ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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規制
2017/10/26

昨日はマンションのエレベーターの定期点検日だったため午前中はエレベーターが使えない状態でした。

ということは、外出できない(階段を使うという手もあるけど)ということです。従って午前中は、室内ですごす、ということになりました。

朝ご飯をすませ、洗濯、掃除もすませ、さて、これから12時までの3時間をどう使うかと考えるときに妙に楽しい気分になりました。外出できないという規制があるにもかかわらず、決められた空間と時間の中で何をしようと考えて行動するのは、自分の意思でその空間と時間を使うことだけにフォーカスできるのが楽しいのかもと自分を観察していて思いました。

規制、制限のある自由と言うのでしょうか。なんかいい。

結局、行ったことはおうちでバレエと書類まとめと夜ご飯のおかず作り。これがかっちり3時間ですんで、それにも満足している私。規制がかかることで、散漫になっているものがきゅーっと一点にしぼられてやるべきことが逆に見えてくる感じでした。

規制、制限という事象への新な意味づけも見つけ、なかなかの3時間でした。

大人になってからの人間関係
2017/10/25

「魂の道場」では個人セッションとグループセッションとを行っています。

まずは個人セッションからのスタートになりますが、ご本人が希望されれば、グループへの参加をしていただいています(沖縄と岩手のクラスにおいては個人セッションの時間がとれず、はじめからグループのみでのスタートになってしまいましたが)現在は、茅ヶ崎、沖縄、岩手でグループセッションが行われています。

で、それぞれのグループで自発的に勉強会が行われています。勉強会は、皆さんでそのやり方を考え、試し、また考え、試みていくことを繰り返しながら、それぞれのものをつくっていっているようです。そこで得たものがまたグループセッションに活かされていると感じています。

勉強会を行うことで、より、グループ内での理解が深まり、より、自分に向き合うモチベーションが上がっていくことを願っています。

大人になってからの人間関係は、表面上、さらりとお互いに深入りすることなく合理的に行われるものです。もちろんその在り方も必要な時もあります。しかし、全てそれだけというのはどうなんだろう。

ここでの人間関係は、たぶん…きっと…生まれて初めてのそれであり(それも大人になってから)はじめは、戸惑いや抵抗があるかもしれません。

しかし、自分の人生の中に深くお互いを理解し、今まで知らなった信頼の関係を作っていく体験というのは、魂の宝になりうるんじゃないかと思います。宝を得るためには努力が必要です。それでも、人として生まれてきたのであればその体験は何よりのものになると思います。

勉強会ではぜひお互いの理解の目を育てることを行っていってください。そこに、許しがあり、愛があります。

・・・・・・再び U
2017/10/24

黒パターン王と向き合うことで、少しずつ(歴史が長いので本当に少しずつ)黒パターン王は落ち着いてきます。そんなときには今までとはちょっと引っかかり方が小さくなったように感じられるかも。

そうやって黒パターン王を過敏に働かせないでいられるように「私」がリーダーとして(心の王として)成長し、存在していきます。その「私」の姿を黒パターン王は見て、もう自分が頑張らなくてもいいのかもと思います。「私」が育っていないと自分がしっかりしなくては、と黒パターン王は思い、頑張りすぎてきたので、彼としてもほっとすると思います。(本当に長い間ご苦労さまでした)

そして、落ち着いてきたら白パターンを考えるわけですが、これはそのものずばり「思い通りじゃなくてもいい」となります。しかし、これがあまりにきつい場合は、この方向性の自分に合う白パターンを考えます。

で、この白パターンの「思い通りじゃなくてもいい」は「私」の成長に伴い、とても心地よいものとして感じられるようになります。はじめのうちはそこへの理由が必要かもしれません。なぜならば思い通りじゃなくても自分はどうにかできるだろうと感じられているから、とか、今までもどうにかやってきたから、とか。そういう理由により自分が安心できる場合はそれを取り入れます。

そこからまた進むと、ただ、思い通りじゃなくてもいい、がなぜだか、心底安心を感じられ、あらゆる鎖から解放されたような気持ちにつつまれます。

なんでも思いどりになることは一見、楽で苦しくなくていいと思っていたんだけど、実は思い通りにすることで自分に課していたもののプレッシャーが強かったとわかるからなんじゃないかと思います。

