| どんな種を蒔くのか | - 2025/04/01
- 昨日は寒い中(気温7〜8度。曇り)中央公園にお花見に行ってきました。というか、いつもの散歩コースにお花見が加わっただけですが。
公園の外側にある歩道は左右に桜の樹が植えられていて、ほぼ満開でした。そこはまるで桜のトンネルのようでした。茅ヶ崎は桜の名所と言われるようなところがなく、駅近で桜を見るとしたらここくらいかもしれません。特別なところがない茅ヶ崎にはふさわしい位の桜の道。
で、桜のトンネルの出口付近で、その歩道の測量をしている人達がいました。男性ばかり、7、8人ほど。人が行き来しているところで測量をするというのは大変そうでした。
歩いていた私は、このまま通っていいのか、ちょっと待ったほうがいいのかわからずにそこで立ち止まってしまいました。すると、親方のような方が、近くにいた測量員の男性たち3人に「バカみたいにつったってんじゃぁねえよ。ちゃんと通る人の誘導をしなきゃだめだろう」と大きな声で言いました。
言われた男性たちは若い人たちで、新入社員なのか、バイトなのか、その言葉に困った様子でした(初仕事だったかも)結局、他の測量員の方が誘導してくれて、私はじめ、立ち止まっていた数人はそこを抜けることができました。
さて、親方に注意された3人の若者が、ここで、どんな種を蒔くかです。
親方の注意に対して「そうか、自分ができることは何だろう。考えてみよう、わからなければ聞いてみよう」という種を蒔くのか「そんなこと言われたってわかんないよ、だったらちゃんと指示しろよ」という種を蒔くのか「ほら、やっぱり注意された。自分はいつでも注意されるんだ」という種を蒔くのか。
人間なので、こんなふうに単純な気持ちだけではないですが、ざっくり言って、どう自分に起きたことを受け取るのかです。その受け取りがそもそもの種になると私は思う。ネガティブに受け取り(黒パターンで受け取っている)それを決める。又は、ポジティブに受け取り(白パターンで受け取っている)それを決める。それによって結果は変わってきます。
と言っても、そういうカラクリでできているんだ、この宇宙は…と気付くまでに時間がかかるし、気付いてからそれを自分が試しながら実践して練習していくことでそれは活きたものになるので、ここも時間がかかります。
でも、いつか、そういう体験をしてくれるといいなあと思いました。近頃は、若い人を見ると特にそういう気持ちが湧いてくる。老婆心であろうか。
こうして、今日、この桜の道を通り、この場面に出くわしたのも私に起きたこと、与えられたことです(全てが与えられていることだと前に話したと思います)そこで自分はどんな種を蒔くのか…です。
|
|