ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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それは誰?
2017/09/26

きのうの日記のことを考えてみました。

クリシュナムルティが言っているように、常に「自分の中の誰が?」ということだけだと思います。

まず、この「自分の中の誰が?」という視点が「?」であるくらいに私達はパターンに支配され、動かされています。パターンが自分だとちっとも疑うことなく生きています。ですから「自分の中の誰が?って?何言ってるの?言ってる意味がわかんなーーい、自分は自分でしょ」と思います。そのくらいに、パターンと自分の同一化は自然に、普通に、あたりまえになっています。

パターンを知る上で「まずはネガティブな感情が湧いたら、それは本当のあなたではなく、パターンが生み出しているものなので、パターンを探しましょう」とパターンを探すということをやっていきます。ネガティブな感情の場合は比較的わかりやすいと思います・・・が・・・黒パターンはポジティブな感情も生み出すし、きのう書いたように、いかにも正しいことを言ったり、誘導したりします。ですからポジティブな感情だから大丈夫、正しい考え方だから大丈夫、と思い込んでしまうとその罠にひっかかっていくことになります。

パターンは一見、よさそうなことを使うのが上手です。落ち着く、すっきりする、安心する、楽しい、うれしい、勇気が出たなどなど、良いとされている感情もそれが「自分の中の誰が感じているのか」をちゃんと知る必要があります。それは本当の「私」が選んでいる白パターンからのものなのでしょうか?それとも黒パターンが自分が満たされたことで感じているものなのでしょうか?

最初、この違いはわかりにくいかもしれません。しかし、練習をしていくと、その違いははっきりとわかるようになります。そのときに「自分の中の誰が?」の意味が腑に落ちると思います。ここも、知識ではなく、体験です。そして、体験するためには行動です。

読んでいなかった
2017/09/25

お会いしている方が気付いたことを話してくださいました。

私の本を読んでいたのに「実は読んでいなかった、読めないところがあったことに気付いた」ということでした。読めないところというのは黒パターンにとって読みたくないところということ。この洞察により、この方は、これから、全て読むことを選べると思いました。

この方のように、読めないところがあると意識化されている場合もあるし、意識化されていなくても、無意識で読みたくないところをスルーしたり、目で追いながらも自分の中に入れないということもあります。これらは黒パターンがそうさせています。

それが無意識でも行われるぐらい黒パターンは普通になっていて、主導的立場にいます。黒パターン=自分ということです。

では、何故、黒パターンにとって読みたくないのか。そこには、黒パターンにとって不利なことが書いてあるからです。それにより、昔の嫌な出来事を思い出し、また傷つき、苦しむことになるし、今まで自分主導できたのに、変化が起き、自分は消されてしまうのではないかと思っているからです。

そして、スルーするし、知恵も出すし、「いいんじゃないの、読まなくて。だってそれなりに楽しくやってるじゃん」と言うこともあるし、時には、カウンセリングに来ることを阻止するようなこともします。カウンセリングの日になると体調が悪くなる、都合が悪くなるということが繰り返されることもあります。

そしてパターンは「これだけカウンセリングに行かれないということが続くということは、必要がないんだよ、あそこは合わないってことだよ」と言うこともあります。あたかもそれが自分であるかのように黒パターンによって私達は動かされています。自分はそうではないと思う方がほとんどですが、実はほとんどの方がパターンで思考し、決断し、行動しています。そこに気付いていないだけ。

黒パターンが自分ではないことを知り、本当の自分を意識的に使ううちに、この方のように黒パターンがやってきたことを客観的に知ることになります。今まで、どれだけ黒パターンで生きてきたのかを知ることはショックや驚きではありますが、新な幕開けであると思います。

頑張ろう、自力本願
2017/09/24

先日TVで、近頃若い女性達の間で滝にうたれることがひとつのブームになっているというのを見ました。

20代、30代とおぼしき女性たちが白装束に身をつつみ、滝にうたれている姿が映っていました。彼女たちは「祓いたまえ、清めたまえ」と滝にうたれながら何度も何度も繰り返し、その後に自分の願い事を言うのだそうです。すると滝の周辺にいらっしゃる神さま方が願いを叶えてくださるそうで。

で、数人の女性たちの願い事「〇〇さんより可愛くなって〇〇さんを見返せますように」「男を見る目を養えますように」「事故にこれ以上あいませんように」などなど。えーーっ?そういうやつ?どこの誰が主催しているのかわかりませんが・・・これはあかんやろ〜・・・と思いました。

