ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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それは笑顔だ
2017/06/11

TVで海洋冒険家の白石康次郎氏を初めて見ました。

史上最年少での単独無寄港世界一周、過酷なヨットレースで日本人初の成績をおさめる、などなどまさに海洋冒険家として世界中の海をわたってきた方でした。また、ライフワークとして子供たちへ生きていくうえでの大切なことを体験を通して教えていくこともやられています。

日焼けしたとても精悍な感じがありながら、とても都会的な洗練された感じもある方でした(バランスがいいんだと思う)その白石氏の言った言葉が印象に残ります。

「アクシデントのときにベストな選択をするためには、ベストな選択ができる心でいつもいること、それは笑顔だ」これは、すごいですね。いつも笑顔でいられるように諸条件がそろっていれば・・と考えるところを、どんなことがおきようが、笑顔でいることでベストなことを選択できるとおっしゃていました。これは白石氏が過酷な体験を通して確信し、ご自分の指針にしたものだそうです。

そして、「自分の機嫌は自分でとる」のだそうです。誰かに楽しませてもらう、守ってもらう、快適さを与えてもらう、癒してもらうのではなく、機嫌が悪い自分の機嫌は自分でとるのだそうです。単独でいるということは、こういうことに秀でていないとやりきれませんね。まさに自分の責任は自分でとるということを見せてくれています。

「航海に出るたびに死も覚悟している」ということも話されていました。奥様も、そのことは覚悟しているからこそ白石氏と結婚できたのだそうです。死も覚悟できるくらい、海は、冒険家としての存在は、白石氏にとって特別なものなんだろうと思いました。覚悟をしている人はすがすがしいです。それは、死を覚悟することで、生を大事にできるからです。そして、そんな在り方は見ている人に勇気や夢を与えます。とても魅力的な方でした。

誰かのために、のために。
2017/06/10

まずは自分。自分の全てを愛せる(理解、許す)ようになろう…というところから「魂の道場」での学びは始まります。

…で…、この自分の全てを愛せるようになっていくために、行われていること、ワークや熟考や表現することや心身で感じること、イメージすること、自分の哲学を作ること、他人の話を聴くこと、対話すること、などなどいろんなことをバランスよく継続的に行ううちに、自分の全てを愛していこうとする意思がそれぞれの中に芽生えてきます。

この種は全員がもっているものなので、発芽させてあげればいいんですね。

そして、そこをますます自分で大きくしていくことで、自分の全てを愛せるようにだんだんとなっていきます。

そうなると「よかった、よかった、よく自分頑張った……。楽になってよかった」となり、ゴールのように感じられるかもしれませんが、実はそのあとに、それを誰かのために使うことでそれは本来の在り方になります。

ですから、本当は、誰かのために、のために、まず自分なんです。自分のためだけに生きるということは、この宇宙の在り方とは離れてしまいます。単独で生きているものはいないでしょう?全てがかかわりあい、補いあって生きています。

人が誰かのためにそれを使うというのは、誰かを愛せるようになることです。それは愛情ではなく、理解と許しによる普遍的な愛です。自分にそれを与えたように、誰かにもそれを与えたいと思うようになります。それは家族だから、とか、好きな人だから、というところではなく、嫌いだから、苦手だからとパターンが言っている人に対しても、あえて、そうしたいと思うようになります。

自分の全てを愛せるようになるということはそういうことなんだと思います。そして、正しき評価とは、自分の能力をどれだけ他の人たちのために使えたかというところなんだとも思います。

自分を生きている
2017/06/06

この頃、お会いしている方々から「自分を生きている気がする」という言葉を聞くことがあります。

この「自分を生きている」と聞くと、自分の好きなことをして、思い通りの毎日を送っている、生き生きと、わくわくと、とイメージするかもしれませんが、そうではないんです。

ここで言われている「自分を生きている気がする」というのは今まで自分ではないものとして生きてきた、自分であると思ってきたけれども実はそれは自分を生きていたのではなかった、という類のものです。

