ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

言霊シャワー
2018/05/07

この4日間、短期集中で「それは「私」ではない」をやられた方はいましたか?もし、いらっしゃったら、ぜひ結果を教えてください。

私は…〜やりました〜。特に感情、感覚が湧かなくても、今回はこの言葉をたくさんあびてみようと思い(言霊シャワー)やってみました。

そして、きのうあたりから、一皮むけたような、心の変化があります。それは言葉にすると「全てを安心していい」というものです。でも、それは「何が起きても安心、なぜならば(例えば)強くなっているから、宇宙に守られているから、正しく生きているから、不安なことは起きない」というものではありません。この言葉は実際心の中で言ってみると、どきどき、ざわざわします。ちっとも安心と思っていないのが伝わるからだと思います。一生懸命にそう思い込もうとしている感じです。

それではなくて「全てを安心していい」は、それを裏付ける、なぜならば、がないものです。でも、そこにとても現実味があり、「私」が納得しているのを感じます。「もう、安心しないことを選ぶことは免除された」という言葉もあります(回りくどいけど)やれやれ、やっと解放だ、ということでしょうか。

で、暫くはこの言葉を言っていきます。言霊はエネルギーのかたまりです。その言葉を発しているときはそのエネルギーの中にいます(そのエネルギーを選んでいるとも言えます)瞬間瞬間どんなエネルギーを選んでいるのか、ということだけといってもいいぐらい、私たちはそれで人生を創っているので、言霊はどんどん使われるといいと思います。

GWもおわり、今日からほとんどの方がお仕事だと思います。引き続き「それは「私」ではない」を続けてみてください。

見かけとのギャップ
2018/05/06

今回も、たまたまTVでみた。

前回はイタリアのシチリア島のバレル空港にあるピアノを弾く人たちを定点カメラがとられる、というものでしたが、今回はアムステルダム駅に置いてあるピアノを弾く人たち編でした。

この番組、とても見たかったので、嬉しかった。

今回も、プロ顔負けの演奏を聞きました。ものすごくガタイのいいお兄ちゃんが、それはそれは見事にショパンを弾く。そのガタイのよさからか、ピアノの音色がしっかりしていて、迫力があります。繊細に弾き込むところも、その力強さが加味されて、フワフワ感がなく、定着した繊細さというのでしょうか。その分、人の心をぐんぐん引っ張っていきます。

見かけとのギャップが驚きと感動でした。本当に人は見かけで判断できないですね。そして、見かけできっと、この人はこうだろうというイメージを覆すことのかっこよさを感じます。いかにも、で、「ああ、やっぱりね」というよりも「えっ・・・あなたがですか?」ということのほうがなんか、いい。

そして、この番組を見るたびに、ピアノは特別な人のものではなく、音楽がとても身近なものとしてあるんだと思います。敷居が高いとおもわれがちなクラシックさえもこんなに身近にあるんです。これは羨ましいです。

この番組はチェックしながらまた次を見たいと思っています。

そこまでをやっていくんだよ・・・
2018/05/05

自分の内側への、純粋な観察、ケア、選択を繰り返していくうちに、少しずつわかっていくことがあります。

それは、育ってきた「私」を通して、あらゆるものから教えられていくということです。それは、今の状況から、仕事から、お金から、人間関係から、体から、自然から、そして「私」のうしろにいるものから、はたまた「私」という自分から自分へ教えてもらっている(?)いずれにしても、それは大変ありがたいものです。

それは、この人生をより善く生きていくための知恵やアイデアや物事の捉え方や選択を示唆してくれます。ささいなことから、人生の課題に関わるような大きなことまで、何かに導かれていくということを体験していきます。

それは毎日起こることではなく、又、何か特殊なマントラを唱えると体験できるとか、祈れば、瞑想すれば、意識を変えれば、パワーグッズを手にすれば、ということでもありません。

その人に用意ができたとき(あちらがもう、受け取れるだろうと判断したとき?)に、いいタイミングでひっそりとその人の心に与えられていくものです。それを繰り返していくうちに、やはり何かに生かされていて、それはよりよく生きることを望んでいるということを感じられるようになります。

