ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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手帳とノート
2026/01/27

スマホ、欲しいかも。と、先日のコンサートでは確かに思いました…が…。

「ここまで持たずに来たのならもういいんじゃないのでは?」と知り合いに言われました。うん、今、不便ではない。家にはPCがあるし、外出時もガラケイは持っていっています。まあ、いけるとこまでいってみるか、と思っています。

で、もし、スマホを持つことになっても、私は紙の手帳とノートは使い続けるだろうと思っています。手帳もノートも、ただ、メモを残すところとしてあるのではなくて、手帳やノートは自分の好きな色のものを使っているので、その色が目に入ったときのいい感じとか、見慣れている自分の字が並んでいることでの安心感のようなものがそこにはあります。

特に手帳は各月を開くとその1か月がまるまる見えて、どんなふうにその月がすぎていったかもわかります(これはスマホでもできるのかもしれませんが)後は、ペン(近頃はえんぴつのよさも感じている)を使って書くということが好きなんだと思います。自分のその時のイメージだけを小さな絵にして書くこともあるし、言葉ひとつだけなのに、その一言で自分をひきしめたり、ゆるめたりすることができるものを脈絡もなく書くこともあるし、知らない漢字を書いてみたり…と手帳もノートも自由ノートであり、ここに書くことは遊びのひとつです。これが、楽しい。

それだけ大切な手帳とノートなので、それを失くしたらパニックだろうと思いながら、置き忘れないようにと私の最大の注意力で気を付けています。しかし、私の場合、最大の注意力があまりあてにできないので、できるだけ外に持ち出さないようにしています。

ドレミの歌
2026/01/26

昨日は、妹の推し、五十嵐 紅さんのコンサートに2人で行ってまいりました。

今回は、五十嵐さんのギターの他に、ヴァイオリンとチェロのトリオでのコンサートでした。「シネマ 2026」と題し、映画音楽特集でした。

サウンド・オブ・ミュージック、タイタニック、ハリー・ポッターなど知っている曲ばかりで、聴衆はきっと心の中で一緒に歌っていたと思います。

それぞれがご自分の活動をしながら、時々トリオで活動してきたのだそうですが、阿吽の呼吸というのでしょうか、お互いの息を感じながら、奏でているということが感じ取れました。五十嵐さんが一つの音をポンとつま弾いて、隣のヴァイオリンの方にその音を大切に渡しているのを見て、その曲への思いが伝わってくるようでした。

ただ、技術だけではない音楽の世界。そこには、人間にしか感じられず、表現できないものがたくさんあり、それが人々を癒し、元気づけてくれるのだと思います。そして、聴衆がいるということは、その人達一人一人の内にもそれを感じ取るセンサーがあるということです。

聴きながら、こんなに綺麗な曲や、それを表現するための、すばらしいたくさんの楽器という物を人間は作り出すことができるのに、殺戮兵器を作り出すこともできる、と思いました。どちらが自分にとっての快なのかと問えば、きっとほんとうは、誰でもが前者でしょう。

サウンド・オブ・ミュージックの中の「ドレミの歌」が演奏されたときに、世界中の子どもたちが心から楽しく歌えるような世界になってほしいと思いました。

とても気持ちの良いコンサートであり、十分に楽しめましたが、そんなことも思える場でもありました。

アンコールではその日の演奏曲の中から1曲を演奏してくださいます。その時は、写真撮影、動画、OKで「今日のお土産にしてください」というならわしです。これもまたファンにとっては嬉しいだろう。一瞬にしてスマホだらけになりました。スマホ…欲しいかも。

待ってるよ…
2026/01/25

新たな世界に自分の意識が住むことで、もう、傷つかない、嫌なことは起きない、嫌な他人もいなくなる、自信もつく、他人からも認められる、自他について思い通りにいく、と思いがちですが、そうではないです。

このあたりが欲しくて(今がつらいから)心理学やスピ系を学ぶ人はとても多いです。でも、そうはならないです。

じゃあ、何が変わるのか。それは…以前ほど傷つかなくなる柔軟さと知恵を獲得する。嫌なことへの意味づけが深まりそれにより嫌なことが減る。嫌な他人への理解が深まりそれにより嫌な他人ではなくなる。しかし、つきあうべきかどうかはクールに見極める。本来の自信を知りそこへ向かおうとする。他人に認められなくてもよくなり、でも、自分は他人を認めている。自他について思い通りでなくていいことを知り、それを欲するようになる。という変化が起きます(…と言い切ってしまうのはちょっと違うと思いながらもそうだと思う)

