ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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気楽に
2018/11/04

「やるべきことをやってゆだねて待つ」とは?・・・・・具体的にどういうことなのか、ということですが。

自分がこうなっていきたいと思うとき、まず、その動機がどういうものであるのか、を吟味します。その自分がこうなっていきたいが黒パターンからの欲求なのか、それとも純粋なところからの欲求なのか、を自分で見極めます。というか見極めたほうがいいです。黒パターンの動機で動いたものごとはその結果なので、一見いいように見えても単発的で、スムーズではないです。

見極めるのは自分の心に問う。どうして私はこれをやりたいと思っているのか、どうしてこうありたいと思うのか。これがよく言われる心(魂)の声を聴くということです。これが最初はわかりずらいです。ここを正しく聴けるようになるために、自分の観察があります。観察できる力を養う練習は必要になります。

もし、それが純粋なところからの欲求であれば、それが成就するために何をやったらいいのかを具体的に考えます。そして、その成就を妨げようとする黒パターンがあれば(だいたい、自分にはどうせ無理とか、自分にはそれをやる価値がないとか、面倒などです)それを必ずケアし、白パターンを選びます。そしてその成就に向けてやるべきことを実行します。

ここで、自分の内の作業と外の作業を並行して行うことになります。内、外をひとつにしぼっている感じです。そこに一致性が生まれます。一致性はビーム光線のようなものです。目移りしないでそこにエネルギーをそそぎます。そうやって日々を送ります。やるべきこと(内と外の)をただただたんたんと重ねていきます。

そして、結果はゆだねて待つ、というところなんですが。結果が来るまでのこの間の心の在り方というところが1つのキーポイントです。ついついもう結果が来てるんじゃないかと証拠探しをしたり、無理やりに意味づけたりしたくなってしまうのが人の常。これは自分の思いというものをゆだねてしまわずにまだしっかり手に握っている状態です。すると、重さがあります。その重さがあることがいいことのように思いがち(こんなに自分はしっかりと強く思っている、がんばっていると思って)ですが、この手をひらいて、その想いを手放さなくてはなりません。

手放すと?軽くなるでしょう?その軽い心身でいるということなんです。軽い心身というのをもっと違う言い方にしてみると、今までよりも一段高いところにいる感じで、日々の生活を眺めている感じです。見下しているということじゃないですよ。そこに常にあるのは、なんかわからないけれど「大丈夫」という気持ちです。それは強い自信とかではないです。春風のようにかろやかななんかわからないけど「大丈夫」という感覚です。それ自体が軽いんです。「大丈夫」とは、必ず成就するから大丈夫というよりも自分の望むものに沿っていいようにいくだろうから大丈夫という感じです。いいように運んでもらえるだろう・・・何かによって、だからゆだねる、です。

あとは練習あるのみです。この練習も神経質にならずに。もし間違えたらまたやればいいし。気楽に。気楽に。

焦りは禁物
2018/11/03

「あの人はすごい」と思う人は誰にでもいると思います。そのときに見落としがちなことなんですが。その、今のすごい状態のその人を見ているので、すごいと思うんだということ、ここを知っておくといいです。

そのすごい人も、最初からすごい人として生まれたのではなくて、その人が努力をしてきた時間があって、今のその人になっているんだということです。人はどうしても、目に見えるところでの今のその人を判断します。ですから今のその姿がその人の全てで、もともとこういう人だったんだと思いがちです。

しかし、そうではないんです。そういう人たちもそもそもは普通の人であったということです。もしかしたら、普通の人たちよりも条件の悪い生き方をしていたのかもしれません。

で、人は今すごいと思っている人と自分を比べます。そして、私はちっともそうなれていない、私がこの人のようになるのはきっと無理、と思います。そんなときにはぜひ、このことを思い出してください。そして、自分も時間をかけていけばいいんだ。その人がそうなれたのだから自分もなれるさ・・・位に思っておいてやるべきことをたんたんとやっていってください。

