| 自分の内の誰が… | - 2025/04/21
- ……自分を疑え……今朝、そう思いました。
自分を疑う、自分を信じる、これ、どっちが大切かと言うと、一般的には自分を信じるというほうだと思います。しかし、私は前者が大事だと思います。
自分を疑うというのは「自分の内の誰がそう考えているのか、言動しようとしているのか、決めたのか」というところに目を向けるということです。
これは本当によいことだから、これは自分がいい気分でいられることだから、これはあたりまえのことだから、きっと誰にとってもいいことだから…と「よい」と思われることならそれでいいのではないということです。それが黒パターンから出ていることは普通にたくさんあります。それを自分が身極めているだろうか?ということで自分を疑うということです。
そうなると、いつも自分を見張っていなくてはいけないのだろうか、と思うかもしれませんが、そうではありません。それはすごく疲れてしまいます。
あたりまえのように出てきていることや、いつもと同じやり方をしているときや、迷って、考えて導き出したものや、なんか、しっくりきていないとき、変な高揚感やうれしさや達成感があるときなどなど。一度立ち止まって、それが自分の内の誰が?というところで見てみるといいです。
そして、もし、それが黒パターンからのものであれば、それを検証し、白パターンに選び変えたものにして言動するのか、全く言動しないのか、を考えればいいわけです。
そして、自分を信じるというのは、そうやって自分が選んだ白パターンを信じるのではなく、その一連の作業ができるようになっている自分を信じるということです。いくら善き白パターンを選んでそれで言動しても、相手あってのときにはそれが裏目に出たり、それにより何かが生じることも普通にあります。白パターンは絶対なものではなく、あくまでも選択肢です。
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