ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自分のために
2018/08/01

昨日の日記の続きですが。

昨日は「誰かのことをよく思わない」ということを例えとして出しました。しかし、もちろんこれだけではないです。自分には価値がない、自分は誰からも愛されない、他人は信用できない、他人は自分を傷つける、自分は劣っている、自分は優れている、自分は被害者だ、自分にはできない・・・などなど、たくさんある黒パターン。黒パターンとは決めつけなので、それは強固です。

それを自分がそのままにしてしまう(選んでいる)ということで自分自身でそういう自分を創り、周りに起こることを創り、人生を創るということです。ほとんどの人が認知していない、自分の意識で全てが変わってくるということ、そこを知ることは特別なことではなくて、本来の姿に戻るということです。

黒パターンには必ずネガティブな感情や感覚がつきまとうので、どうしても、重さがある人になっていきます。それらは自然と心身に影響を与えるので、心身の調子が悪い、という事もおこります。

自分の心をそのように創造したのは自分なので、また創造し直すことも自分でできるはず。その変化をおこせるのは自分しかいません。どんなに有能なカウンセラーでも、ヒーラーでも、セラピストでも、相手のそこを根底から変えることはできません。その部分はその人が神から与えてもらった神聖なる部分です。誰もそこに踏み込むことはできないんです。

エネルギーを使っての癒しというものがあることはわかります。ただ、私はこれはひとつの「予告編」と捉えていて、それを体験することで、本人が自力でそこに向かうことを促すものだと思っています。

自分はどうなんだろう、黒パターンをそのままに言動していないだろうか、それを選ぶことに慣れてしまっていないだろうか、わかっていてもどうせ無理だろうし、面倒だし、とまたそこを選んでしまっていないだろうか。そこに気づければ、次は、どうありたいかというところです。あとはやるかやらないか。自分のために。

創造主
2018/07/31

自分が創造主であるなんて、ありえないと思っているかもしれません。

しかし、全員が創造主であって、自分自身を毎日、創造しています。そして、それにより自分の周りに起こること、ひいては自分の人生を創造しています。

例えば、誰かのことをよく思わない、それをそのままにしていること(それは言いかえれば選んでいると言えます)で、誰かのことをよく思わないという意思に沿った自分を、その意思の思い通りに自分で創ります。

それは、どんよりとしていて、風通しが悪く、重い自分です。そんな自分として他人にまたは家族に接するので、周りはその重さを感じ、離れていくか、言い争いになるのか、言い争うことはしなくてもお互いに相手を不快に思い続けるということが起こるかもしれません。そして、自分の人生がそういうもので日々できていることを感じ、私の人生ってこんなもんなんだ、とますますそこを大きくします。私は不幸だ、こんな私が幸せになれるはずがない、など、幸せに生きている人を恨んだり、腹立たしさをもったり、もしくは自分は負けていないことを相手にわからせようと闘いながら人生を生きるようになります。

このように、ちゃんと自分が選んだもので人は、人生は創られていくんです。毎日。

創造主として自分がどうなりたいのか、ありたいのか、どんな人生を送りたいのか、それを選ぶのは自分なんです。そして、まずは自分の心がどういう在り方をしているのか、からのスタートになるので(そこが反映されるから)心を整える(白パターンを選ぶことの継続)ことから始めなくてはなりません。いくら頭でもう、あの人のこともよく思えるようになろうとしてもそれは無理です。でも、このカラクリがわかれば、これをプラスに働くように使えばいいということになります。

今日も創造主として生きる。

生活の基盤
2018/07/30

私はお金に疎い。

しかし(いや、だからこそ)この頃「マネープランクリニック」https://allabout.co.jp/gm/latest/3512/ という記事を読んでいます。

これは個人のお金の相談にファイナンシャルプランナーが無料でコメントをしてくれるというものです。数人のファイナンシャルプランナーの方が登場しますが、私のお気に入りは深野康彦さんです。お金についての的確なアドバイスはもちろんのこと、お金だけではないところの意見なども時々入れられてどこか温かみを感じます。