早く自分もその人のようになろうと、思い通りの結果を欲すると、焦ります。焦りは挫折をよびます。挫折することも体験のひとつとしていいと思いますが、いつも焦って挫折を続けていくと、何かを新にすることが怖くなります。きっとまた挫折すると思うからです。

ここを避けるためにも、焦りは禁物です。しかしぼーっとしていればいいということではもちろんありません。今自分がやるべきことを継続しながら、あとはゆだねて待つということです。全てが原因と結果の繰り返しなので、やるべきことをやっていれば、それへの結果はいつかやってきます。それまで待つということです。

楽しい
2018/11/02

10月の中頃「The Royal Ballet morning class in full - World Ballet Day 2018」を見つけました。

夏くらいに今年のクラスの動画はないのだろうか、と、探してみたのですが、そのときには見つけられませんでした。

今年も去年に引き続き、olga先生でした。olga先生、本当に素敵な先生です。年齢はわかりませんが、高齢の女性です。きっとかつて素晴らしいプリマだった方でしょう。あの優しい眼差しは、たくさんの人生体験をされた方の眼差しだと思います。

クラスのひとりひとりを丁寧に見て、アドバイスを与え、身体の動きや気持ちをなおしていきますが、誰に対しても心をこめて接しているように感じます。そして、チャーミングで、クールで、エネルギッシュです。私の憧れの方です。

動画下にはコメントがいくつもありますが(全て英語なので私にはわかるものはごくわずか)その中に「これは私にとってセラピーのよう…私を幸せにして、リラックスさせてくれる」と書いている方がいました。バレエという所を超えて、そういう気持ちを人に与えられることがすごいです。

それからピアニストの実力とハートが高いのだと思いました。ピアノをただ弾いているのではなくて、生徒が動きやすいように、微妙に、音をためていたり、軽く間を持たせたりしています。皆の動きを見ながら、包み込むように、時にはひっぱっていくように弾かれているピアノの音色はそれこそセラピー&ヒーリングだと思いました。

先生もピアニストも自分のためではないんです。自分はうしろにまわり、まず、生徒のために。それもひとりひとりの。この在り方があるところで人は伸びるのだろうと思います。

で、私は今回はわりと早くバーレッスンを覚えました。覚えたものは、次には踊るというところに繋がるのですが、今回、身体のパーツパーツがとても大事に思え、ピアノ曲とともに純粋に踊ることが楽しいと思いました。

前に今ならピアノは自分の自己表現のためだけに楽しんで弾けそうな気がすると思ったのと同じように、今ならバレエも自分の自己表現のためだけに動けそうな気がします。この感じがピアノもバレエもやっていたときにあればよかったのですが、そのときにはまわりからどう見られているのか、どう評価されているのか、どうすれば褒められるかだけでやっていた気がします。

それも自分をみていくことで、いつのまにか超えられたのだと思います。そこを超えたときに、その人本来の個性を自由に表現していく楽しさを感じられるのだと思います。

私の場合はこの年でやっとそのことを知りました。でも、遅いとは思っていなくて、ここも全部をひっくるめて自分の個性だと思いました。今日もおうちでバレエ。

無理と決めない
2018/11/01

「絶対に…自分には無理」と思わないで。

「こうなりたい」と言いながら、思いながらも、心の中で≪でも、たぶん、きっと、無理≫があったら口に出さなくても無理となります。自分が強く決めていることがちゃんとその通りになります。そしてまた学習する≪ほら、やっぱり今回も無理だった≫そしてまたそれを繰り返すことになります。ここ、すごく大事なポイントです。自分が(心の中で)決めていることが、ちゃんと今そうなっているはずです。今の自分は自分が決めてきたもののあらわれです。

