| 一つの通過点 | - 2025/01/31
- ・・・・・昨日、日記に書いたこととは反対のような今日の日記・・・・・時には自分を貫くことも大事です。
相手に自分を表明すること、自分の意見を言うこと、もっと分かり合いたいからと話しをすること(もっと自分をわかってもらいたいからではない)、自分の希望することを伝えることなどなども、時には必要ということです。
昨日書いた内容も必要。そして今日のこれも必要。あとは自分でその時その時で選択していくしかありません。
で、貫いた結果、相手とぎくしゃくすることもあるし、貫いたからこそ相手と良い関係が築けたということもあります。この結果は相手あってのものなのでどちらになるかはわかりませんし、良い結果だったのに、時間が経つにつれて、そこから又問題が出てくるということもあります。でも、それは貫いたからいけなかった、ということではありません。
結局すべて「塞翁が馬」。これが教えてくれていることは、一つの出来事に一喜一憂しないということだと思います。なぜならば、それは結果ではない(ずっとそれが続くのではない)結果ではなく、ひとつの通過点。一つの駅みたいなもの。なぜならば「私」が向かっている駅はもっと先にあるものだから。
しかし、一つ一つの駅に全てをかけてしまう、とか、それが結果だと決めてしまうことに、そうじゃないよ、と教えてくれる流れなんだと思います。
こうして見てみると人間って非力です。何かによって色々と動かされてしまっているようにも見えるからです。だから人間には自由意思はない、と一部のスピリチュアル系の人達は言うのだと思います。これを正しく理解し、自分にそれを活用できてしまえば、確かにマスター級ですがなかなか凡人には難しいところです。
そして、人間の本来のやすらぎとはそこにあるものだと思います。難しいことではあるけれど「私」を使い、大きくしていくことで、本当に少しずつ、数ミリ単位でそちらへ向かっていくことは確かです。でも、まだまだ、結果にこだわり、それを得るためにじゃあどうするか、というところで思考する昔のやり方にこだわっているのが私たちです。
これを、結果じゃない、通過点、という新な意味づけ、視点を選択していくことを継続できたら、自他や周りに起こる出来事なども見え方、捉え方も変わっていくのだと思います。
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