ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自分を見ているよう・・・
2019/05/17

前にも日記に書いた、お笑い芸人「ヒロシ」の「迷宮グルメ 異郷の駅前食堂」遅い時間にかかわらず、毎週見ています。眠くても頑張って見ている、というか、はまっています。

何が?というと、この時間に「あははは」と笑えるのが嬉しい。そして、ヒロシのあまりのわけのわからなさすぎが、まるで自分を見ているようで、そこに親近感を感じているんだろうと思います。ヒロシのあり得ないだろうということに、ある、ある、わかる、と一人でうなずいている。

以前のスペインのバルセロナ編では、バルセロナに着いて、かの有名はサグラダファミリアに向かって歩いているときに(サグラダファミリアも知らないヒロシ。あれは、何?と聞いている)その近くにあるお土産屋さんの絵ハガキを見て、自分が今いるところがバルセロナだったのか、と初めてわかったというあり得ないヒロシ。

この人、大丈夫だろうかと思いつつも、本当に自分のようでもあるんです。駅前食堂で食事をし、お金を払う段階で、お金の計算ができない、全く言葉がわからなくても、自分本位でいってしまう、私も同じでなので「そう、そうなんだよね、わかんないのよ、計算って。わかるよ。でも、ばかだなあ、ヒロシ、あははは」と言いながら見られる唯一の番組です。ただ、予算の関係なのか、ここのところ今までの再放送がほぼなので、ぜひ、新しいものを作っていただきたいです。

さて、今日はこれから沖縄です。沖縄は梅雨入りしているようですが、どうでしょう。また、善いセミナーを行ってきます。皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

誰もが自分が源
2019/05/16

きのうのような日記を書くと「偉そうだ」と思われることがあるんだろうなあと思います(実際言われたことはありませんが)

「全てが顕在意識だ、という哲学。だから心は複雑でもコントロール不可能でもない、心のすみまで風が通り、光があたり、それを「私」はながめ、アンバランスな部分を整えようとしている・・・と今の自分の心についての哲学を表明すると「おまえはフロイトよりも偉いのか」という捉え方をする人もいるのだろうなあと思います。

フロイトは世界的に超有名な人であり、私は無名の主婦カウンセラーだからです。有名な人の言うことには信ぴょう性があり正しい。無名の人の言うことには信ぴょう性はなく正しくないという意味づけをしている人がほとんどです。

そしてそれを信じている人がほとんどなので自分の哲学を創っていくときに「私なんかにはわからない」とか「自分の考えに自信がない」とか「私には無理」と決めてしまっている。誰もが自分を表明し、それを形にし、それを誰かのために使うという機会が与えられているのに。そして、それは大きな喜びになることに気づいているのに、それを手にしようとしないんです。

そういうことは、大学院まで出た人にしかできない、頭のいい人にしかできない、特別な人にしかできない、主婦には無理、と思いこんでいます。

このパターンは広く世界中に蔓延していて、ここを抜け出すことはなかなか大変かもしれません。

以前、おせわになった先生から、日本人は特にこの意識が強いと教えてもらいました。自分よりも力のあるものに服従することで生かしてもらう、という在り方がしみついている、というのです。自分には力がないから、強いものにくっついて守ってもらうことで生きられる、という生き方。そうで在りたいという方もいるので、それはそれで、その人の哲学ともなっているので、いいと思いますが、もっと自分自身を、そして自分の毎日を、自分の哲学で創っていこうと思う方は、自分が体験して創った哲学をもって今日も1日過ごそうとしてみるといいと思います。

そうやって1日1日を自分が創れるという哲学。その人にしかできない1日を創造していく。誰もが自分が源。

自分を苦しめているのは・・・
2019/05/15

人が苦しむこと、嫌なことって、結局、自分自身のネガティブな感情なんだと思います。

自分の中でそれが生まれているのに(自分のパターンが創っているのに)その感情に自分が苦しめられていると思っている。そして、苦しいから、この感情をどうにかしてなくしたい、忘れたい、この感情を感じているのが苦しい、と言います。

でも、それは誰かに与えられている感情ではなくて、自分自身で創っているものなんです。ですからいくら誰かに話を聞いてもらっても、その感情を忘れるように、楽しいことをやっても、それは一瞬、ほっとしたり、忘れたり、隠れたりしますが(この時点で、もう大丈夫と言います)同じような状況になればまた出てきます。そして、またそこでその感情に苦しむということを繰り返すことになります。