だから、自分の心の中に何があるのかを目をそらさないで見ないといけないんです。

よく、人の潜在意識は80%しめていて、そこを見ることも、知ることもできないといいます。それは心理学の世界ではずっと言われていることだけど、昔はそのようにうちたてられていただろうけれど、それを決めてしまったら、もうお手上げということになります。その潜在意識から何がいつやってくるかもわからず、それをコントロールすることもできず、それに振り回されていくことになります。それだと、この世に生まれてきた意味がなされないです。

マスターには、潜在意識がないと言われています。それは自分の心の中全てに光をあてて、そこがどんな状態なのかを知っているので、潜在というものがないということなんだそうです。全てが顕在。だから、この場合に何を選ぶのかというのをたくさんの心の選択肢の中から選ぶことができるというわけです。

それは、マスターだから・・・ではないですよ。マスターもほとんど普通の人から出発しています。ここでもマスターにできることは自分には無理と決めないでください。

本当の自分は何でできているのかをいつも思い出してみるといいと思います。自分には無理(・・・というパターン)が出てきたら、本当の自分の姿を思い出す。「私」「私」「私」・・・と思い出す。そこには無理はありません。

快感
2018/10/31

時々会う、音大の時の友人(ピアノ科)の言葉をよく思い出します。「ピアノ弾いているとボケ防止になるし、ほら、弾いているときって脳内に快感物質か何か出て、快感を感じるじゃない、それがまたいいよね」というような言葉でした。

この快感が湧き出て・・・というのを忘れずに思っています。そして、このときの状態がわかります。ここはきっと彼女とのずれはないと思う。

これを今とても強くたびたび感じるのは、おうちでバレエのときです。そしてそのときの感覚をよびおこして行ったときのカウンセリング中にもあります。

一瞬感じるこの快感は、物理的には何か脳内の物質によるものなのでしょうか。身体の中を流れるそれは熱であり、活力であり、そして心がその時に持つ解放感や平和な気持ち、純粋さ、「生きてる〜」という感じ。そして「魂」は本来の向かうべき道を指し示しているような気がします。それら全部が混ざっての一瞬くるそれです。おおげさだけど、これがあれば私は生きられると思ったりもします。

きのうお会いした方もそういう話をされていて、人は誰でもその体験を実はしているのだと思います。ただ、一瞬なので、はっきりと認識ができないのかもしれません。私は子供を産んでいないのでわかりませんが、もしかしたら赤ちゃんを抱くときに感じているそれも似ているのかも。それは大事なペットをなでたり、抱きしめたりしているときにもあるかも。

いずれにしても、それは、がんがん仕事して、勝ち続けている、何かを成し得ている、いつもトップにいる、など、競争の中で感じている達成感とか、高揚感とか、特別感とは全く違う、内的で普遍的なものです。

私たちはきっとそれをどこかで体験しているのだと思う。皆が体験できるものは特別なものではない、誰かにおそわらないと獲得できないものでもない、高いミームにいかないとできないことでもない、人がそもそも持っているものです。ただ、みんな思考的で、忙しいので、そのようなある意味、原始的な本能的なところを忘れてしまっているのかもしれません。

こういう感じのことだろうなあと心当たりのある方は、またきっと体験されると思うので、そのときには一瞬ではあるけれど、感じながら、これだ、と意識してみてください。意識化されたものは少しずつですがその回数が増える気がします。また、よびおこすということもできるようになります。

又、その体験はわからない、という方は、自分が美しいなあ、いいなあ、と感じるものを見聞きし、触る、それとともにいることを意識的に行うといいです。その繰り返しでそこからひとつ深いところのそれに対する感性はひらいていきます。絶対に自分には無理と思わないことです。

隣の芝生は青い
2018/10/30

「隣の芝生は青い」もしかしたら、全く隣と変わらない自分の家の芝生なのかもしれないのに、自分の家より隣の芝生のほうがよくみえます。いいなあ、隣は・・・・というものですが。