こうしてみると、そこには他人は出てこない。自分の周りの事象も出てこない。全て、自分の内のところでの変化です。精神性を上げていくってこういうことだと私は思います。

で、それは思考ではできない。日々の小さな体験を通して、ほんの少しずつ気づき、それに向かう。そして、間違え、心が折れそうになっても、またそこへ向かう。この繰り返しです。人間ってそういうふうにもともと創られているんです。だからそれが順調にいっている証です。

新なところは「待ってるよ」と言っている…と私は感じています。こうして自分を見守り、待っていてくれるところがあります。だから安心して進めばいいんです。

いつか自分はそうなる
2026/01/24

昨日の日記の続き。考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが、確かにここは難しいです。

ずっとこのやり方で課題をクリアしたり、目指すものごとを手に入れてきたから。そして、私たちはよく考えなさい、もっと頑張れと言われてきてもいます。それは良いことだとも教えられてきているし、それができる人は優秀な人だと思われます。ずっとそれできています。

だから「わかっていてもそこからは抜けられないよね、だってずっとそうだったんだから」と自分で決めたらそうなります。「もう、ここはいい、次へ行こう。そして今までみたことのない世界を知りたい、感じてみたい、自分はいつかそれを見るだろう」と自分で決めればいいんです。

そこには、楽しみやわくわくする気持ちがあるかも(そこに行かれれば傷つかない、とか、守られる、とか、全てが順調ではないんですよ。ここが大事)そうやって、自分で決めて、自分で今やるべきことをやっていけばいいんです。それはやりたいことだからです。

こうしてやりたいことをやっていくことは、まるで自分で開拓していくような感じです。そこには唯一無二の道が開けるはずです。その道は誰かの道とは違っているし、誰からも評価されるものでもないかもしれません。でも、自分は魂の望むままに生きているということが自分に本当の意味での自信を与えてくれるかもしれません。いつか…自分はそうなる、と決めてください。

ゆったりとゆっくりと
2026/01/23

ここのところ色々と書いておりますが…いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、と思っていることが一番です。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分…と、この自分の決めたことが大事なんです。まず、意識ありきです。どうしたらそうなれるのだろう、どうすればいいんだろう、は、方法を考えているだけで、決めていない状態です。

まず、自分が決めるということが物事の変化全ての基本なので、いつかわかるだろう、自分、いつか体験するだろう、自分、でいってください。

いつかって、いつなんだ、いつかなんて嫌だ、今すぐがいい、とパターンは言うかもしれませんが。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、には、それを知りたい、それを体験したい、それを感じたい、という思いがあるからだと思います。そう、知りたい、があるのでは?だから決めたらいいんです。いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、と。

そして、やるべきことをやるのにも、肩の力を抜いて、ゆったりと行ってください。どうしたら、どうすれば、をここでは使わないでいいんです。それはもう使いすぎたほど使ってきた。だから、これからは、ゆったりと、ゆっくりと、自分が望んでいることをやっていきます。

考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが。

心を耕す
2026/01/22

自分はわかっている…と多くの人は思っていると思います。自分はわかっている、と思っているから、ざっくりと言ってしまえば、他人が出てくるパターン(比較のパターン)に引っかかるのです。わかっている自分だから、怖いとパターンが思っている他人に対して、対抗できる。その手段のひとつです。

自分はわかっていないということがわかっている人(ほとんどいない。私も昔は引っかかりまくりだった)はそもそも他人が出てくるパターンにひっかからないんです。何故かというと、比較自体があくまでも自分のものであり、他との共通のそれはないという事を知っているから。そして、他人はもう、怖い存在ではないことを知ったから。それは自他を優しく、解放へ導くものだから。宇宙のシステムを少しずつ体験し、より、自分の力で生きているのではないこともわかったから。などなど。まだまだあるけど。

