ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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何事もしっかりした土台があってこそ
2018/12/13

今日の日記はクライアントさんの承諾を得て書いています。

きのうお会いしたYさん。多分、今お会いしている方の中で最もロック好きな方だと思う。「Queenの映画見た?」と聞いたら「もちろん、見ましたよーーーー2回見ちゃった」ということでした。

・・・映画としてもよくできているよね!オープニングのシーンが好き!私も!・・・というところから話が進み「もう、今日はQueenの話だけでいいと思ってーー。とにかく.これを話さないとーーーー」とYさん。セッション時間のほとんどを使って、Queen&ロックの話でした。

そしてYさんが話したこと。彼女はローリング・ストーンズとエアロスミスが好きだそうで、今でもライブを続けているローリング・ストーンズがすごいということを話してくれました。今年75歳のミック・ジャガー。今でもライブを行っているということは、ストイックに自分を管理し、ライブにかけてのやるべきことをやり続けているからだろうと。「ロックというと、ただノリで・・・というイメージがあるけれど、そうではなくて、土台を作る努力をこつこつとずっとやってきて、そこからそれを自分たちなりに崩していく、というところがないとあんなふうに長くは続けられないと思う」というYさんのロック論に、そうだよなあと思いました。

長いことやり続けていることにはしっかりした土台があり、それがあるからこそのオリジナルです。その在り方がローリング・ストーンズファンにも伝わっていて、ファンの人達の心にある同じ資質をロックするんだろうと思いました。

心も同じ。こつこつと地味な作業を続けていくうちに心の土台ができあがります。その出来上がった土台の上に自分の個性をまとった心をおいてあげればいい。そこからはその心をめいっぱい楽しめばいいです。心もきっとしっかりした土台の上で安心していられると思います。足元を固めていくことは大切です。

何事もしっかりした土台があってこそですね。

また、見てきちゃったぁ
2018/12/12

先日、3回目の「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行く。あと2回くらい行くだろう。たぶん。今年はQueenでしめくくりになるな。

「また、見てきちゃったぁ」とトミーに言ってもそれをとがめられないこともありがたいです。こうして自分の好きを飽きるまで満たしてあげることってなかなかいろんな事情でできない。でも、人生の中にそういうこともあっていいと思います。その機会があるときにはぜひ。そこではお金がもったいないとか、自分の欲求はコントロールしなくてはいけない、は、置いといてそれを満たしてあげてもいいのでは。それが何か特別なことに繋がることはないかもしれませんが、そういうことも体験できると単純にうれしい。

で、3回目ともなると余裕(?)をもって見ることができて、気付いたことが。フレディがプライベートでリラックスしているときにバックに流れている曲はクラシック(オペラ)。ロックじゃないの。そこに流れる普遍性が激しく生きている彼の心身をクールダウンさせ、正直な自分でいられたのかも・・・と思いながら見ました。フレディはバレエにも興味をもち、習ったこともあったそうだし、モンセラ・カバリエというオペラ歌手とのデュエットも行っています。ロックとは真逆にあるクラシックに浸ることは彼にとってはごく普通のことだったのかもしれない、などを思いました。

そして、あれだけ多くの人に強い影響を与え、完璧なパフォーマンスを提供することに命をかける強さや意志力が前面にあらわれる反面、シャイで、さみしがりやで、繊細で、気難しい人だったのではないかと思います。

人ってそうだと思う。どうしてもその人の1面だけ(それも目に見えるところの面)をみてこの人はこういう人とイメージし、決めてしまいますが、複雑にいろんなものを持っているのが人間。そして、それらがミックスされてその人になっていて、それは外側に出ている。

そんな自分を一番わかっているのは自分(「私」)だからこそまず自分が自分の全てを理解し、愛することが大事だということです。そうしてありのままの自分を活かす自分専用の取説を「私」が上手に使って、この個体を最高にいかしていくということです。だからオリジナルということ。

