ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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いざというときに動けるように
2018/09/07

台風21号の大きな打撃に続き、今度は北海道の地震。本当に日本中、大変なことになっています。被災された方々にお見舞い申し上げます。

これからはどこで何が起こってもおかしくない今の日本なのでしょう。台風にしても地震にしても、高温や寒波も竜巻もどれも自然現象であって私たちがどうこうできるものではありません。これからは自分で自分を守ることを考えて、必要なものは揃えておくことや、こういうときにはこうしようとシュミレーションをしておくことでいざというときに動けると思います。

又、自分は正しく生きているから自分と家族は守られるという自分だけよければいい、はこの時期とてもよろしくないと思います。私たちが皆で創ってきてしまった今までの集合意識、そして、日本の地には日本の地の意識があり、地球には地球の意識があり、太陽には太陽の意識があり、それらを統括するものの計画があります。私たちは起きることを正しく受けとめて皆で乗り越えていくしかありません。

ニュースで妹さんが土砂崩れにあい、まだ、探せないというお兄さんがインタビューにこたえていました。「今まで九州でおきたことや関西でおきたことはどこか遠いことだったけれど今こうなると、それはとてもつらいことだとわかります」ということを話をされて泣いていらっしゃいました。妹さんが早く見つかることを願います。自分に起きて初めて人ごとではなくなるということは悲しいことですが、私たちは皆そうです。そういうことも、超えていくときにきている気がします。

今日はこれから沖縄へ行ってきます。どうぞ皆さまもお元気でお過ごしください。

さーー次…
2018/09/05

昨日の台風、近畿地方の皆さま、ご無事でしたでしょうか。

関東は直撃ではなかったものの、大強風でした。仕事に出られた皆さんはものすごく大変だったろうと思います。

きのう、トミーは会社近くのホテルに泊まり。強い台風の場合、必ず交通機関が乱れるので、今回は前もってそうしよう、ということにしました。で、正解でした。やはりいつも使用している交通機関はストップし、帰宅のための人々でバスやタクシーは長蛇の列だったそうです。

先に先にと考えて手を打つということもときには大事だと思いました。で、よく考えてみると私は結構そうだと思います。「今にある」ということも大事なのはわかっているし、今やっていることに集中して、思考をあちこちに飛ばさないということはだいぶできるようになりましたが、それと並行して、いつの頃からか、身近なところでは1か月先を同時にみている自分に気づきました。

変な言い方ですが、今日は9月5日ですが、私の中のカレンダーとしては10月もあります。そこにも自分がいる感じで、そこで前もってやっておいたほうがいいこと、たぶんこうなるであろうと思えることは今から用意しておいて、そのときになってからではなく先に先にこなしていくことをしています。

こうして自分で自分をひっぱっていっているのかもしれませんが、そのときやればいい、というのが本当になくなりました。これはまた、何かを失ったときとか、思うようにいかなかったことに対しても、ひきずらずに先へ先へといかれる感じがします。

以前「洋子さんって、さようなら、と言ったらそのまま、後ろを振り返らずにずんずんと歩いていくよね」と言われ「そうなの?私。気付かなかったけど、みんなは振り返るの?」と聞くと「振り返って、また、ばいばいとかやるよ。特に女性は」と言われて「そうなんだ」と笑いました。さようなら、で私は終わってさーー次…なんだと思います。愛想がない、可愛くないという印象もあるかもしれませんが、自分にとってはこれが自然なので、まあいいね、というところです。

美を育てる
2018/09/04

この数年、主にグループセッションで使うオリジナルワークに「美」を意識するものを作るようになりました。

これは何かねらいがあったわけではなく、ただ、私の「私」からのわきあがる欲求だったと思います。

もちろん、基盤は自己探求によるそれぞれの魂という「私」の成長と進化のために使えるワークを考えるということでやってきていますし、それはこれからも変わりません。しかし、それだけではなく、そこに「美」を入れたくなったということです。

