ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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ちゃんと生きたがっている
2018/05/18

「自分で全てを用意をしている」ときのう書きました。これは、良きことも悪いことも。

このことについて「エソテリック・ティーチング」ダスカロス著にこのように書かれています。『・・・・一時的な自己が分離の世界で適切な経験を得られるように、永遠のパーソナリティが、現在のパーソナリティの状況や環境を設定し、どんな楽しみ、どんな痛みを与えるかを決めているのです。・・・・』

ここでの一時的な自己とはパターンで生きている自己。そして永遠のパーソナリティは「私」です。その永遠のパーソナリティの「私」が用意しているというのだから、驚きです。決して神から与えられているのでもなく、天使や眷属が決めているのでもありません。

・・・・・・・・・・『自分』です。・・・・・・・・・・

天使や眷属は「私」に「そこまで厳しくしなくてもいいのではないですか?」と言ってくれているらしいのですが、「私」が「いえ、このぐらいやらないと気が付かないので」と言うらしい。「私」は厳しいです。

しかし、ただ、厳しいというのではなく、このことから、どれだけ私たちはちゃんと生きたがっているのか、ということがわかります。本来、本当の自分「私」で生きたがっているのを、そうではないもので生きてしまうことで、その結果(「私」の決めた)を私たちは受け取ります。ときにはそれは苦しく、つらく、痛いものです。しかし、それは罰ではありません。ただ、ただ、本来の自分として生きたいからこそのものです。

もう一度言いますが、罰ではないんです。そこから何に気づき、自分をどうしていくのか、そして、気付いて終わるのではなく、そうなれるようにどう努力していくのか。最後は実践です。

それを体験してまた「私」は、「よし」と思い、その結果を決めて与えていきます。自分に。このことが腑に落ちてわかると、生き方自体が変わると思います。

今日はこれから沖縄です。梅雨入りしている沖縄ですが、また今回も皆さんと善いクラスを行ってまいります。皆さんもどうぞお元気でお過ごしください。

自分で全てを用意している
2018/05/17

きのう「おうちでバレエ」をやっていたときに、昔々(20代のころ)とても深く傷つけてしまった人のことを急に思い出しました。

その相手はバレエとは無縁の人だし、なんで、こんなときに思い出すのだろうと不思議でした・・・が・・・こういうときは、その相手に、心から詫びるときなので、バレエは中断して、呼吸を整え、椅子に座り、目をとじてその相手があたかも目の前にいるがごとく、心の中で何度も謝りました。

詳しいことは書けないんですが、そのときの相手の傷の深さをリアルに感じ、その苦しさや悲しさが自分の中にひろがりました。

今までも、傷つけてしまった相手No1の人だったので、申し訳なかったと思ってはいましたが、今やっと本当に私は謝れたのかもしれません。

その人を傷つけてからしばらくたって、私は事故(事件)にあうことになります。その当時、それはその人を傷つけた罰だと思っていました。

でも、今わかることは(それは、ある先生から教えていただいたことなんですが)その事故は自分が自分に用意したものであり(でも、罰ではなくて)それだけ私自身もその人を傷つけたということに傷ついた自分の修復のためのものであったということです。

自分で全てを用意しているのです。

その自分の傷つきが大きかったので、あの事故を自分で用意する、そして、そんな傷をもう二度と他人にも自分にもおわせない自分になっていく、という道へのスタートでした。その人は大きな痛みをもちながら、私にそのことを教えてくれた人です。そのことへの感謝も告げました。そして、あなたがいてくれたから、私はここまで来れました、と報告もしました。今は、その人が私の何十倍も幸せでいてくれることを願います。

誰にでも、きっと人を傷つけてしまった体験はあると思います。それを思い出したときにはどうぞその相手に謝ってください。その意思は必ず相手に届き、何か相手のためになるものとして働いてくれると思います。そうして、自分を許すこともそこで行われることになります。

鳥と飛ぶ
2018/05/15

オカメインコのポロンが死んでからまだ3か月です。もう何年もたったような気がします。

今までポロンのいたところには今は植物がいます。植物も生きてはいるものですが、どこか、部屋の中に温かみがないのを感じています。

ベランダで洗濯物を干していると、とんびが顔の横を飛んでいくことがあります。そのときにちらっと見える、想像以上にしっかりした体躯と、そこについている翼のばさっという音と、それによる軽い風圧は、鳥類ならではの存在感があります。