それは少しずつ、少しずつですが、誰でもきっと体験するものだと思っています。その人を応援し、より善く生きられるようにというサポートです。

その体験がひとりひとりに起きたときにはもう「魂の道場」での学びは必要なくなります。自分とそのものとで一緒に人生を創っていかれるからです。そして、それこそが最もその人らしいということになります。

「そこまでをやっていくんだよ、そこからは身を引くんだよ」と先日言われた気がしました。

短期集中
2018/05/03

「それは「私」ではない」と昨日書きました。

これはぜひ使ってみてください。

毎日私たちにはいろんな感情や感覚が沸き上がります。それらは全てパターンが生み出しているもの・・・・だから・・・・それは「私」ではない・・・・のです。じゃ、「私」は何をやっているのかというと、生み出された感情・感覚を察知しているだけです。

「私」は一切ジャッジなく、察知しているだけなので、本来、その感情や感覚に飲み込まれ、翻弄されることはないのですが、「私」が育っていないとパターンのほうが強いのでパターンが感じていることが真実だと思いあたかも自分がそうであるかのように錯覚をおこしています。

だから・・・・それは「私」ではない・・・・です。

インドのマハリシは「いつも、私、私と言いなさい」と言っていましたが、同じことだと思います。「それは「私」ではない」と実際言うことでその自分の声を自分が聞き(心の中で言っても)それは音として体中に響き、脳もそれを覚えていきます。そうやって全身全霊で、この新な「それは「私」ではない」を自分に植え付けていきます。

今日から日曜日まで、この言葉を意識的に、たくさん言ってみてください。何か感情、感覚がわいてきたら、この言葉を言っていきます。今日から4日間、短期集中でやってみてください。月曜日に何かが違っているのを感じられると思います。

それは「私」ではない
2018/05/02

きのうの、CMのキャッチコピー「世界は誰かの仕事でできている」これは、『世界はみんなの意識でできている』とも言えます。

きのうの話でも大袈裟、と思った方は、ありえないと思うかもしれませんが。私たちが毎日心で思うこと、頭で考えること、言葉に出していること、行動のひとつひとつは、自分の元を離れ、誰かに影響を与え、誰かのパターンを大きくしています。それが集合すれば、この世界にまでおよびます。

自分なんてちっぽけな存在だから、そんな影響力はないだろう、世界に影響を与える人はもっとすごい人たちなんだろうと思っているとそれは間違いです。特にネガティブなものは、皆が慣れ親しんでいるので、どんどん共鳴し合い、広がっていきます。

ですから、自分がいつも何を想い、何を考え、どんな言動をしているのかをみていかなくてはいけないんです。

誰でも、つらいときはあります。病気だったり、家族に問題があったり、人間関係でトラブルがあったり、お金の悩みがあったり、仕事がなくなってしまうことも。それは誰にでもあることです。一見すると、全くそういうことがないように(幸せそうに)見える人にも、何かしらあります。

そういうときに、何故自分だけ・・・・とネガティブな心で、ネガティブなことを考え、それに沿って言動することで、それは大きくなります。だからそういうことはやめましょう、ではなくて、そういうときこそそれは自分ではなく、自分の中にいるパターンなんだというところに立ち戻ってください。

「それは、「私」ではない」この言葉を何度か言ってみてください。それにより、正しい立ち位置に一瞬でも戻れると思います。そうしたら、ネガティブな感情や思考を抱いているパターンに語ってあげてください。そういう行為により、少しずつかもしれませんが、自分がネガティブなものを自分の外側に垂れ流さなくてもいられるようになりますし、自分の外側で渦巻いているネガティブなものに飲み込まれていくことも減っていきます。

