ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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仕事場
2017/10/03

仕事場の悩みは多くの方がもっているものですが。

そこでの悩みが自分のパターンからきているものなのか、それとも、仕事場の問題なのかがわからないということを聞くことがあります。これは、微妙なところなので、こうです、と言いにくいところがありますが、自分のパターンからきているものは、転職をしても、同じような繰り返しがあります。

で、パターンの場合はほとんど人間関係での悩みです。ざっくり言ってしまうと、自分のパターンが思い描いているような人間関係がそこにはない、というものです。自分はなんか、それを繰り返している気がする、ということであれば、その仕事場で、その自分のパターンをケアすることに挑戦するといいです。それは仕事場だけではなくあらゆる人間関係に起こっていることだからです。人間関係は実は自分自身との関係が反映されているものでもあるので、今の仕事場は自分を知るためにもいいものだと思います。

会社側の問題の場合もあります。いわゆるブラック。誰がどう見ても、酷すぎる場合です。このときに、これは自分のパターンの問題だから自分を変えなくちゃ、では心身を壊すことにもなりかねません。自分を守るということを優先しなくてはいけないときもあります。仕事を辞めるというと、即、生活に困ると誰でも考えますが、あまりに自分の心身にとってハードであったり、どう考えても自分の生き方、哲学に魂として反するという場合は、転職をするということも大事です。

そんなときに必ずと言っていいほどいらぬおせわの言葉「そんなんじゃどこいっても通用しないよ」その言葉にどれだけの人が心身を壊すことになっているか。そこに耐えることが強いこと、社会人、大人、ということではありません。自分と仕事場、なかなか難しいところはありますが、全くそれがないという人もまたいません。

さて、これから盛岡に行ってきます。皆さまもどうぞ良い毎日をお過ごしください。

3か月
2017/10/02

もう、10月。

本当に早い。今年もあと3か月です。

今年の抱負を語ってくださった皆様、どーーーですかあ?クリアできそうですか?「今年はできなかったので、また来年に持ち越します」と言わないで、あと3か月ラストスパートでクリアにむけて頑張ってください。

自分のペースでやればいい、ゆっくりやればいい、とよく言いますが、それも黒パターンが言っているのか、それとも「私」が白パターンを選んでのそれなのか。それによって結果はおのずと変わってきます。

自分のペースで、ゆっくりと、と同じ言葉であっても、誰が言っているのか、で、その内容も、在り方も、結果も違ってきます。

そこももう一度内観しながら、できるまでやってみる、できるように頑張る3か月にしてもいいかと思います。自分を追い込んでやるときも人には必要で、自分のペースでいつかやろう、ではそれで一生が終わってしまうことになります。

3か月というのは、挑戦するのにはちょうどいい時間だと思います。おたがいに頑張りましょう。

ピアノ
2017/10/01

昨日いらした方とピアノの話になりました。

その方もピアノをやっていらして、今もピアノを弾いていると聞いて、いいなあと思いました。

私は、い・ち・お・う・音楽を専攻してきたにもかかわらず、音大時代に音楽が大嫌いになってしまい、卒業後はピアノから離れていました。しかし、今、61歳の今、またピアノを弾きたいと思うようになりました。そこには理由があります。

それは、音大時代の、まさに黒パターンで音楽に向き合ってきたことでやり残してしまったことを、今、やりたいと思ったからです。

そのころは黒パターンのことも知らなかったし、自分への探求は全く興味もなかったので、普通に黒パターンで日々過ごしていました。ピアノへの向き合い方もそれだけでした。先生に褒められたい、認めてもらいたい、できなくて怒られたくない、あの人には負けたくない、それだけで練習していたと思います。

そんな状態で関わってきた音楽でした。そのパターンでやってきたので、どんなに練習しても、それに沿った結果(褒められない、認められない、他の人達は伸びているのに自分は変わらない)を受け取ることになり、それは私のパターンにとってはとても嫌なことで自分を認めてもらえない音楽が大嫌いになりました。