そこは人それぞれですが、共通して感じられるのは、ちゃんと認めた、とか、腹を決めた、とか、明らかになった、とか、ごまかさなくなった、とか、です。そこには、驚きとショックと戸惑いや混乱もあるかもしれません。しかし、それは何かその人の底力を感じるものです(それらを感じても大丈夫になっているから)

この体験はとても貴重なものです。この状態は、自分を受け入れていく準備ができていて、それはまさに自分を生きるというところに向かっています。こうして自分を生きるという新な生き方を自分に与えていくと、だんだんと他人の目や評価や比較というところからも自然と離れていきます。そして、きっと感じられると思います。自分を生きていると感じられることの喜びや、安堵を。

不思議でしょう?実際起きている感情は驚きやショックや戸惑いや混乱なのに。その奥に喜びや安堵があるって。

ですからネガティブな状態を嫌ってはいけないんです。そこに向き合うことでその奥にあるものとも対面していくことになります。それこそ人の底力です。

今日はこれから盛岡に行ってきます。ちょっと気分転換も兼ねて…って…もちろん、しっかりセミナーはやります。岩手に行きたがっていた父も一緒かも〜〜よろしくお願いします。

嘘をついてはいけない U
2017/06/05

そうか、自分に嘘をつかないことが大事なのか、ということですが。

ここで思うのは、じゃあ、仕事が嫌だ、という自分の気持ちに嘘をつかずに仕事をやめる、ということなんだろうか?ということです。これは色々あると思う。一緒にいたくない→離婚する。あの人が嫌い→無視する。どうせ自分はうまくいかない→だから何もしなくていい、とかとか。それが自分に嘘をつかないことと思われがちですが、そういうことではありません。

自分の今、心の中に起きていることに嘘をつかない(感情や感覚をないものとしない、思考で対処したり、抑圧しない)そして、本当の自分は、今すぐにできなくても、どうしたいのか、どうありたいのか、ということに嘘をつかないということです。

さきほどの仕事が嫌だ、一緒にいたくない、あの人が嫌い、どうせうまくいかない、は、本当の「私」が望んでいる状態ではなく、パターンが決めているものです。パターンはこの状態がとにかくなくなればいいと思っているので、だったら、仕事やめる、離婚する、無視する、何もしなくていい、という現実をすぐに選ぼうとします。それによって一時的に楽になれればそれでいいというのがパターンの考え方です。しかし、それでいいのか…本当の自分は本当にそれでいいのか?というところに向き合わなくてはなりません。

一時的なものは、あくまでのそのときだけであり、また同じことが繰り返されたり、より、そのパターンを大きくすることで、その結果を受け取らなくてはならなくなります。それは「私」が望む方法なのか?ということです。

よーーーーく自分の中を感じてみると、願わくば今の仕事場で、仕事に没頭できるような自分でありたい、一緒にいたいと思える夫婦になりたい、嫌いなあの人のことも理解できるような自分になりたい、自分もできたという体験をしたい、が、本当の自分が望む自分の状態なのではないかと思います。ここに嘘をつかないで、ということです。

ほとんどの方が本当の自分が望むことを感じられています。これは、思考でわかっているのではなく、感じられています。それを自分に嘘をついてあきらめてしまっています。こう考えると嘘をつかないということは夢を持ち続けるということでもあるんですね。

嘘をついてはいけない
2017/06/04

嘘をついてはいけない・・と言われます。

こういわれると、まず思うのは、他人に対して…と思うと思います。誰に対しても嘘のない自分としていようと思います。

それも大事なことです。しかし、もっと大事なことは自分に嘘をつかないということです。本当は、これはしたくない、これは違うと思う、これは苦しい、これは不自然、これは私が持つには重すぎ、などなど、本当は感じられていることに対して、でも、とか、だけど、とか、仕方ない、とか、大したことない、とか、嘘をついて自分を納得させてしまわないようにしようという事です。

自分に嘘をついてしまうというのはよく観察するとパターンがやっていることです。本当の「私」はそれではないと言います。そこには、本当はどうありたいのか、という「私」の純粋で、正直で、澱みのない意思があります。それを感じられるから、本当はどうありたいのかがわかるんです。

自分に誠実であることが大事です。…続く

陰陽マーク
2017/06/03

陰陽マークを思い出してみてください。

完全なる円の中に同じ分量の白と黒があります。しかも、白と黒が半円であるのではなく、お互いに流れ込むような形でひとつの円を構成しています。お互いに補いあっているようにも見えますね。

又、白も黒もその多い部分から、だんだん少ない部分へと変化しています。2極はただ、こっちとあっちという具合にあるのではなく、グラデーションになっているんです。真っ白から少しずつその中に黒を含んでいくグラデーションです。黒も同じです。

白と黒を包み込むようにして円の外線があります。この外線が「私」です。「私」が心の中に黒パターンと白パターンを包み込むようにして完全なる円をえがいています。「私」にはこのおさめる力があるんです。

そして、よくみてみると白の中に黒い丸があります。黒の中には白い丸があります。ただの真っ白、ただの真っ黒でもないんですね。白の中の黒は注意を促し、黒の中の白は希望をみいだしているのでしょうか。白=陽だからとそれだけになってはいけない、黒=陰だからと決めつけはいけない、と言っているのでしょうか。その捉え方は色々とできると思います…が…何事も度が過ぎることはバランスを崩すことになるということを教えてくれているように私は思います。

白の中の黒を知る、黒の中の白を知る、こうすることで、きのう日記に書いた2極のふり幅を小さくしていくことができます。ふり幅が小さくなれば、動き自体が見えなくなるので、そこに落ち着きや、フラットさがあらわれてきます。そして、それは何よりも自分が楽で自然にいられます。

陰陽マークが教えてくれることは大きく深い。

ふり幅を小さく
2017/06/02

自分意外の人たちがみんなうまくいっているように見える・・と多くの方が思っています。特に自分がたいへんなときは。

あの人は仕事も充実しているし、友人も多く、家庭も円満、生活を楽しんでいる、健康に恵まれている、つらいことも起きていない、不幸ではない。それにひきかえ自分は。いいなあ、みんなうまくいっていて、と思うかもしれません。

しかし、カウンセリングを通じて、又は、プライベートを通じて、まわりからどんなに恵まれていると思われている人たちも、そうではないということを学びました。

うまくいっているときもある、うまくいっていないときもある、その両方をもっているのが人間です。これ、あたりまえのことなんです。なぜなら、その両方があって魂は成長することができます。そんなこと望んでいないのに・・と思っても、誰もが自分でそれを望んで生まれてきています。ただ、そのことを忘れてしまっている。

で、大切なのはこの両極の2つをできるだけふり幅を大きくしないということなんです。極端にうまくいってしまうこと、極端にうまくいかないこと、を創らないようにします。

例えば、うまくいっていないときに「なんで私だけうまくいかないの、あの人達はいいなあ、なんかずるい、なんであんな人がうまくいっちゃうの、私はずっとこのままなんだ」などの心状はますますうまくいかない方向へ自分を創っていっています。

又、うまくいっているときに「私はすごい、私はついてる、守られている、絶対このままいかれる」などの心状もよくありません。今どちらであっても、それは固定化されているものではなく、流れていくもの、動いているものなんだという目を持つことと、どちらの中にいても、いつも「私」の望む心状と言動と実践を選んでいくということ。

これにより、そのふり幅を小さくしていくことができます。そうやって、うまくいっている、うまくいっていないというところから少しずつ離れていきます。それは、その両極の壁がくずれていくようなものでもあります。壁がくずれてしまえば?両極ってないのかも。

6月の挑戦
2017/06/01

ばたばたしているうちに6月になってしまいました。

あーーーー今年は--もーーーー早すぎ。・・・ということで、このところ気付きました。ものすごく頭を使っていることに。

1月から今まで、やることが次々とあり、あれやらなくちゃ、あれ?これはやったっけ?次は?明日は?明後日は?・・と頭が毎日フル回転していました。すると頭が疲れる。そのときに、ああ、そうだった、以前はずっとこういう頭の状態だった、ということを思い出しました。

頭が熱い、重い、固い、ぱんぱん、いつも次から次へと勝手に頭が思考している状態。そのせいか物忘れも頻繁にある。これは、本来の頭の状態ではありません。不自然な状態です。

