ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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白パターンを選べない
2026/03/03

今朝書くことは、ちょっと混乱してしまうかもしれませんが、ふーーーーん位に読んでいただけたらと思います。

私はこだわりが強いので「だって、嫌なもんは嫌なんだもん」と口にすることがあり、そのときには、その通りに行動します。これは、それに対して、嫌という感情を生み出しているし、それへのストレスも感じているし、すっきり感がない…だからパターンなんです。

それでも「だって嫌なものは嫌なんだもん」というパターンを選んで行動することがあります。その結果(というか、それと同時に)より、気持ちが重くなるという事も受取ります。またやっちゃったよ、それではないことはわかっているのに、というような(パターンとしてはほっとする)

じゃあ、何故そこを選び変えて(白を選んで)そちらを実践しないのか。その白はとても気持ちがよいものなのに。何故?と思うと思います。普通(というのも変だけど)はそうするよね。はい、そうしています。

しかし、そうできないものもある。それはまだ白を選べないということです。だったら仕方ないね、と「私」が黒パターンを選んでいるということです。

えーーーっ?いいのか?そんなことして、と思うかも。でも、選べないのなら、そこでいくしかないわけで。今は重い気持ちを持ちながらそうすることを選ぶ。しかし、そこにい続けたいわけではなく、どこにいきたいかもわかっている。どうすべきかもわかっている。そのために「もう少し苦しむ」(エックハルト・トールさんの言葉)を選んでいるとも言えます。

というように「もう少し苦しむ」ことを承知で黒パターンを選ぶということもあります。しかしそれは全部黒パターンでいっていいということではもちろんなく、多分、多分なんですが、その人の課題となるところのものは最後まで選び変えることに時間がかかるような気がします。それも頭では理解できる。こだわりって、大きな課題というものだろうから。

…といろんなことがありながら(そんなにきれいにスパッとはいかないのが人間か、という深い理解とともに)それでも、きっとここへ「私」はいくだろうという世界を見つめて今日も生きる。それを思うと心は晴れます。そこに無理なくいかれるようになるまで「もう少し苦しむ」が必要なのだろう。なんか、いい、と思います。

睡眠障害から…
2026/03/02

睡眠障害になって、1年がたちました(これも1年計画か?)

去年の今頃は、眠れないという人生初の体験にどうしたものか‥と闘っていました。どうすれば以前のように眠れるのだろうか、どうして眠れないのだろうか、と、いろんな情報を集め、よいというものを色々と試し、以前のように眠ることができるようにしよう、と思っていました(以前は、人一倍、よく眠っていたので特にそう思う)

で、1年。現在は、寝ているような寝ていないような、よくわからない状態です‥が‥普通に日常生活を送れているので、これはこれでいいのかもしれないと思うようになりました。

質の良い睡眠がとれないと、心身が休まらない、リカバリーできない、免疫力が落ちる、病気になる、死亡率が上がる、やる気が出ない、日中ひたすら眠い、仕事のパフォーマンスが落ちる、など言われているので、とにかく眠らなくては、と思っていました。

最も気になっていたのは、個人のカウンセリングとクラスでのセミナーのことで、眠れていないこの状態でできるのだろうか、続けていいのだろうか、と思っていたのですが、自分の(あくまでも自分の‥です)感じでは、1年前よりも寝られていないことで何かが抜け落ちたのか、諦めるしかないと腑に落ちたのか、より、感じられる、とか、ひらめく、とか、ゆだねる、とか、まかせる、とか、流れるまままにしておく、とか、それはそのままでいい、とか、そのあたりに自然とシフトしていたことに気づきました。

以前のように頑張る力はないけれど、心の中にある熱いものは軟らかく練られて自由に動いて以前とは違う活力を感じます。その状態でカウンセリングやクラスを行うと心身は生き生きとしてくるのもわかるので、今の私には、これが真理だと思います。

これから先どうなるのかは全くわかりませんが、もう、自分で闘って思い通りの睡眠をつかむことはやめようと思いました。何かの計画のもとに起きているのかもしれませんし、そうではないかもしれませんが、年々年を重ねていく身体の都合というものもあるでしょう。この1年の学びはそういうものでした。