そこまでの魂の持ち主であれば、すでに、多くの人に善き影響を与え、たくさんの人々を救っているとも思います。

物事の道理、その後ろにあるもの、本来のものが見えない、知らない、わかっていないからこそ、私はわかっているとパターンはいうのです。それは謙虚であれということではなく、素直に正直に自分を見つめていくとそこが見えてくるものです。だからやはり心を整えるということになると思います。頭でやろうとしない。心を耕す。どんな動機で行っているのか。

心はシンプル
2026/01/21

少ないモノで生活をする。

私はミニマリストではないけれど、少ないモノで生活をしています(トミーのほうがモノの数は圧倒的に多い)何でだろう…と考えてみたら、自分の持っているものを全部把握していることと、全てを使っていることが好きなんだと思いました。

何を何枚持っている、あれはあそこに入っている、など。仕切りたいんだな。管理しておきたい。だから仕切れる数でなければならない。そして、少ないそれをどう使おうかと考えることがけっこう楽しい。多くのモノがあるところでは、選択肢がたくさんあるので、わからなくなってしまうのです。

よくお宅拝見で、クローゼットルームにたくさんの洋服やバッグや靴、今は使っていないモノがずらっと並んでいる部屋を見ると、モノの多さに苦しくなりそうになります。

これは自宅の冷蔵庫の中も同じで、冷蔵庫の中に食材がたくさん入っていると、料理の苦手な私は、圧迫感しかなく、どうしたらいいんだろうと、ストレスになります。早く使わなくちゃという気持ちに飲み込まれてしまうと、食材をこなすような使い方をしてしまうので、食材への申し訳なさもあります。で、冷蔵庫はすかすかです。

心についても、一般的に言われているように、人の心は複雑で、自分という人間が最も理解できない、とは思っていなくて(思いたくないんだろう)まず、心はシンプルであると思っているんです。根拠はないけれど、心は複雑という根拠もないです。そういうことも絶対これという正解はなく、その人がどのようにそれを意味づけしているか、創っているか、だと思う。シンプルなのか複雑なのか自分で決めていいと思っています。自分の心身、自分の人生だから。

その人にとってよき感覚がある方を選べばいいわけです。シンプルか複雑かと二択だけでもなくシンプル80%の複雑20パーセントでいたいとか、シンプル98.5%複雑1.5%とか…もある。絶対なものはなくて、ひとりひとりが実は全て決めていいもの。創っていいものなんです。だから自分と同じ人はひとりもいないのです。

心の在り方をシンプルに決めて、今までやってきたことで、より、少ないモノで生活をすることに慣れた気もしています。

60代からは…
2026/01/19

本屋さんで、ここのところ多く目につくのは、シニア向けの雑誌や本です。以前は、全くと言っていいほどそのようなものはありませんでした。

ここ数年だろうか。まだまだ輝いて生きられる、ということが世のシニアの求めていることなのだろう。この手の本が多いのは需要が多いのでしょう。

そんな雑誌の1冊をぱらぱらめくってみました。60代からは、もう、自由に生きていい、自分らしく生きていい、というようなことが書いてあります。誰にも遠慮することなく、自分がやりたいことをやる、行きたいところへ行く、人間関係も整理していく、一人でいることの清々しさを味わう、などなど。

見ていて「なんか、変」と思った。60代からは…と、言っていますが、50代まで、一般的な価値観や、常識に縛られ、他人に頼りながら生きてきて、それがあたりまえと思い、そのように生きてきた人が60歳になったとたんに、今までとは反対にある、そのような生き方に変えられることはないよなあと思った。

今までの生き方は心身に染みついていて、それを変えるって、あまりに強引だし、どう考えても無理。60代からは…を信じてしまうと、そうできない自分を責めてしまったり、そうして生きている人たちが妙にキラキラ見えてしまったり、自由に生きていいはずの60代を、そうなろうと、自分を強いていくことで不自由にもなっていくかもしれません。

では、そう生きるためには?。60歳になる前から本来の、自分に合う自由を自分に与えてあげられるようになっていく必要があります。そのためには己を知る。そして、自分の個性を知った上で、どうしていくのがその個性をいかすことになるのかを、たくさんの失敗や挫折や後悔から学ぶことだと思います。

それは、早い方がいいと思いますが、20代、30代でそれができる人は稀で、ほぼ、まずは一般的価値観と一般常識や他人に縛られて、黒パターンで生きる体験をしなくてはなりません。ここはすごく必要なことです。

そう考えると、自由に自分を生かすことに目を向けられるのは40代、50代くらいからかも。これはお会いした方々を見ていてもそう感じました。40代から20年かけて、50代から10年かけて60歳になれば、それはきっと可能になると思います。で、60代がそうであればそれは70代、80代とのばしていかれます。いい人生を生きよう!