ここでの相談は、貯金がゼロ、病気で働けない、借金がある、老後が心配、子供の教育費と家のローンが払えるか、年金では足りない分を貯金から切り崩していくといつまでもつか、などなどを20代から60代の方が相談をしています。中には40代独身男性「資産1億3000万リタイアにむけてリスク資産の配分は落とすべきでしょうか?」などというものもありました。

ひとつひとつの相談を読んでいくうちに、いろんな条件の、いろんな生き方を垣間見て、お金の大切さをとても感じます。お金だけが全てではありませんが、お金は生活の基盤です。お金があることで心には余裕が生まれます。ですから、しっかり働いて、計画的に使うこと、貯めていくことは必要です。

人生100年になってしまった現代、基盤になるお金とどうつきあっていくのか、これは私にとってもひとつの課題です。

自己を超えて
2018/07/29

しおれてしまっているゴッホのひまわりイチリンとの対面は続いています。

「あなたのことを教えてください」と「私」からはたらきかけます。そして、じっと相手をみる。そしてしばらくすると「私」がひまわりにとけこんでいくような感覚になります。すると、何かを教えてくれるときがあります。

今まで野菜やくだものにそのようにして教えてもらった彼らの秘密があります。うまくいったときも全くできないときもあります。それはそれでおもしろいけれども、そこの力を育てる訓練は特にしていないので、スキル的にはいまいちだと思う。

今回のゴッホのひまわりは、教えてもらったというよりは、気付きと反省でした。ひまわりは、どんな小さな生きものでも、それぞれに誕生から死までがあってそこにはそのものの一生があるということ。誕生から死まで運よくはたせるものもいればそうできなかったものもいる。そのことを知るようにということでした。

確かに、私は動物にはそのものの一生を感じるのですが、植物はどこか置物のような、アクセサリーのような扱いをしていると思います(だから植物には好かれていないの)ゴッホのひまわりは「このことを忘れないで」と言っているようでした。

このひまわりも生まれてフレッシュな時を過ごし、そのときには人々の心を魅了し、フレッシュさが抜けていくうちに粗雑に扱われ、今ここにいるのだと思うと、そのわずかな花生ですが、最期はここでまっとうさせてあげたいという気持ちになりました。

日に日に劣化しているひまわりですが、その奥にあるものは今でも私の心をとらえています。なんでこんなにひきつけられ、じっと見ていたいと思うんだろうと自分を洞察してみたら、このひまわりは自分について語るのではなくて、植物全体について、小さき命について語ってくれているからだと気付きました。

このひまわりは、自己を超えている大きな存在だから。だから私はひきよせられているのだと思いました。こんな体験は初めてでした。それは、私が自己を超えていくことを学ばなくてはいけないときに来ているんだということも思いました。誰かが会わせてくれた私の先生、ゴッホのひまわりイチリン。

流れを止めない
2018/07/28

この2日間は茅ヶ崎グループの夏合宿でした(合宿といっても茅ケ崎でなんですが)

今回は沖縄クラスからゲストの方が参加されて、いつもの茅ケ崎グループとはまた違う合宿となりました。いつも書いていますが、どこのグループでもやっていることは同じなので、ゲストがいらしても話が早くていいです。

いつもはいない方が参加されることで、その方のエネルギーがそのクラスにブレンドされて、そこには新なエネルギーが発生します。その新なエネルギーにより、新な発見、気付き、知恵などが生まれてくるのをいつも感じます。

私のほうも、一応、今回はこれをやろうと決めてきていますが、その新たなエネルギーに接しているうちに内容変更がちょくちょくおきています。決めたことをそのまま行うことよりも、その場でのそのときの流れにのっていくことを大事にしたいです。

・・・・というように、全ては流れているということが今回のキーワードでした。全ては流れ、変化しています。それが自然です。そこを恐怖と不安からせきとめてしまうから、本来の姿からはずれて、ものごとが停滞し、うまくいかなくなるという現象がおきています。

自分のパターンで自分の中に起きていることも、外側でおきていることも止めてしまわないことが大事です。その流れ自体をしりぞいて、見てみるという、大きな目でみられる自分になるということです。

