ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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極寒
2026/02/11

今年初めての盛岡はとても寒かった。初めて体験した寒さ。風が強く、冷たく、しっかり歩かないと身体が持っていかれそうでした。

ホテルから会場へ向かう道を気をはって歩きました。まずは足元注意。転ばないようにゆっくりと。そして、顔の肌がぴりぴりしないようにと、マスク+マフラーを顔にぐるぐる巻き+ニットキャップで耳をしっかり覆い、目だけしか出ていない状態でかなり怪しかったですが、これでちょうどよかった。

皆がこの寒さの中、集まり、2日間のセミナーを無事に終えることができて本当によかったでした。

で、今回(も)色々と話しをしたのですが、基本の大切さを再度確認しました。

この学びでまずやったことは「今、何を感じましたか?」「今、どんな気持ち?」と、自分の感情を感じる、感覚を感じることでした。最初の頃は、感情を聞いても、思考していることが感情だと思っていたり、感情がよくわからない、という事もあったと思います。しかし、それを何度も繰り返していくうちに、自分の内に今湧いてきている感情を感じることが少しずつできるようになっていったと思います。

そして、それができて、初めてそれを生み出しているパターンは何なのか?と次へ進む。そして、語りかけに進みました。

この、今湧いている感情・感覚から必ず自分の内へはいるということです(この形が綺麗でしょう?)感情・感覚という、人であればだれもが持っているものから入り、進んでいく、この在り方は自然だし、無理がないし、何ものも置き去りにしていないです。

しかし、語りかけに慣れることや、白黒ワークに慣れることや、「私」はどうありたいか、というように先へ進んでいくうちにこの最初の最も大事な部分が抜け落ちてしまい、すぐにパターンをみつけ、語りかけをし、白パターンに移行し、「私」はどうありたいか、に移してしまうことをやってしまいがちです。

「私」はどうありたいかはとても大事なところではありますが、土台あってのこれです。そして思考で、できてしまうところなので、そちらのほうが早いし、慣れています。しかし、この「私」はどうありたいか、も、思考で導き出すものではないのです。ある感覚を伴って息づいているはずです。

基礎の部分を丁寧に扱う。この流れを崩さない。ここはとても大事なところ。だから「今、何を感じている?」「今、どんな気持ちでいる?」と自分に問うことを継続してください。

自分に戻る
2026/02/05

いつも食材を買う近所のスーパーに行ったら、店内には、近隣の小学校の1年生、2年生、3年生の子どもたちの絵が飾ってありました。

各通路の上部にびっしりとです。必要な食材を買い物かごの中に入れ、レジに行く前に、その絵を見て店内を歩きました。

1年生、2年生、3年生ってとても子供のイメージがあるのですが、力作が並んでいました。きっと一生懸命に描いたのだろうと思わせるものばかりでした。

自分の描きたいものを素直に描いている、自分の思いや、自分の大切なもの、自分の夢、あこがれ、未来、自分が感動したもの、そして、悲しかった出来事も。その悲しみも昇華されて。それらがひとりひとりの物語として描かれていて、ひとりひとりと対話しているようでした。こんなふうに子供の絵を見たことはありませんでした。

上手く描こう、先生に褒められるように描こう、という、大人になるにつれて持ってしまうものがまだない年代なのでしょうか。余計なものがなく、そうだからか、あちらからまっすぐにやって来てくれるように思えました。

結局、全てを見て回り、やっとレジへ。そして、レジの女性と飾られている絵について話もして、ちょっとした美術館での鑑賞のひとときでした。

横尾忠則さんが、これからの自分の課題は、子供になることだと話されていたことを思い出しました。子供の描く絵のような絵を残りの人生でどれだけ描けるか、そこへの挑戦と。ちょっとそれが分った気がしました。

子供たちの絵が私に教えてくれたこと、それは自分に戻るということでした。私の心の奥にひっそりとあったそれが、子供たちの絵を通して、浮かび上がってきたようでした。この数年、ずっと思っていたことはそれだった気がします。そうか、そうしたかったんだね‥自分に戻る。

今日はこれから盛岡へ行ってきます。キーンとした寒さを味わってきます。今年初めての岩手クラスです。今年1年は新な領域へ少しずつ入っていかれるように、善きナビでいられるように、と思います。

それを選びたいのか?
2026/02/03

自分の内に起きたネガティブな感情やそれを生み出しているパターンを「どうにかしよう」とすると苦しくなる。どうにかしたがっているのはパターンだから。

ネガティブな感情が湧き、パターンをみつけ、語りかけをして、白パターンも考え、白黒ワークもし、「私」の気持ちのよいほうを選択して、実践する。これだけをたんたんとクールに毎日行っていけばいいだけなんですが、その途中で思考するんです(パターンが)。これが「どうにかしよう」ということ。

