ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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電車の中で・・続
2017/02/13

まず、その方は、自分のやってしまったことに対して素直に正直に「恥ずかしい、申し訳なかった」という気持ちをもちました。

そして、それをただおばあちゃんに表明しました。謝ると言う行為は自分の気持ちの表明です。ここでは「申し訳なかった」という気持ちを表明したことになります。

この行為は、謝るという、外から見たら普通な行為と言えるし見えます。しかし、何事も、表に現れてくることには、見えない裏があります。そして、この裏で起きていることのほうが実は大切なんです。

この方は、誰もいないだろうと思っていた席におばあちゃんがいたことに気付き、慌てたと思います。そして、その勢いで謝ったというところに、他のこと(謝るべき、怒られたらどうしよう、とりあえず謝っておくか、説教されたらいやだな、面倒くさい、謝ればまあるくおさまるだろう、非常識な人と思われたくない・・などなど)が何も入り込めない心の状況がありました。

この心の状況はいつもとは違う領域に自他を運んでいきます。そして、その領域においては、適切に物事と自他が動きます。それがその後、その方が電車の中でであっていく人たちとの会話やお互いの気遣いというものにも現れています。

だから「そういえば・・・」なんです。結果としてわわかるということ。

「そういうことなんだよね〜〜」と話しました。目には見えませんが、意識の領域というものがあります。その人の発する(それは無意識的にも)エネルギーの質によってどの領域に行くかで、物事、自他が変わってきます。もちろん、精妙で、純粋度が高いそれほど領域は善きものとなっていきます。

で・・・だったらそれを狙おうとして、同じように振る舞ってもだめです。表に現れてくるものが大事なのではなく、それについての見えない(思考が入り込めない)裏によっておこることだからです。

今回は、慌てて、かえってよかったかも、ということですが、今回のことも、意識的に行うには白パターンを選ぶということになります。白パターンというのは、いつもプロセス重視であり、結果を期待して、というものではありません。プロセスをどれだけ純粋に行うかというところに白パターンの意味があります。

こういうことからも見えてくると思いますが、自分がどんなエネルギーをもって今いるのか、自分自身がどんなエネルギーなのか、を、いつも吟味していくことはとても大事です。

電車の中で
2017/02/12

今朝の日記はある方の体験です(日記掲載の承諾をいただいています)

その方が茅ヶ崎へ向かう電車の中で体験したことです。

窓際の座席に座っていたその方は前方から入る陽ざしがまぶしかったので、窓のブラインドをさげようと、前の座席の所へ腕を伸ばしてブラインドを閉めたそうです。

しばらくして、自分が閉めたブラインドの席に実は人が座っていたことに気がつきました。座っていたのは小柄なおばあちゃんだったそうです。そのおばあちゃんの後ろの席にいる自分からはその方が見えず、てっきり誰も座っていないと思ったので腕をのばし何も言わずにブラインドを閉めたのだそうです。

そんな自分のやってしまったことに気づき・・・「恥ずかしい〜のと申し訳なかった〜のとで」・・・後ろの席から前のおばあちゃんに声をかけて謝ったそうです。「すみません、すみません、どなたも座っていないと思い、何も言わずにブラインドをさげてしまって」と。

おばあちゃんはそれに対して文句を言ったり、不機嫌になることもなく、その後、そのおばあちゃんと会話もしたということでした。

その方にとって、こんなふうに、素直に謝ったという事が自分の変化を知る体験だったし、それによっておばあちゃんと会話し、自然な会話も新しい体験だったと言います。それだけでも「よかったね」ということなんですが、その後色々と話しをしていくと「そういえば・・・」と、その後の電車の中で、であっていく人たちとの気持ちのよい会話や、ちょっとしたお互いの気遣いがあったことに気付きました。それは、今までとは違う電車の中。おだやかな電車の中。そして平和を感じている自分・・・という話でした。何が起きていたのかをその後話ました。続く。

ご紹介
2017/02/11

今朝は、新たにカウンセラーとして活動を始めた方のご紹介です。

沖縄クラスの喜屋武 春美さんです(「魂の道場」認定カウンセラーのページに更新しましたのでどうぞご覧ください)