そんな自分の意識が・・・世界の平和を守る・・・。

夢かなってんじゃん
2018/05/01

俳優、山田孝之さんが出演している缶コーヒーのCMがあります。毎回、おもしろい。山田孝之さん、たっしゃだと思います。

今回の「警備員」編もなかなかです。

ビルの警備員役の山田さんが、同僚から「おまえ、何故警備員になったの?」と聞かれ、そういえば子供のころ正義の味方になりたかったことを思い出します。

「みんなの平和を守るヒーロー(・・・になりたかった)・・・すげえ、ある意味、夢かなってんじゃん、今日も地球の平和を守ったぜ!」と満足気な顔をします。

ビルの警備員という仕事を通して、彼は、今日もみんなの平和を守る、地球の平和を守る、ということをしている自分を感じています。それは子供の頃からの夢だったというものです。所詮CMだし、そんな単純なことじゃないと思うかもしれませんが、こういうことなんだと私は思う。

みんなの平和を守るために、地球の平和を守るためには何か特別な何かにならなくてはできないというのが一般的な考え方で、そうなれていない自分にはみんなの平和、地球の平和を守るなんてことはおこがましい、自分にはそんな力も、価値も、資格もない、と思っています。

でも、この彼のように、今自分がおかれているところで、子供の頃からの夢を(そのエッセンスを)仕事に、家庭にいかすことはできます。本人にその意思があれば、人の意識とはそれほど自由なものなんです。

自分にはそんな使命がある、と思いながら警備員という仕事をしているのと、本当はヒーローになりたかったのに、なれなかった自分なんか・・と思いながら警備員をしているのとでは、全く違う人生を歩むことになると思います。

周りから見て、単純だ、バカだ、目立たない、と言われようと本人がどんな気持ちで生きているのかだけです。

CMのキャッチコピー…「世界は誰かの仕事でできている」…

無理してつきあわない
2018/04/30

プライベートにおいて(仕事の場合は難しいところもあるので)誰とつきあうのか、ということは「私」を育てていく上でとても大事なことです。

その人がつきあっている人を見ればその人がわかると言われているように、人は他人の影響をお互いにうけます。こう言うと、それは他人への差別、とか、自分本位、とか、孤立、とか「愛」に反することではないのでは?と思う方もいるかもしれません。

誰に対しても「愛」を持って接することができれば、それはすばらしいことですが、そこに向かう過程において、この人といると、何故だか、疲労感を感じ、違和感があり、自分がいつもの自分の半分以下の自分になってしまうような感覚、体がばらばらになってしまうような感覚、混乱や戸惑い、からめとられていくような感覚が生じるときには、無理をして(自分は愛する人でいたいから・・と)つきあう必要はありません。

そういう人から物理的に離れるということは、自分を優先しながら「私」を練っていく環境を自分に与えてあげるということになります。これも、もちろん、その人といることで発生するパターンからの感情や感覚であり、それは自分の問題ではありますが、そういう今の自分を練っていくためにも、まずは今の自分の状態を見極めて、そのパターンが過敏に動き出すことから離れてあげることを選ぶ(もしくは挑戦の場合もあるけど・・・かなり稀)ということになります。

人は一気に誰に対しても「愛」を持って接することなどできないんです。そんな人はひとりもいません。昨日も書きましたが「愛」を育てるには時間をかけての訓練が必要になります。私は子供を育てたから、とか、私はカウンセラーだから、とか、私は夫とうまくいっているから、私はスピリチュアル的学びをしているから、だから「愛」の人だということではありません。

自分をどれだけ愛しているか、というところにしか、他人に対する愛はあらわすことができないんです。そして「愛」は自分で育てていくしかないものなんです。

この大きな課題を皆が持ってきています。生きている間にどれだけ自分の全てを愛せるか、ということです。

国民は宝
2018/04/29

私たちがまずやらなくてはいけないことは自分を「愛する」こと。

他人を愛するのではなくて自分をです。そして、自分を愛すると言うのは自分のやりたい放題に自分を甘やかすということではなくて、自分の中にある全てのものをそして「私」の宮殿である自分の肉体を許し、愛するということです。ここが100%できれば、もう、全てOKなんです。

しかしほとんどの人は自分の中の受け入れがたい、許せない部分を持っていてそれを責め、悔やみ、嫌います。これももちろんパターンがそうしています。「私」は全てをそのまま認め、理解し、許して=愛しています。