鳥は、よくよく見ると不思議な形態をしているし、犬や猫のように人と近い感じもしません。それでも、とても惹かれるものがあります。そうなったのもポロンのおかげです。

5月10日〜16日は愛鳥週間なんだそうです。そこで、この動画をつけてみました。憧れます。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO26599600W8A200C1000000?channel=DF260120166525

母の日
2018/05/14

きのうは、母の日でした。

数日前に知り合いの方のお宅に行ったときに「見てくださーーーい、娘がカーネーションのお花と電報を送ってきてくれて・・」と言ってその電報を見せてくれました。自活している20代のお嬢さんからの電報でした。

「お母さん、いつもは素直に言えないけれど、いつもありがとう・・・・・」と書いてありました。「うれしくて、うるうるしてしまって」と話してらっしゃいました。側にはご主人もいらして、うれしそうです。

「よかったですねーー」と私もその幸せ感を少しおすそわけしていただきました。

子供のいない私にはこういう体験がありません。「お母さん」「ママ」と呼ばれる体験はありません。そういう体験ができるというのは幸せだろうなあと思います。

以前ある方が「子供はとってもかわいいし、自分の生きる原動力になる。でも、子供はいくつになっても子供で、心配が絶えない。だからそういう心配がない伊藤さんは幸せかも」と話してくれました。

皆、それぞれ、今、自分のおかれたところで、やっていくということですね。

楽しみにしながら・・・
2018/05/13

「私」で生きる…・と聞くと、聖人をイメージするかもしれません。

これも、昨日の日記といっしょで、それはパターンで生きている領域においての「私」の捉え方です。(いいとか悪いとか、レベルが高いとか低いじゃなくて)

そこに在る「私」のイメージは、正しく、ぶれない、優しく、穏やか、理性的で、理知的で、何でも対処できて、ネガティブがない、清く、人々のモデルとなり、光に包まれ神々しい、そして神に愛される存在、という感じでしょうか。

これが「私」の領域に入っていくと、ぜんぜん違うじゃん!となると思います。夢いだいていたものがそこにはなくて、私が欲しがっていたのは、なりたかったのはこんな「私」じゃない、と思うかも(パターンが)でも、そこには、脈々と続く「私」の故郷を彷彿とさせるものがあります。それは、一言で言うと「安心」です。

「私」は闘わず、従っていろんなものを選択としてあきらめ、手放し生きる。「私」は期待や予想や計画から離れて今起きているものごとと一緒にいながら、厳しい魂の声をも指針にする。「私」は他人との比較や競争へのエネルギーや時間を惜しみ、それゆえ、周りから変人扱いされても自分を生きる。「私」はより現実的になり、普通に生活をしながら、大人であり、子供のようである。「私」は自分を大事にしながら自分への思いがなくなっていく。

なんか、より、混沌としていてちっとも素敵じゃないかも。それでも、その道を歩んでいる人たちがいます。なぜだか、そこへひきよせられていく。そしてその先へ・・・・・とはてしなく続く。これが魂の旅なのでしょう。

自分に向き合うことできっとこうなっていくんだろう、ではない展開。そこに何が起こってくるのかを楽しみにしながら自分に向き合っていってください。

新な主役は「私」
2018/05/12

ワークをする、練習する、考えるなどを続けたときに、もちろん結果、効果というものを望むと思います。何かを得るためにこれらをやっている、と。

で…道場での「それは「私」ではない」も、語りかけも、白黒ワークも、または熟考することも、学ぶことも、そのやり方(何かを得るため)をここにもあてはめようとします。

だって、日々の生活でのやり方は全部そうだからです。これをやったから、これが得られたというものです。そこで「どうだろう?自分は前より楽になっている?」「以前より、引っかからない?」「以前には感じられないことも感じられているだろうか?」「自分は変わったか?」と自分の変化という結果、効果をチェックするということをします。これは、自分の中の誰がやっているのか?ということですが、パターンです。

どうしてチェックしたがるの?それは「早く変わりたい」「早く楽になりたい」「早く進化したい」というパターンがあるからです。それが動くと必ずチェックしたがります。そしてそのパターンでいってしまうと、効果(パターンが望むところの)がないと、やりたくないということが起きてきます。パターンにとって結果、効果とは自分の思い通りになることだからです。それが得られないなら、いらないとなります。

