ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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かぶれ
2017/05/14

10日の朝、自分の顔を鏡で見てびっくり!

顔が腫れて、赤みを帯び、ちりちりと痛く、痒い。よく見ると赤みは小さなぷつぷつの集合体でした。

これは・・・まずい・・・とりあえず近所の皮膚科へ行きました。受付の方も、先生もぎょっとするぐらいでした。

「かぶれですねえ、何か思いあたるものはありますか?化粧品をかえたとか?」と聞かれ「お線香じゃないか・・と」と言いました。父の遺骨が今我が家にあり、お線香を毎日焚いて手をあわせていました。お線香のビャクダンの香りがちょっと気にはなっていたのと、なんとなくせき込むことがありました。換気はしていたのですが。

「線香ねえ・・・あり得ます。もう、近寄らないようにね」と言われました。帰ってから調べてみると意外とそういう方もいるらしく症状も似ている。そして、初めて知ったのは、お線香の煙には、人体に有害なものが数多く含まれているらしい。もちろん、そうではないものもあると思うのでもし使うのなら、そういうものを探したほうがいいですね。

私は生まれつき肌が弱いので、そういう人が疲れていたりすると、このようなことも簡単に起こるのだと思います。…疲れていたんだなあ…私…と思いました。

で、今はお線香なしで、手を合わせています。父もこれはわかってくれるでしょう。これからの法要にはマスク持参でいくしかありません。

肌の弱い方、鼻やのどなど弱い方はお線香(お香類)は注意したほうがいいようです。

そういえば、この類のもので今までも同じような症状を起こしていることも思い出しました。以前、アロマポットを使ったときも、においのきつい香水、洗濯物の柔軟剤、など、そこに含まれている化学物質や植物など合わないものに反応して症状が出ていました。

肌は私のウィークポイントではありますが、私を守るものでもあります。感謝しながら、回復をまっています。

10冊捨てる
2017/05/13

2006年から去年までの10年間の自分の資料ノート10冊を捨てました(お会いしている方のことは書いてはいない自分専用の資料ノートですのでご心配なく)

捨てる前に一応、中を見てみました。書いてますねえ・・・色々と。誰かの言葉、そして、それについての自分の気付きや考え。課題。やるべきこと。できなかったこと。

このころはこんなだったのか、と、あらためて思います。

この資料ノートを捨てるというのは今回が2回目で、前回も10年分を捨てました。捨ててしまうことで大事な情報がわからなくなるのではないか、もったいない、と思われるかもしれませんが、結局、自分が体験したことしか自分の中には残らない、ということにいきついています。体験を通して得たものは自分の血肉となり、意識の中にとけこみ、大いに使い、なくなることはありません。

いろんな情報や知識も今の自分が魂を成長させるために体験していくための後押しになるものです。また、それぞれの魂にとって、どんな体験が必要か、大事なのか、課題なのかも一人一人違います。ひとりひとりは2人としていない存在です。オリジナルな存在。だから知識と情報も自分にあうものを選んでいくといいです。

で・・・10冊なくなり、また1からスタートです。晴れ晴れと、軽くなり、うれしいです。

自分が変わる
2017/05/12

他人を変えることはできない、だから自分が変わろう‥と聞くと、なんで私が変わらなきゃいけないの?変わるべきは間違っているあの人でしょ?なんで私ばかりそうしなくてはいけないの?・・・・と思う方は多いと思います。

だけど、自分が変わる、なぜならば、あの人は間違っているという思いは自分の中で起きていることだからです。その思いの世界で生きているということです。

間違っている相手を自分ではない人が見たとき、もしかしたらそんなに気にならない、いや、どちらかというと自分と合う人と思うかもしれません。好きだな、この人と思う人もいるかもしれません。

ですから、他人を変えるとか変えないは実は関係なくて、自分がどう変わるかということです。

他人と関わることでの自分の変わる指針となるものは相手への理解です。それはその人はそのままでいいという許しです。そのままでいい、というのは、今、ただその人が現れているだけだということです。それがどうみても良くないものであればそれはその人に何か結果を与え気付きを起こします。ですから、それまで待つということです。

結果、その人のことがそれほどひっかからなくなり、自分は楽になっていきます。それだけで、十分なことですが・・・・。ここからが不思議なことで、なんとなくその相手も心を開いてくれて、時には、その相手も変わってきて、今まで望んでいたこととは違う新な関係というものが出来上がっていきます。

この、望んでいたこととは違うというところ、これを体験すると、視野が広がります。今まで望んでいたそれは、とにかく相手が自分の思い通りに言動して、自分にストレスを与えないでほしいという、まさにパターンが望んでいることです。