たぶん、ほとんどの人はそのようにしています。ほとんどの人がそうだから自分もそうでいいという人もいるので、それはそれでいいと思います。

又、自分自身で決めている信念(自分の正しさ)も自分を苦しめることが多いです。仕事のできない人はだめ、とか、身体が弱い人はだめだとか、高学歴のない人は大した人ではない、とか、逆に高学歴の人は素晴らしい、とか、結婚してない女性はおかしい、とか、子供のいない家庭はかわいそう、とか、それこそネガティブな感情は嫌なもの、自分は変われないとか。たくさんあるでしょう?それは自分のパターンであってそれも自分の中にあるものです。

こうしてみると、全て自分が創っているんだ、ということが少しずつ腑に落ちていくと思います。そして、自分で創ったものなのだからまた自分で創りなおせばいい、と言えます。

心は複雑だと言われています。潜在意識がほとんどで顕在意識はごくわずか。だから自分で感情も感覚もパターンもコントロールできない、と思っています。そのくらい心は深く、複雑で、混沌としていて・・・という意味づけをしています。そしてそれが信念(パターン)になっている。

しかし、マスターとは潜在意識がない人と言われています。もし、潜在意識という領域があったとして(私はないと思っています)もそこには風が流れ、光があたっている。だから全てを見ている(全てが顕在意識)ということです。

「魂の道場」もそう考えています。全てのパターンの部屋には風が流れ、光があたっている。だから見えないというものがない。だからこそ、創りかえていくということが可能になります。

「私」の納得する在り方を
2019/05/14

いつも同じことばかり書いていますが、人間だもの・・・感情に飲み込まれ、それにより体調も崩したり、うまくいかなかったり、気持ちが落ち込むということは誰でもあります・・・。それはレベルが低いとか、ミームが低いとかということではなく、人なら自然に起こることです。

しかし、ここから先が大事なところで(ここでレベル、とか、ミームということが関わります)この起きたことに飲み込まれ、翻弄されたままずーーーーと日々送るのか、それともちょっと感情が落ち着いたときに、あれって、なんだったんだろうと自分に起きていたことを省みるのか、どちらを選ぶのかでこれからの人生、変わっていきます。

これは本当にそうなので、ぜひ後者を選んでください、というか、後者を選ぶことを練習して、そっちのほうがいい、と感じられるところまで自分のものにしていってください。

前者のままいくと、起きたことをずーーーーと考え、悶々とし、誰かのせいにして、それもつらいのでそれを忘れられるような物事に没頭して、忘れることを選択し続け、生きることになります。

これ自体の波動は荒く重いものなので、その重さが自分の心身にまとわりついてますますそこから身動きがとれなくなります。べったりとしたノリ状のものがくっついているみたいです。

しかし、後者を選べば、起きたことに対しての自分の感情・感覚の責任をとることになるので、次なるステップ(白パターン)を「私」が考え、行動にうつすことができます。それはやはり気持ちのいいものです。そうだ、自分はこのようにいたかったんだなあと感じられると思います。

「私」の納得する在り方、生き方。それで生きるからこそ未来は開けていくのです。「私」の気持ちのよいものを選んでいってください。それが自分にとってのあるべき姿です。それは感情・感覚・パターンというものを超えたところにあるものです。

虹が出ると・・・・
2019/05/13

・・・・虹を見ると、誰かに教えたくなる・・・・という言葉をどこかで見ました。

で、先日、窓の外に虹が。

確かに、誰かに教えたくなります。「見て、見て、虹が出ているよ」と。誰もが見たことのある虹なのに、どうして教えたくなるのでしょう。

あいにく家には私しかいなかったので誰にも教えることはできなかったけれど、いつ、どこで見ても誰かに教えたくなる虹。

しかし、何故、「虹」という漢字は虫偏?それは「虹という現象を、古来の中国人は龍が作り出すものと説明した。虹という字は、ヘビ(虫)が、大空を貫く(工)と書く」(出典「虹」が虫偏である 人生朝露 - 楽天ブログ)

又、「日本神話ではイザナギとイザナミが虹を渡って下界に来たとされる」(出典神話の虹 - Wikipedia)

