ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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お天道様は・・・
2018/11/30

子どもの頃、祖母はよく「お天道様はいつも見ているのよ」と言っていました。

これは、だから他人にばれなければ何をやってもいい、というのは違うんだよ、ということを教えてくれていたのだと思います。このときには、まだ子どもだったのでそうなんだ、全部を見ているお天道様は怖いと思っていました。

しかし、年を重ねるうちに、そのことは忘れ、パターンで生きること何十年。それによる苦しい結果をうけとり何十年。そして、そこから自分を再構築していくことを続け、今、私の中ではお天道様(天、神)は違う意味をもって存在しています。

天は私の全てを知っている。私の弱さ、ずるさ、私の過去、私が今考えていること、思っていること、行った言動、これから行おうとしていること、全て。そして、全てを知っていてくれるから、私は自分に恥じないことを選ぶ。

それはそうではないものを選ぶと天が怒って天罰を下すからではなくて、私の全てを知っているのに、それを許してくれているから。だから、そんな天に恥じないことを選びたいと思う。そして、そうあることで天への感謝と信頼と安心が生まれる。人と天とはそういう関係だったのかと近頃思います。今そう思っているので、これからそれはまた変わるのかもしれませんが、きっともっとよい関係になっていくのだと思っています。

天の無条件の愛ほどパワーのあるものはありません。天は己のそういう在り方を見せてくれて、体験させてくれています。誰にも平等に。少しでもその在り方を身につけていかれるように、やるべきことを続けていきます。

まずは自分自身に無条件の愛を与えられるように。今のありのままの自分に天のような愛を与えてあげよう(語りかけはそういうことをやっているんだ、と再度感じてみてください)天につながる道はそこからはじまります。

何よりの励み
2018/11/29

・・・・・・「人間はみんなが、美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の者もいる。メソメソした心の持ち主もいる…けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら、一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。」・・・・・これは作家、遠藤周作さんの言葉です。

この言葉を見たときに、そのとおりだと思いました。ここでは男性に向けて言われているようですが、これは男女関係なくです。

人間はだれしもが、弱い存在です。なぜ弱いのかというと機能不全だからです。本来機能しているものが機能していないので、どうしても弱くなってしまいます。そして、その弱さを隠すように、何かで自分を武装したり、ずるくなったり、うそでごまかしたり、見栄をはったり、自分を見ないでいこうとします。全て弱さゆえのことです(弱いとすぐに傷ついてしまうから、傷つかないようにこれらを色々と使う)これはある意味しかたがないことです。

それでも、そんな弱い自分が、奮起して、一生懸命自分を育てよう(機能していく自分を取り戻そう)と努力し、果敢に挑戦していく在り方、そのプロセスにこそ、人としての価値があるのだと私は思います。その結果、こんなに強くなりました、ということは確かにありがたいことですが、人の価値、ということを考えたときには弱い自分がそんな自分をつれて、少しでも自分を成長させていこうということだと思います。

それは他人にはあまり見えないことかもしれません。でも、自分にとってはどうですか?私は一生懸命に生きている、自分に恥じない生き方をしている、そんな自分が誇らしい、そんな自分をいとおしく思える。そうやって自分自身を思えることのほうが、他人から称賛をあびることよりも私は価値のあることだと思うんです。

他人にその頑張りが認められないと面白くないでしょうか。他人は派手なことしか目につかないので、この地道な作業はなかなかわかってはくれません。でも、天は、ちゃんと見ていてくれています。最も自分の全てを知っていて、一切そこにジャッジをくださないものがちゃんと見ていてくれている、ということは何よりの励みになるのでは?と思います。

Love Queen U
2018/11/28

きのう、また「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。

2回目となると、あらすじがわかっているので、ああ、この表情ってこういうことか、など、細かいところがわかるのがおもしろい。そして、メイキングを通して、キャスト、スタッフの苦労や努力をちょっと垣間見たので、本当に大変だったろうと思いました。

でも、そういうものも最後の「LIVE AID」のシーンではぶっとび、きのうも楽しみました。前回ほど人もいなかったので、歌いながら〜楽しかった〜。

で、先日教えていただいたのですが「胸アツ応援上映」というのがあるのだそうです。拍手OK、声援OK、一緒に歌うOKなんだって!知らなかった。隣町の映画館でやっているようなので、都合があえば行ってみたい。ライブ感を味わうという感じでしょうか。