・・・・ということは、自分を愛せないのは「私」が育っていないため、無意識でパターンで生きているからです。だから自分に向き合ってどんなパターンがいるのか、どれだけ無意識で生きているのかを知っていかなくてはならないんです。

そして、そのパターンをケアし、黒の隣にいる白パターンを選んで実践していくことで、黒と白のバランスが整います。この整うところへ向かう途中で理解や許しという愛を使っていくことになります。これによりその力は練られていくんですね。誰もが「愛」そのものなんですが、愛には育てる訓練が必要なんです。

だから私は「ワークして」「語りかけして」としつこく言い続けるということになります(大体100回位言うと腑に落ちてわかるという感じがします)

自分の中の傷つき、苦しみ、それをわかってほしいパターン全てを見捨てることなく愛してあげます。自分を苦しめているパターンが悪いのではないんです。そのパターンをほっておいた「私」の責任なんです。

パターンはあなたという国王の国の国民ですから助けてあげてください。その国民がいるからこそ、「私」という本当の自分を鍛えて大きくしていくことができるんです。国民が王を育ててくれています。だから国民は宝。

表明する
2018/04/28

自分を表明すること。

必要なときに、必要な表明をすることは大事です。どうも、ここって誤解されやすく、一切自分を表明しない人をできている人、フラットな人、霊的に高い、と捉えている人が多い気がする。又、表明を、言い返す、対抗する、論破する、自己主張するということだと思っていて、いえいえ、私はそんな暴力的な、意識の低いことはしませんという人もいます。

・・・が・・・違うだろ、と思う。これはたぶん、自分が発言してしまうことで、波風がたち、ぎくしゃくしたり、嫌われてしまうのが嫌だからなんじゃないかと思います。又は、この相手に表明しても相手のほうが自分より上だし、頭いいし、力もあるから、きっとバカにされるか、やり返される、そうなるとまた自分のダメさをつきつけられるので、傷つかないように何も言わない、ということなんじゃないかと思います。

だったらそう言えたほうがすてきだし、一致性(純粋性)があります。魂の成長には一致性は欠かせません。一番の必要要素。

他人と善い関係を創っていくうえでも、私はこういう人で、こう考えていて、こうしたい、など、表明をすることで相手も自分のことを理解できるようになるし(全員とは言えませんが)自分も相手の表明に慣れていくことができます。人は自分と全く同じではないので、こうして表明しあうことで何が違うのかを理解することができます。違いを知ることで、いい関係性ができます(いい関係性って同じということではないんです。パターン的にはそのほうが楽なんだけど)

自分とは違うその部分を知って、この世の豊さを知る、ということです。そのくらいタフな心を創る。

先祖
2018/04/27

今日は、父の命日です。

去年のこの日、父を見送ったわけですが、この1年、早かったような、もうずいぶん昔のことだったような…。

この1年は、父に感謝すること、謝ること、話しておきたかったこと、受け入れて許してほしいこと、などなど、生きているときよりも本音でよく話をしました。

家族が亡くなると、与えてもらえるものがあると言われていますが、父が私に与えてくれたものは先祖とのつながりでした。おせわになった先祖がいるのに、今まではその存在を思うことがなかった。しかし、父の死後、私の両親、そのまた両親、そのまた両親にまで気持ちが広がりました(それ以上まではいってないけど)そして気付いたのは、私は曾祖父母の名前を知らないということでした。曾祖母ひとりだけは、私が20歳のときに幽霊としてあらわれ、その名前を母から聞いたということはありましたが、それ以外は全く知らないんです。

しかし、今は曾祖父母のことを(特に名前を)知りたいと思うようになりました。と言うものの、父も母も、祖母も祖父もいないので、誰に教えてもらうかを思案中です。名前を知れば、より身近に感じられる気がするのと、その名前から、感じられるものがあるだろうと思います。

そんなで朝の祈りにはこの頃登場人物が増えましたが、そのイメージのせいか、守られている感が強くなりました。・・・・・皆を代表して私は今日も生きる・・・・・。こうなれたことは父に感謝です。

父がやすらかにいてくれることだけを祈ります。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -