ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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自分だけじゃない
2017/11/06

楽しいことしかない人生などひとつもありません。

それぞれの魂が前世からずっとクリアすべくもってきている課題により、いろんな出来事が起こるのが人生です(実は、それを起こしていのも「私」)苦しいこと、悲しいこと、みじめなこと、心が折れる、誰も信じられなくなる、理不尽なこと、思いもよらない酷いこと、などなど。

そんなとき「何故私だけが?」と誰もが思います。そういうときには特に幸せに見える人にばかり目がいきます。しかし、誰もが同じ状況にあることがちりばめられているのが人生です。苦しい最中にあれば、どっぷりとそれに飲み込まれ、ずっとそれが続くような気持ちにもなります。寝ても覚めてもそのことばかりを考えてしまいます。

しかし、大きな長い目(転生的目)で今起きていることを見たとき、この状況が何を自分に教えようとしているのか、この状況から何を自分は学び、それを自分の力にし、これからの未来に活かそうとしているのか、そうやって課題をクリアしていることを知ることができます。

実際、今起きていることをこの場に置いて、数メーター離れたところに自分が立ち、それを眺めてみてください。どうですか?ぴったりくっついていたそれをちょっと遠くから見ると、全体像が感じられると思います。

起きていることには偶然や誰かのせいで、ということはないので、何かが原因でこういう結果が今やってきているだけです(でも、これは罰ではないですよ。ただ、結果が今やってきているだけ)だとしたら?どんな原因で今の結果でしょうか。それがわかれば、違う原因の種をまけばいいということもわかると思います。

原因と結果、これだけしかない。ただ、現実に起きているのはそれだけです。皆が同じ魂の仲間です。自分だけじゃない、つらいときにはそれを思い出していただいきたいと思います。

近いものほど
2017/11/05

ここ数日、暖かな日が続きました。

ちょっと動くと汗ばむくらいの陽気です。

きのうはトミーと本当に久しぶりに海に行ってみました。おだやかな海。家族連れが所々にいる程度でした。潮の香と、波の音と、やわらかな陽射しにつつまれ、しばし、過ごしました。その時間は、やはりいいものです。

こんなに近くに海があるのに、近いからこそいつでも行かれるからと、行くことがありませんでした。そんなものなんだろうなあと思います。

「時々はこうして2人で海に行こうね」と話しながら帰ってきました。

夫婦も、お互いにあまりに近い存在なので、いつでも一緒に出掛けられる、いつでも話せる、特に話さなくてもわかっているだろうし、と思っているうちに、離れていってしまうのかもしれません。近いものほど大事にしなくては・・・・。

如実知見
2017/11/03

自分に向き合うときに必要なこととして、自分のできないことをわからないことを認めるというのがあります。

できないこと自体は恥ずかしいことでも、だめなことでもないんです。だからこそ学ぶわけで。

しかし、これを認めたくないという黒パターンがあると、ひたすら抵抗します。知らない、できない、わからない、考えられない、理解できない、がんばれない、それを(そんな自分を)認めたくなくて、黒パターンは巧妙にそれをすりかえます。

例えば、できない物事に対して「私は興味ない」とか「自分には必要ないし、自分の個性にも、生き方にも合わないし」とか言うわけです。知らないことも「前に聞いてます」とか「知っていたけれど今は忘れた」とか「もう、必要ない」とか。そうやって、できない、知らないということにぶちあたらないですむようにするのが黒パターンです。

どうしてだと思いますか?黒パターンとしては、これができるようにやってみたときに、もしかしたら、できないかもしれない、わからないかもしれない、となってしまうと、バカにされる、ダメなやつだと言われてしまう、評価が下がる、自尊心が傷つく、と信じているからです。ですからここは避けていきたいところなんです。

しかし、これでは、停滞するのみで、その狭い世界にい続けることになります(←これに対しては、別にそれでもいいし…とも言いますね(笑))自分に向き合い、自分のこれらを超えていくためには、まず、自分の中にそれらがある(でも、それはパターンで自分ではない)ということをそのまま認めるということをしていかなくてはなりません。

弱い自分、ずるい自分、すぐに逃げる自分、すぐに言い訳して自分を守る自分、そういうもの全てに光をあてて、ちゃんとそれを見つめることが必要です。

それができるようになり、あらゆることをジャッジしないで、あるものをただあるものとして見ていくという能力が育つんです。そこにはジャッジや期待や予想や分析などはなく、ただ、見て、知る、そして受け入れる。

その能力が「あるがまま」という体験をします。それは「魂の道場」の基盤の言葉…「如実知見」…そこに向かって歩む。

何よりの自由と解放
2017/11/02

他人や物事を変えるのは無理。

だったら、他人や物事をそのまま受け入れられる自分に変わろうということを昨日の日記に書きました。そのまま受け入れるためには、理解力や、洞察力や、知恵や、継続力や意志力や努力や忍耐力など・・いろんな能力を使うことになります。