「旧約聖書ではノアの大洪水によって世界が滅亡したのちに現れたことから虹は神の証とみなされた」(出典神話の虹 - Wikipedia)

「ギリシア神話ではイリス(Iris)という伝令の女神そのものとされる」(出典神話の虹 - Wikipedia)だそうです。

規制あってこそ
2019/05/12

昨日書いた「私服の制服化」もそうですし、部屋の中には自分にとっていい気分のものだけ(ときめくものだけ)を置くこと、使うこと、もそうだと思うのですが、これらは、規制されたもので生活をしていくということになります。

あれもこれもないので、あるもので毎日を過ごしていると言えます。規制されているので、そこには自由がないように思えるかもしれませんが、規制の中にも自由があって、それは、持ち物が少ないから、惑わされないという自由です。惑わされないことは精神的に自由です。

例えば、バレエはたくさんの決め事(規制)があり、その中で動くという決まりがあります。その決められたことを忠実に守りながら、心身を鍛え、いずれ、その決められた中で最大な自分の自由(表現)を見つけていくことになります。これはピアノもそうです。他にも習い事は全てそうかもしれませんね。規制があるから習えると言えます。

これはワークもそうです。ワークはとにかく決められた通りにあてはめてやってください、と私がくどくどくどくど言いますね。

まず黒パターンの名前を●から書いて、とか、なぜならばで始めた文章は「から」でしめてください、とか、パターンの言いたいことを3つくらいを文章的には「・・・だし、」でつなぎ、感情・感覚も3つないし4つくらいを文章的には「・・・だし、」でつないであえてシンプルにしてください、とか、各ブロックの間にスペースを必ずとる、とかとか。

めんどくさーーー、そんな細かいところ。わかっているんだから自分のやり方でやりたいと思うかもしれませんが、この規制がいずれ自分の精神性を育て、羽ばたかせていくことになります。

そして、この宇宙のルールに乗って生きるという最大な規制があります。その規制にのるからこそ自由に生きられる。そう考えてみると規制のあるところには自由があるはずなんです。

一般的に規制=不自由、管理されている感じ、押さえつけられている、苦しい、無理やりやらされている、と意味づけされますが、決してそれだけではありません。規制あってこその新な意味づけも考えてみるとおもしろいかもしれません。

迷いがない
2019/05/11

先日、時々のぞく洋服屋さんに行ったときのこと。

そこで働いている同年の方が「素敵ですねえ」と言いました。これは、お客さんへのリップサービスだろうと「そうですかあ」と気のない返事をしたら「着ているものに、迷いがないですよねえ」と言われました。

「迷いがないですか?」と聞いてみたら、その方は自分が着るものには迷いがあって、これ、いいな、と思って買うとそれに合うパンツがない、とか、それに合う靴がない、とか、それに合うバッグもない。で、それらをまた見つけなくてはならなくて、どんな風に着たかったんだかがわからなくなり、とにかく大変なんだということを話されました。

そういわれれば、私はいつのころからか「私服の制服化」(ミニマリストたちが実践している)にほぼなっていたから迷う余地もないんだと思いました。迷うって、たくさん持っているから起こることです。迷わなくていいということはそれしかないので、決まったものでまわしているということです。

・・・・というような話をその方としました「いつも同じものを着ているって思われるのは嫌じゃないですか?」と聞かれ「私は、そんなに人から見られないですよ。それに人は他人をそれほどみていないと思うし」というと「そう言われれば、そんなに他人のことって見ていないですよね。ただ、自意識過剰なのかもしれないですね」と言っていました。

迷えないくらい自分の基本形を作ってしまえば、あとはちょっと足したり引いたりでもまわせる私服の制服化。時々そこにスカーフやアクセサリーで変化をつけるだけでも楽しめます。

私には全てにおいてシンプルであることは居心地のいいことです。あらゆることに迷いなく生きたいんだと思います。それは、複雑な大量のものごとを処理、管理する能力がないという自分の個性に合っているのだと思いました。

あわあわする
2019/05/10

昨晩は、新横浜駅にある、ホテルの40階にて割烹料理をいただきました。

それも、ロマンスグレーの男性と2人で。眼下に広がる街の光が、ゴージャスさをかもしだし、なかなか、ロマンチックな感じです。

しかし・・・話の内容はひたすら今の自分が考えていること、それも、生死について、身体について、魂について・・・と全く色気のない話で始終しましたが、プライベートでこういう話ができるということはとても珍しく、楽しく、ありがたい一時でした。