パターンはこのネガティブな感情に耐えられない、早く解決してすっきりしたい、楽になりたい、そうなって自分の成長を感じたい、などなどを望んでいます。そして「私」が機能していなければ、それを手にいれようとするパターンに従ってしまいます(「私」がそのパターンを選んでいると私は思う)

そして、自分の内に何か、パターンが望むような結果を見出して、少し安心する。しかし、そこには解決はないんです(アインシュタインの言葉を思い出してください。上の領域にしか解決はありません)

やりたいことはそういうことではなくて。これはもう今までずっとやってきているじゃないですか。それが「私」にとっての善きこと(宇宙にとっての善きこと)であれば、もうすでに心は穏やかに、すっきりと、日々、生きることが楽になっているはずです。でも、そうじゃない。ということは何か違っていることをしているということです。今の自分は自分が選択してきたことの結果です。この場合はパターンを選択してきた結果ということです。

その時に考えがちなのは「語りかけが足りないんだ」ということですが、そうではなくて(時にはそれもあるかもしれませんが)何か間違っているんじゃないか、と自分を見ることなんです。そもそも語りかけをたくさんやったところで、解決はしませんし、すっきりともしません。パターンは何も変わらなくていいからで、これからもずっと引っかかります。やりたいことは、それを変えることではないのです。

パターンと同じ領域で「対処」ということをもうやらないということです。上の領域での解決をしていきたいのです。そのためにやることは、もうわかっているのですから、パターンに考えさせないで、やることだけをやるということです。ただ、無意識であると、そこでパターンの思考という余計なことをして、対処に向かいます。

それを選びたいのか?「私」は。それが欲しいのか?「私」は。これは自分で決めていくしかなく、誰も与えてはくれません。厳しいですが、そう。

こうして心は整っていく
2026/01/31

昨日の日記の補足になりますが。

パターンを赦すということは、如実知見、だと私は思っています。ただただ、ありのままに見て知る、又は聞く。何事も自然にそのものとしておいておくということで、抵抗しない、作為的にしない(そのものをパターンが納得するような意味づけや行動をしないということ)ということだと思います。

その在り方は意味づけワークの中間にある「ひとつの事象」と同じ感覚です。ここには、無機質な感じがあると思います。ひとつひとつのパターンもそうなんです。ただ、そのパターンの個性ゆえにひっかかりどころはそれぞれで、ひっかかれば自然と感情を生み出します。

そのようにできている。神からそれを与えられている。そのようにできているのだからそれを変えることはできないんです。そして、そうであるから「私」ではないパターンが「あっ、今動いた」と「私」がわかることができます。この「私」が「わかる」という事が大事なことでこの体験は「私」ならではのものなんです。

パターンがいるから、成長できた、パターンがずっと自分を支えてくれた、と、考えがちですが(そう思う時期もあるので、それはその時期ではモチベーションになってくれます)本来はそういう結果(利益)を「私」は欲しがらないんです。ただ「わかる」というところにいます。パターンに引っかかるとは、自分の内の「私」ではないものが動いた、という、ただ、それだけのことなんです。

「私」は観察者です(静謐な観察者とケン・ウィルバーが言っていたと思う)観察者ってかなりクールです。それが本当の自分です。そう聞くと、感情を感じないようにしよう、感じてはいけないと思うかもしれませんが「私」は正直に、歪みなくそれを察知します。察知するという立場にあります。どんな感情も自然に出るときは出る(ただ、ひっかかっているだけだから)それでいいんです。

昨日でてきた、パターンを嫌うパターンはとても思考し、分析します。それについてはこう考えればいい、こういうことだったんじゃないか、そう考えると落ち着く、こうしてみれば少し楽、こうしていこう、など。一見前向き、一見解決を出してきます。でも、その根底にあるのは、パターンが引っかかるのが嫌、その時のネガティブな感情が嫌(耐えられないから)というものです。思考、分析で対処をしているときはほぼほぼ、このパターンがやっています。そのときには、それは誰がやっているのか?と自分に問うといいです。

そして、こうしながら時間をかけて全てのパターンを赦していったときには、どういうわけだか引っかかることがあきらかに減っていきます(この不思議)そのときにはパターンを嫌うパターンも同じように引っかからなくなっていきます。こうして心は整っていくのだと思いました。

あなたはそのままでいい
2026/01/30

「私と皆の違いは、たったひとつ。私は全てのパターンを赦している…これだけ」と以前言っていたと思います。そのことを先日お会いした方がおっしゃっていて「そーーーーーなの。本当にそれだけなんだよぉーーーーー」と話しました。