しかし、私は、1年かからないとわからないことが多い。そういう個性、性格なんだと思いますが、それを大事にしてあげようと思います。

パターンに行きつく前にあったもの
2026/03/01

「今、どう感じている?」「今どんな気持ち?」と自分に問う。それも、唐突に。それを皆さんにお勧めしています。

初めて、この道に入るとき、まず、これをしつこくやったと思います。「今どんな気持ち?」と私が聞く。それに対して返ってくる答えは思考していることがほとんどだったと思います。「それは思考でしょ、気持ちは?」とまた私が聞き、少しずつ「気持ち」を感じられるようになり、それを口にするということができるようになっていったと思います(ここまで書いて、以前、同じことを書いたような気がしますが、再びよろしくお願いします)

そのくらい、大人になってしまうと、今の自分の気持ちがわからなくなっているんです(大人でここがひょいひょい出てきた人には今迄お会いしたことがありません。カウンセラーやセラピストの方達ともお会いしてきましたが、誰もそうではありませんでした)皆、自分の気持ちよりもちゃんと考えろ、感情的になってはいけない、ということを要求されて育ってきたので。特に社会に出ればそこはより大きく強くなります。で、使っていないものは自然と退化していくので、わからなくなります。

で、何故、今、再び、この初めてやったことが必要なのか、なんですが。これから先の「私」はどうありたいか、も、この今の気持ちを察知することの延線上にあるものだからです。「私」はどうありたいか?という問は、それについて考えるというところへ行きやすい問だと思います。

しかし、考えてそれを導き出すのではなく(それは頭の中の今までの体験や記憶から導きだされているので)「私」としてのところを感じたい。それは新しいもの、「私」の大欲、それを感じたい。それはきっとその人=「私」の真理だと思います。真理は思考では見つけられないんです。

それに役立つであろう今回のこれです。最初にやったもの。これは、パターンに行き着く前にあったものです。

で、この最も自分の近くにあるもの、最初にあるものが最も大事なんです。だから「今、何を感じている?」「今、どんな気持ち?」です(これはパターンをみつけようとしなくていいです。パターンを見つけるときは先に感情が自然と出てきているのでそれについてはパターンをみつけます)

又、この感覚を思い出すことで、語りかけも白パターンも最も今の自分の近くにあるものを見つけていけるようになると思います。それは今の自分のレベルに合ったもの、背伸びしないものです。そうしていくことで、今の自分を知ることになるし、その自分に何が必要なのかもわかってくると思います。

普通
2026/02/27

人は精神性を上げていくたびにどんどん「普通」になるんだという事を知った今。

昔は、精神性を上げるって、特別な自分になることだと思っていました。だから、その頃出会った先生たちは特別な人だと思っていました。覚醒とか、悟りとか、愛の人とか、直感や特殊能力で全てがわかる人、そういう人であるように見えていました。

そして、何より楽そうに見えました。嫌なことやストレスがないんだろうなあ、そして、特別な仕事を持っていていいなあ、覚醒すれば、悟れば、愛の人になれば私もそうなれるんだ、と思っていました。ということは、当時は楽ではなかったんだね。そう、本当に苦しかった。とにかく早くそこから抜けたかった(というパターンの衝動と動機で全てを決めていたことが今はわかります)

しかし、いつの頃からか、そうではないということがわかるようになりました。同時に覚醒とか、悟りとか、愛の人とか、直感や特殊能力で全てがわかる人についての意味づけも自分の体験を通して増えていきました。それすらもただ一つの事象であり、特別なことはひとつもないということがわかりました。だから特別な先生もいないんです。

で、そこからだと思います。自分らしく生きられるようになったのは。もう、それは私にはいらないと思えるようになってからだと思います。ただ、自分の信じた生き方をしていけばいいだけなんだと思えるようになった。

そして「私」は利益を欲しがらない、ということにも気づきました。「私」は報酬や結果が欲しいのではないんです。なぜならば「私」はもうすでに、ずっと昔から満たされているからです。ただ、その人自身=「私」として存在したいだけです。それが「普通」なんだと思います。この「普通」を知って…人ってそもそも素晴らしいと思えるようになりました。誰もがそういう普通だから素晴らしい。