オリジナルであるためには誰かのイメージにあてはめてはいけない。今のありのままの自分で生きるということ。

私は…・決めたの。
2018/12/11

「あるとき私は、自分を美しいと決めたの。」

ガボレイ・シディベ(1983年5月6日 - は、アメリカ合衆国の女優。これまでアカデミー主演女優賞にノミネートされた8番目の黒人女優である。)(Wikipedia)の言葉です。

この言葉はきっと多くの人に勇気を与えるのではないかと思います。

この言葉の「自分を美しいと・・・」の部分には「自分を信じようと・・・」「自分を大事にすると・・・」「もう誰とも比較しないと・・・」「今のありのままの自分を愛すると・・・」「もう、自分をいじめないと・・・」「もう、他人をばかにしないと・・・」「もう、黒パターンで生きないと・・・」などなどどんな言葉も入れることができます。

大事なのは「決めたの。」というところです。

私たちは自分で全て決めることができます(実際、決めています。そしてその結果の自分の世界で生きています)私達は自分で自由に決めていい。あるとき、自分で決めていい。そこで決めたことが自分の人生の柱になっていきます。だから必要なことをたくさん決めていい。

これは逆に黒パターンで決めてしまうこともあります。例えば「自分には価値がないと・・・」「自分の人生はきっとよくならないと・・・」「あの人に自分のすごさを思い知らせてやろうと・・・」「自分はミームの低い人たちとは違う人間だと・・・」「どんな手を使っても、のしていくと・・・」「誰からもばかにされないようになろうと・・・」「いつか日本一のカウンセラーになって皆の称賛を得ると・・・」などなどは・・・・・きついですね・・・・・さすが黒パターン。しかし、ここで決めてしまい、それをモチベーションとして頑張るということをしている人のほうが圧倒的に多いのは事実です。一見、よさそうに見えて、聞こえもいいというのもあります。しかし、よくよく自分を観察すればそれは黒パターンだったとわかると思います。もちろんこれは「決めたの。」にしないようにしてください。その結果を受け取るのは大変。ですから「私」の望む、善きことを決めていってください。

そういう大人でありたい
2018/12/10

「自分のことをちゃんとわかってほしい」という言葉はよく聞きます。

誰に?自分が好きな人には、ということですが。で、ここで考えてみてほしいのは「どうしてちゃんと(自分が望むように)わかってほしいのか?」ということです。どうして?違うようにわかってもらうのではだめなんでしょうか。・・・・・という話をお会いした方としました。

「ちゃんとわかってくれていると、ああ、この人は私を理解している、自分を大切にしている、何より安心できる、自分に自信がもてる」などなどが出てきました。「そうだねえーーー。自分ひとりではそこが満たされないと(パターンは)思うんだねーーー」ということを話ました。

しかし、現実は、親子であろうが夫婦であろうが親友であろうが、自分のことをちゃんとわかることはありません。

例えば、私がセッションで話すことが私の感じたとおりに、体験したとおりに相手がわかるということは起きません。相手の人は今の自分として私の話を聞き、考え、体験に基づいて、又は過去のデータに照らし合わせてわかるということをします。これは誰でもがそうで、もちろん私もそうです。これはレベルが低いとか、だめなことではなくて、全く同じにわかることは無理なんです。

自分と他人とは性格が似ていても、似たような体験をしても、やっぱり違います。話あえば分かり合えるということもそうではなくて、話あうことで自分と他人は違うということがわかります。

これは悲しいことなのではなくて(他人に満たしてもらおうというパターンでいればすごく悲しいことだけど)ちゃんとわからないからこそ相手に疑問がわき、質問が出て、それにより相手もまた考えて(お互いに相手を大事にしていれば)わかるというところの距離をつめていく努力をします。この努力こそが素晴らしいのだと思います。ただ、その関係性がむすべないことも多々あるので、全ての人に対してそれをしなくてはいけないということではありません。

自分のことをちゃんとわかってほしいというのは子供の感覚ですね。大人の感覚は、自分のことは自分でわかり、他人は自分とは違うことを前提におき、だからこそ相手をわかりたいと努力すること。そういう大人でありたいです。