神さまは人を見返すために力はかさないし、男を見る目も養わないし、事故も十分に自分が注意をする、ということで回避していくしかないでしょう。神さまは自分のために使うものではなくて、こうして生かしていただいていることへの感謝と自分自身で行っていくことを宣言する対象となる存在です。

自分が望むように自分を変えていきたいのなら、とにかく自分でやるという自力本願へとへシフトしていくしかありません。自分のために他人や神さまを使う(使うというのは、それにより自分を苦しめているパターンを満たすことを言っていて、専門家への相談とか、誰かの力を借りることなどはもちろんありです)のではなく、自分で自分を幸せにできるようにやっていくしかありません。

そうやって覚悟をして、腹を決めて、日々そこに向かい努力していくうちに、小さく、自分にだけしかわからないように、そっと、サポートをしていただくことが起きてきます。それは「その調子でいけばいいよ」といわれているような気がします。

そして、神聖な場所においては、畏敬の念を持ちそこに入ることが大切です。自分のパターンの望みをそこにもっていくことで、同じようなそこにいるものと共鳴しあうこともあります。そうなれば、今より大変ということも起きるでしょう。

だから、頑張ろう、自力本願。

習慣化する
2017/09/23

気付ければいい…ではない、と私は思っています。

確かに自分への気付きは大切なことなんだけど、そのあとがより大切です。多くの気付きがあっても、そのあと何もしなければ、それは気付いただけであって、いかされていないということになります。

気付いたそれを(使って)あなたはどうしたいの?どうなりたいの?

実は気付くこと自体は比較的簡単なことです。カウンセリングでのレスポンスのやりとりを繰り返していくと、自分に気付くということは頻繁に起きます。しかし、気付いただけでは、変化を起こすことはできません。気付きは脳でおこっています。しかしほとんどの問題、悩みは脳ではなく、機能していない心にあるんです。ですからその脳での気付きを心が機能するように使っていかなくてはなりません。気付きを心の変容で使えるように、自分に向き合う作業を続けなくてはいけないんです。

心を変容させるには、習慣化が必要です。そして、習慣化するためには継続しないといけないんです。習慣=その人だから。毎日行っていることがその人になります。

従って、ここには毎日行う意思力の継続と自分への厳しさが必要です。しかし、この意志力、厳しさの継続が苦手と言う方が多いです(楽して変わりたいはありえないと思う)でも、苦手と言っていたらいつまでたっても変化は起きないので。

最終的には、どっちを選ぶかですね。苦手だからやらないのか、努力して自分を変えるか、もしくは、脳での気付きにより一瞬楽になるので、それを繰り返し続けるか。一瞬楽はたぶん、数日は続きます。それでもいいと言う方はその方法もありだと思います。ただ、成長はありません。今のところで行われ続けます。そして、この方法が圧倒的に多いです。

しかし、道場ではこの方法は使いません。心底からの変容を目指します。それは、そういう人になるということ。それは習慣化の賜物。努力と時間がかかります。しかし、最大のメリットはリバウンドしないということ。そしてリバウンドしないから継続することで次の世界へ入っていくことができるということ。それは、何ものにもかえがたいものだと思います。

自分の作品を創る
2017/09/22

きのうは茅ヶ崎クラスのグループセッションでした。

・・・・・が・・・・・その前に皆で「La Table de Toriumi」でフランス料理のコースを食べました。ざっと2時間半くらいをかけてのコース。なかなか予約がとれないお店だけあり、本当においしかった。

前菜からデザートまで、それぞれが創意工夫されており、なおかつ、美しいものでした。特に…二皿目のオードヴル バターナッツと栗の冷たいヴルーテ ベーコン風味の牛乳の泡でカプチーノ仕立て…は絶品でした。月替わりでメニューが変わるそうです。こうしてゆっくりと時間をかけて食事をするのもいいですね。

おなかがいっぱいになり、これからセミナーが行えるのか、眠くなるんじゃないかと不安を持ちつつも、今回は、またひとつ先へ進む、ひとつ深くなる、視野が広がることを体験されたのではないかと思います。

道場でのワークは主なものとして3つあります。それを自分で日々の生活の中でこつこつと行っていってもらいますが、それができるようになることがゴールなのではありません。これはバレエのレッスンのバーレッスンと同じもの、絵を描く人のデッサンと同じもの、ピアノを弾く人のハノン(指の練習)と同じものです。それらの基礎を創る作業を通して、自分の弱い部分、苦手な部分をバランスよいものにしていきます。