これを解除してくれるのが、クライアントさんとのカウンセリングでした。セッション中は思考ゼロの空間を感じられる、涼し気で、軽く、やわらかい、いつもの頭になります。こんなに違うんだということ、私にとってカウンセリングは「私」へ戻り、私自身を生かすものなんだということも再認識しました。

この頭の状態を日々のやるべきことにふりまわされそうなときにもよびおこし、どんなに忙しく、やるべきことがあっても、この頭をキープしてみようと思います。6月はそのことに挑戦です。

体も戸惑っている
2017/05/29

そういえば…あんなにつらかった更年期症状がよくなってきている。いつのまにか、知らないうちにです。

それに気づいたのは、3月頃でした。バスに乗ることができなくて1時間くらい歩いたときでした。1時間も普通に歩けた自分に本当に驚きました。55歳くらいから起き始めた更年期症状、いろんな症状が代わる代わる現れて、しんどかった。その中でも歩くことが最もつらくて10分歩いただけで疲れていました。

そして、朝起きたときの、体中の関節という関節のごわごわ感。倦怠感(気持ちのほうはおかげさまで大丈夫でしたが)特に手の指の痛みとこわばりは嫌でした。ずっと続く、手の指の痛みとこわばりが心配になり、専門医に診てもらったことがありました。その方、女医さんでしたが、色々と検査をしてくれて「病気ではないです。更年期障害です」とおっしゃいました。「先生、治りますか?」と聞くと「必ず治ります!!!!!」(きっぱり)とおっしゃいました。そのときの「必ず」に納得感がありました。

で、今は手の指の痛みもこわばりもなくなっています。これはあくまでも医療を知らない私の考えですが、更年期に現れる症状は、体自身の戸惑いなんじゃないかと思うんです。それまでは若い体の機能で動いていたものが、老年期に移行していくときに、もう、その動きでこれから先いくことは無理であることを知り、じゃあ、この個体の場合、どこをどうしてバランスとっていくか…を試行錯誤しているときなんじゃないかと思いました。

このへんに使っていた分、こっちにもってこれるだろうか、こう使えば、省エネでいけるんじゃないか、と体自身もわからない状態。ただ、行先はもちろんわかっているんです。そこに向けて、そことしてこれからを生きていくために、体もがんばってくれています。だからいたわりながら待ってあげてください。

本当にしんどかった時期にはサプリに助けられたりしながら、気付けば通過した感があります。しかし、元どおりなのではなく、新な体になったようです。体も待ってあげるということも大事です。

更年期症状が全くないという方もいるので、それはうらやましいですが、もし、症状があったとしても、それを自分に合った方法で緩和させながら、戸惑っている体を待ってあげるという体験も、きっとあとから活かされていくと思います。現在つらいと言う方もどうぞ、ご自分を責めたりせず、大事にしてあげてくだい。

次は7月
2017/05/28

「大相撲夏場所」も今日が千秋楽です。寂しい・・・・。

なぜかと言うと私は「大相撲」中継を見ながら洗濯物をたたむのが好きだからです。「大相撲」中継をみながらであればご飯の用意もそんなに嫌ではありません。

どうしてなのか…?不思議ではありますが、とにかくその最中は、私にとって憩いの一時なんです。

「大相撲」というと、昔から、両祖母の家でも、我が家でも、いつも見ていました(厳密には、見ていたというよりTVがついていたというかんじです)私は子供だったので「大相撲」に興味はなく、祖母や祖父や、家族たちの会話のBGMのようなものでしかなかったと思います。家族の会話の合間、合間に、又は、食事の用意をしている台所からの音の後ろに流れる独特な「大相撲」の呼び出しや、観客の歓声などが、そのときに安心してそこにいた私の心にしみついて残っていて「大相撲」を見るとそれが今も沸き上がってくるのだと思います。そんな中で洗濯物をたたむ…こんな日常的な行為がなんだか幸せな気持ちになります。

「大相撲」はきっとこれからもなくなることなく続くと思うので、これからもこの憩いの一時を味わえることを楽しみにしています。

次は7月。

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