ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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根底から変える
2017/04/10

人を悪く言ったり、思ったりしてはいけない、目先の損得で動いてはいけない、前向きでなければいけない、嘘をついてはいけない、欲深いことはいけない・・・などなど。いわゆる、マナー的ないけないこと、大人的ではないこと、それは人としてみっともないというのが、常識的にたくさんあります。

特に、精神的なことに関わっていたり、学んでいる人は自分にそれを強いてしまうということがあると思います。そのときにはどうしてもそれらを抑圧して、そうではない自分であろうとします。

しかし、これはいつも言っているように表面的なものです。で、それは苦しいものです。では、どうであれば、これらのことを、本心からできるようになるのかと言うと、それらに気持ち悪さや違和感を感じるようになったときからです。・・・ということは、それらを陽圧しているということは、又は繰り返しているということは、まだ、それらに気持ち悪さがそれほどないということでもあります。

たくさんそれらをやって、もう、それはいい、飽きた、と思えるまで自分が体験することが変容するのに確実です。人は気持ちの悪いものをわざわざ選ぼうという事はしなくなります。結果、それらをしなくなる自分。そこには抑圧はなく、それはもう選ばないという自発的行動がおこります。

ですので、私は、これらの〇〇してはいけないことを、ただ、やってはいけない、みっともない、レベルが低い、カウンセラーだから、セラピストだからそれらは隠して、抑圧して、思わないようにしよう、やらないようにしよう、ということとは違う考え方をしています。

かと言って、それを奨励しているんじゃないですよ。自分の中にあるものをあるものとして捉えること、そこに何があるのかを知ること、その体験で何が起こるのかを観察する・・という体験が人を根底から変えるということです。

人はまず自分ではないものごとを体験すると言われています。それがあるからこそ、自分の変容を望むようになります。はじめから出来上がったところを目指すのではなく、ここも道順通りいくのが近道です。こうみると、一見、持つべきではないことにも存在する意味があります。いろんなことがうまくできている。

羽抜き
2017/04/09

16年間父と暮らしてきたオカメインコのポロンは、父の入院と同時に我が家で生活をしています。

もう、3ヶ月くらいになりますが、ここにきて、小さな羽がたくさん籠の中に落ちているのを見つけました。私は春になって羽が生え変わっているんじゃないかと思っていたのですが、トミーが観察していたところ自分で自分の羽を抜いているということでした。よく見ると、肩のあたりの羽はまとまって抜けていて、地肌が痛々しいです。

動物病院に連れて行こうかと思ったのですが、何かできることがあるのであれば(動物病院をとても怖がるので)と思い、色々と調べてみると、ストレスから羽抜きを行う鳥が多いのだそう。特にオカメはそうらしく、飼い主が変わった、居場所が変わった、生活リズムが変わったなど変化へのストレスだそうです。

ひどくなると、引き抜いた地肌を自分で噛んでしまうらしく、それは人のリストカットと同じようなことなのだそうです。皮膚病やその他の病気も原因としてはあるようですが、多分、ポロンの場合は前者だろうと思いました。今までだったらそばにいた父がいつまでも帰ってこなくて不安で寂しいというのがあるのだと思います。父がよく使っていたカバンを開けるときの音を聞くと、大声で鳴き、あちこちを見てその姿を探します。

獣医さんのコメントを見て、とにかく声をかけてあげることが大事だとあり、早速それを継続しました。目をみて「ポロちゃん、かわいいねえ、いいこだねえ、大好きだよ」と。すると一瞬、私と目をあわせ、落ち着いた様子を見せます。しつこいほどそれをやり続け、3日たったら、ほとんど羽抜きをしなくなりました。

この声かえの場合も注意事項があり、羽を抜いているときにこのように声をかけると、羽を抜いていると優しくしてもらえると学習してしまい、それがよりエスカレートしてしまうこともあるので注意、ということでした。

こんな小さな頭で、そういうことも学習してしまうほど、実は複雑な、頭と精神の持ち主なのだということを今回教えられました。ポロンには、これから先、ゆったりとした余生を送ってもらいたいです。なかには36年、生きているオカメもいるとのこと。ポロンも自分の命を十分に生きてもらいたいので、私とトミーの声かけはこれからも続きます。