なんで私が変わらなくてはいけないの?あの人が変わればいいのに、と黒パターンは思っています。しかし、自分が変わるほうが確実なのと、変わることがきるかも→変わることができそう→変わろう→変わりたい、と成長していく自分を感じられ、そこで見えてくる自分自身への結果、これこそ喜びであり、醍醐味だと知ることになると思います。

こんなすごいこと、他人にわたしたくない(笑)

自分への努力は必ず実ります。そこには他人が入ってこなくて自分と自分を生かしてくれているものとしかいません。だからそこへのエネルギーは漏れることなく、そのことだけに使われるからだと思います。他人や物事を変えることにエネルギーと時間を使うのではなく、自分が変わることに集中していくといいと思います。そして、それは何よりの自由と解放になります。

自分が変わると周りが変わる
2017/11/01

「自分が変わると周りが変わる」といわれます。

これは本当にそうです。

しかし、ここは誤解を生みやすいかもしれません。今、自分の周りが自分の思うようなものではない、だったら自分を変えよう、そうすれば周りの状況も自分の思うように変わるだろう、と捉えられているようです。これは「私」ではなく、黒パターン。

そうすると、例えばワークをしては周りを見て、周りが変わっているかどうかを確かめるということを行います。瞑想しても祈っても、参拝にいっても、確かめる。そして少しでも自分の(黒パターンの)思うように誰かが、何かが変わっていると、これは効果がある、これは本当だと思います。

しかし、これはそういうことではないんです。自分が変わるということは、周りはそのまま変わらなくても、大丈夫な自分になるように自分が変わるということです。それはあたかも周りが変わったかのように、自分がそれに影響されることがなくなるということを言っています。

周りがどうであろうと、自分はいつも、その時に、選ぶことができるんです。「自分が変わると周りが変わる」ではなく「周りが、黒パターンが望むように変わらなくても、大丈夫な自分になろう」と。

境界
2017/10/31

日曜日、スペシャルドラマ『BORDER』を見ました。

うれしい!3年ぶりの続編です(続編ということでこれからも続くのかと思ったら、今回だけのスペシャル版だったようで、残念)見た方もいらっしゃると思いますが、前回の最終回が、いまいちわからないままだったので、その答えが見えてよかった。

小栗旬さん演じる主人公は文句なしにかっこいいですが、私はその彼を助ける裏の世界の情報屋の面々が好きです。特に天才ハッカーの2人組サイモンとガーファンクルはなかなかの働き。今回も活躍していました。

BORDERとは境界。何かと何かの境界。しかしそれはとてもあいまいで、はっきりここからここという設定は難しいものです。正義と悪、光と影、表と裏、そして白と黒も。その境界線はあいまいで、どちらかをいったりきたりしながら生きているのが人間です。

どっちももっている。ただ自分の哲学として、正義はここを、悪はここまでを、と決めているのだと思います。本当はそんなカオスの状態がこの宇宙であり私達なんです。だから、どちらかだけはあり得ないです。正義だけ、光だけ、表だけ、白だけではないんです。

それはとても美しいイメージがありますが(スピ系ではここを打ち出しているところは多いですが)ファンタジーの世界ではない現実をしっかりと見なければいけません。だからと言って、悪、影、裏に染まれと言っているのではないですよ。そういう世界の中で、そして、そういう自分を「私」は何を選択し、地に足をつけて、自分へのリーダーシップを発揮して生きていくのか、というところです。

もやもや
2017/10/30

2つ目は、何かをしていないときには頭の中が「もやもや」している、ということです。

その方がおっしゃるには「仕事をしているときは没頭しているから「もやもや」を感じてはいない。でも、何もしていないと(暇な時間)「もやもや」する」ということでした。その「もやもや」は不快なのでしょう。だからそれを忘れたくて、何かを探すということになっているのでしょう。

「もやもや」は思考の塊で、常に頭の中をまわっています。ずっと頭の中でのおしゃべりが続いている状態なので、疲れるし、気分もすぐれないと思います。それは、何が起きているのかというと、黒パターンが頭を動かしている状態です。

本来、頭は「私」しか使えないところを、黒パターンが好き勝手に頭を使っている。それが普通になっている。この無意識な作業をやめさせない限り「もやもや」は続きます。しかし、思考でやめようと思ってもやめさせられないものです。黒パターンは心の中にいるものなので、そこへアプローチをしないかぎり無理です。

「もやもやがないんですか?ないということがよくわからない」とその方に言われましたが私は逆に頭の中が「もやもや」しているという感覚が今はわからなくなっています。かつてはぜったい私も「もやもや」していたはずです。だんだんとそこから離れていくうちに、それがわからなくなっていくんだ、ということをあらためて思いました。