困惑の冬
2018/12/09

今年もまたまた困惑の冬がやってきました。

何が困惑なのかというと、アウターを買いかえたいのに、今年も欲しいものがみつからないことがです。これはずっと続いていて(従ってずっと同じものを着ている)この「自分の欲しいもの」というところのこだわりがけっこう面倒です。みんな何着ているんだろう、どこで買っているんだろう、と思います。

この数年、私は服と靴を買うことがとてもストレスになっています(小物はまだ楽しく買えるんだけど)それは、欲しいと思えるような好きなものがないからです(・・・ということは小物には好きなものがあるということですね)このこだわりがなくなれば、何でもいい、と思え、近所で買えるものを買うのでしょうが、自分の性格や個性を考えるとまずこれがなくなることはないと思います。

かつて、おせわになった霊能者の先生から「伊藤さんは、自分の好きなものに囲まれて、自分の好きな生活が基盤にないと、精神性や霊性をアップさせようという方に動かない人なので、まず、その基盤を作ったほうがいいね」と言われたことがありました。そのときにまさにそう、と思いました。精神性、霊性のアップ、というと、物への執着がない人が向き合うもののようなイメージがありますが、私のような人もいるのだと。

贅沢なものに囲まれたいとか、もっともっと欲しいわけではないのですが、欲しいと思える好きなものは私が物を買うときの必須条件なので、それがみつからないと、困惑というものを生み出しているパターン(好きなものじゃないといや、という)にひっかかります。それは自分の個性とも微妙に重なり、その存在が際立ちます。だから、しばらくはこのパターンを「私」は選んでいこうと思っています。そんなわけで困惑と共にいる冬。今年もそれをやってます。

常に自分と対峙している
2018/12/08

岩手盛岡クラスも無事に終わり、今年の出張はすべて終わりました。

年々おちていく体力とうまくつきあいながら、今年はお休みすることなく通うことができました(よかった)相変わらずのおとぼけ道中を繰り返しましたが、それでも自分をうまく使えていけたと思います。図太さと純粋さと62歳の知恵と、というこのあたりのスキルを使っていけばいいかんじでいく、と自分の取説を確認しながらの出張でした。

そんな今年最後の盛岡クラスから、カウンセラーになられた方がいらっしゃいます。葛岡京子さんです。葛岡京子さんも、試験の質を私にしつこく上げられ苦労されたおひとりだと思います。しかし、それを乗り越えて、良い試験を見せてくれました。これから、ぜひこの大変だった試験をやりきった自信と今回得たスキルと持ち前のいい笑顔とをお仕事に活かしていっていただけたらと思います。

で、またQueen話ですが。「ボヘミアン・ラプソディ」公開約1ヶ月で動員数240万人以上。配給会社も予想外だったようです。映画を見て感じるであろう「仲間との絆・信頼」「自分の信じた道を進む」「自分の在り方、生き方」「自分のままでいい」などなどのメッセージは、人がずっと持ち続けている望みであり、そこへの共感が人を呼んでいるのかもしれません。

私は、あの映画の最後のシーンのライブの会場に集まった多くの人達を思いました。そこにいる一人一人の人たちにも、主人公と同じくらいの意味ある、オリジナルな人生があって、それのひとつひとつが集結しているように思いました。Queenのメンバーと曲を通して、自分の人生を謳歌し、自分を励し、癒し、労っている人々。それが自由に行われていたライブ。それを見た気がしました。

人は対象に自分を見ています。あらゆる対象にです。良い意味でも悪い意味でも。そうやって人は常に自分と対峙するようになっています。それは、まさに自分の世界で生きているということです。

フレディの言葉があります。「俺はアリーナの最後列の人たち、入場できなかった人たち、シャイな人たちのために常に歌って繋がっているんだ。批評家や虐めっ子たちを飛び越えられることを見せるんだ。俺にそれが出来れば誰にだってやりたいことは出来るはず。」