先ほども書いたように日々の生活も社会もそれだけでできていると言っても過言ではありません。ですから私たちはそのやり方に慣れています。しかし、ここでやっていることはこのやり方が通用しないんです。今まではパターンで動いていてもどうにかなるという領域で生きてきていました。でも、新にやっていることは今までとは違う領域での体験です。

今までの主役はパターン。新な主役は「私」。

新な領域には「私」のルールがあります。もちろん結果、効果も「私」にとっての、というものになります。ということは?パターンが望む結果、効果とは違うものがそこにはあるということです。ですので、ここでは未知なる結果、効果を受け取ることになります。自分が(パターンが)思い描いていた結果、効果では、ないということです。それを決めるのは「私」であり、「私」の後ろにいるものです。脳ではありません。

自分を観察していて、チェックしたがっているなあ、気づくとチェックしているなあ、というときには、パターンが動いている可能性が高いです。そんなときには、ぜひ反対の白パターン「ただ、たんたんとやっていこう」という白を選んで(選びながら)行っていってください。

慰めの言葉
2018/05/11

慰めの言葉。

それらはある人にとっては、またはある時期においては必要なのかもしれませんが、今の私には違和感あり。

落ち込んでいる人に「大丈夫だよ、きっとよくなるよ」とか、自信のない人に「あなたにもすばらしいところはあるよ」とか、自分の弱さを感じている人に「弱さを知っている人こそ強い人だよ」とか。確かにその人の中のパターンはうれしいかもしれませんが、なんかーーーーー嫌なんです。

私のカウンセリングの先生の話ですが。グループカウンセリングのときにその中のひとりの人が「私は、頭良くないし、可愛くもないし、今まで何やってもだめだったし、だから自信なんて全然持てなくて・・・・」と言って泣き出したことがありました。それを聞いていた先生が言った言葉「そうだね。〇〇さんは頭良くないし、可愛くもないし、何もできないし、自信が全然ないよね。だけど私はそういう〇〇さんが好きだよ」

ひぇーーーーーーーー先生、そんなこと言っちゃっていいの?カウンセラーなのに、なんで慰めてあげないの?なんで「そんなことないよ」と言ってあげないの?と頭の中がぐるぐるしたのを覚えています。当時は、慰めの言葉が正しく、優しいと思っていたんです。それなのに、先生のその言葉。そのとき、私を含め、皆も、一瞬引きました。ピーンとはりつめた空気が流れた。

先生のその言葉に対してその人は泣きながらも、先生の言葉に何かを感じたような表情でした。このときに、ほんの一瞬だけでしたが、2人の間で何かがやりとりされていた、変わったような気がしました。

今、わかることは、頭よくない、可愛くない、何もできない、自信ないということをいけないこと、劣っていること、レベルが低いことというジャッジが先生には心底なかったから、その言葉が確実に何かを変えたのだと思います。

あのとき、先生が「そんなことないのよ、あなたは素晴らしいのよ」と言っていたら・・・。その人は余計にそうとは思えない自分を責めていたかもしれません。先生にそう言われてしまうとそうならなくてはと思ってしまったかも。

かと言って、この言葉を先生が言ったことで激怒し、先生から離れていく人もいると思います。このあたり難しいところですが、私も、もう、慰めの言葉はいらんな、と思っています。

それは「私」ではないの注意点
2018/05/10

「それは「私」ではない」は、役に立っている方にはだいぶ役に立っているようでよかったです。

この言葉を心の中で言う、又は、口に出して言うときの、注意点です。

最初のうちはひとつの言葉としてただ「それは「私」ではない」と言っていると思います。時には、黒パターンの生み出すネガティブな感情が苦しくてそこから逃げるために「それは「私」ではない!」と言ってしまっているかも。でも、それは黒パターンを嫌う黒パターンが言っているので、パターンにこの言葉は言わせないように注意です。

この言葉をパターンに言わせると、そのパターンはリーダーになった気分になり、自分本位で使うようになります。又、言われたパターンも抵抗するはず。

この言葉を使えるのは「私」だけです。そこはしっかりと意識して「私」が言うと、再確認して言うようにしてください。

もし、黒パターンを嫌う黒パターンがいるのなら、その子にも語りかけをしてあげてください。

そして「私」の言う「それは「私」ではない」に少し慣れたら、それを言っている間の雰囲気というのか、空気感というのかを感じてみてください。そのためにはゆっくりと言うほうがわかりやすいかも。早口で言ってしまうと、時間が短くて感じにくいかも。