黒パターンによる頭の中の「もやもや」がなくなってくれば、何かを探すということをせずに、何もしないということも体験するのかもしれません。頭が「もやもや」していることを感じられているということは、そこを抜けていかれる段階にきているのだと思います。「もやもや」していることにさえ気付かないという方のほうが圧倒的に多いです。

暇な時間
2017/10/29

「暇な時間はどうしているんですか?」とお会いした方から聞かれました。

「あなたはどうしているの?」と聞いてみたら「何かやることを探して、それをやる」ということでした。何かやることとは、TVを見る、本を読む、運動する、散歩する、などなど。

何かを探して、というところに疑問があり「何もしないでいることもできるのでは?」と聞いてみたら「何もしないでいるとずっと頭の中にもやもやが続くから」と言うことでした。

で、私はどうなんだろうと考えてみました。これについては2つのことがあります。

まず、暇な時間、ということがピンとこなくて、どうしてだろうと考えてみたときに、私は暇な時間(自由な時間)と暇ではない時間(やらねばならないことをやる時間)という区別がないからなんだとわかりました。

時間を使っているのは、それが全て必要なことだからそれに時間が使われている。そして、それは自由な時間でもあるということです。時間はただ時間でしかなくて、それをどのように使っているのかで時間への捉え方も変わってくるのだと思いました。

以前ワークペーパーで日常と非日常についてのことをやったと思うのですが、それと同じなんです。日常は月〜金、非日常は土と日、ではなくて、毎日が日常と非日常のエッセンスで構成されていくことも可能ということ。どちらも同時にあるということ。その感覚を持ったときに、今までは区別していたものをひとつにすることもできるということに気付いていくのだろうと思いました。2つめは明日。

与えるだけ
2017/10/28

もう、他人からもらわなくても大丈夫。

この場合のもらうものとは自分への感謝、憧れ、尊敬、高い評価、称賛などなど。それをもらえれば、自分の価値を感じられ自分への自信にもつながるというものです。エネルギーバンパイアといわれるものですね。

でも、他人からもらわなくても大丈夫になったら、他人と接することがなくなるんじゃないか、と思うかもしれませんが、そうではありません。では、こうなってから他人と接するときとは、どんなことになっているのか、と言うと、自分が与えるだけ、という状態になっています。

与えるだけは、与えなくちゃではなくて、気付けば、与えることのみに没頭している状態です。ここで大事なのは、この状態です。与えているように見えるパフォーマンスではなく、状態です。それにより自分が高く評価される、大好きになってもらえる、信頼してもらえるなどを期待するものでも、もちろんありません。そういう心の状態になっている。だから自然とそうしている、だけ、というものです。

他人からもらわなくても大丈夫になるために、ワークや実践を行います。そして自然に、少しずつ、気付けば、その人のために、その人に与えることだけに没頭できる心になっていることを感じると思います。これはカウンセラー、セラピスト、ヒーラーには特に大切な心の状態だと思います。常に自分に向き合い、ワークを続け、こういう心を少しずつ創っていってください。

自分で自分を・・・
2017/10/27

他人が怖いという方はとても多いです。

一見誰とでもおくすることなく接しているように見える方でも、社交的に見える方でも、堂々と見える方でも、他人が怖いと言う方がほとんどだと思います。

何が怖いのか?これもきっと共通しているのは、自分がどのように評価されているのか、どんな人だと思われるのだろうか、ということだと思います。他人の自分へ評価、これが怖いのだと思います。自分への良い、高い評価ならいいけれど、下に見られたり、ダメな人だと思われたり、嫌われることが怖いんですね。

この場合、そう評価されることの何が怖いのでしょう。その人が自分をそのように評価したとして、自分にどんな困ることが起きるのでしょう。存在価値が感じられない、自分を肯定できない、やっぱり自分はだめであることをつきつけられる、などあるかもしれませんが、そこの先にあるものは、ひとりになってしまうことへの恐怖や不安なんじゃないかと思います。

ダメな人だと思われたり、嫌われてしまうということは、人々が自分から去っていき、ひとりになってしまうということ。この、ひとりになる、というところが怖いのではないでしょうか。

確かに人はひとりでは生きられません。しかし、ひとりにならないようにするには、常に他人の目や言動を気にしていなくてはなりません。目の前の相手に嫌わられないように、その人にあった自分の在り方をし、また違う人に対してもその人にあった在り方を自分がする。

本当にそういう在り方を自分は望んでいるんだろうか。ということです。

自分への信頼を築ければ、他人から評価をもらって、それによって自分の価値を感じ、自分を信頼できるということをしなくてすみます。自分で自分を認めてあげられるように。自分で自分を価値ある人であることを持てるように。もう、他人からもらわなくても大丈夫となれるように。

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