しかし、私、再びクイーンにはまるなんて。18歳の自分に戻ったような感じです。初めてロック好きの友人からクイーンを教えてもらったのは多分高校生のころ。その彼女と一緒に初めて「ボヘミアン・ラプソディ」を彼女の部屋で聞いたときのことも思い出しました。きっと彼女も今回の映画をどこかで見ているだろうなあと思いました。

当時、クイーンのコンサートに行ったことはありませんでした。しかし、そのころバイトをしていた放送局に彼らが来たことがあり、洋楽班の先輩にお願いしてスタジオ録りを見せてもらったことがあります。その頃の私にとってクイーンといえばドラマーのロジャー・テイラーで、彼の金色のふわふわしたロングヘア―のことしか覚えていません。フレディ・マーキュリーも、他のメンバーのことも見ていたはずなのに。いや、もしかしたらフレディはいなかったのだろうか、はたまた見ていても、見ていなかったのか。おぼろげです。今思うとなんてことを・・・・と思いますが、当時は「ロジャーすてき」というぐらいだったのでしょう。

そんな思い出にひたりながら、次はいつ行こうかなあと思っています。自分の持つ、この個性を満たしてあげたい。で、気付いたのですが、この映画を見る前はここのところメンデルスゾーンの「甘い思い出」というピアノ曲にひたる毎日でした。クラシックのこの曲の繊細で、はかなげなメロディーラインに溶け込むようにいることを欲する自分の個性もある。そして今はそれとは反対にあるようなロックです。

自分を構成している個性というもの。それらのひとつひとつを満足させてあげたい。そこで得られる快感も全く違うものなので、一人の人間の中にあるその複雑さこそが誰にとっても豊かさなんだろうと思います。

新たな在り方
2018/11/27

きのうは今年最後の茅ヶ崎グループでした。

茅ヶ崎グループは5人です。少人数なので、その分、密接にやってきた1年でした。今年もそれぞれの課題に向かってひとりひとりが努力しました。今回のクラスで、この1年の自分の成長を感じ取っていただけたらと思います。

さて、ワークについてですが。どうしても、その結果、変化というものがほしくなります。これは誰でもそうだし、一般的には、これをやればこれが得られる、これが変えられるということが約束されているからそれをやるということが通常です。

しかし、ここでのそれはそうではないものです。こうなるであろう、きっと変化が起こるだろう、きっと違う何かを手に入れられるはず、という心で行うことがそもそも違っていて、それを思わずに(望まずに)ワークを行なうというところにおいてのみ、正しく結果がやってくるというものです。

これがなかなか、わかりずらかったり、それに抵抗を示すということがおこります。今までのやり方とは違うそれ。ここは、ひとつ、今まで自分が知らなかった新なやり方として、その心でワークを行ってほしいと思います。(予想している)結果に目を向けるのではなく、もしくは、変化を探すことでもなく、ひとつひとつのワークそのものに目をむけます。そして、それが今日もできることへの感謝と自分への信頼を感じられるようになるといいです。

一体いつまでやらなくては楽になれないのだろう、ではなく、今日もできることへの感謝とそれができる自分を信頼するということ。こちらへ目をむけてください。ワークそのものだけを見ていくことはそして、それを行うことは今にある、という体験をしていることにもなります。この新な在り方もいつか自分の一部になります。

Love Queen
2018/11/26

昨日は映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきました。

伝説のロックバンド「クイーン」の伝記ム―ビー。10代の終わりから20代のころ、リアルタイムでクイーンの曲を聞いてきて、それはずっと好きな曲として残っていましたが、今回この映画で、久しぶりに私の中の眠っていたクイーン熱がさく裂でした。

クイーンのバンド結成の話から、グループが成長していく姿、「ボヘミアン・ラプソディ」がどんなふうにして創られたのか、リードボーカルのフレディ・マーキュリー個人の話は一切知らなかったので、今さらながらそうだったのかあ・・・と。

映画の中で流れるクイーンの名曲の数々。よかったです。私の中で今年1番の映画でした。もう1度、いや、2度見たいところです。

クイーンが好きな人が見に来ているからか、ほぼ満席の映画館には一体感があり、熱気がありました。年代も同じくらいから上の方が多かったです。この映画で若いファンも増えるかもしれません。最後のシーンの「LIVE AID」でのコンサートの場面ではきっとみんな一緒に歌いたかったと思いました(私は小声で歌いましたよーー)