イソヒヨドリ
2026/02/26

先日、朝、洗濯物を干すためにベランダに出たところ、鳥のさえずりが聞こえました。よく通る、透き通った声がとてもきれいで、しばしじっと聞き入りました(こういう時、私はハイジ‥ここはアルプスと思う)

それにしても、近くで鳴いている…どこ?…おとなりのベランダをそっと見てみたら、そこにいました。ベランダの手すりの上に。青と茶色の体で、ムクドリくらいの大きさです(後から調べたら、イソヒヨドリの雄でした)

私はできるだけ気配を消して、その姿をそーーーっと見たのですが、さすが野鳥、なんか変な気を感じたのでしょう、さえずりをピタッとやめてしまいました。≪たのむ、もう一度聞かせてくれ≫と欲望丸出しの私の気にこれは危ないと思ったのか、すっと飛んでいってしまいました。

そうだよなーーーと言いながら洗濯物を干す。人間の欲望を満たすためにさえずっているんじゃないよな。

意識のレベルに、レベル500(愛)に属しているものとして、鳥のさえずりがあります。そして、犬が喜んで尻尾を振ること、猫がリラックスしてごろごろ喉を鳴らすこと、それも同じ500です(レベル500の人間はとても少ないのに)それらに触れた人間の意識は一時500に引き上げられます。

何故彼らはそんなことが出来るのか…。それはただ、自分をそのままに表現しているから。自分は人間の意識を引き上げることができる、などとは全く思っていない。その意識が私たちの意識を引き上げてくれるのです。彼らは私たちの先生。

また、聞くことができるでしょうか。

自分の個性に合った哲学を
2026/02/25

自分=「私」。そして「私」は神の子。だから「私」には神と同じ資質がもともとある。それを使って(…というよりも使わざるを得ない状況を与えられると思っている)生きることが私のやるべきことだと思っています。

何故か?神はそれを望んでいるから(‥と信じている)そうやってこの宇宙のルールに乗って生きて欲しいと思っているから(‥と信じている)というように、私は生きることの焦点をそこだけに決めていて、だから、やるべきことはとてもシンプルなことになります。

これは自分の個性に合った哲学であり、これが正しいということではありません。そして、その哲学を思うとき、私の本質である「私」は安堵感や懐かしさを感じているのもわかります。そうだね、今世はそれをやりにきたんだね、やりたいんだね、と自分が自分に言う。だから、今日もやっていこう、と思う。

やりたいことをやるってこういうことでもあるのだとも思います。決して、やりたいこと=好きな仕事につく、旅行に行く、結婚する、家を買う、財産を成す、などなどだけではないということです。もちろん、それを得ることが生きる目的でありそこへ邁進していくというその人の個性に合った哲学もあっていいんです。そこにはどれがレベルが高いとか低いとかは一切ないです。私の場合はこの単純な個性に沿ったものがこれでした、ということです。

こうして、それぞれの哲学を意識していないくても持つのは何故かというと、皆、心のやすらぎや幸せを感じて生きたいからだと思います。人はやはりそこへ戻りたいのだと思います。だから自分の個性に合った哲学を、自分の生きる指針になるものを持つことは大事だと思います。

決して誰か偉い人がこう言っていたからそうなんだ、ではないということです。自分の個性に合った哲学を作り、それに色を添えていくのはそれぞれの「私」にしかできません。パターンはやりたがってもできないのです。だから「私」を育てる=あらゆる資質を使うということが大事になっていきます。

自分はうまくいくだろう
2026/02/24

自分の心の底にある思いが、自分自身なんだと思います。それは、心の一番底にある信念のようなものです。

そして、その信念は、ざっくりと言ってしまうと根拠がないところの「自分はうまくいくだろう」というものと「自分はうまくいかないだろう」という2つです。両方とも、心の底にあるので、日常、それを選んでいる、という意識が持てないもののような気がします。それでも、その2つのうちのどちらかを自分は決めていて、それが自分自身になっていくのだろうと思います。

そしてその決断は、心の底にあるということから(多分思考が入り込めないから?)物事を動かす力が強いだろうと思う(純粋に量子を動かすのだろうか)そこも意識することなく自動的にそうなるのだろうと思います。