しかし、ここでの望んでいたこととは違うところ、というのは、そうか、こんな関係性があったのか、こんなかかわり方があったのか、こんなふうに自分は向き合えるようになったのか、というような新しいものです。新なものを手に入れる(お互いに)ことこそ、お互いの成長です。そうやって自分の世界を自分で創っていきます。

「わかる」
2017/05/09

父が亡くなった日、朝はまだ意思の疎通がとれていたので(と言っても、もう話せない状態だったので、うなずく/うなずかないだけで)用事をすませるために一度家へ帰り、午後、再び病室へいくと、目を開けてはいるものの、話しかけても全く反応をしなくなっていました。

入れ替わり立ち替わり看護師さんが見にきてくれましたが、皆さん「ゆすぶっても反応がないです。意識がない状態です」と言いました。確かに、話しかけても全く反応しません。

そのとき「多分、今日亡くなることになると思います」と看護師さんに言われ、いよいよなんだと思いました。だったら、私は最期まで一緒についていこうと思い、反応がなくても、今まで通り話しかけました。

「洋子よ・・わかる?一緒にいるからね」今までだったらうなずいていた父が、ぴくりとも動かず、開いている目も何も見ていないようでした。「わかる?私よ、ここにいるよ」すると父がふりしぼるような声で「わがぅ・・」と言いました。これが父の最期の言葉でした。「わかる」と最後の力で応えてくれました。

わかっていないのではない、意識がないのではない、ただ、体がもう表現できないだけなんだ。反応したいけれど反応できないだけなんだと思いました。

「ずっと、わかっていたんだね」と私も言いました。その後ゆっくりと時間をかけながら、静かに息を引き取りました。

一般的には反応がないことは意識がない、何もわかっていない、届いていない、と言われると思います。しかし、そうではないんじゃないかと思いました。反応という目に見えるものはなくても、目に見えないその奥でその人の意識は生きています。それは、死を迎え、体から離れても生き続けるものです。

例えば、重い認知症の方であっても、長年反応がない方であっても、生の営みがなされている間は、意識はその肉体の中にあります。そこに目を向けること、そこに語りかけること、そこを大事にすることを忘れてはいけないと思いました。

本当に最期の父からのプレゼントでした。

無味化
2017/05/08

やっと読み終えた「一汁一菜でよいという提案」土井善晴・著

忙しい毎日の中、読める日は1頁ずつ読んでいました。その1頁を読んでいる間、ゆっくりとした時間が流れ、著者と同い年だからでしょうか、そこに書かれている日々の食事と生活が目にうかび、なんとも、懐かしい気持ちの連続でした。

ここに書かれている日本人独特の食事に対する感性は、食事だけではなく全てにおいて、特有のものとしてある気がします。

和食はマイナス的料理だと書いてあります。アクをぬくことでときには味も栄養価値も失うことになるのですが、その「無味化」することを日本人は喜ぶとありました。本来はより良い味を、より栄養価の高いものを、その食べ方を、というところが優先されますが、それらがマイナスしても、それよりも「無味化」することをよしとするというのが日本人の美意識なのでしょう。自分の欲よりも、きれいなものを尊ぶ感性が私達にはあるのだと思います。

また、こんなことも書いてありました「子供のとき、買ってもらった新しいお茶碗は、すぐにはおろさないで、お正月まで我慢することで、楽しいことを待つという嬉しい時間がありました」この体験は私もありました。新しく買ってもらった服、靴、なども、ある時期まで待つということが普通にありました。これも、自分の欲をおいといて、待つという体験です。今思えば、そんな体験により、物を大切にする、感謝するという気持ちも芽生えたのだと思います(子供のころのほうがそうでした。今は反省)

そのころは、そうやって物事のメリハリをつけるということが生活の中にありました。もう少し時間がたったらもう一度読んでみたい本です。

愛にも幅がある
2017/05/07

「・・・上司はあなたのお母さんじゃない・・・」この上司の部分には、夫、妻、子供、友人、部下、先生・・・など色々と入ります。

で、「上司はあなたのお母さんじゃない」はどういうことかというと、お母さんに本来求めることを、お母さんからもらうべきであったものを、上司に求めるのは違うよ、ということです。これは、もし、それをお母さんからもらえていればそれほど欲求はないのですが、それがもらえなかったとき(しかし、世界中のほとんどの人がもらえてないです)には、上司やパートナーやその他の人々からそれをもらおうとしてしまうことを繰り返します。

例えば、上司が私の気持ちをわかってくれない、夫(妻)が私を無条件で愛してくれない、友人が私の味方でいてくれない、などがそうです。

上司の仕事はあなたにやるべきことを与え、あなたの仕事を評価することです。上司はあなたの気持ちをいちいちわかろうとしなくていいわけです。夫が無条件であなたを愛してくれないということも、夫はあなたと家族を作り、2人でそれを維持、発展させていくパートナーです。無条件で愛するという母親的なことではなく、違う愛の関係を2人で創っていく人です。友人もです。いつでも「そうだよね」と言ってくれる人でなくていいんです。時には喧嘩したり、距離感があり、意見が食い違っていてもいいんです。2人の関係性を2人で創っていく人です。その人たちはお母さんじゃない、ということを今一度知ることが大切です。