後ろの席に多分80代とおぼしきご夫婦がいらしていて、曲が流れるたびに「いい曲だわねえ」「頑張ってえらいわねえ」「苦労したのねえ」と話していました。このご夫婦もファンなのでしょう。

名曲中の名曲「We Are The Champions」では≪私もしっかり生きよう!≫と思いました・・・というくらい、映画の中のクイーンのメンバーは俳優さんたちが演じていますが、クイーンとしてしか見えませんでした。映画のメイキングを見ると「死に物狂いで楽器の習得をし、とにかくクイーンになろうと努力した」と語っていました。実在の人物になるということは大変だったろうと思います。そこも見どころ。

エイズになったフレディが自分の病気のことをメンバーに話すシーンがあります。メンバーは涙し、困惑するのですがフレディは「己がどうあるのかは己で決める」と言います。病気になってしまって、多分先も長くないかもしれない自分をどういう自分としていくのかは自分で決めるということをメンバーに伝えます。自分を決めるのは自分で、状況ではない、ということがはっきりとうかびあがっていました。

この言葉を聞いたときだけは一瞬「魂の道場」マインドになりましたがそれ以外はクイーンファンとして楽しみました。クイーンファンの方はもちろん、そうではない方も、コンサートのライブ感が楽しめて、力をもらえると思います。

絶対はない
2018/11/25

自分と他人の関係において、ひっかかりbPは、自分と他人が違う(自分の思い通りに他人がならない)ことを受けいれられないということでしょう。この自分と他人は違うということを本当に受け入れたとき、今までびったりと自分とくっついていた他人は離れていくことになるので、そこには自由と解放がおこります。

そこで、考え方として、自分と他人は違っていい、というのがあります。自分とは違う人達がいてこの社会は出来上がっている、皆が自分と同じであったらこんなに豊かな世界にはならない、と考えてみるということがあります。これはこれでひとつの考えとしていいと思います。

そして、次にそれを腑に落としてその事実を受け入れていくというところにうつるわけですが(気づきだけでは変わらないので)そこを助けてくれるものとして、絶対なものはないということを知っていくこともいいと思います。自分と他人が違うことを受け入れられないのはまだ絶対なるもの(絶対なる自分、絶対なる正しさ、絶対なる考え方、哲学など)があるとどこかで思っているからとも言えます。

絶対なるものはない、ということが日々の生活やワークなどを通して理解し、腑に落ちたとき、この段階を超えていくことになります。

話はそれますが、カウンセラーやセラピストで、自分と自分のやり方だけが正しいもので、他は危険、正しくない、と言う方がいます(もちろん、それも限度はあるのでそこは常識で判断ですが)これはまだ絶対というものがその人をしめているのだと思います。これは、どの状態にその人がいるのかを知るひとつの目安にはなります。

絶対はない、ということを垣間見て、その体験を少しずつして、本当に、現実としてそうなんだということがわかると、絶対なる自分もやめるし、絶対なるものも追わなくなります。そういうことを追い求めるよりも、もしかしたら、絶対がないからこそ自分で自分用に自分の世界を創っていいんだ、というところにシフトしていくからです。今までは誰かが創ってきたものを足掛かりにしてきたけれど、絶対から離れて自分はもう、自分で創れると自然に思えるようになります。それがオリジナルということになるんですね。

自分と他人は違うということを思うとき、この絶対はない、ということも一緒に考えてみるといいかもしれません。又、絶対はないということがわかったときに人は本当に謙虚になれるのだとも思います。

自分ありき
2018/11/24

先日TVで「ブリトニートーキョー」さんというネイリストを見ました(ご本人はご自分のことをネイルアーティストと言っています)30代(たぶん)のアメリカ在住の方で、彼女の作品がインスタグラムでいろんな人の目にとまり、今は、多くの人から依頼がきている(有名アーティストから)・・・ということで、そんな彼女に密着取材という番組でした。

派手で、元気で、考える前に行動していて、13年あちらに住んでいるのに英語ができない(「This?」と「ok」だけで仕事すると番組的には言ってましたが)それでも、ばんばん仕事して、怖いもの知らず、というイメージを打ち出していましたが、私はそういうことよりも、多分、ご本人は自分をすごく知っている人なのだろうと思いました。