場所ではない
2017/04/08

盛岡は、風は冷たかったものの、春の到来を感じられました。

それは特に夜。

あの春の夜が持つ、甘くてあたたかな空気が体を包み込んでいく感じによってです。

さて、いつも泊まっているホテルの朝ごはんを食べに行ったときのこと。そのホテルは仕事で泊まっている方が多いのですが、今回も隣のテーブルはそういう様子の男性が2人いました。たぶん、私と同年代ではないかと思います。

そのうちの1人の方が「定年後は、こういうところで過ごしたいですね。東京ではゆっくりと過ごすことは無理ですから」と言いました。するともう1人の方も「そうですよねえ・・・東京というせわしない街の中ではゆっくりは無理ですよ」と言いました。

それを聞きながら≪そうなのかなあ≫と思いました。住んでいるところによってゆっくりできる、できないって・・・?

そのとき、知り合いの男性の方のことを思い出しました。その方は世界中をまわり、仕事をしながら自分が心身ともにゆっくりと住める国と街を探しました。世界中と言っていいほど多国を訪れた人です。それは20歳から60歳近くまで続けられ、最終的に彼が選んだのはカナダでした。カナダに素敵な家を買い、大自然の中で、彼を受け入れてくれる人々に囲まれながら生活をしていました。

そして、日本にやってきたときにその人と会い、話を聞くと「結局場所じゃないということがわかった」と言いました。カナダの美しさに抱かれながらも、自分の心が曇っていれば、そこには安住はないということでした。「自分が平和な心であればどこに住んでいようとゆっくりと美しく生きられる」と言っていました。場所ではないんです。

ゆっくりと美しく生きる・・・今の自分のいるところで。

教えてくれる人と教える人
2017/04/04

先日TVで見たのが、イタリアで靴の職人になるべく修行をしている日本人男性の方でした。その方はイタリアに住む高齢の靴職人の弟子となり、修行をしていました。

途中から見たので、詳しいことはよくわからなかったのですが、彼が自分の作った靴をもって師に会いにいき、靴の出来栄えを見てもらうという場面がありました。

師は大変うれしそうにしながらも、丁寧に彼の作った靴を見て「ここはもう少し細かく」とか「ここはこうして」とかアドバイスをしていました。

彼が「これからも私の師はあなたです」と言いました。すると師は「あなたには教えてくれる人が必要だった、そして私には教える人が必要だった」と言いました。師と弟子の関係は決して片方からの思いだけではないということを伝えたかったのだと思います。お互いに成長をするためにお互いが必要だったんです。

これは、何かを教える、伝える、与える関係においては全てそうです。伝えてもらう人と、伝える人、与えてもらう人と、与える人、その関係があって成り立ちます。この視点は大事です。

そして、その師が話の中で何度も言っていた言葉は「情熱と素直」でした。何かを誰かから教わるということはお互いにそれに対する情熱をもっていなくてはなりません。この情熱も片方だけではだめなんです。お互いの情熱がお互いを高めます。そして、素直に教わる、素直に教えるということなんだと思います。その在り方が作る靴に反映していきます。

「お金のために靴を作ってはいけない」とも師は言っていました。会話の全てに、誇りと神聖さを感じられるものでした。

今日はこれから盛岡です。桜にはまだ早いですが、盛岡の春を感じられるでしょう。今回も善いクラスを行ってきます。では、行ってまいります。

ゾーン
2017/04/03

1日に行われた、フィギュアスケート世界選手権男子フリー。ショートプログラムでは5位にいた羽生結弦選手が、このフリーで世界最高得点(223.20点)を打ち出して優勝しました。

やはり、羽生選手はただものではありません。

第一、まだ22歳でしょう?とてもしっかりしているし、大人ですねえ。私が22歳のときなんて、何もわかっていなかったばかりか、その日が楽しければいい、としか思っていませんでした。本当に恥ずかしいほど子どもでした。

