということです。それをリーダーにしていく限り、ずっと同じところをぐるぐる回り続け、繰り返し続けます。

「私」がリーダーなんです。今「私」が小さくても。全く自覚できていなくても。自覚できていないから、ワークをくりかえし自覚していきます。

小さな「私」が大きくなり、パターンたちが「あなたの言うとおりにしていきます。あなたに従っていれば安心だから」と認めてくれるまで、継続して修練していきます。

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