そして、もし、そこで「私」が言っている言葉に何か、永遠なるものを感じられたら、もしくは、神聖なるものを感じられたら、それを十分に味わいながら言ってください。そのときには、その瞬間、自分はそこの意識にいます。魂のふるさとに意識をおいてこの言葉を言っているということです。これも頭で考えないで、たくさん言いながら、みつけていってください。

検査にいく
2018/05/09

今朝の日記は女性の方向き。

きのう、4年ぶりに乳腺検査(乳がん検査)にいってきました。まるで若い頃のように胸がはって痛いということが少し前からあり、今はほとんどそれがなくなったものの、気になっていたので行きました。

で、デジタルマンモグラフィと乳腺エコー(乳腺専用3D超音波検査装置Invenia ABUS)エイバスで検査。

マンモはやはり痛い。胸が痛いからこそもっと痛い。技師の女性の方から「痛いですよねえ・・・頑張って、あと1枚で終わりですよーー」と声をかけていただきながら終了。

次は、お初のエイバスです。「エイバスは、マンモグラフィの苦手な部分をうまく補完し、併用することでより精度の高い乳がん検診を可能にします」という説明を受けました。

あおむけになり、少しカーブしているパネルを胸の上にのせて、パネル内のスキャンヘッドがスライドして、広範囲に、深部まで、スキャニングしていくというものでした。これは痛くないし、短時間ですみました。こういうのがあるんだ、と感心して終わる。

後は、先生の触診と、今日の結果です。先生は私と同年位の男性の先生でしたが、丁寧に画像の説明をしてくれました。特にエイバスの画像は動かしながらゆっくりと見せてくれました。見ても正直わからないんですが、でも、私としては安心できます。深部を見せてくれたとき、変な形のものが見えて「先生、これはなんですか?」と聞くと肋骨だということ。それを見たときに、変なんですが、私の体への愛おしさが湧きあがりました。

で、異常はない、ということで一安心でした。

「でも、先生、この若い頃のような痛みって、なんなんですか?」と聞くと「女性ホルモンによるものだと思います。女性ホルモンは減っているけれども、全くなくなるわけではないので、何かでそれが影響することはあると思う」ということでした。

私は(誰でもかも)病院が苦手です。でも、必要なときには行ってサポートしてもらう、ということは選んでいます。これからも、いいあんばいで。

個性のお得な部分
2018/05/08

「あなたには、まだわからないだろうけれども、これはね・・・」という言葉。

これを聞いて腹が立ったという事を知り合いから聞いて、私はびっくりしました。「なんで?なんで腹が立つの?」と思わず聞き返してしまった。相手はそれこそびっくりした顔をして「だってーーーー、バカにされてるんだよ、あなたにはわからない、なんて」と言いました。「でも、話きいたら、わからないんでしょ?」と聞くと「わからない」と言います。でも、腹が立つと言います。そんなことを言うべきじゃない、もっと配慮すべき、上から目線だ、自分を下に見ていると言います。

私はここは全くひっかかりがなくてただ、それだけのこと、と受け取っている。受け取り方でこうも違う。それに、自分をみていれば「わからないだろうなあ、今の私じゃ」とも思います。そして、わからないからこそ続きを聞きたい(聞いてもわからないけど)そして、いつかわかるようになりたいと思います。

カウンセリングを勉強していた頃、あるカウンセラーから「あなたは共感というものをわかっていない。だからロジャースのカウンセリングはおもしろくないと思うんだと思う。その真髄を理解できていない」と言われたことがありました。あのときも私は腹がたたなかったなあということを思い出しました。

そのときに思ったのは「それはどういうことなんだろう、ロジャースの真髄をどうしたら理解できるんだろう」ということでした。できたらその人の生徒にしてもらって教えてもらいたいくらいでした。

ここは、私の個性のお得な部分だと自分でも思っています。ひっかからないということは、そこで止まらないので、さくさく先にいかれます。このお得な部分に感謝です。

で、個性のお得な部分というのは誰にもあると思う。その人特有の。それに気づけるといいです。そのためにも自分を観察してください。観察ね、思考でそれはなんだろうと考えるのではなくて、観察です。

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