自分がうまくいっていないと、特にそう思います。しかし、人はうまくいっていそうに見えても、そうではないものごとを抱えている場合がほとんどです。いいこと、と、よくないことでバランスをとっているのが人だからです。これは誰も逃れられないことです。

多くのものごと、不必要なものを手にすれば、同じように何かを手放す、不都合がおこることになり、それにより、バランスをとります。これは決して罰ではないですが、できればここは極端ではなく、穏やかにいきたいところです。

そのためには、ここを上手にコントロールできればいいのだと思います。「欲張らない」こと「もっともっとと欲しない」ことです。ご飯もめいっぱい食べてしまうと気持ちが悪くなったりします。腹八分目でちょうどいい。それと同じと考えてみたらいいのでは?あれもこれも手にいれたい、これもやりたい、あれもやりたい、もっともっと欲しい、もっと多く、もっとたくさん。これらを選ばないということです。

ちょっとたりないかな、ちょっと時間あまっちゃったなくらいで実はちょうどいいのだと思います。

又、これは物に対してだけではなく自他に対してもです。「もっと認められる人になりたい」「もっと自分と家族が幸せになるように」「あの人を正したい」「あの人に負けたくない」「もっと自分に力がほしい」「自分はだめだ」「自分には価値がない」などなどもそうです。その想いをとどめるように、それに気づかせるように、反対に動くことが起こります。それは、何かを手放すことになったり、体調不良になったり、毎日うつうつとしたり、人間関係が崩れるなどなど。

私は自分が人よりも耐久性、忍耐力が低いので、極端なできごとにすごく弱いんです。ストレスに耐えられない身体なので、そういう自分を守るためにも、極端に欲しない、極端に自他を責めない、ということを肝に命じています(昔はそれでさんざんな目にあいましたから、さすがに学習しました)極力、極端な行動をひかえて、自分のバランスを大きく崩さないようにしています。

こうしていくと、まあまあ、いい感じで、ものごとが動いていくのがわかります。これがわかると「隣の芝生は青い」も思わなくなります。同じように青々としている芝生の部分もあれば枯れている芝生の部分もあるよね・・・お互いに・・・ということがわかります。

心地よく、気持ちよく
2018/10/29

自分が日々、心地よく、気持ちよくいられるように。

そんな心の状態、身体の状態、環境を自分のために用意してあげてください。意識的に。1日のうちを、できるだけその状態、環境の中に自分をおくようにします。

その人によってそれぞれ違うので、どのようにして自分にそれらを与えるのかを色々と試しながらそれを創っていってください。時間はかかるかもしれませんが、少しずつできあがっていけばいいですね。

そんなこと言ったって、仕事では嫌な人ばかりだし、疲れるし、でも、働かなきゃいけないし、と思うかもしれませんが、それらの1つ1つの白パターンを選ぶことで、その一瞬かもしれないけれど、ほっとしたり、落ち着いたり、勇気がわいたりするでしょう?それにより、自分の良いと思われる状態をできるだけ持つようにしていかれると思います。

それは心地よく、気持ちよくいられる心を創っていっていることになります。

又は、何かを使って。身体を動かすこと、美しいものを見ること、聞くこと、ご飯を美味しく食べること、没頭できる本を読むこと、なんでも。自分が心地よく、気持ちよくなるものであれば。

その一瞬は身体にも正直に響きます。そのときには、身体に気が満ちてくる感じがしたり、身体の中が洗い流されたような感じがしたり、目がしっかりと開く感じがしたり、顔に輝きが現れたり(これはかなりの人がそうです)安定感を感じたり、軽やかさを感じたり、すぐにあらわれます。すぐにあらわれて「そう、そう、それでいいのよ」と教えてくれているんです。

こういう体験をできるだけやっていってください。毎日忙しいからできないという方は、土、日だけでも。又は1日の終わりに少しでも。私たちは、心地よくいる、気持ちよくいる、ということはよくないこと、さぼっていること、成長がないことのように刷り込まれています。でもそれは違います。いかに心地よく、気持ちよく、自分でいられる(という本来の姿を)か、を探求していくことは必要なことです。