それにしても・・・夜出かけるということがほとんどない私なので、帰りの横浜駅の混雑ぶりにあわあわしてしまいました。ぼーーとしていると、何となーーーーく人の流れにのまれて、どこかへ流されそうでした。

横浜から茅ケ崎は電車で30分でしかないのに、あらためて茅ケ崎ののどかさを感じました。そして、もう、私は都会に住むことはできないんだろうなあとも思いました。

来年5月
2019/05/09

久しぶりのLove Queen ネタです。

映画「ボヘミアン・ラプソディ」のDVDを買いました。そしてきのう見ました(まさか、寝っころがって、この映画を見られるとは・・・・)

その後、Queen検索をしていたら、フレディ・マーキュリーがロイヤルバレエ団との共演(1979)のために、ダンサーと一緒に稽古場でバレーシューズをはいて練習している写真がありました≪・・・フレディ・・・バレーシューズはいてる・・・≫一気に親近感がわきました。

そして、その後知った衝撃の事実(私としては)

モーリス・ベジャール(1927〜2007)という超超有名な振付師がいます。巨匠です。数々ある作品の中でも最も有名な作品は彼の最愛のジョルジュ・ドンが踊った「ボレロ」(1979)だと思います。

そのベジャールがフレディの死後、あることからQueenに興味を持ち、彼らの音楽に魅かれていきます。ベジャール70歳の頃だそうです。そこで、ベジャールは、亡きフレディへの追悼と、フレディの死の1年後に亡くなった、ジョルジュ・ドンへの追悼のために(2人とも45歳でエイズで亡くなりました)「バレエ・フォー・ライフ」という作品を発表しました(1997)

この作品はQueenの曲を17曲、モーツアルトの曲数曲にモーリス・ベジャールが振付し、モーリス・ベジャール・バレエ団の先鋭なダンサーたちが踊るものです。衣装はヴェルサーチだそう。

初演のときのカーテンコールには、Queenの3人のメンバーとエルトン・ジョンが登場して「ショウ・マスト・ゴー・オン」をライヴ演奏したそうです。

この公演は各国をまわり、そこにはQueenファンとバレエファンが集まり、コンサートのようなバレエ公演のような、その両方を行き来するようなものであったそうです。日本にも数回来ていたようですが(知らなかった)来年の5月に日本で再演されることを知りました。これは見たいです(来年の5月まではまだ死ねないな)Queenとバレエの両方が好きな人にはWでうれしい。

ロックとバレエ(クラシック)という対極にあると言えるものの対極度を薄めたフレディ。そして、その2つを融合させ、新なものを創造し、その壁を取り払ったベジャール。対極のところにいた人達に新な目を与えてくれた2人。

これは、人の意識の成長においてのものすごく大きなヒントとなっているもの。

モノを減らす
2019/05/08

心が整ってくると、不思議と部屋を片付けたくなります。片付けが苦手な人もモノを減らしたいという気持ちになります。

心=部屋なので、心の管理と同じように部屋も自分で管理できるモノの分量にしていきたいのだと思います。

又、モノが多いのは、いつか使うだろう、きっとあれば何かのときに便利、いつでも捨てられるのだから今はとっておこう、これは〇〇さんからもらったものだから、記念品だから、高かったから、思い出の品だから・・・・と未来や過去にモノの意味を持たせていることがほとんどです。しかし、モノも今というところで持つものでないと意味がないと思います。

そして、片付けと言えば「こんまり先生」今や海外でも活躍されているそうです。あの小柄な身体で(と私に言われたくないでしょうが)頑張っていらっしゃいます。

で、こんまり先生と言えば「ときめくのか/ときめかないか」というフレーズが有名ですが、これは白黒パターンの選択も同じだと思いました。「黒のパターンと白のパターン、どっちがときめくのかを「私」のセンサーで決めてください」ということ。とても似ていると思いました。

少々乱暴に思うかもしれませんが、少しずつ「私」のセンサーを育てていけば、全て、これで選択してもいいんだということを実感すると思います。これがよいところは何よりも選択に時間とエネルギーを費やさないということです。とても合理的です。

心を片付け、部屋を片付け、全て自分の管理下におくことでシンプルに生きられます。

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