ゴッホのひまわり
2018/07/27

きのうの日記の100円ショップの帰りに、よく行く花屋さんによりました。

夏と言えば「ひまわり」。それほど好きではない花ですが、買ってもいいかも・・・程度の気持ちでながめていました。

ひまわりが立ち並ぶ奥のほうに「ゴッホのひまわり」と書かれて数本のひまわりがありました。確かに、ゴッホが描いていたと同じようなひまわりです(後から調べてみたら八重のひまわりの一種をゴッホのひまわりと呼んでいるようです。ちなみに八重のひまわりには他にモネのひまわり、マティスのひまわりもあるのだそうです。画家の心をつかむ八重のひまわりたち)

ゴッホのひまわりは、少々くたびれていて、フレッシュさが抜けていました。もしかしたらもう商品価値はない状態でそろそろ処分なのかも。だから奥のほうにひっそりと置かれていたのかも(翌日も見にいったらなかった)見た目はそうなんですが、そのゴッホのひまわりには他のフレッシュなひまわりにはない奥深いものがありました。それが何なのかわからなかったのですが、それを知りたくて買って帰りました。花瓶に入れてながめ、そして、それが何なのかを聴いています。

そう言えば、こんなふうにイチリンの花と接したことは初めてだと思います。花であって花ではない感じがするこのひまわりは、何か大事なことを教えてくれそうな気がしています。まだそれが何なのかはわかりませんが、じっくりと向き合っていきたいと思います。

100円ショップで
2018/07/26

先日、近所の100円ショップに行ったときのこと。

狭いその店では通路で人と人とがぶつかりそうになります。

私がその狭い通路を直進していると向かいから若い男性が歩いてきました。20代とおぼしきその人は頭がくりくり坊主で、なんか可愛らしい。ジーンズにTシャツで手にはビニール袋を持っています。

私とその人との距離が縮まったときに、ふっと、その人がわきにそれて道を譲ってくれました。私が「ありがとうございます」と言うとその人は無言で軽く会釈をしました。

それを見たときにこの人はお坊さんだなと思いました。その人のきれいな身のこなしや、透明な心が手にとるように感じられました。その人の前を通りすぎたときにうっすらとお香の香りがしました。

≪やっぱりお坊さんだ≫

この一連のできごとのほんのわずかな時間に私は一瞬にして違うところにいることがわかりました。もちろん肉体はこの店にいますが、心は、肉体と同じ領域ではなくて、このお坊さんの心のいる領域のところにいました。・・という事は、その瞬間までは私の心は肉体的な領域にいたということです。この数年、自分の個人的な課題として、肉体の領域ではないところに常に心をおいておくことを練習していますが、こうして意識的でないとまだまだ抜けるんです。そのことを確認させてもらいました。

買い物をすませ、その店を出て、暑い中を歩きながら、そういうことなんだよなあ、と思いました。一瞬にして他人をある領域にまで連れていく(本人は全く無意識なんだけど)人たちというのがいるんです。本当にとってもとっても稀ですがいます。あのお坊さんはそういう人のひとり。そういう人たちに共通しているものは、透明感です。透明な心、無我、無心というものはこんなふうに他人に影響を与えるんだということを再確認できたできごとでした。

今日も続く
2018/07/25

今日も続く「誰に対しても愛をもてるように」

この言葉から受け取れる神聖さ、崇高さは、そういう自分になりたいと思っている方にとって心惹かれるものだと思います。

この言葉を白パターンとしても使えるとなると、なんか、これを選ばないといけないんじゃないかと思うかもしれません・・・・が・・・・これを選ばないといけないことは全くありません。

すごく腹が立った相手に対しての語りかけを作り、それから白パターンは何だろうと考えたときに「誰に対しても愛をもてるように」はあまりに飛躍しすぎています。現実的じゃない。

そして、よーーーく感じてみたら、そんなの無理と感じているかも。こういう場合はそんなの無理が今の自分の状態です。ここで無理して「誰に対しても愛をもてるように」を選んだとするとそれはとても苦しいものとなるし、自分を偽り続けることになります。

白パターンを選ぶときにも自分の今を把握する感性が必要になります。ここで、無理をしてもそれを抑えて、愛するんだ、と気張ることは全くないんです。いつかいくであろう「誰に対しても愛をもてるように」に向かっていかれる無理のない今の自分に合う白パターンを考えます。