そんな羽生選手の演技ですが、まさに「ゾーン(ハイレベルな集中状態)」を感じさせるものでした。声援を送る多くの人達があたかもいないようなところに羽生選手はいて、ただ、自分の望む最高の自分を表現しようとしているだけのように見えました。

そこには「大丈夫、自分はできる」とか「ミスしないように」とか「リラックスしろ、自分を信じろ」など、思考が入る余地がありません。練習して練習して練習しきってきた人だけが表現できるところにいたように思います。

羽生選手はゾーンこのことも知っていて、そこにいるときは自分の持つ最高の力が出せることも体験を通してわかっているんだろうと思いました。意識的にゾーンに入っていっているのかも。ゾーンに入るためにはとにかく毎日やり続けることなんだそうです。一気にやってしまうのではなく、毎日毎日、短時間でもいいから毎日継続することなんだそうです。何ごとも継続ですね。素晴らしい演技でした。

いいあんばい U
2017/04/02

では、ちゃんと生きていれば、の「ちゃんと」ってどういうこと?ということですが・・・。

嘘をつかない、人にいじわるをしない、目先の損得で動かない、もっともっとと貪欲にならない、盗まない、だまさない、争わない、他人をバカにしたり、やつあたりしない、他人を利用しない、ゴミを道に捨てない・・とかとか、こういうことをしないということというのがあります。これらももちろんそうですが、道場としては、もうひとつ大切なことを提案したいです。

それは「自分を知り、自分を愛する」ということです。「私」が本当の自分であることを知り、「私」はどういう者かを知り、そんな「私」が自分の全てを愛して生きたとき、人は否が応でもこの宇宙の意思に沿った生き方をするようになります。そこには、もう、先ほどのやらないことということ自体がありません。

その在り方が「ちゃんと」なんです。

で、そのちゃんとの領域には、物事をスムーズに動かす力があって、そことともに生きるからいいあんばいでいくんだと思います。このいいあんばいは、よりちゃんと生きれば、よりいいあんばいになります。

この逆は「自分を裁く」というものです。裁きによる、自分への罪悪感、深い後悔、厳しい自己評価、固い決めつけ、自己否定、自己不信、自分への哀れみ、憎悪、自己嫌悪、自己卑下、などなど。そういうあり方をしていれば、いいあんばい領域からは離れていきます。そうすれば自然とそういう現状を生きることになります。いいあんばいで全てが動いていない状態です(ここでチェック)

誰でもが、いいあんばいで生きてほしいというのが宇宙の意思です。自分なんて・・・と決めつけてしまわないでください。誰もが宇宙にとって大事な存在なんです。

それから、いいあんばいに気付くまでには時間がかかります。ちゃんと生きる、すぐにいいあんばいということはありません。これをやったらこれがすぐに得られるというのではなく、しみこむようにそれはやってきて、自分が確実に変わったことを知るのです。そこまで待つということも大事です。結果がすぐにこないから私には無理とは思わないでください。

いいあんばい T
2017/04/01

ちゃんと生きていれば、全てはいいあんばいで動いていき、整えられていく・・・ということはいつも書いていることです。

いいあんばいって全てにおいて100%、最高の状態ということじゃないですよ〜。そうなっちゃうと、2極の片方だけに全てがきていてそこで動きがなくなっている状態です。常に私達は2極を揺れ動いていることが自然なことなんです。それがまさに生きているということだね。

いいあんばいは、その動きが、ばったん、ばったんと極端ではなく、スムーズであること、その動く範囲が小さくなっていくということです。だから結局は、楽。

今、全てがいいあんばいで動いていないということは、見直しが必要。そんな単純なことあるわけないと思うかもしれませんが、これは本当にそうです。

自分を知る方法はとても単純なことなんです。いいあんばいでいっているか?それともそうではないか?時々こうして自分をチェックするといいと思います。もちろんチェックするのは「私」が。黒パターンにチェックさせたら、不満だらけかもしれないし、黒パターンを満たすことが多くあれば、うまくいっていると思う。ここでも誰が?ということを意識して自分をチェックしてみてください。続く