これは言い方を変えると、自己探求というのは「私」を構成しているひとつひとつの資質を大きく育てるということになります。ワークや対話、熟考をすることで、共感、受容、理解、許し、慈悲、継続力、意志力、リーダーシップ、表現力、感受性などの資質を使うことになります。使うものは自然と鍛えられて育ちます。

「美」も資質のひとつなので、そこも育てたいと私の「私」は思ったのだと思います。

で、気付いたのが、私は音楽とバレエをやってきた経験があるということと、父と母の影響で、子供のころから、美しいものに触れることが多かったということです。しかし、そのどれもが自分の生業にはなりませんでした。それだけの才能は私にはなかったわけです。

しかし、今、この経験が役に立っているということを感じています。子供のころに接した美しいものから、音楽から、バレエから、得てきた身体にしみついているものは、実は、自己探求の道でみつけるものと同じであることがわかります。だったらそういうものの力もかりるとよいのではないだろうかと考えます。又、自己探求はどうしても、座学になっていくので、身体を使うことも入れていくとバランスもとれるだろうと思います。

で、思いました。そうか、このために私はそういうことをやってきたんだ・・・・と。嫌々通っていたピアノや歌の稽古が今はこんなに役立っているなんて。先生にびしびししごかれて嫌になることもあったバレエが今はこんなに役立っているなんて。本当にわかりません(やっぱり塞翁が馬)

そして、これは皆さんもあるのでは?と思います。今ここにきて役立っている昔の経験。それは自分の「私」を構成している資質の何かを育てているのではないでしょうか。一度再認識してみるといいと思います。

自分用に変容
2018/09/03

怒りはいやなものだと思われがちです。

怒りもパターンからわきでているものなので、そこへ注目して、パターンをケアしつつ白に何を選ぶのかということが具体的にやっていくことになります。地道に。これは他のパターンのときと同じです。

で、この話とは別に、怒りの質を上げるということも考えてみます。例えば、怒りは誰かに向かっていて、その人を攻撃している。そのパターンは自分の思い通りの相手ではないことが嫌なのでしょう。ほとんどの場合。

その怒りを、その相手にではなく自分のために使えないだろうか、というところも考えてみるということです。これは相手を攻撃している自分に対して怒りをもつということではないです。それでは相手を攻撃しているときの怒りのままです。対象を変えるのではなくて、怒りそのものを自分のためになるように変容してみるということです。

例えば、その怒りのエネルギーで自分を律すること、自分にはっきりと指示を出すこと、などに変容できるのでは?相手に向かっている怒りを自分がひきとって、それを自分のために使えるように変容する、という方法です。そうやって相手に向かっていたそれらを自分のために使うということはまたひとつ違う領域で生きていくことにもなります。違う領域なので、方向性を間違えない限り楽になるはずです。

くやしさをばねにして、という言葉がありますが、本質的にはこれもそうなんだと思います。相手に対してもっているくやしさを自分にひきよせる。そのくやしさを使って自分をひっぱっていく。他人に向けられていたくやしさを自分のために使うということです。しかし、くやしさをばねにして見返してやる、頑張って自分のすごさや正しさを見せつけてやるというところで使われている感もあり、それではないんだけど・・・と思います。その動機はどう見ても違う領域にはないものです。相手に向けられているものを自分のものにしていくこともできる。

そう考えると全てが自分用に変容して質を上げていくことはできます。

仕事を創る
2018/09/01

私の住んでいるマンションの管理人さん、本当によく働く方です。

ゴミ集積所の私たちの出したゴミもきれいに並べられ、いつもせいせいとしたゴミ集積所にしていただいています。このようにきれいに片付いていると出す側の意識も変わりますね。皆、丁寧に出しています。