で・・・同級生で、今でも音楽に従事している人たちは、今思うと、私のように黒パターンで音楽をやっていたのではなかったんだということがわかります。純粋に音楽を捉え、真摯にそれに向きあっていました。やはり秀でる人たちはそのあたりも含めて才能とそこへの努力があるのだろうと思います。

しかし、今なら、私は自分のためにピアノを弾くことができると思う。自分のためだけに、ピアノと自分とで、そんな時間が作れるだろうと思います。こうしてやり残したことをやることもできる気がします。

あとは現実的な問題。ピアノ買うか?防音室必要か?先生に習おうか?まずはピアノのあるスタジオで?・・・。それを考えるのもまた楽し。

多すぎず、少なすぎず
2017/09/30

多すぎず、少なすぎずがいい。

その多いも少ないも自分にとってなので、誰かと比べてということではありません。それぞれ、体力的にも精神的にも、魂的にも、持てる分量は決まっているので、自分にとってのそれです。

で、ふと気づいたのですが、この多すぎず、少なすぎずであると、必要なその人のスペースが自然にできあがっていると思いました。

例えば、部屋。そこに、ちょうどいいスペースの状態があって、だから美しいんだと。スペースと言うと物がないほうがスペースはあるのですが、そこに多すぎず、少なすぎず物があるほうがスぺースを感じられるということに気付きました。

少なすぎてしまうと、スペースを感じられる場所というのがわからなくて、どんなふうに風が通るのかがわからなくて、かえって息苦しい。

ところが多すぎず、少なすぎずで物があると、その物と物の間に在るスペースが際立って見えて、そこに風が物をなでるように通っていくのも想像できて、ほっとします。

これは部屋のことだけではないです。仕事も人間関係も自分との関係も全てその人の多すぎず、少なすぎずがその人が最も、美しく見えるのだと思いました。そこには、風とおしのよい、スペースがあるからです。

あらゆるものをその人らしく美しくしてくれるスペース。自分のそれを創っていきましょう。

こつこつと・・・
2017/09/29

黒パターンで根深いもの、ケアしてもなかなか重さが変わらないものというのは誰にでもあります。

それは、前世からずっとひきついできてしまったものである可能性大です。それは人によって様々。自分への否定感がキョウレツに強かったり、お金に対しての恐怖が大きかったり、死についてとにかく怖くて怖くてしかたなく、そこに結びつく病気を恐れすぎたり、誰かに捨てられる、裏切られることへの恐怖。ひたすら称賛されることだけを熱望し続けたり、人が信じられないことがどんどん強くなっていくなどなど。

前世からきたものであっても、それはパターンなので、同じようにケアをしていきますが、持ち続けた時間が長い分、それを育ててきてしまっているのでパターンが落ち着くまでに時間がかかります。でも、そのパターンもずっとそうして生き続けてきたのだから、ぜひ大事にしてあげてください。

人は(魂の歴史は)そんなに単純ではありません。そもそもがそういうものだとわかれば、自分の中のなかなか思うように進展しない状況も、長い目でみてあげられると思います。「いいじゃん、生きているうちにある程度いかれれば」と自分を待ってあげてください。

前世からのパターンのせいにしない、でも、焦り過ぎないで、こつこつと向きあっていかかれればいいと思います。

静寂
2017/09/28

誰の中にもある「静寂さ」これを見つけて、それを味わい、いつでもそこに行かれるように、それに慣れたら、いつもそことして日々生活する・・それを身につける、自分のものにする、だから、ここは道場。自分で自発的に稽古して身につけてもらう場所です。

で、マスターたちがそこを表すときによく使うこの言葉「静寂」。これは確かにそこの持つ質としてきわだっているものです。だから、この言葉が使われるのだと思う。

それは今、目の前で起きている物事、ずっと悩んでいること、過去の出来事、未来への心配、不安、に一切影響されないところです。そこには今しかない。そしてその今は永遠なるものであることも感じられ、永遠なるものとのつながりも感じられるところです。