思い通りじゃないと嫌、に突き動かされてもう生きなくていいのだということです。

思い通りじゃないと嫌 再び
2017/10/23

「思い通りじゃないと嫌」というパターンはなかなか小さくならず、落ち着いてくれない、と思っている方は多いと思います。本当にこの黒パターン王が小さくなって落ち着いてくれたら、あらゆることが思い通りじゃなくてOK、となるので、思い通りじゃないと嫌は働かなくなり、楽です。

しかし、このパターン王は王と言われるだけあってその歴史は長い。ブッダの時代から、それ以前からずーーーーーっと毎回の転生とともにやってきて私達を悩ませます。それだけキャリアがあるものなので、時間をかけて向き合うことは当然だと思います。

かと言って、向き合ってもどうせだめでしょう、というものでもありません。本当の自分「私」はパターンよりも力があるからです。じゃあ、それなのになぜ、ずっとこのパターン王は小さくなることなく、どちらかというとどんどん育っていってしまっているのか、というと「私」を使うことをしなかったからです(時にはそれにチャレンジした前世もあったと思いますが)

あらゆる思い通りじゃないと嫌に対して、思い通りじゃなくても仕方がない、誰だってそうなんだから、いいじゃないこれは思い通りにいっているんだから、と自分を納得させたり、逆にだったら思い通りになるようにしよう、と力でそれをつかみ取ることを試みたり、もしくは、怪しい力で思い通りを創るとか。対処することに意識を向けてきて、向き合うことをやってこなかったところに問題があります。だから黒パターン王が悪いのではありません。ほったらかしてきてしまったことに問題があります。

この黒パターン王を静めるには、まず、何故思い通りじゃないと嫌なのか、何が嫌なのかをこの王に聞き、それを「私」が理解し、その王を大事にしていかなくてはなりません。大事にするというのは語ってあげて、一緒に生きていくということです。続く。

2017/10/22

今「入門 日本の仏教 」という雑誌を読んでいます。

これは父が生前、購入したものでずっと借りていたものでした。なかなか忙しくて読む時間がなかったのですが、ここにきて読み始めました。

ブッダの教えについて書かれている箇所にブッダの教えの核心のひとつ「四諦」について書かれていました(この「諦」という字はあきらめるということではなく「明らかにする」という意味です)

この「四諦」の1番目に出てくるのが「苦諦」です。私達の生きる世の中はすべて「苦」によって成り立っているというものでこれはブッダの教えの大前提だそうです。

そして「苦」とは「思い通りにならないこと」という意味だそうで、思い通りにならないことで私達は苦しみを生み出している、ということです。

これ(苦)を明らかにするとは、これが事実であることを認識し、受け入れるということです。

この「思い通りにならないこと」は、まさに、以前日記に書いた「思い通りじゃないと嫌」という黒パターン王のことです。このパターンによりあらゆる苦が私達には起きています。よくよく自他を観察してみると、本当にすべてここからきているということがよくわかると思います。

ブッダの時代から(たぶんそれ以前から)私達はずっとこの黒パターン王に苦しめられてきたと言えます。

『ブッダはその事実とともに、苦しみが生じる原因を明らかにし、思い通りにならない人生のなかで、どうすれば安らぎを手にできるのか、実践の道を示した』(入門 日本の仏教より)と書かれていました。

ここで注目しなくてはいけないことは「その事実とともに」というところです。その事実を消して、とか、その事実を思い通りにするために、とかではない、というところです。それはそれとして事実ある、しかし、それでもそこに安らぎを持って生きること、そこに人としての能力があるのだと思います。

ブッダはここで「八正道」の実践を教えています。道場では、ケアと選択と実践。いつの時代も人は苦しいのだと思います。でも、それがあって人は知恵を育て、天から与えられた能力を発揮してきたのだと思います。

そうやってこられたからこそ人間は途絶えることなく今の私達にまで繋がってきたことを思うと、感慨深いものがあります。

自分が与えたものが自分にかえる
2017/10/21

「ひとりでも多くの方がこの領域を体験し、やすらかで、安心感を感じ、のびのびと生きていただきたいと思います」と昨日の日記に書きました。

こうして生きることは自分のみならず他の人々のためにもなります。

自分と自分の家族だけが幸せならいいのではなくて、今を一緒に生きている他の人々のためにもなる生き方をしていきたいものです。

自分が日々思うこと、考えることは口に出さなくても、自分の外に出ていき、同じようなパターンを持つ人達に影響を与えています。自分が発した黒パターンは誰かの黒パターンに。白パターンは誰かの白パターンに。「私」は誰かの「私」に。全く知らない人々に、影響を与え合っています。これは想像以上のことだと思います。