他のために…
2026/01/18

正しい選択をしたことで受け取っていること。きっとそれは今までも数々あるはずです。ただ、それが小さなことであることが多いので、気付いていないだけだと思います。そして、与えられているものごとは自分が望んでいることではない場合も多いので、より、気づきにくいかもしれません。

正しい選択をするときは、もしかしたら損をしているかもしれない。勇気がいることかもしれない。正しい選択というほど大きなことでもなく、自分としては当然なことなのかもしれません。しかしそういう小さな正しい選択こそが自分にとって、そして、誰かのためにもなっている(と私は信じている)。

そして、この、誰かのためになっていることが、善い選択をしたことで与えられた最大なことなのではないかと思います。

これは祈りと同じで、心を込めた祈りという自分の選択は自分から小さな天使を生み出していることになり、誰かのところへその天使は届く、と以前、お世話になった先生から聞きました。これをイメージするととてもいい。

そして、祈りと同じように、日々自分の善き選択が小さな天使を生み出しているんじゃないかと私は思います。生み出された天使はきっと誰かのために使われるだろうと思うのです。

人の最大の喜びは他のために生きること、と多くの偉人が語っています。きっとそうだろうと思います。自分の祈り、善き選択も他のために分配していく。それが自然に行われている。そこには意図がないので、より、純粋なんじゃないかとも思います。

こうしてみると、私たちは誰かのためになることを毎日行っているといえるんじゃないかと思います。それは、他のために…という生き方だと思えます。

フレイルチェック
2026/01/16

昨日、買い物でショッピングセンターに行ったときのこと。入口を入るとすぐに声をかけられました。

「フレイルチェックが無料で受けられます。やってみませんか?」。フレイルって…あれだよな、あれ。高齢者の…と思い、私はいいと思ったのですが、買い物後、やってみたくなり、お願いしました。

そこで行われていたのは3つのフレイルチェックでした。まずは握力測定。ペットボトルの蓋を開けられなくなっているので大分落ちているだろうと思って測ったら、平均値より上でまずはOK。

続いては滑舌チェック。5秒間「タ」を言い続ける。次に「カ」を言い続ける。こちらも平均値の上なのでOK。

最後は指輪っかテストでした。自分の両手の親指と人差し指で輪をつくり、利き足ではない方のふくらはぎの1番太い部分を囲みます。そのときに、囲めないのか、ちょうど囲めるのか、隙間ができるのか、でふくらはぎの筋肉量を調べるというものでした。

これはーーーテストをする前に囲めないことはわかっていた。ずっと、たくましいふくらはぎの持ち主なんです。で、両足ともに囲めない、という結果に。これは筋肉量が十分にある可能性が高いからよいことなんですが。

すると担当してくれた女性スタッフの方が「素晴らしいですね、私も今までたくさんの方を見てきましたが1番だと思います。筋肉を落とさないで持続させてくださいね」と言われました。ありがたいことなんですが、ずーーーと細い足に憧れてきた私としてはなんとも微妙。

「これ、筋肉なんでしょうか。脂肪のような気もするのですが」と聞いてみたら「筋肉です!」ということでした。ここはいまだにわからないよなあと思っています。脂肪かも、むくみかも、もある。

最後に総合評価をしてくれるおじさんのところへいくと「何も言うことありません。このままいきましょう」と言われ、まあ、ふくらはぎのことはあるけれど、よかったでした。

今回は3つのテストだけでしたが、他のテストも無料で受けられる測定会も市では行っているそうで、そこでは心のフレイルテストもあるそう(心のフレイル?なんだろう、これは興味ある)いつか受けてみようと思いました。

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