春美さんは、ご自分のプロフィールにも書いていらっしゃるように、お会いしたころは学校事務のお仕事をされていました。多くの学生さんと接し、仕事を超えて、悩んでいる学生さんを手助けできないだろうか・・と感じていらっしゃった頃に初めてお会いしたと思います。

そのときから、仕事への熱意と、人への熱意を感じる方でした。その熱意はご自分に向き合うことにも、もちろん、使われぐんぐんと自他を大切にする力、理解する力をつけていかれました。

ご自分の努力でつけたこの力をこれからより他の人に向けていっていただきたいと思います。よく頑張られたと思います。

しかし・・・・皆さん頑張って試験を受けていただいています・・・・本当にうれしいです。カウンセラーになるということは、その仕事を通して、道場で学んだことを自分のためだけに使うのではなく、それを他人のために使うことと言えます。自分が根底から変容していった驚きと喜びをぜひ、ご縁のある方たちに伝えていっていただきたいです。そして、ひとりでも多く、自分を愛し、許し、理解する人が増えていってほしいと思います。そういう人の存在が家族や、周りにいる人々に善き影響を与えていくからです。

これからも続々とカウンセラーが誕生していくことを願っています。

迷いなく生きる
2017/02/10

自然が美しいのは、すっきりと生きているからです。

すっきりと生きているというのは、己の生き方に迷いなく生きているということです。

雲が海をみつめて海より勝っている、とか、海にどう思われるだろうか、とか、なんで自分も海にならなかったんだろう、などとは思いません。

雲はただ雲として、雲のまま生きています。だから美しいんです。

これは人も同じです。その人がその人として迷いなく生きているとき、そこにはすっきり感があり、そのすっきり感が美しさをあらわします。迷いなく、ただ、自分を生きているということです。

迷いなく生きるということは、自分のやるべきことを知っている、ということです。それが自分にとって最も大切なこともわかっているので、そこだけをやろうとします。他人がどう思おうと、どう言おうと、自分のやるべきことをやろうとします。そうあるとき、人からは迷いが消え、自然とすっきり感が出てきます。

これは自分の好きなことを仕事にしているとか、好きなように生きているということが可能であればできるけれども、そうではない場合はできないだろうと思うかもしれませんが、そうではありません。自分の好きなことを仕事にしていても、好きなように生きていても、すっきり生きられない人はたくさんいます。

どういう状況であろうとも、自分の今やるべきことを知り、そこに向かうことで、迷いは消えていきます。そして、迷いが消えればすっきりと生きられます。

空を見上げて、雲を見てみてください。ただ、迷いなく、雲として生きている姿を見てみてください。

偉大なる先生たち
2017/02/09

空を見上げる。そこには雲があります。いろんな形のいろんな雲が。でも、それは、どんどん変化して流れていきます。

夕方の空を見て、夕焼けの美しさと荘厳さに心うたれます。でも、それもどんどん変化をしていきます。ああ、もうちょっと見ていたかったと思っても、それは変化していく。

海に行き、波が寄せては引くのを見ます。寄せてくるとき、そして引いていくとき、それを見ていると陰陽の動きのようにみえてくる。寄せるだけではなく、引くだけでもない。両方があって海は存在しています。

公園にある桜の樹の下を通り、上を見てみると、もう、小さなつぼみがつきはじめていました。寒い、寒いと言いながらも、こうして春に向けて樹は静かに変化を起こしています。

自然の姿は、こうして私達に教えてくれます。物事は全てが変化することを。それから、全てに陰陽があり、その両方を行き来する動きこそが生きているということであり、そこに力が生まれることを。

これらの偉大な先生たちから教わったことは、私達の中にもあります。謙虚に心を開き、そんな教えを受け取っていきたい。変化すること、陰陽の動きの中で生きることを怖がらないで。

体験に重きをおいている
2017/02/08

わかっているつもりではいましたが・・・人の成長・進化ってほんとうに少しずつですね。自分をみていて実感します。

なぜ、そうなのかというと、根底から成長・進化するためには、知識や情報ではなく、自分自身の体験が必要になるからです。それも小さな作業の積み重ねによってもたらされる体験。ここに時間がかかります。しかし、それは戻ることがありません。

知識と情報で成長・進化できたら、どんどん右肩上がりで進み、みんながマスターになれます。そうであればもう転生もいらない。でも、そうではない。そうできてはいない。そのように私達は創られてはいないんです。体験をともなってはじめて成長・進化が可能になります。