そうでないと、こうして、あたかもお母さんが自分を愛してくれるように自分を愛してくれる人を探し続けることを繰り返します。それは公の場でも行われてしまいます。そうなると人間関係はぎくしゃくしてきます。

お母さんの愛は無条件なものなのかもしれません。しかし、それだけが愛ではないです。いろんな形のいろんな関係性の愛があります。その愛をそれぞれの人と結んでいかれるといいですね。愛にも幅があります。

だから人はちゃんと生きないとだめなのよ
2017/05/06

昨日の日記に書いた方との会話はまだ続きました。

今回、父が倒れたときから最期までを見てきた私が思ったのは、父はこの最期にむかい、自分の人生の帳尻をあわせているんじゃないかということでした。

そのことを親族のその方に話したときに「そうよ、だから人はちゃんと生きないとだめなのよ」とその方が言いました。ちゃんと生きていないことで創ってしまう、カルマというのか、受け取るものというのか、それをこの人生が終わるからこそ帳尻合わせをして、できるだけゼロに戻していこうとするのではないかと思ったわけです。

それは、はたから見れば、苦しさとか、痛さとか、ネガティブなものかもしれません。しかし、それは何かから与えられたちゃんと生きてこなかった罰ではなく、帳尻をあわせたがっているのは本人(の魂)なんです。

「私」は死ぬことなくつぎの世界へ行きます。そこでは肉体がない分、嘘をつくこともできず、隠し事もできず、わかりやすいかたちで自分に向き合うこととなります。そのためには今、少しでもバランスよく、軽くしておきたいと魂レベルで人は思うのではないかと思うのです。

それが日々の中でおこなえる人と、そうではない場合、でも、魂がそれを望んでいる場合はさいごにきて人はそれを選ぶのかもしれません。

ここで、先ほどの言葉です「そうよ、だから人はちゃんと生きないとだめなのよ」ちゃんと生きようと努力をしていると、ちゃんと生きていないときの結果を受け取ることが早くなります。それによってそうか、さっきのはちゃんと生きていない(選択が違っていた)ということだったと気付きます。早く結果を受け取れれば、次回はそうしないという選択もできます。そうやって自分の帳尻を合わせていくことを日常的に行えるといいと思います。誰でも間違った選択をします。でも、正しい選択に選び変えていく。そして、間違った選択をする前にそれに気付けるようになる。少しずつ、少しずつ、正しい選択をしていく。それを重ねていく。

それがちゃんと生きるということです。決して黒パターンのちゃんとではありません。ここの吟味は必要になります。

止めない
2017/05/05

葬儀後の会食で、隣に座ったのは父のいとこの奥さんでした。私よりも10歳くらい年上の方です。

その方が父が最期どんなだったかを聞きたいということで、そんな話から・・・お迎えの人たちがたくさん来ていたようで、そこへ一緒に向かおうねと父に言いました・・・と話をしました。

こういうことを言うと、何言ってんの、という人と、そうなのよね、という人と別れます。この方は後者の方で、ご自分の義母さんが亡くなるとき、ご主人が亡くなるとき、人がたくさん来ていると話していたそうです。そして、その義母さんは、葬儀のときに読経をしているお坊さんの後ろに座っていたのだそうです。そういうことを何度か体験して、人は死なないんだと思うようになり、よくよく自分に起こることをみてみると、ピンチのときほど、助けてくれることがわかるようになったと話していました。

「そうですよね、人間は死なないんですよね」と私も自分の思っていることをそのまま言えました。その方は「だからね、なんか安心なのよ。これからどうなるんだろうとか思わないし、大変なときこそ助けてくれるから安心なのよ。だから、どうしようどうしようって思わなくていいのよ」と言いました。

「洋子ちゃん、見えていたんでしょう?だからわかっていたんでしょう?」と聞かれ「見えてはいないです」と言うと「でも、お父さんに一緒に行こうと言えたのはわかっていたからでしょう?」と言われ、そのときのことを思い出してみました。そして、思い出されたのはあのとき、イメージがあったということ。こういうことなんだろうというイメージが。図解説明で。それに私は従っていただけだったんだということ。父に一緒に行こうね、と言ったのは、知識として知っていたことでありながらそれを上回るイメージが私を動かしていたんだと思います。

「ね?それがわかっているということなのよ」と言われ、そうかもしれないと思いました。

イメージが持つ言葉は「止めない」でした。良いも悪いもなく、物事はただ動き続けている、そこへのひっかかりがあることで感情がその動きを止めていく。でも、全ては良きこと、善き方向へ動いている。その流れを止めないように・・・。というものです。