そんな基礎工事の大事なところを今回は学びました。そして、本番はここからです。バレリーナ、絵描き、ピアニストがいよいよ自分の作品を作ってそれを表明していくというところです。それは個性に輝く、その人だけのものでありながら、きっと他の人々に影響を与えるものになっていくと思います。

道場で学ぶ皆さんが自分の作品を創りあげていってくださることを祈っています。

悟りの意味付け
2017/09/21

今まで気付かなかったことや、見えていなかったことに気付いたり、見えたりすることが私は「悟り」だと思っています。

今まで気付かなかったり、見えていなかったのは、パターンがカーテンのようにそれらを覆い隠していたからです。そのカーテンが引かれた、カーテンが上がったときに、今までずっとそこにあったものごとの姿に気付き、見るということを人はします。

まさに視野が広がる現象、これが悟りと私は意味付けています。

私達はこの連続。また次のカーテンが引かれる、上がる。そしてまた気付く、見える・・・そう考えるとずっと悟り中の状態です。

これは幸せもそうです。今まで気付かなかったことや、見えていなかった、ずっとそこにあった幸せを見つけていきます。そしてこれは自分のことも、お金も、仕事も、人間関係も、健康も、全部そうなんです。全てにおいて悟り中なんです。

どれかひとつ、例えば、仕事において悟りが起きたときには、他の物事についても、気付きと発見が起きやすいです。こうしてぱたぱたと全て足並みがそろっていく感じですね。だから全般的に良くなるということを感じられるのだと思います。

悟りは特別なことではないし、特定の人にしか体験できないことではありません。敷居が高いものでもないです。実は皆が日々悟りを繰り返しています。

それをちょっと意識化するのもいいと思います。

他人に嫌われたくない
2017/09/20

他人に嫌われたくないと言う方は多いです(誰からも好かれればいい気分だとは思うけど)私のことも、嫌いと言う人はもちろんいると思います。

実際、目の前で「あなたのことは嫌いです」と言わなくても「なんか嫌いなんだよね、伊藤洋子」と言う人はいると思います。でも、それでいいでしょう?その人にとって(厳密にはその人のパターンにとって)私の何かが嫌なのだから。私の何かがひっかかっているのだから。それはその人の心の中で現実に起きていることで、本当のことで。その人が悪いとか私が悪いということではないんです。

・・・・と今だから言えますが、昔は私もとてもこれが怖かった。他人が嫌な気分になったり、傷ついてしまうことで、自分が嫌われてしまわないようにと、相手に合わせていくことばかりをやっていました。他人を嫌な気分にさせない、傷つけない、と一見他人を思っているようですが、実はそうではなくて自分が嫌われないようにということしかありませんでした。それはとても苦しかったです。この状態で他人と良い、善い、人間関係は築けませんでした。とりあえず表面上はうまくやっていたけれど。

そ・れ・が・今は・こんなにも人って変わるのかというくらい、他人に嫌われたくないのパターンが暴れることはなくなりました。何故だろう?それは、心のからくりを知ったから。ケアと選択を繰り返したから。そしてこれは思考として、私だって嫌い(とパターンが言っている)な人がいるよね、だったらあの人が私を嫌う気持ちはよくわかるよね、と考えたから。これについてはお互いに自由にさせてあげようと思いました。誰もが何を感じてもいいし、どう思ってもいい、ただ、今それが起こっているのだから、それでいいでしょう?と。

そうやっていくうちに、私は他人との間に距離を作ることができるようになり、その距離は、相手に過剰の期待や、評価や、結びつきからも離れていくことを教えてくれました。

で、びっくりしたのは、そうなれたことで、他人を本当の意味で大事にできるようになりました。ここで沸き上がる純粋性は、ずっと私が憧れてきたものであることも感じられました。

最初から他人に嫌われてもOKと言う人はいません。しかし、人は変化していくものです。だから、ただ、進んでいくのみ。

江戸時代へ・・・
2017/09/19

「この度は「ラスカ茅ケ崎 落語会」にご応募いただきありがとうございます。厳正なる抽選の結果、あなた様が当選いたしましたので、当日の人数分のチケットをお送りいたします。ご来場、心よりお待ち申し上げております。」という手紙+チケット2枚が届いたのが先月のことでした。

駅ビルラスカでのこの応募がはじまったのが6月だったと思います。その応募のお知らせを見たときに≪行きたい!≫と思い、応募用はがきを数枚だしました。スケジュール用手帳にも「茅ケ崎落語」と赤ペンで書いて、だから、この日は仕事はしない、と決めておきました。