もちろん、ここで言う心地よく、気持ちよく、はパターンのそれではありません。そう考えると、人生をかけて、本当の心地よさ、気持ちよさを自分に与え続けることの大切さをもっと知っていかなくてはいけないのだろうと思います。

わくわくした
2018/10/28

きのうの朝、妹から「今日、茅ヶ崎、花火大会なんでしょ?」とメールが来ました。

≪?花火大会?・・・それは8月に終わっているのに。大丈夫か、妹!≫と思い「花火は8月に終わっているので今日はないよ」と返信すると、ラジオを聞いていたらそう言っていたということでした。

そして、お昼ごろ、駅へ行くと・・・・・なんと・・・・・ものすごい人です。もーーーー普通に歩けないくらいに混んでいました。買い物をすませたお店のお姉さんに「今日、駅が異常に混んでますね」と言うと「今日は、サザンの花火大会だからですよ」と言われました。「え?そうなの?・・・サザンの花火大会って・・・?」

で、調べてみたら「茅ケ崎 サザン芸術花火大会2018 サザンオールスターズの名曲にのせ芸術花火がサザンビーチちがさきの夜空を彩る」というイベントでした。もちろん、サザンオールスターズが実際あらわれるわけではないけれども、サザンの曲と花火のコラボなんだそう。サザンファンにしたら見逃せないイベントなのでしょう。

でーーーーベランダから見ました。

今まで見たことがないような、新しい花火、そしてその組み合わせでした。曲は1曲だけ風にのって聞こえてきましたが、確かに花火とのコラボという感じで、これはきっと現地ではとても楽しめたはず。

私はもともとお祭り女(御神輿をかつぐことはないけど)なので、人が集まって皆で楽しむことが好きです。近頃、そういうところから遠のいていましたが、もともともっている自分のこの個性(これは母方の家が全員そうでした)はこういうようなイベントにも反応します。こういうわくわく、いいなあ。

イベントが終わり、大勢の人たちが皆、楽しそうに海のほうから駅のほうへ帰って来たのを見て、また、うれしいでした。今年はたくさん花火を見ました。そのたびにわくわくできて、楽しかった。自分の中から湧き出るようなわくわくはいいです。

今のそのままの自分って?
2018/10/27

「今のそのままの自分が嫌い」というパターンに何が嫌いなのか、どうして嫌いなのかと聞けば、パターンは色々言うと思います。「他人から認められていないから」「全てがうまくいかないから」「何も成し得ていないから」「肩書がないから」「頭が悪いから」「意志が弱いから」「身体が弱いから」「大した仕事をしてないから」「独身だから」「子どもを持てないから」「みんなに尊敬されないから」「可愛くないから」だから、そんな自分が嫌い、などなど。

そして、何かをやってそれらが変わっていく自分を予想し、そうなったら自分を好きになると思います。その何かは移り変わります。例えば、良い学校に入る、ビジネスで成功する、大金を手にする、有名になる、など〜そこが無理だとスピ系、宗教など目に見えないものに移る可能性がある。そこで、特別な力を持つ、偉大なるものに接する、人の知らないことを自分のものにする、など、試せるものは何でも試します。そこにワークも入ってくる。もし、その動機でワークをすると、それはパターンがすることになるかもしれません。そして、それらはパターンの考えるレベル、違うどこかを目指すことになります。

でも、それはなく、今の、そのままの自分の領域しかありません。そこの自分を好きになれるか(許せるか)というところです。

じゃあ、今のそのままの自分って何ですか?例えば、私はカウンセラーです。しかし、駅の構内でガンとぶつかっても平気で歩いているおばさんに腹を立て「チっ、謝れ、いい年して」と心の中でパターンは言います。これが今のそのままの自分です。そういうものを持っているということを認めるということです。もちろん、それがパターンであることはわかっているので、必要に応じて、語りかけたり、「だまりなさい」と言います。そして「私」は白を選びその後の行動を決めます。そういうときも今のそのままの自分です。