それは、もしかしたら「今は、腹が立つ〇〇さんから離れよう」もあるかもしれないし「〇〇さんが私を嫌な気分にさせるときめつけなくてもいいのかもしれない」もあるかもしれません。「〇〇さんと話し合ってみよう」という白パターンを使うときもままあります。話合える相手ではないときには「〇〇さんを自分の成長のために使わせてもらおう」もあるかもしれません。

これら全部、ゆくゆくは「誰に対しても愛をもてるように」につながっていきます。ですから今すぐにこれを選べない自分はだめだ、成長していない(・・・というパターンがあるんです)ではなくて、そこへ向かって行くんだ、と思ってください。

楽で自由
2018/07/24

「誰に対しても愛をもてるように」

なあんて、素敵なこと言っちゃってるけど、でも、嫌いな人や苦手な人やどうしても合わない人とかいるでしょう?

います・・・嫌いな人、苦手な人、合わない人・・・います。

でも、それは「私」ではなくて私の中のパターンがひっかかっていることです。パターンはひっかかったらひっかかったでいいわけです。パターンにはパターンの言い分があるし。「私」じゃないし。

でも、だからそれは無視するというのではないです。自分の中にいるので自分の責任として引き受けられます。そして、引き受けるということは相手のせいではないということです。ケアできればいいんです。

そして白パターンで何を選ぶのかというところでこの「誰に対しても愛をもてるように」「誰に対しても愛を持ちたい」「誰に対しても深い理解をしたい」などなどを考える。そして選択し、その心で接します。

選択するということは、他(パターン)を捨てることではなくて、そうではないものを持ちつつ、その時に必要なより良いものを選択するということです。ひとつを選ぶということは他を捨てると思っているかもしれませんが(そうだとそこには白だけじゃないといけないと思います)そうではないんです。混沌としたところから光を選ぶ。腐ったリンゴの中からフレッシュなリンゴを選ぶ(←どなたかの本に書いてあった)ここに人としての醍醐味があるんだと私は感じています。

要は、全部ひっくるめて生きられればいいだけ。そしてそれができるのは「私」だけ。「私」が全てをコントロールできればいいだけ。「私」として生きることは、だから楽で自由なんです。

自分をスキップしない
2018/07/23

「誰に対しても愛をもてるように」とマスターたちは言います。

これについて、私は、そう在りたいと思うし、その能力を自分で育てて大きくしていくことに努力をすることを選択し続けています。

精神性、霊性の成長・進化と一言で言っても、その中で何を求め、何を育てたいのかは人それぞれです。私は、ひたすら「誰に対しても愛をもてるように」というところだけです(従って、魂の道場の基盤はここにあります。誰に対しても愛を、というのは、まず自分に対して行われます。自分にできないことは他人にはできないからです)

誰に対しても愛をもてるように、は、誰に対しても優しく微笑むとか、守ってあげるとか、相手の言うとおりにしてあげるということではありません。時々書いているように、愛は深い理解です。深い理解は許しになります。そして、その瞬間相手を愛することになります。それは自然に行われ、自然に相手に届き、そこで化学反応をおこすようです。

こうしてみると「誰に対しても愛をもてるように」は、決して難しいことではなく可能なことです。

私の場合、ここへの深い理解はネガティブなものが橋渡しをしてくれます。例えば、相手が持っているパターンの苦しみや悲しさや不安、恐怖などネガティブなものを感じ取ったときに(それは自分の中にも存在しているものだから)その痛さを感じます。その痛さを持って生きていくことの大変さを理解し、その時点で自分と他との隔たりがなくなる感じがします。ただただ、同じ人として、その痛みは共有され、でも、それを自分だと思わない在り方を伝えたいと思います。

それが無心で行われれば行われるほどその人をいかす化学反応がおこります。その化学反応は私と相手の方によって起きているというよりも何かの力が介在しているような気がします。

誰に対しても愛をもてるようでありたいと思うのなら、まず、自分への深い理解、許し=愛を持つ努力を選択し続けるということになります。自分をスキップしないようにしてください。

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