毎日「私は何をやってもだめだ、ああ、もうどうでもいい」「あの人ばかりうまくいって悔しい」「まったく、だめな連中だ、あんなやつらと仕事をしたくない」「面倒くさい」という思いや思考を持っていればそれはそのまま出て行って、他の人の同じものを増幅させます。そして、自分もその人のそれをもらって増幅されます。

又、逆のことを思い、考えていたら、それも同じように誰かの同じものに善き影響を与え、自分もそこから与えられます。

まさに自分が与えたものが自分にかえってきます。

私たちが自分に尊厳を持ち、自分を大切に扱い、健全に生きているとき、それは他の人たちに善き影響を与えています。全く知らない人たちにそれを与えていることになります。

カウンセラーにならなくても、スピリチュアルなことを知らなくても、この在り方で、多くの人たちを愛する行為をしています。それにより、誰かに気付きが起きたり、ほっとする何かを感じたり、やる気が出てきたりすることもあります。

そういう他人との関わり方というものこそが本来私達がやっていかなくてはいけないことなんだと思います。

意識の領域 X
2017/10/20

A領域〜D領域へ。そしてまたその上もあります。

人の意識は成長と進化をし続けます。そういうふうに創られています。

普段、C領域にいるのに、また、A領域へ落ちるときもあります。それもいいんです。自分が今、A領域にいると気付けば、語りかけをして、B領域へ、白黒ワークをしてC領域へいく。そうやって自分で自分の意識を動かしていくことができます。

でも、一気にD領域にはいかれません。多くの人が一気にと望みますが、B領域の体験がC領域に繋がり、C領域の体験がD領域に繋がります。これら全ての体験を通して、機能不全であった「私」が機能していくことになります。

段階を経て進むからこそ、今までは、気付かなかったことに気付き、選択できなかったことを選択し、自分を含む現実を変化させていきます。そして、それは、きっと他人に善き影響を与えていくと思います。

「私」が機能することにともない、過去や未来に生きるのではなく、今、この一瞬に自分が何を選んでいたいのか、ということに目が開かれていきます。自分が何を選ぶべきなのか(何かのために)〜何を選んでいたいのか。それは、他人から見たらとるにたらないことかもしれません。しかし、それを選択するということが「私」という魂の喜びであれば「私」はそれを迷うことなく選びます。そしてそれについての結果を期待したり、不安がったりすることなく、選択したそれが現実に活かせるように考え実行します。そしてそこにやってくる結果を受け取る。

A領域で体験した、膨大で、ムダな思考がなくなり「私」の納得することだけに焦点をあてていくようになります。そして、そこに流れ込んでくる直感や、サポートを感じ、自分はひとりで生きているのではなくて、何かとともに生きていることもわかってきます。だからこそ、ひとりで何でも頑張ろうとしたりしなくていい、ただ「私」の喜びを選択しつづけようと思います。

年齢性別関係なく、どんな職業についている、どんな履歴があるなど一切関係なく、この作業を人はしていかれます。そこに必要なものは誰もがもともと与えられています。

ひとりでも多くの方がこの領域を体験し、やすらかで、安心感を感じ、のびのびと生きていただきたいと思います。

意識の領域 W
2017/10/19

白黒ワークで「私」が選択したものを実践する。

それは目に見えるパフォーマンス的なことではなく、自分の内で起こり、それを勇気をもって(だいたい初めてのことなので)生活の中で実践し続ける、そうやっていくことで、自分自身も、又周りとの関わり方も、それにより関わりのある他人も変化が起きていくことを体験します。

そんなC領域。これに慣れていくことでだんだんとここの住人になっていきます。ここの住人になるということは、常に白パターンを「私」が選んでいるということです。従って、ネガティブな感情を生み出す黒パターンを選んでいないので「楽」ということになります。この領域にいれば嫌なことが起こらないということではありません。しかしそれが起きても白を選べれば「楽」というのはわかると思います。

白パターンは善なるものではなく、永遠なるものに繋がるものです。

永遠なるものに密着し、それに馴染んでいくことを行ううちに見えてくる領域がその上のD領域です。

そこの特徴は「私」として存在しているというものです。A領域〜C領域までは主にパターンに関わる領域です。しかしD領域はパターンのケアや選択をしてきた「私」が主になります。「私」はパターンを見ていなくて「私」を見ている(必要なときはもちろんパターンを見ます)そこには普遍的能力があるので、それについてバランスをとることや、「私」の後ろに存在するものとのつながりや、又逆に現実をゆがみなく、ただ起きていることとして見ていく、受け入れていくことへの視点が大きくなります。「私」はそれぞれ個性があるので、自分の個性というものもよりわかってきます。