そんな、意識できない心の底にあるものに、アクセスできるのだろうかと思う方もいるかもしれません。一般的には、退行催眠や、深く瞑想すること、エネルギーワークなどでアクセスすると言われていますが、私は、日々の感情の動きやパターンの動きなどを総合してみていくと、自然とわかるのではないだろうかと思っています。そこは特別なことをしなくても、誰にでももともと与えられているものだからです。

で、パターンを総合的に見ていったときに、自分はどちらを選んでいるのかがうっすらとわかると思います。そこがきっと心の底にあるものです。そこに直接アクセスできないというのは意識的にそこを動かすことができないということです。

しかし、パターンというそれの上に層のようになっている部分へのアクセスはできます。そしてそのパターンが少しずつ落ち着いて(落ちついてというのはひっかからなくなるではないです)くればその層の変化は自然と心の底に落ちていくと思うのです。もし「自分はうまくいかないだろう」をずっと決めてきたとしても、そこへの影響は必ずあると思っています。そうして、ここも自然に「自分はうまくいくだろう」に変わっていく。それが根底になり、その上に落ち着いたパターンたちがいる、というイメージです。

根底を変えるために「自分はうまくいくだろう」と強く思う、願う、言い続ける、ということではないです。これらは思考で行っていることでそれが根底に届くことはありません。そう思うだけで変化できるのなら、きっと全世界の人たちはそれを行い、全ての人がうまくいっているはずです。

根底にあるものを変えようとするのではなく、パターンたちに協力してもらえるように、一つ一つのパターンを大事にする「王」でいてください。

耐久力
2026/02/22

耐久力という資質。耐久力とは…長くもちこたえられる力。(コトバンクより)とあります。

耐久力というと、我慢する、自分を抑える、自分を犠牲にする、感じなくしようとする、ひたすら耐える、自分を強くしなければならない、というようなイメージがあると思いますが、ここで言われているように、長く持ちこたえられる力が耐久力なんだと思います。

私は以前、人一倍、耐久力がなく、すぐにへなへなになっていました。今でもこの資質はしっかり育ちました!とは言えないのですが、昔に比べれば、育ったと思います。

それは特別なことをしたのではなく、パターンへの語りかけや白黒ワークなどを続けたことで気づいたら育っていたということです。語りかけや白黒ワークって「私」の資質を底上げするのだと思います。ピンポイントで育てようとしなくても全体に上がってくる気がします。

で、そうやって少しずつ育ていっていた今の耐久力とは、昔イメージしていたそれではなく、ネガティブな感情や物事などに対しての意味づけや、選択肢が増えることなんだと思いました。

昔イメージしていたそれ(パターンが決めている耐久力)は、ひとつの選択肢しかないんです。起きていることは不快で自分を悩ませる物事、だからそれを排除したいけれど、できない。だったら我慢する。ひたすら耐える、それが強さだ、というものです。そこに変なスピリチュアルをくっつけて、自分は愛の人だからこれを見守れる、というようなことも言います。

しかし、そう思いながらも苦しさや無理があるのはそれが今の自分にふさわしくないということです。

自然に育てた耐久力は、起きていることに対していくつかの視点を持つことや、それへの新な意味づけを作ることや、そもそもに立ち返ったり、人生を宇宙的な長い目でみたり、「私」はどうありたいのか、というところで作られて行くのだと思います。

そして、そこには、勇気や強さや柔軟さといういい感覚があり、それは今の自分にふさわしいということもわかります。こうであれば、長くもちこたえられる力として働くことができるのだと思います。

耐久力にはこの世を生きるスキルがいくつもあると感じます。これはどの資質においてもそうだと思っています。資質を育てることは大事です。ひとつひとつの資質の中に宝が眠っています。宝の持ち腐れにしてしまわないように。それには基本の丁寧なワークです。

夜の女王のアリア
2026/02/19

先日、初めて「湘南フィルハーモニー管弦楽団」のコンサートに行きました。

曲目はモーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ベートーベン「ピアノ協奏曲第4番」、最後はベートーベン「交響曲第7番」の3作品でした。曲目プログラムによると、この、最後の曲(ベートーベン交響曲第4番)は演奏者が疲労困憊する曲なのだそうです(演奏者の体力や技量を全く気遣ってくれないベートーベンと書かれていた)