自分の生まれや外見的なコンプレックスや複雑な人間関係に悩み、傷つき、だからこそそういう人達の気持ちが理解でき、それが作品にあらわれ、彼の存在自体にあらわれ、多くの人達をひきつけていったのだと思います。また見にいきたいです。

秘めたる力
2018/12/04

今日はこれから、盛岡へ行ってきます。今年最後の岩手クラス。楽しく終えられますように。

で、そうそう、と思ったことが。

前回、盛岡へ行ったときにホテルの部屋で見たTV番組で、アートの力で医療や介護を変えようという取り組みが世界で始まっている、というものがありました。

病院内に飾られた色々なアート作品。その中にいる患者さんたちの入院日数の減少、痛みの緩和、薬の減少などのリポートでした。これは介護の現場でも同じで、とくに認知症の方のサポートになっているのだそうです。

番組に出演されていた方が「夜、眠れないときに自分の好きな絵をじーーっと見ていると自然と眠くなって眠れる」と話していらして、これは最高にいいと思いました。

私も音楽、動くこと、絵の持つ力を使わせてもらっています。自分の好きな音楽、動き、絵がどれだけ私の心身にとって有効に働いてくれているかということをとても実感しています(だからカウンセリングにそれを入れたい)そして、この頃は、精神的に疲れたときに聞く音楽、動き、絵。活力を持ちたいときに聞く音楽、動き、絵。目が疲れたとき、身体の中の滞りを流す、など使い分けるといいことも知りました。音楽も絵も常に本物がいつも目の前にあればベストですが、それは無理なので、小さなものであってもそのエッセンスを感じられれば十分です。

これらには副作用がない、即効性もある、と、とても便利なものです。自分のそういうものを持っているといいと思います。

長いときを経て、存在してきたそれらはただ作品というだけではないのでしょう。まだまだ秘めている力があり、それはあらゆるところに使える可能性があるものだと思います。

・・・・・ということで、盛岡、行ってきます。みなさまもどうぞお元気で!

今の自分の人生を大事にする
2018/12/03

きのう日記に書いた女性のように、若い時から自分の未来をしっかりと決めてそれを実現すべく邁進し、それを手にしていくという方達がいます。

又、若い時には一体自分が何をやりたいのか、何が好きなのかわからず、とりあえず、働こう、縁があれば結婚しよう、という人生を送っている方達もいます(私もこちら。カウンセリングの仕事を始めたのは42歳〜ですから)それは、前者の方たちに比べると、ムダに時間やエネルギーやお金を使ってしまい、おまけにぱっとしない、目立たない人生と思いがちだし、思われがちですが(パターン的には=一般的には)決してそうではありません。

なぜならば、前者のような生き方をする方達も、後者のような生き方をする方達も、私たちの本質である本当の自分が目的としているところは、それぞれの今ある人生から何を学び、それをどのように自分の人生でいかし、そもそも、この世に出てくる前に自分で課題としたことに使っていくことができているのか・・・というところでしかないからです。

どんな人生でもその人の「私」が関与し、課題をクリアすることを目指し、それにより、よりよくなるようにと自分自身でセッティングしています。

きのうの彼女は、自分の望む通りに夢を叶えていますが、人である以上、黒パターンで行動し、痛い思いもしていると思います。しかしそのときにきっと自分を省みて、軌道修正をしてきたのだと思う。だからこんなに長年にわたってその仕事に携わってこれたのだと思います。

黒パターンで選んだものは単発的には成功しますが、継続が難しいのと、それを続けることが苦痛になっていきます。逆にそれが白パターンで選んだものであれば(それは、宇宙が許したものであれば)たんたんと継続されていきます。

ですから、彼女のように生きられない自分はだめだ、とか、今からそうなるのはもう無理だ、とかの話ではないんです。いつからでも、自分の選ぶもので軌道修正は可能です。そして、その目に見えないこと(他人にはわからないこと)にこそ価値があります。今の自分の人生を大事にしなくてはいけません。そこから軌道修正先が見えてくるからです。