でも、パターンでの言行をしている自分も今のそのままの自分としてあるのでそれを認めています。だって実際あるんだもの。それを「私はカウンセラーなんだからそんなこと思っちゃだめ、そんなんじゃ、軽蔑される」と思った瞬間からそういうことをする今の自分のことは嫌いになると思います。一体何年やってんだ、とか、ミームをあげなきゃと、焦りも出てきます。そしてそうなれていない自分が嫌になる。

そんなことしちゃたり、思ったり、言ったりする自分でも、それは今のそのままの自分で、そんな自分の部分を許している。そんなふうに瞬間瞬間の自分が今のそのままの自分です。こうして自分を許しきっていくことです。

「私」はそのまま、あるがままでいい、といつも言っています。どうして?その理解が許しであり、それは自分への愛だからです。「私」は知っています。愛にしか変容の力がないことを。だから今のそのままの自分を好きになるためにはどの自分の部分にも愛を与えることのみと言えます。それにより、パターンは変わります。変わらなくていいよ、と言っているのにそんな「私」からの愛で自然に変わります。だから近頃はひっかかることがほとんどありません。

今のそのままの自分をまた考えてみてください。

今のそのままの自分を・・・
2018/10/26

昨日いらした方との話です(ご本人の承諾を得ています)

「いろんなパターンがあるとは思うんだけど。そしてこれはちょっと冒険のパターンなんだけれども『今のそのままの自分が嫌い(今の自分を認めたくない)というパターンが根底にあるんじゃないか…と思うんだけど?」と聞いてみました。その方は、自分もそれを感じていたとおっしゃいました。それがうすうすでも感じられているのなら、このパターンへ向き合うときだと思います。

ということで語りかけを作ってきてもらうことにしました。ちょっと冒険のパターンと言ったのは「今のそのままの自分が嫌い」というパターンが自分にあることに強く抵抗する場合があります。そのときにはまだこれへの語りかけはもう少し待ったほうがいいと思ったので。この方の場合はそこは大丈夫でした。

で、そこから色々と話をしました。今までの他人との比較にまつわるパターンは、今のそのままの自分を好きではないからあらわれてくるものです。今のそのままの自分を好きであれば、自分を肯定できていれば、他人との比較自体がないので、比較にまつわるパターンが激しく動くことはありません。

自分を好きだと思える、自分ってなかなかいいなあと思える、それは、変な「私って自分が好きな人なんですよねーーー」というようなものではなく、又、私はこれができるから、これも得意だし、これももっているからそんな自分が好きと思考で導きだしてくるものでもなく、そのままの自分を好きというものです。それは、ひっそりと、その人にしかわからないようにその人の心の奥でみつけるものです。それを感じられたとき、人は今までの重荷をおろします。

そして、この状態は自己探求の道において1つのゴールとも言えます。確かに、ここに到達するのはなかなか大変です。時間がかかります。ですからひとつのやり方として自分の良いところをあげてみましょう、そうしてそんな自分を好きになりましょう。というのもありますが「魂の道場」としてはそういう自分を好き、というものではないものを創っていただきたいと思う。なぜならば、自分の良いと思っていたところが消失してしまったら、また自分を嫌いになるからです。もっと普遍的なところに目を向けたいです。

自分を好きであることのもう一つ大事なこととして、それは他人のことも自然と好きになるというのがあります(自分が嫌いだと他人も嫌いです)ここはとっても大事なところです。

皆が欲しいと願っている心の状態、安らかさ、軽さ、安定感、自由、解放、柔らかさ、強さ、明るさ、そういうものは土台となる自分が好きの上に創られていきます。ですから、この土台をしっかり作りたい。

どうでしょうか?…あなたは今のそのままの自分を好きですか?・・続く。

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