しかし、いわゆる「静寂」とは違い、静寂の中で思考する、決断する、行動する、その中で他人と向き合う、仕事をするなど、動きが伴うものです。静寂に基づいての躍動的行動が常にあるところです。決して、ぴたっと波ひとつたたなくて、しーーーーんとしていて、全く動かないというところではありません。そういう中にいたら人は気が狂うかもしれません。

そういうところを誰もがもっているんです。このように誰にとっても在るものこそが神から与えられているものです。そして神は私達を愛しているからこそそれを与えこの世に送り出してくれています。そこから外された人は一人もいないのです。

ミラーサングラス
2017/09/27

先日、神戸から通ってくださっている方が、茅ヶ崎駅から我が家へ来る間に見たおじいさんが、上半身裸で(それも日焼けして、がっちりした体で)黄色い短パン(海パン?)で自転車に乗っているのを見て「茅ケ崎に来たなあ〜と思った」と話していらっしゃいました。「神戸では、どんなに暑い日でも絶対いないよねえ…そういう人ぉ…」と2人で話ました。

茅ヶ崎って、本当にそういうところです。

今年の夏も、例年のごとく、おじいさんもおばあさんも、Tシャツかタンクトップに短パンか短めパンツに帽子とサングラス(サングラスは必需品。かなり陽射しが強いので特に高齢者は)で歩いて、もしくは自転車に乗っています。それはとても生活に密着している感じです。機能性重視。

鎌倉とか藤沢でも同じような方々はいらっしゃいますが、もっとおしゃれ重視というか、質が違います。電車で30分の横浜に行ってしまうと、全然違います。

この夏、ミラーサングラスをかけているおばあさんがいて、かっこよかった。私も欲しい。で、隣駅でミラーサングラスをメガネショップで見ていたときに、店員さんが「サングラスですか?ミラーのものや濃い色のものはやめたほうがいいと思いますよ」と言われました。「どうしてですか?」と聞いてみると、「ミラーとか濃い色の物っていかにもサングラスじゃないですか。いかにも、というのをかけていると、スカシテル、と、他の人から思われるのが嫌だというお客様が多いんです」ということでした。

サングラス一つ選ぶのにも他人からどうみられるかを気にすることにびっくりでした。この開発されて、妙におしゃれになった駅周辺では、確かに、上半身裸+海パンでは出られないだろうなあとも思いました。

開発がいまいちの茅ヶ崎。いい意味でも、悪い意味でも、この街は我が道をいくという感じです。来年は絶対ミラーサングラス!

それは誰?
2017/09/26

きのうの日記のことを考えてみました。

クリシュナムルティが言っているように、常に「自分の中の誰が?」ということだけだと思います。

まず、この「自分の中の誰が?」という視点が「?」であるくらいに私達はパターンに支配され、動かされています。パターンが自分だとちっとも疑うことなく生きています。ですから「自分の中の誰が?って?何言ってるの?言ってる意味がわかんなーーい、自分は自分でしょ」と思います。そのくらいに、パターンと自分の同一化は自然に、普通に、あたりまえになっています。

パターンを知る上で「まずはネガティブな感情が湧いたら、それは本当のあなたではなく、パターンが生み出しているものなので、パターンを探しましょう」とパターンを探すということをやっていきます。ネガティブな感情の場合は比較的わかりやすいと思います・・・が・・・黒パターンはポジティブな感情も生み出すし、きのう書いたように、いかにも正しいことを言ったり、誘導したりします。ですからポジティブな感情だから大丈夫、正しい考え方だから大丈夫、と思い込んでしまうとその罠にひっかかっていくことになります。

パターンは一見、よさそうなことを使うのが上手です。落ち着く、すっきりする、安心する、楽しい、うれしい、勇気が出たなどなど、良いとされている感情もそれが「自分の中の誰が感じているのか」をちゃんと知る必要があります。それは本当の「私」が選んでいる白パターンからのものなのでしょうか?それとも黒パターンが自分が満たされたことで感じているものなのでしょうか?