又、常に自分に向かっていた視線は自然と外に向かい(でもA領域での他を評価する、分析する、裁く、というものではありません)ます。でも、聖人君子ではない。一言で言うと、静寂さと永遠なるものがベースにありながらより現実的で人間っぽい。より普通になる。続く。

意識の領域 Vの補足
2017/10/18

昨日書いたC領域の補足です。

ここでは「私」が選択した白パターンに基づいて実践をしていくわけですが、この実践というのが最初、なかなかわかりづらいかもしれません。

例えば、白黒ワークで「私は仕事ができない」という黒パターンに対して「もしかしたら、もう、そんな風に決めつけなくてもいいかもしれない」という白パターンを創り、ワークをして「私」が白パターンを選んだとします。

このときの実践って?・・・・・というとき、一般的に考えられることは仕事ができるように振る舞う、仕事場で堂々としている、たとえミスをしてもうろたえない、ぶれないようにする、というような態度でいることと考えると思います。しかし、実践はこういうことではありません。これは黒パターンが行っています。

では、このときの実践とは?まず、会社に向かう電車の中で、又は車の中で、道を歩きながら「いやだなあ、仕事。また仕事ができないと思われちゃうんだろうなあ」と黒パターンが言い始めます。そのときに「まてよ、白パターンを選んだよね、もしかしたら、もう、そんな風に決めつけなくてもいいのかもしれない、を「私」は選んだよね」ということを思い出し、白の部屋で響いていた言葉「もう、そんな風に決めつけなくていい、決めつけて自分を苦しませなくていい、そうだよ、決めつけないで行こう」を反芻します。それを心の中で言いながら、職場へ向かいます。これがまず実践です。

そして、職場で、また黒パターンが騒いだらこの白をまた反芻します。そして、この時に考えてみてください。「決めつけなくていい、それはどうせ自分の意見を言っても却下される、あの人に聞いても教えてもらえない、ということも決めつけないで、言ってみよう、聞いてみよう」ということでもあります。そこで、勇気をもって言ってみる、聞いてみることを実践します。実践とはこういうものです。

もし、それを実践して、黒パターンが思っているような反応が相手からかえってきてもいいんです(傷ついたり、不快なら語りかけ)大事なことは自分が実践したということです。今まで避けてきたことを自分の意思で実践したんです。すごいぞ自分!です。それができたときの感覚もよく観察してください。どきどきしたけれど、怖かったけれど、やったという実感をよく感じてください。この体験を増やしていきます。

くれぐれも、仕事ができなくても平気を装う、堂々といるというような、目に見える状態をアピールすることではないので注意してください。続く。

意識の領域 V
2017/10/17

A領域からB領域への移行。これだけで、心の状態はかなりすっきりし、整理されてきます。自分の中に起こる感情は全てパターンであり、ワークを続けることでそれは自分ではないことが腑に落ちてわかるようになると思います。

A領域での、大きな特徴として、自分を楽しくしてくれて、癒してくれる他人、物事、自分の価値を証明してくれる他人、物事をひたすら探し続けるということがあります。それらが自分の黒パターンであることに気付いて語りかけ(B領域)をすることになります。それが己に向き合うということであるというところまでがきのうまでに書いたことです。

B領域からさらにもうひとつ上の領域がC領域です。道場では白黒ワークがそれにあたります。白パターンを選んでそれに基づき「私」がそれを成就するために日々の生活の中で実践する領域です。

ここでは、今までは選択できなかった、新な自分の在り方を自分で創り、それを現実に形にしていくことが行われます。白黒ワークには黒パターンと白パターンのバランスをとるということだけではなく、C領域に慣れ、C領域の住人になるということも含まれています。

白黒ワークには実践が伴いますので、その実践中はC領域にいると体感できるようになります。その領域にいる「私」それは明らかにA領域、B領域にいたときとは違うことも感じられると思います。実践により得ていくものごと、それはきっとA領域で欲しいと思っていたものごとではないことがほとんどです。この段階でいかに自分が今まで黒パターンで生きていたのかがわかります。

C領域で選択するものは「私」=魂が選択するものであり、それは目の前の損得から離れたものです。ここで選択した白パターンで実践をするということで得られるものは自分自身への信頼になります。そして、実践で得られた結果を受け取り、初めて、きっと「そうか自分で自分の人生をこうやって創っていけばいいのか」ということにも気付くと思います。続く。

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