それは依頼者の求めているものがわかるというところにあらわれています。それも、時間をかけて相手を知るということではなく、その場、そのときに相手が求めているものを察知する直感力が強いと感じました(だからこそ、英語が苦手でも仕事として確立しているのかも)これは自分への直感もはたらいているということです。

ネイリストという、枠に自分を合わせていくのではなく、まず、自分ありきで自分の個性や自分の在りたい姿とか、生き方にあったように、仕事をしていったら、今のネイルアーティストだったという感じです。爪をキャンバスにして描く、キャンバスをはみだして描く、そこに欲しいものは何でも貼り付けてみる、爪ではものたりなくて、ニューヨークで個展もひらく、とやりたいことを次々とやっているというところがいいです。

彼女の作品や彼女そのものに抵抗を感じる方もいると思いますが、私は、自分ありきで生きている人たちが好きです。自分ありきであるためには自分を知るということが必要です。そのためには自分をよく見ること、感じることが大事です。きっと、ブリトニートーキョーさんはそれに正直に生きてきたのだと思います。

誰しもがそうありたいと思いながらもそうできないのは、他人や常識が自分の主になっていってしまうからです。そして、そういう人を社会では求めます。それができる人が社会人としても、大人としてもきちんとしている人と言われます。しかし、そうではないところで生きる人たちもいる。自分を知るということはこういうところにもつながっていく。

ブリトニートーキョーさんにはますますご自分の世界を表現するその仕事を楽しんでいただき、他の人達にもそのエッセンスを伝えていっていただきたいと思いました。

再び横浜
2018/11/23

きのうは、用事で横浜へ行きました。

・・・・横浜・・・・前回行ったときにみごとに意識の領域をダウンさせ、あわわ、とほほ状態&反省をした横浜です。

今回は、意識的に「私」で行こうと決意して改札を出ました。相変わらずの人人人人人・・・前後左右からどんどん人が来ます。私は「私」「私」「私」・・・と「私」だけを見て歩きました。イメージとしては「私」の部分に錨をおろしているような感じです。そんな錨をおろした自分が1歩1歩、歩いていくんです。

スムーズに用事を終えて、ランチを食べながら、今日は前回とは全然違うと思いました。こういうことなんですね。その後、再び人人人人人の中を横浜駅へ向かいましたが、途中で、ずっと欲しいと思っていたものを買うこともできました(あんなに前回、探していたのにそのときには見つけられず・・でした)

そして、茅ヶ崎へ帰ってきて、今日はたくさん用事をこなしたにも関わらず、時間が思いのほか経っていなかったこと、それほど疲れてもいなかったことが、ますます、こういうことなんだと思いました。早く、早く、もっともっと、こうなったらどうしよう、あれもこれも、というパターンで動くことで、時間もエネルギーも使ってしまい、結果、うまくいかなかったり、とても疲れたりします。やはり「私」だけを見て、意識をそこに集めていくことはとても効率が良いという事も思いました。

「いちいち「私」を意識しないといけないの?ワークをしていたらいつも普通にそこにいられるんじゃないの?」と思うかもしれません。私も昔はそう思っていました。しかし、そうではないです。そのレベルにいくまでは、意識して「私」の感覚を感じ、選ぶことを繰り返します。そして、いつの日か、いつも普通にそこにいる、ということができているようになります。

そこに行くまでの間は、上がったり落ちたり、戻ったり進んだりしながら、進みます。そして少しずつ「私」でいるときの時間が増えていくという感じです。一気にはいかないです。この期間でひとつの自分の成長の目安となるのが、いいあんばいでいっているか、というものです。何かそれがどこかで感じられたときには、それは「私」としての結果なので、確認していくことができるとモチベーションになると思います。確認は特に心においては大事です。おだやかな瞬間を感じる、やすらぎを感じていることに気づく、幸感がある、安心感がある、とかとか。