ということは・・・・この「体験」というところに、人智を超えた何かは重きをおいていると言えます。

以前、「道場にいらしている方で一番長い方はどれぐらいいらしているんですか?」と聞かれ「13年ほどです」と応えたら「そんなに通っていても成長できないんですか?そんなに長くワークしても悩みが解決されないんですかあ・・」と驚かれました。そうですね、一般的にはそう捉えますね。「魂の道場」ではあるけれど、技法的にはカウンセリングなので、そこまで時間をかけても解決できない=だめだな、これは、と思うでしょう。短時間での変容を起こすことに価値がおかれている領域にいるからです。

成長・進化というものを違う領域から見てみると、それは悩み解決ではないという見方があります。ざっくり言ってしまうと、起こることの全てを引き受けられて、それをもちながら、なおかつ、自由に選択できる自分になること、その体験です。そのために13年をかけているということです。ここでは、問題や悩みを持ちながらも、そこに振り回されない自分として存在していく自由さがあります。そのときには、問題と悩みは消えています。自然に。

ここに向かっての成長・進化もあります。

時間をかけなければ体験できないことは、この道だけではなくたくさんあります。そのさなかにいるときには、焦りや、嫌気や、怒りや、不安や、猜疑心が生まれるかもしれません。しかし、それでもやり続けることで、必ずみえてくるものがあります。これも、私達はそのように創られています。

平等ではない
2017/02/07

上から目線の人が嫌い、という人は多いです。どうして?と聞いてみると、下に見られている気がする、大事にされていない気がする、などという言葉が返ってきます。

それも自分のパターンによるものだから・・・ということではあるんですが。

上から目線で振る舞うというところには特権のようなものがからんでいることがあります。それを持っている人が持っていない人に行う上から目線。

行われたほうはとても不平等を感じるのかもしれません。しかし、そもそも、この世は不平等なんです。たくさん稼いでいる人もいればそうではない人もいるし、美しい人もいればそうではない人もいるし、健康な人もいればそうではない人もいる。それを特権として、他人に上から目線で接するかどうかはその人のパターンによりますが、それはそれでおいておいて、そこの不平等は歴然とあるということを理解します。そこを平等にしたがるというパターンがあると、そういう人を猛烈に嫌いと思うかもしれません。

で、ここで出てくるのが、スピリチュアル的平等です。あらゆる条件は不平等かもしれないけれど、生命は平等だから・・・というものです。確かにそうなんだけど、ここで使われてしまうと、なんか違う気がします。条件は良くないけど、条件を上回る、生命の平等、だから私は偉そうな人とも同じというような感じが、苦しいです。

現実は現実としてちゃんと認める、そして、その現実を認めながらも、そこに劣等感を感じたり、屈することを感じているのは自分のパターン。だったらそれを選ばなくてもいいのかもしれない、という白を選んで行動してみる。そこができれば、わざわざ生命は平等を出してこなくてもいいわけです。

あらゆることを何かで埋めないでも大丈夫、起きていることをゆがみなく、色をつけずに見る力を育てていくことは結局、自分を自由にしていきます。

自分がどういう状態なのか
2017/02/06

自分の物事の見方、視線というもので自分がどういう状態なのかがわかります。

何事にも批判的で、比較があり、それは正しいのか、間違っているのか、勝っているのか、負けているのか、それはこういうことだ、と判断する、見方、視線。それがいつもあるようであれば、そのあたりに関わるパターンで物事を見ている今の自分ということがわかると思います。

何事にも、自分が責められている、自分のせい、自分がだめだから、力がないから、と捉えているのであれば、そのあたりに関わるパターンで物事を見ている今の自分ということがわかると思います。

どうせやっても無駄、過去にこんなつらい思いがあるからできなくて当然、今さら自分を変えることなんてありえない、人生は決まっている、占いでこう言っているから、生まれたときの星座がこうだから、前世にこんなことがあったから、私が今こうなのは仕方がない、と思いがちであればこのあたりに関わるパターンで物事を見ています。

こうしてみるとパターンで物事を見ている、捉えている、考えている、感じているということがよくわかると思います。

自分はこんなふうには見ていない、もっと理性的に物事を捉えていると思う方もいるかもしれませんが、この理性的というところもパターンが変身している可能性がすごくあります。