最初、この違いはわかりにくいかもしれません。しかし、練習をしていくと、その違いははっきりとわかるようになります。そのときに「自分の中の誰が?」の意味が腑に落ちると思います。ここも、知識ではなく、体験です。そして、体験するためには行動です。

読んでいなかった
2017/09/25

お会いしている方が気付いたことを話してくださいました。

私の本を読んでいたのに「実は読んでいなかった、読めないところがあったことに気付いた」ということでした。読めないところというのは黒パターンにとって読みたくないところということ。この洞察により、この方は、これから、全て読むことを選べると思いました。

この方のように、読めないところがあると意識化されている場合もあるし、意識化されていなくても、無意識で読みたくないところをスルーしたり、目で追いながらも自分の中に入れないということもあります。これらは黒パターンがそうさせています。

それが無意識でも行われるぐらい黒パターンは普通になっていて、主導的立場にいます。黒パターン=自分ということです。

では、何故、黒パターンにとって読みたくないのか。そこには、黒パターンにとって不利なことが書いてあるからです。それにより、昔の嫌な出来事を思い出し、また傷つき、苦しむことになるし、今まで自分主導できたのに、変化が起き、自分は消されてしまうのではないかと思っているからです。

そして、スルーするし、知恵も出すし、「いいんじゃないの、読まなくて。だってそれなりに楽しくやってるじゃん」と言うこともあるし、時には、カウンセリングに来ることを阻止するようなこともします。カウンセリングの日になると体調が悪くなる、都合が悪くなるということが繰り返されることもあります。

そしてパターンは「これだけカウンセリングに行かれないということが続くということは、必要がないんだよ、あそこは合わないってことだよ」と言うこともあります。あたかもそれが自分であるかのように黒パターンによって私達は動かされています。自分はそうではないと思う方がほとんどですが、実はほとんどの方がパターンで思考し、決断し、行動しています。そこに気付いていないだけ。

黒パターンが自分ではないことを知り、本当の自分を意識的に使ううちに、この方のように黒パターンがやってきたことを客観的に知ることになります。今まで、どれだけ黒パターンで生きてきたのかを知ることはショックや驚きではありますが、新な幕開けであると思います。

頑張ろう、自力本願
2017/09/24

先日TVで、近頃若い女性達の間で滝にうたれることがひとつのブームになっているというのを見ました。

20代、30代とおぼしき女性たちが白装束に身をつつみ、滝にうたれている姿が映っていました。彼女たちは「祓いたまえ、清めたまえ」と滝にうたれながら何度も何度も繰り返し、その後に自分の願い事を言うのだそうです。すると滝の周辺にいらっしゃる神さま方が願いを叶えてくださるそうで。

で、数人の女性たちの願い事「〇〇さんより可愛くなって〇〇さんを見返せますように」「男を見る目を養えますように」「事故にこれ以上あいませんように」などなど。えーーっ?そういうやつ?どこの誰が主催しているのかわかりませんが・・・これはあかんやろ〜・・・と思いました。

神さまは人を見返すために力はかさないし、男を見る目も養わないし、事故も十分に自分が注意をする、ということで回避していくしかないでしょう。神さまは自分のために使うものではなくて、こうして生かしていただいていることへの感謝と自分自身で行っていくことを宣言する対象となる存在です。

自分が望むように自分を変えていきたいのなら、とにかく自分でやるという自力本願へとへシフトしていくしかありません。自分のために他人や神さまを使う(使うというのは、それにより自分を苦しめているパターンを満たすことを言っていて、専門家への相談とか、誰かの力を借りることなどはもちろんありです)のではなく、自分で自分を幸せにできるようにやっていくしかありません。

そうやって覚悟をして、腹を決めて、日々そこに向かい努力していくうちに、小さく、自分にだけしかわからないように、そっと、サポートをしていただくことが起きてきます。それは「その調子でいけばいいよ」といわれているような気がします。

そして、神聖な場所においては、畏敬の念を持ちそこに入ることが大切です。自分のパターンの望みをそこにもっていくことで、同じようなそこにいるものと共鳴しあうこともあります。そうなれば、今より大変ということも起きるでしょう。

だから、頑張ろう、自力本願。

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