集積所だけではなく、マンション周りや入り口のドアや、床、ポストなどもきれいに拭かれています。そういう管理人さんから私は教えられることが多いです。

暑い日も寒い日も同じペースで、手を抜くことなく、たんたんと確実に仕事をしていく姿は、神々しささえ感じます。同じことを毎日同じようにむらなく行うことは簡単なように見えて大変なことです。時には面倒だとか、今日はのらないとかと思うことも人であればあると思います。しかし、それを選ばないで、自分が納得するように仕事をしよう、としているように私には見えます。

それはこの仕事が好きとか、嫌いとか、楽しいとか、楽しくないとか、ということではなくて、やるべきことを自分が納得するようにやりたいという気持ちがはたらいているのではないだろうかと思います。そんな気持ちが私に感動を与えてくれるのだと思います。

職種は関係なく、自分の今の仕事をどのように自分が創りあげてくのか、ということです。うるさく言われるからやる、嫌々やる、面倒だけど仕事とわりきってやる、というように自分の仕事を創っていくのか、それとも自分が自分のために納得した仕事をしようと創っていくのか。それに対して受けとるものごとは変わってきます。

この方のように、説教することも一切なく、仕事とは・・・と押し付けることも一切なく、ただご自分の姿に一致性があることが最も他人を納得させられ、他人にも善い影響をあたえるのだろうとも思います。時々お話をしたりもしますが、とても普通の方です。そこがまたいいとも思っています。

可愛い花火
2018/08/31

きのうはaikoのライブが茅ケ崎サザンビーチで行われました。

私は行ってはいませんが、夕方、駅に行ってみたら人でいっぱいでした。JRスタッフが改札から出てくる人たちを誘導していて、バスもタクシーも長蛇の列でした。でも、みんな楽しそう。いいね!こんな非日常的な感じに私もわくわく感がありました。いつもは、がらがらの近所のスーパーの駐車場も県外の車でのきなみいっぱいだったようです。

今回のライブは3年ぶりだそうで・・・・そして、無料・・・・無料?って?・・・・と何度も確認しましたがやはり無料でした。

aikoさんは小柄です(と、ちびの私が言うのもなんですが)その小柄な体で、ライブ1時間40分(13曲)はすごいです。やはりトップにいる人たちは体力、気力ともにトップですね。

ライブがはじまると、風にのってその音が聞こえてきて、曲としては聞こえていなくても、aikoの声も流れてきます。36000人が集まったそうで、大きなどよめきも聞こえてきます。けっこう楽しめました。

最後には花火が打ち上げられました。その花火が今まで見たことがない可愛らしものでした。色といい、デザインといい、変化の仕方といい、センスがいい。とってもキュート。ぽんぽんはずむような楽しい花火の連発で思わず「かわいいーーーー!」と言っていました。こういう花火を茅ケ崎花火大会でも打ち上げて欲しい。

こうして今年の夏も終わったな・・・・と思いました。今年の夏はハードでしたね。とにかく暑くて暑くて多くの方が体調を崩したり、体が重くつらかったりと大変でした。でも、どうにか皆でこうして今年の夏を見送れそうです。台風がまた近づいています。気をつけて秋を迎えてください。

自分との関係
2018/08/30

人とうまく関係が築けないという方がほとんどです。

そういう方は自分の周りの人たちが皆、話し上手に見えてしまい、人からしたわれているように見えてしまい、その人の話で他の人達が笑っていたり、楽しそうにしているのを見て、寂しく思い、そんな自分はだめだと思います。

しかし、そんな話し上手で皆にしたわれているように見えている人たちも、自分は人間関係が苦手ということを聞きます。おそらく…これは、どんな人にでもあるのではないかと思います。今までたくさんの方々にお会いしてきましたが「人間関係がうまくいっています」「人間関係には自信があります」と言った人はひとりもいません。

だからこそ本屋さんに並ぶ、その手の本。人に好かれる話し方、とか、人の心をつかむ、とか。しかし、その通りに試してみても、思うような結果につながらないことがほとんどなのは、自分も他人も生きていて、本の通りにはいかないものだからです。

人間関係というと他人との関係性を考えますが、実は人間関係は自他です。自分との関係性というのがまずはありきなんです。自分が自分との関係を築くということです。それって何?ということですが。