私の言う全てのパターンを赦している、というのは、言葉の通り、どんなパターンも全てそのままでOKということです。

これを阻止するパターンが、パターンを嫌うパターンです。これが動いていると、そちらへ引っ張られやすくなります(至極全うなことを言うので)パターンを嫌うパターンは、とにかくネガティブな感情を生み出す他のパターンが大嫌い。それがあるから自分は安泰ではないという事を信じています。

一つのパターンが何かに反応してネガティブな感情を湧き出したときに、同時に、このパターンが出現。そのパターンはそんなレベルが低い自分ではない、とか、また引っかかった、とか、これでは成長していないじゃないか、とか、これはどうにかしなくては…そうだ、語りかけだ(‥と思いそのパターンがやることも)というものです。

このパターンは他のパターンをどうにか自分の思うようにしたい。引っかからないようにしたい。でも、その意に反して、出てくる(引っかかる)ので、ますますそこへ執着していきます。それは、パターンに引っかからないことが成長と思っているので、それを失くそうとすることに執着します。

「私」はそのままでいいと言っているのに、それじゃ嫌なんです。という事はこのパターンは「私」を信頼していないということです。

で、このようなパターンでさえも、ひとつのそれとしてそのままでいさせてあげるということがパターンを赦すということです。語りかけで楽にしてあげることはあってもその在り方は変化しなくていいんです。だから自由に引っかかっていい、ということです。

で、私と皆の違いはここだけだと思う。自由に引っかかるパターンと毎日いる、というところが基本になっているということ。引っかかって当たり前だし、それがパターンと関わるときの大前提になっている。このたったひとつのことなんだと思います。

それを思考でではなく、心底、そういうものだというおちどころがわかれば、多分、その場で目がひらけると思います(まさに覚醒)だから、パターンを嫌うパターンにも母の目を向け、父である王が語りかけてあげてください。そして「あなたはそのままでいい」ということがどういうことなのかを少しずつ体験していってください。

手帳とノート
2026/01/27

スマホ、欲しいかも。と、先日のコンサートでは確かに思いました…が…。

「ここまで持たずに来たのならもういいんじゃないのでは?」と知り合いに言われました。うん、今、不便ではない。家にはPCがあるし、外出時もガラケイは持っていっています。まあ、いけるとこまでいってみるか、と思っています。

で、もし、スマホを持つことになっても、私は紙の手帳とノートは使い続けるだろうと思っています。手帳もノートも、ただ、メモを残すところとしてあるのではなくて、手帳やノートは自分の好きな色のものを使っているので、その色が目に入ったときのいい感じとか、見慣れている自分の字が並んでいることでの安心感のようなものがそこにはあります。

特に手帳は各月を開くとその1か月がまるまる見えて、どんなふうにその月がすぎていったかもわかります(これはスマホでもできるのかもしれませんが)後は、ペン(近頃はえんぴつのよさも感じている)を使って書くということが好きなんだと思います。自分のその時のイメージだけを小さな絵にして書くこともあるし、言葉ひとつだけなのに、その一言で自分をひきしめたり、ゆるめたりすることができるものを脈絡もなく書くこともあるし、知らない漢字を書いてみたり…と手帳もノートも自由ノートであり、ここに書くことは遊びのひとつです。これが、楽しい。

それだけ大切な手帳とノートなので、それを失くしたらパニックだろうと思いながら、置き忘れないようにと私の最大の注意力で気を付けています。しかし、私の場合、最大の注意力があまりあてにできないので、できるだけ外に持ち出さないようにしています。

ドレミの歌
2026/01/26

昨日は、妹の推し、五十嵐 紅さんのコンサートに2人で行ってまいりました。

今回は、五十嵐さんのギターの他に、ヴァイオリンとチェロのトリオでのコンサートでした。「シネマ 2026」と題し、映画音楽特集でした。

サウンド・オブ・ミュージック、タイタニック、ハリー・ポッターなど知っている曲ばかりで、聴衆はきっと心の中で一緒に歌っていたと思います。

それぞれがご自分の活動をしながら、時々トリオで活動してきたのだそうですが、阿吽の呼吸というのでしょうか、お互いの息を感じながら、奏でているということが感じ取れました。五十嵐さんが一つの音をポンとつま弾いて、隣のヴァイオリンの方にその音を大切に渡しているのを見て、その曲への思いが伝わってくるようでした。

ただ、技術だけではない音楽の世界。そこには、人間にしか感じられず、表現できないものがたくさんあり、それが人々を癒し、元気づけてくれるのだと思います。そして、聴衆がいるということは、その人達一人一人の内にもそれを感じ取るセンサーがあるということです。

聴きながら、こんなに綺麗な曲や、それを表現するための、すばらしいたくさんの楽器という物を人間は作り出すことができるのに、殺戮兵器を作り出すこともできる、と思いました。どちらが自分にとっての快なのかと問えば、きっとほんとうは、誰でもが前者でしょう。