HP
2017/03/30

「自生塾」の岩崎 マーガレット 葉子さんのHPがリニューアルしました。 http://jiseijuku.com/

青い空に(お名前の)マーガレットが咲きほこるtopページ。後ろには富士山が見えます。富士山のようにどっしりと、いろんなものごとを俯瞰していきたいという印象を受けました。

内容もシンプルかつわかりやすいです。よろしければご覧ください。

HPって簡単に作れるけれども、難しいものでもありますね。どんなに装ってもそこにはその人があらわれます。どんなに立派なことが書いてあっても、どんなに悟ったようなことが書いてあっても、どんなに言葉の使い方が上手でも、そのHPをじっくりと沈み込むように読んでいると、その言葉の後ろにあるものがみえてきます。みえてくるものは、その人自身がそうやって生きているのかどうか・・・というところです。

ですから、こわいものでもあります。

結局、人は今の自分としてしかいられないということです。だったら、今の自分を精一杯表現して、その人らしいHPを作るといいと思います。

そこにオリジナルなものが出来上がって、世界にひとつの魅力的はHPになります。

手にしたいツール
2017/03/29

今起きていることに、すぐに答え(判断)を出さないということ。

答えを出してしまうということはその物事にレッテルを貼っていくことになります。レッテルを貼るということは決定するということでもあります。そのように意味づけてしまうということです。

でも、その意味付けは本当にそうなのか?それはこれから先、まったく違うものとして自分の体験になるんじゃないか?これはそうなっていくほうが可能性は高いと私は思っています。ですから、すぐに答えを出さないということです。

とりあえず、静観してみる、とりあえずちょっと横に置いておいてみる、とりあえずこのままいてみる、対処が必要なときは必要な対処だけをしておいて、そこへの意味づけはしない、などです。

このツールも使えるといいです。何がいいのかというと、物事を深刻にしなくなります。いずれ流れて(これは絶対に流れていく。でも、レッテルを貼ってしまうと流れない。自分が流さない)今起きていることが違うように展開するだろうと思うと、そんなにどうしよう、どうしようと深刻に物事をとらえなくなります。

それは心に余裕がある状態なので、そこにまた良いアイデアが流れてきたりもします。塞翁が馬は強力なツールだと思う。ぜひ手にしたいツールです。

親のせいじゃない
2017/03/28

「私が人に優しくなれないのは、親から優しさをもらわなかったから」と言う人がいます。

これはいろんなことに使われている。「私が自分に自信がもてないのは・・」「私が自分を肯定できないのは・・」「私が可愛くないのは・・」「私が人づきあいが下手なのは・・」・・親のせい・・こう言ってずっと親のせいにしていく限り、その人は、そのまま生きていくしかありません。

それを繰り返し、やっぱりそうだ、とそれを強く大きくしてますますそういう自分としていくことになります。

でも、それは親のせいじゃない。そこを動こうとしない自分の責任です。

そもそも、世界中の人たちのうち、親から十分な愛を与えてもらってきた人なんてほとんどいないはずです。なぜならば、親もそのまた親にそのような愛を与えてもらえてなくきているからです。それはその前の親の親の親からもずっと続いています(だからこの負の連鎖を気付いた人が断ち切っていかなくてはいけないんです。子供のために)

それぞれの魂には今回クリアしたいと願っている課題があります。それはずっと抱えてきてしまった課題かもしれません。それをクリアするのにちょうどよい、環境や親を自分で選び、やってきています。ある人は優しさということを知らない親の元へ。ある人は自己否定の強い親の元へ。そういう親から刷り込まれてしまったパターンで生きることを行っていくうちに、自分で気付いていきます。

「私は優しくない、でも、優しくなりたい」「私は自分を否定している、でも、自己肯定したい」もともと与えられていないものなら、それの反対にあるものを欲しがることもないんじゃないかと思うのですが、皆、それを欲します。それは魂が望んでいるものだからだと思う。

それが欲しいのなら自分で手にしていかなくてはなりません。そこからは自分でやるしかありません。親はやってはくれません。誰もやってくれません。厳しいことだけれども、これは皆に与えられたことで、それをやるために自分で望み、ここにきています。

だから、もう、親のせいにしない、何かのせいにしない、自分でできる、その道具は自分の中にもっている、ということに気付いてください。

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