年齢的に遅いとか、学歴がないからだめだ、とか、家にお金がないから無理とか、結婚してないし、とか、子供がいないし、とか、逆に子どもがいるから、とか、そういうことではないんです。今からでも選べる宇宙に許される生き方は「私」が納得する生き方です。それは白パターンを選び続けることです。たったそれだけのことで、人生は変わっていきます。

夢を叶えた
2018/12/02

今回の「Love Queen」から、今から40年前の当時のことを思い出し、そしてある人のことを思い出しました。

その人とは、私が21〜22歳ころ、バイトをしていた放送局で洋楽番組のアシスタントを募集したときに採用された2歳年下の女性です。その彼女は今どうしているのだろう、と探してみたら(今は便利です・・・)洋楽の音楽評論家、ラジオDJ、ライターとして活躍されていました。

今回、クイーンの映画についての記事も書いていて、それを読みました。それによると、高校生のときにクイーンのコンサートにためたお小遣いで初めて行って、衝撃を受け、次回は1階のアリーナ席でみる、いつかフレディ・マーキュリーに会ってみたい、と思ったのだそうです。それから2年後彼女は音楽業界の人になります。そして、彼女は自分の夢を追い続け、クイーンをはじめ多くのミュージシャンへのインタビューをするようになります。夢を叶えました。そして、この道40年。今や世界を飛び回る音楽評論家です。

私と同じくらい小柄な方だったので、人の多いところでのインタビューははじかれて大変だったと思いますが、小柄をいかして人の下をくぐりながらフレディに近づけたとも書いていました。フレディは小柄な日本人の女の子を可哀そうに思ったのか、彼のほうから声をかけてくれたともありました。大したものです。

私は・・・と言うと、そのころは恋愛とファッションにうつつをぬかし、仕事もまあまあやればいいくらいに思い、毎日楽しくいることだけを考えていたような気がします。それに対し、彼女は自分の夢を抱き続け、きっと、日々多くのことを学んでいたのだと思います。仕事ではなく、彼女と一緒に出かけることもありましたが、そのときに楽しく過ごしても、それはそれとして、自分の夢をかなえることに常に邁進していたんだろうと思いました。

彼女の今の活躍をみて、とても嬉しかった。アシスタントとしてスタートし、途中で嫌になることも、きっとあったはずです。でも、あきらめずに突き進んでの今です。その努力には頭が下がります。これからも元気で活躍してほしい。

今回の「Love Queen」がなければ思い出すことはなかったと思います。「ボヘミアン・ラプソディ」に感謝です。

気づきから意思へ
2018/12/01

気づきはとても大事。

自分に向き合っていくうちに今まで知らなかった自分の中にあるものに気づいていきます。

色々な気づきがあるものの、最も、衝撃的な気づきは「感情・感覚は自分のパターンが生み出している」というものだと思います。それは、実は、他人が自分を嫌な思いにさせたり、不快にさせたりするのではないということです。「そうか、自分のパターンの問題だったんだ、自分の責任だったんだ」という気づきです。

それを主軸にしていくうちに(多分、それを自分で使いこなせていかれると)「もう、誰のせいにもしたくない」という衝動がわきあがってきます。もう、何があってもだれのせいにもしたくない。全て自分で引き受けたい。

気づきから意思へ。

ここへの移行はとても意味のあることなんです。自分で気付いたことに自分の意思でより進んだ在り方に動かしていっているからです。

この気づきから意思へ、というところには爆発的な力を感じます。そばで見ていて「おおーーーっ」という圧力を感じます。そこには、本当に心底それを望んでいる進化したその人がいて、私を圧倒します。それは強く、たくましく、柔らかく、水のように姿を自由に変えながら、引き受けるという様があります。

よく他人のせいにすると楽と言いますが、それを信じている領域ももちろんあります。他人を見聞きして、自分が不快になると認識していることはこの領域でおきています。しかし領域の話なのでそれが絶対ではなく、正しいのではないということです。

自分で引き受けてしまうからこそ安心で、安全で、楽であるという領域に入るためには、どこかでこの意思というものが動く必要があります。

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