サウンド・オブ・ミュージックの中の「ドレミの歌」が演奏されたときに、世界中の子どもたちが心から楽しく歌えるような世界になってほしいと思いました。

とても気持ちの良いコンサートであり、十分に楽しめましたが、そんなことも思える場でもありました。

アンコールではその日の演奏曲の中から1曲を演奏してくださいます。その時は、写真撮影、動画、OKで「今日のお土産にしてください」というならわしです。これもまたファンにとっては嬉しいだろう。一瞬にしてスマホだらけになりました。スマホ…欲しいかも。

待ってるよ…
2026/01/25

新たな世界に自分の意識が住むことで、もう、傷つかない、嫌なことは起きない、嫌な他人もいなくなる、自信もつく、他人からも認められる、自他について思い通りにいく、と思いがちですが、そうではないです。

このあたりが欲しくて(今がつらいから)心理学やスピ系を学ぶ人はとても多いです。でも、そうはならないです。

じゃあ、何が変わるのか。それは…以前ほど傷つかなくなる柔軟さと知恵を獲得する。嫌なことへの意味づけが深まりそれにより嫌なことが減る。嫌な他人への理解が深まりそれにより嫌な他人ではなくなる。しかし、つきあうべきかどうかはクールに見極める。本来の自信を知りそこへ向かおうとする。他人に認められなくてもよくなり、でも、自分は他人を認めている。自他について思い通りでなくていいことを知り、それを欲するようになる。という変化が起きます(…と言い切ってしまうのはちょっと違うと思いながらもそうだと思う)

こうしてみると、そこには他人は出てこない。自分の周りの事象も出てこない。全て、自分の内のところでの変化です。精神性を上げていくってこういうことだと私は思います。

で、それは思考ではできない。日々の小さな体験を通して、ほんの少しずつ気づき、それに向かう。そして、間違え、心が折れそうになっても、またそこへ向かう。この繰り返しです。人間ってそういうふうにもともと創られているんです。だからそれが順調にいっている証です。

新なところは「待ってるよ」と言っている…と私は感じています。こうして自分を見守り、待っていてくれるところがあります。だから安心して進めばいいんです。

いつか自分はそうなる
2026/01/24

昨日の日記の続き。考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが、確かにここは難しいです。

ずっとこのやり方で課題をクリアしたり、目指すものごとを手に入れてきたから。そして、私たちはよく考えなさい、もっと頑張れと言われてきてもいます。それは良いことだとも教えられてきているし、それができる人は優秀な人だと思われます。ずっとそれできています。

だから「わかっていてもそこからは抜けられないよね、だってずっとそうだったんだから」と自分で決めたらそうなります。「もう、ここはいい、次へ行こう。そして今までみたことのない世界を知りたい、感じてみたい、自分はいつかそれを見るだろう」と自分で決めればいいんです。

そこには、楽しみやわくわくする気持ちがあるかも(そこに行かれれば傷つかない、とか、守られる、とか、全てが順調ではないんですよ。ここが大事)そうやって、自分で決めて、自分で今やるべきことをやっていけばいいんです。それはやりたいことだからです。

こうしてやりたいことをやっていくことは、まるで自分で開拓していくような感じです。そこには唯一無二の道が開けるはずです。その道は誰かの道とは違っているし、誰からも評価されるものでもないかもしれません。でも、自分は魂の望むままに生きているということが自分に本当の意味での自信を与えてくれるかもしれません。いつか…自分はそうなる、と決めてください。

ゆったりとゆっくりと
2026/01/23

ここのところ色々と書いておりますが…いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、と思っていることが一番です。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分…と、この自分の決めたことが大事なんです。まず、意識ありきです。どうしたらそうなれるのだろう、どうすればいいんだろう、は、方法を考えているだけで、決めていない状態です。

まず、自分が決めるということが物事の変化全ての基本なので、いつかわかるだろう、自分、いつか体験するだろう、自分、でいってください。

いつかって、いつなんだ、いつかなんて嫌だ、今すぐがいい、とパターンは言うかもしれませんが。

いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、には、それを知りたい、それを体験したい、それを感じたい、という思いがあるからだと思います。そう、知りたい、があるのでは?だから決めたらいいんです。いつかわかるだろう、いつか体験するだろう、自分、と。

そして、やるべきことをやるのにも、肩の力を抜いて、ゆったりと行ってください。どうしたら、どうすれば、をここでは使わないでいいんです。それはもう使いすぎたほど使ってきた。だから、これからは、ゆったりと、ゆっくりと、自分が望んでいることをやっていきます。

考えなくていい、頑張らなくていい・・・ここが難しいところなんですが。

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