で、きのう、トミーと落語会へ。敬老の日でもあり、年配の方が多い会場でした。立川談笑さんの落語を二席、1時間半ほどではありましたが、大笑いした一時でした。

二席とも、古典落語でした。この話、知っている、と思いつつも、だんだん、引き寄せられていき、すっぽりと江戸の暮らしとそこに住む人々の中にあたかも自分がいるような感覚になりました。この、人をその世界に連れていく談笑さんの技はすごいと思いました。ちょっとしたタイムトラベルのようでした。江戸の世界へ行きそこの空気感に包まれ、また、現代に戻ってきた、というような落語会でした。

久々に聞いた古典落語でしたが、今までとは違う落語会でした。

黒パターンの王
2017/09/18

いろんなパターンが私達の中には存在しています。

自信がない、自分はだめ、自分は劣っている、他人に認められたい、称賛されたい、愛されたい…などなど。で、これらはほとんどの人が共通してもっているパターンなんですが、これらを一言で言ってしまうと「思い通りじゃないと嫌」(全部自分の思い通りにしたい、あってほしい)というパターンなんです。

これは他人に対してだけではなく、自分に対しても持たれます。

自分に自信がないのは嫌(自信のある自分でいたい)自分がだめなのは嫌(だめではない自分でいたい)劣っている自分は嫌(優秀な自分でいたい)他人に認められないのは嫌(他人に認められる自分でいたい)他人に称賛されないのは嫌(他人に称賛される自分でいたい)他人に愛されないのは嫌(他人から愛される自分でいたい)というように、全部を思い通りにしたい、とパターンは思っています。パターンが思い描く自他の理想の姿。

こう、書くと、そうだよね、と思うかもしれませんが、これはもっと深いものであって、このことを熟考することは大切です。よくよく自分を見てみれば、全てここから出発していると思いませんか?

自分の心の世界の王が「私」であるなばらこの「思い通りじゃないと嫌」は黒パターンの王のようなものです。自分の(パターンの)望み通りに自他、物事があれば、全くパターンにひっかかることはないので、それによるネガティブな感情・感覚を味わうこともなくなります。それは王パターンとしてはものすごく楽。解放感や、安心感や、すっきり感を感じると思います。

しかし、現実的に、そういう状況はあり得ません。思い通りではないことだらけなのが現実です。このパターンは大きく深い。ずっとずっと皆が転生を繰り返しているのも、これをクリアするためです。

このパターンにどのように語り、白としては何を選ぶのか、を考えてみてください。そして、その白からの実践とは?それも考えてみてください。それは「もう、そこにとらわれなくていい」というようなゆるいものではなく、心地いいというものではないと思います。それは、覚悟を決めて向き合っていくものになると思います。

それぐらい、パターンの王として君臨してきていて、力がある(普通になっている、あたりまえになっている)ものなんだということをふまえて、また自分を繊細に観察するということを続けてみてください。

モノ W
2017/09/17

今朝で最後。

「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」佐々木典士著。

私たちが望んでいるもの…幸せ…それは幸せというゴールがあるのではなく、幸せという特定な形があるのでもなく、感じるものだった、それも、今この瞬間に、と著者は言っています。ここに深く共感します。

今までずっと求め続けてきた幸せ、モノを増やしても、知識や情報をたくさん手にしても感じられなかった幸せ。それは、求めていた方向が違っていたからだし、求め方も違っていたからでした。

しかし、それは失敗ではなく、次の領域への気付きに向かう必要段階です。

この、今この瞬間に感じられる幸せは、モノや情報、知識では得られないもので、自分の内側に目を向けいくことで体験するものです。体験には行動が必要です。著者は、モノを減らすという行動で、それを体験しました。モノを減らすというやり方が著者には大変合っていたのだと思います。著者だけではなく、このやり方が合う人は他にも多くいらっしゃると思います。

生きていくうえで必要不可欠なものしかもたないという状況を先に作ってしまって、そこへ身を置き、その自分がどんな状態になっていくのか、そこでは自分への観察がなされます。モノがないことで、目に入る、耳に入る情報がぐんと減るので、意識は自分の内側へと自然と向かいます。これはちょうど山にこもって修行をするのとも似ています。

又、モノを減らさないでもそれはできます。瞑想や禅などもそうですし、毎日祈ることもそうです。また、道場で行っていることもそうです。この、作業の方から先に行うという方法もあります。すると、いずれ部屋は片付けたくなります。モノを減らしたくなる。できるだけスペースをとりたくなる。やはり、心=部屋です。

モノをもっている、もっていないということではなく、その人が、今この瞬間に幸せを感じられるように、自分を変容させていくこと自体がミニマリストなのではないだろうか、と思いました。

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