「私」はただ、物事をゆがみなく、素直に、正直に見ているだけです。一切の思考も対処もそこには働かず、見ている。もちろんその後、「私」が思考して行動するということをしますが、それは理性的というものよりは本質的な動きです。

いつも自分を観察してみてください。

バトンを渡す生命
2017/02/04

堀 文子さん(1918年〜)という女流日本画家の方がいらっしゃいます。

今年99歳。力強く、年々、研ぎ澄まされていくような感性を感じる方です。

そんな堀 文子さんが、ひまわりを見たときの衝撃について書いていました。

「ひまわり畠の終焉は、その時の私の何かを変える程の衝撃だった。ひまわりは頭に黒い種をみのらせ、生涯の栄光の時を迎えていたのだ。台地を見つめる顔は敗北ではなく、そのやせた姿にも解脱の風格があった。その顔一杯の種は次の生命を宿し充実していた。死が生涯の華々しい収穫の時だという事を、ひまわりから学んだあの日を私は忘れない。」<堀 文子画文集 命といふもの第2集 無心にして花を尋ね>より。

堀さんはひまわりから学んだと書いていらっしゃいます。そして、私は堀 文子さんのこの文章から学びます。このひまわりの在り方は、私が憧憬する姿を具体的に言葉にしてくれていると思いました。

ひまわりはただ、ひまわりとして生きて、その最期を自然に迎えようとしています。そこには、自分というものはなく、だからこそ、解脱の風格があり、自分が死にゆくことで、次へ生命をつなげていかれるということに満足していることを感じられます。

この世界で生きている自分というものは今このときの自分であり、本来の自分は生も死もないものとして存在しています。その本来の自分が肉体的死をむかえるということは次へ生命をつなげる、バトンを渡していくということです。今世での体験をそのバトンにこめて渡していきます。次の生命のために。だから死はない。

次の生命のために・・・こう書くと、私は結婚していないし、子供もいないから生命をつなげてはいかれないと思う方もいるかもしれませんが、私の学んだそれは、物理的なことではなくて、魂としての話です。これは皆が同じです。

私もこんな生き方を、そして、死に方をしていきたいと思います。

人生初の体験
2017/02/03

きのうは・・・人生初の体験をしました。

きのうから山形庄内へ向かう予定でした。数日前から、山形は大雪、吹雪ということは聞いていましたが、まあ、大丈夫だろうと思っていました。

そして、きのう、羽田へ行くと、「庄内空港大雪のため、着陸できない場合は、羽田へ引き返す」という条件付きフライトになっていました。以前、沖縄便でも台風のとき同じようなことがあっても着陸したので、今回も大丈夫だろうとも思っていました。

機上する人々も、家族づれや、年配の方々や、仕事の方々と、誰も、それについて心配もしていないような様子だったので、ますます大丈夫と思いました。

で、5分遅れで無事に離陸。揺れることもなくおだやかなフライトでした。そしてそろそろ庄内空港へ到着する、というときに機長からのアナウンスがありました。「庄内空港は大雪のため、現在、除雪作業をしております。除雪に30分ほどかかるということなので、旋回して待ちます」30分かぁ・・・寝よ。

そして30分後、再び機長のアナウンスが・・。「除雪作業を現在やっています。終わるのにまだ30分かかるということなので、皆さま、そのままお待ちください。除雪が終わりましたら、着陸できるかどうかを見ます」あと30分かぁ・・・寝よ。結局、1時間ほどうとうととして過ごしました。

そして、機長からのアナウンスがありました「除雪を〜とても頑張ってやっていただきましたが、着陸はできないと判断し、このまま羽田へ引き返すことにします」

・・・・がーーーーーーん・・・・私だけではなくみんな、きっと、がーーーーーーんだったと思う。皆の落胆の気持ちが波のように機内をわたるのが感じられ、それがそのうちに仕方ないの気持ちに変わっていったのがよく感じられました。そう、そう、仕方ないんだよ。と自分にもみんなにも言い、羽田へ着きました。

山形の地吹雪なるものを体験できたかもしれなかったこともとても残念でしたが、次回の山形を楽しみにします。

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