人は快が好き | - 2024/08/17
- 人は快が好き。だから快を感じるところへいこうとする。というように本来そのように創られています。
もちろん、その快は健全な、宇宙のルールの快です。ただ、黒パターンが主導権をにぎっていると、その快も黒パターンにとっての快となります。だから、その快を求め続けてしまいます…が…それはどこかで実際立ちいかなくなってしまったり、快を選んでいるにもかかわらず、心がすっきりと晴れ渡ることはありません。
立ちいかなくする、すっきりしない心を起こすという「私」のセッティングなんでしょう。そっちじゃないよーーー、その快じゃないよーーー、それを選んでいるからだよーーー、ということです。それでもそのセッティングを強行突破して今まで通りに快を求めることを多くの場合行います。これが苦しみになります(ますますのセッティング)
そこで初めて、何か自分が選んでいるものごとが違うんじゃないか、目指していることが違うのではないか、と気付く人もいれば気づかない人もいます。それはそれでいいんです。
気づかない人に教えてあげなくていいし、気づかないことを(本人も感じていないけれど)選択している、その人を尊重するということです。そして、気付かない人から教わること、私はよくあります。ですから気づいていない人=レベルが下の人ではないです。
で、健全な快。宇宙のルールの快。それがもともと人は好きです、ということです(きっとそこから生まれてきたからだと思う)だからそこへ行きたいと人生後半に思う人は思うのだと。
人生前半は誰でも黒パターン主導で生きています。それにより、曇った心でいる状態が続き、何故なんだろう?と自分を省みるようになります。で、気付く人は気付く。選んでいた物事が違う。そして、新な物事を選んでいくことで、本来の快を感じるようになります。
健全な宇宙ルールの快です。それはぶれない快。あたたかさに満ちた快。迷うことのない快。深淵で、躍動的な快。そして、どこか懐かしい快。いつの日か皆がそこに帰るので、魂はなつかしさを感じるのかもしれません。
帰る前にこの地上での生活の中で本来の快を感じて生きられたらいいと思うんです。
今日は地獄なみの暑さのようです。くれぐれもお体ご自愛ください。
|
|