プログラムにそのように書かれているのを読んだからか、第4楽章を演奏している方達が、ゴールに向かって最後の力を振り絞るアスリートのように見えました(最終楽章はどの曲もそんな感じがしますが)体力と気力、何よりそれを上回る音楽への熱い思いがないと演奏家にはなれないな。

こちらの楽団も茅ヶ崎交響楽団と同じで、それぞれに仕事を持っている方達で編成されていて、年に1回のコンサートを行っています。月に2回の練習日があるのだそうですが、練習だけ出ればいいわけではなく、仕事の後や、休日も練習していると思います。それって大変なことだと思う。ある意味、プロよりも大変かもしれません。

しかし、このような形で音楽と関われていることが羨ましいです。音楽に触れることで自分の内で浄化が起きているように感じるこの頃です。本当の自分の個性を思い出すとか、この個性で生きていいとか、なんか、今までとはまた違うところにいるような気持ちになる。これが何なのかはっきりと言語化できないので、まだ潜在意識にうずもれているのだろうと思います。続、体験。

で、今朝はひとつ、私のカンフル剤のような‥「よし!」と毎回思える、好きな曲をはっておきます。モーツアルトのオペラ「魔笛」の中で歌われている「夜の女王のアリア」です。私はこの曲を聞くと「よし!」という気持ちになるのですが「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」という激しい怒りと狂気の内容です。夜の女王が憎む相手を娘に亡き者にするようにと短剣を渡し、それができなければおまえは私の娘ではない、と脅す。なかなかです。

それでも「よし!」となるのは何と言ってもこの高音でうたいあげる、ディアナ・ダムラウさんの高度なテクニックに裏付けされた「復讐と狂気」が圧倒的は迫力で表現されているからだろう、と、思います。ここまで表現できるって、これもまた羨ましい。よろしければ…。

https://www.youtube.com/watch?v=YuBeBjqKSGQ

人生とは…
2026/02/17

昨日書いた「本屋さん」で見かけた本。「人生とは長い時間をかけて自分を愛する旅である」(樋口耕太郎 著)。

なんて、素敵な言葉なんだろうと思いました。副題に「こころの資本の経済学」とあります。

著者は1965年生、盛岡市出身の方です「沖縄のサンマリーナホテルを取得し、愛を経営理念とする独特の手法で再生。」と書いてありました。結局、購入はしなかったので、内容はわからないのですが、この言葉を見たとたんに、心の中がさっぱりとしました。

「人生とは?」という問いはよく聞きます。それに対していろんな意味づけがあると思います。意味づけなのでどれが正しいというものはありませんが、私には、この言葉がベストの答えです。

ほんとに、人生とはこれだけだと思います。自分を愛すること、それが人生なんだと思います。それも、条件がそろって、目指す自分になったときに、何かを手にしたときに、何かを成したときに、そうして他人が自分を認めたときに、自分を愛せるようになるのではなく、今の自分、一瞬一瞬動き続ける心を持つこの自分を愛せるようになることなんだと思います。それが人生であり、最高の幸せなんじゃないかとも思います。自分を愛する事は、いろんな執着を手放していくことになるからです。

そして、そこへ向かって実は誰もが歩んでいるのだと思います。そのことに気づいていないだけで。あらゆる体験のひとつひとつが自分を愛することへつながっているのだと思う。人がやりたいこと、天が望むことは、このことだけだと思うし、そのために何度も転生しているし、次々とセッティングもするのだとも思います。

自分を愛するには時間がかかります。それは、自分を愛するものは自分の内にすでにあるのに、外にそれを探し、外にそれを求めるからです。そこではなかったんだ、とわかるまでに時間がかかってしまうのです。

そして、自分の内にあるネガティブなものたちのことも。一般的にはそれらは良くないものと言われ、思われているので、そこをどうにかしようとするところにも時間をかけてしまいます。自分が持っているもので闘かうものはひとつもありません。それが自分を赦すということであり、それが自分を愛するということだと思います。こうして、人の持つ最も大きな執着(自分自身への執着)を手放していくのです。

この本に書かれていることはそういうことではないと思いますが、今回、この、素敵な言葉を目にすることができました。本もいつか読んでみたいと思います。

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