親族の中にこういう話ができる方がいたことが驚きでもあり、嬉しさでもありました。

寂しいけれど悲しくない
2017/05/04

父の葬儀も無事に終わり、一段落です。

その間、あたたかいメールをいただきまことにありがとうございました。うれしかったです(父も感謝していると思います)

母が亡くなったのが16年前、そして今回の父の死でしたが、母のときと確実に違っている自分の心を感じました。母の死のときには、ただただ、悲しく、不安で、絶望的な気持ちでいっぱいでした。これからひとりで生きていかれるのか、もう、母に何かを聞くことも、相談することもできない、ということが何より不安で怖くてしかたなかったのを覚えています。

しかし、今回の父の死は、2つの世界を行き来しているような体験をしています。前回書きましたが、父がこの世を卒業し、向かった次の世界(もとの世界への帰還とも言えますが)へ私も父とともに目をむけていたせいなのか、心の視点がほとんどそこにあります。

それは、これからいくところ、これから先となるところ、新にあるところ、もとに戻るところ、で、そこに心の視点があると、寂しいけれど悲しくはないんです。

たしかに、今までいた人がいなくなることの寂しさはあります。それは、話をしたり、一緒にご飯を食べたりすることはもうできない寂しさ、そばで生きていた人がいないことの寂しさです。しかし悲しいのではない、という気持ち。それが、心の視点が新しい所にあるときの気持ちです。

しかし、その視点が、何かの拍子で思い出とか、なつかしさとか、記憶とかに移るとそこには悲しみが加わる気がします。大事なものを置き忘れてしまうような、手から抜け出してしまうような悲しさかもしれません。それは執着にもとづいてのものかもしれません。

そしてまた、心の視点を意識的にこれから先へ移すと、そこには悲しみはない。この2つを行き来しながら、でも「私」の意思はこれから先に視点をおいておくことであることがわかります。なぜならば、父はそこにいるからです。父との思いでのところには父はもういないからです。

父がいるところに私も視点をもっていたいと思います。

父と私はまた新たな関係性を築いていくことになるのだと思います。

すがすがしさと共に
2017/04/29

4月26日は入院中の父の91歳の誕生日でした。

朝から、先生や看護師さんに「おめでとう、いくつになったの?」と聞かれ「80」と言っていた父でした・・・が・・・その後急変し、27日の夜、息を引き取りました。

そのとき、父のそばにいたのは私だけでした。「大丈夫だよ、ゆっくりいこうね、私と一緒にいこうね」と言っている私の目を、じっと見つめながらもそれはどんどん遠のいていくように感じられましたが、最期まで、その意識は私を見ていてくれたように思います。とてもとても静かな最期でした。

1月7日から4月27日までの入院期間中での私と妹は、ほぼ毎日どちらかが病院にいき、父と一緒に過ごしました。妹が「こんなに一緒に過ごしたことはなかった」と言うくらい、それは、濃密で貴重な時間だったと思います。

ベッドのそばの椅子に座っているうちに、私はよく寝てしまって(妹も)ふっと目を開けると父がじっと私を見ていて2人で笑うことが何度かありました。昔の話や、認知力が落ちてきていた父の話もそれなりにどこか父の人生に繋がっていて、興味深かったです。

呼吸が止まり、心臓が止まり「ご臨終です」と言われたとき、なぜだかとてもすがすがしい気持ちに満たされました。ひとつは、父がもうこの不自由な体から解放されるという思いと、父の死はまさに次へのスタートだと感じられたからです。スタート地点に向けて、父を誘い、一緒にその入り口付近まで歩いていったという感じがとてもします。そこを手伝えたことが、そのすがすがしさでもあったのだと思います。

実際、目をみひらくようにして壁や天井を見ている父に「たくさんの人がいる?」と聞くとうなずいていました。「お母さんはいる?」と聞くと大きくうなずき、手をのばそうとします。そのうちの一人の方に向かってなのでしょうか「〇〇さん、〇〇さんでしょう?ありがとう」と言っていました。「みんなのところに行かれるはうれしいね」と言うとまたうなずく。

父なりになんだかわからないけれど自分を待っていてくれる人がいることを知ったかもしれません。今ごろは懐かしい人々といるのではないかと思います。

そんなで、これから通夜、葬儀とまた忙しくなります。日記がとびとびになるかもしれませんがよろしくお願いいたします。それから、父の遺言で「お香典やお花やお供物など一切ご辞退いたしたい」と言っておりましたので、どうぞ、お気になさらずにお願いいたします。

又、今回のことでキャンセルさせていただいた方々、申し訳ありませんでした。6日からは通常通りに行っていくつもりです。これからもよろしくお願いいたします。

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