皆さんも、ぜひ、やってみてください。これは動きながら瞑想しているようなものでもあります。

今年最後の沖縄クラス
2018/11/22

沖縄はお天気に恵まれ、久しぶりに暑さを感じた毎日でした。

天気予報では曇り、時々雨のような予報だったので、それほど暑くはないだろうと思っていたのですが、太陽が顔を出すと、さすが、沖縄、暑かったです。

さて、今回の沖縄クラスには茅ヶ崎からゲストが2人参加されて、にぎやかなセミナーとなりました。誰かの発言や体験が誰かに気づきを与え、考えるきっかけを与え、一緒に学ぶことでよい循環が起こるのを感じました。普段会わない人と交わることで、思いもしなかったことが起こり、そこからお互いに学ぶことは、天の計らいのようにさえも思えます。

そんな中、沖縄クラスにカウンセラー試験に合格された方がいらっしゃいました。前田ゆかりさんです。年々難しくなる試験に、何度も挑戦し、今回みごとに合格をされました。多分、途中で心が折れそうになったり、自分には無理と思ったりしたときもあったのではないかと思いますが、そういうときにも、きっと、白パターンを選んで挑戦し続けたのだと思います。よく頑張られたと思います。

試験に打ち勝つために自分が何を選んで自分の心を整えていくのか、という事自体に意味があります。そして、それが試験にあらわれるのだと思います。

で、この頃気付いたのですが、試験がその人のものになっているときには、私はその人の言葉に引き込まれ、納得させられているのを感じます。そこには感動があり、その力強さに驚きがあります。そういう体験ができることも試験のありがたさです。

こうして、今年最後の沖縄クラスは終わりました。振り返ってみれば、個人としてもクラスとしても色々とあった1年でした。私も無事に1年お休みすることなく通えたことに感謝です。そして、この1年、皆さんが頑張ったことに感謝です。それぞれが何か手ごたえを感じられたクラスであったらよかったと思います。

ぜひ、そもそもを
2018/11/16

昨日「そもそも」を書きましたが、私も昔はかなり頑張って、闘って、黒パターンで生きていました。

仕事は人一倍やる、そのころやっていたバレエもレッスンを休まない、トミーと結婚したころで家事も完璧にやりたい・・・ととにかく頑張っていたんです。だって実際、それらをこなしている人はいるので、自分もそうでなくてはいけないと思っていましたし、そう頑張っている自分なら自分でOKをだせました。OKを出せる自分なら他人にも負けていないと思えました。

それこそ、こんなにまじめに頑張っている自分、と思っていました。それなのに、いつもある辟易とした気持ち。不安。それを払拭するためにもっと頑張ろうと思っていました。

そんななので疲れていてもよくわからず、腰の痛みが続いていたある日、急に歩けなくなりました。椎間板ヘルニアでした。37歳で椎間板ヘルニアになるなんて。そんな身体の弱い私の人生は終わったと思いました。頑張りたくても身体が言うことをきかずとにかく頑張れなかった。でも、今思えば、これがよかったんです。強制的に休まされて、初めて自分のことを考えました。ここから自分の人生は、今のこの、いいあんばいの人生に向かって動き出していくことになります。

決して人生終わりではありませんでした。

誰の人生にもこのようなことがあると思います。病気やケガ、事故、または、思いもしないようなできごとや、家族のこともあるかもしれません。お金、仕事の苦しさ、人間関係の不和。個人的な傷。それは自分にショックを与え、もう、自分には明るい未来はないと思うかもしれません。人である以上それを一切感じないということはありません。しかし、十分に感じたあとに、自分に立ちかえり、今まで自分が体験してきたことが自分の中のどんな部分(パターン)から起こってきていたことだったのかを観察してみてください。冷静に観察してみると、それを動機にしていたら≪まあ、そうなるわなぁ≫ということがわかると思います。

私の場合は「人生とはつらく苦しいもの、だからそれに耐えて生きること」というパターンがとても大きかったです。なぜならば母もそうやって生きていたから。

しかし、それを選べば(自分では選んでいる意識もないんだけど)そのとおりの人生になります。それを教えてくれたのが「私」がセッティングした椎間板ヘルニアだったということです。だったらもうそれを使わないという選択もできます。

誰の人生にもムダなものはなく、自分で自分の人生を創りなおしていくことに目を向けることもできます。迷ったらぜひ「そもそも」を思い出してください。

今日はこれから沖縄です。ちょっと寒くなりはじめた関東をぬけて、また少し暖かさを感じてきます。皆さまもどうぞお元気でお過ごしください。

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