自分との関係とは、一言で言うと、自分で自分をおもりするということです。自分で自分の面倒をみてあげる。これは自分の感情も感覚も思考も体も性格も個性も自分がわかってあげるということです。そしてそれを引き受けてあげるということです。こうして自分との関係を意識化します。

なんか、ひとりでなんて寂しいと思いますか?誰かにわかってもらわないと怖いでしょうか。

しかし、これができるようになると、誰かの話を聞いて皆が楽しそうにしているのを見ても、寂しいとかだめだと思わなくなります。いや、それより、その光景をほほえましくさえ思えます。そこに自分が入っていなくてもいいんです。自分は自分で楽しませてあげられるし、なぐさめてもあげられるし、はげましてもあげられるし、そのままの自分を愛してあげられるからです。そして、そんなふうに自分に対して行えることが他人にも自然と行えるようになります。それこそが本来の人間関係ではないでしょうか。

ですから話し上手がいいわけではありません。無理して話上手に見える人のまねをしなくていいんです。その人も実は人間関係で悩んでいるかもしれません。だからこそ、饒舌で、インパクトが強いのかもしれません。

どうしても目に見えるところで自分と他人を比較しがちですが、大切なことは目に見えないところで起こっています。誰もが皆、そのままですてきなんです。

モネの見ているもの
2018/08/29

きのうは横浜美術館へ「モネ展」をみにいってきました。

久しぶりに行った横浜美術館。まず、入り口を入って、こんなにもせいせいとした美術館だったかなあ・・・と思いました。人がそれほど多くなかったからかもしれませんが、さえぎるものがないエントランスには落ち着いた空気が流れていて、ゆっくりしたいと望んでいた私にはぴったりの空間でした。

そして、モネの絵をみました。こうして、モネの描いた絵を通して作者と対面しているということが不思議な気がします。私と絵との間に今もモネが立っていて、モネが見ているものを私は見ている。それは私だけが見たら全く違う風景、物だったんじゃないかと思う。モネという個性とその風景や物をブレンドしたものを私は見ているんだと思いました。

解説の中にモネは「形なきもの」への執着があったと書いてありました。モネの代表作の「睡蓮」や「積みわら」などもその形や風景をそのまま描いていたのではなく、そこにある形なきものをモネは描いたのだそうです。それは大気、光、水などすぐに変化をしてしまう、刹那的なものだったとありました。

刹那的なものに惹かれていったのは、きっとその瞬間に永遠性を感じたからなのではないかと思いました。

人が成長していくなかで起きてくることとして、自分が興味をいだいていたきれいだと思えるものごと、楽しいと思えるものごとに飽きた(卒業するとき)ときに、人は永遠なるものを自然と求めるようになると言われています。しかし、それは今までのように目に見えたり触れたりできるものではなくて、見えないものとして存在しています。でも、それがあることを人は誰でも魂レベルで知っています。だからあるときからそちらを欲するようになる。

芸術には、それがあり、それに私たちは心惹かれるのだと思います。ここのところ忙しく、ゆっくりしたいと思っていました。そんなでしたので、きのうはとても良い日になりました。

自分で育てるしかない
2018/08/28

「私」を育てるためには意思力が必要になります。

しかし、自分は意志力が弱いと思っている方が多いです。意志力が弱いから継続してワークを行うことができない、モチベーションがたもてないと言います。

これに対して、それは本当にやりたいからではないからだという解釈があります。私もかつてはそう思っていました。本当に欲していることであれば誰にも何も言われなくても、その人はやるだろうから、本当にやりたいのではないんだろうと。しかし、それは好きか嫌いかのところの判断で「私」を育てるには、好きか嫌いかという所の話ではありません。自分を育てるための意志力は自分で鍛錬して育ててはじめて起動するものです。

もちろん、生まれつき強い意志力を持っている性格の人もいますが、そういう人でさえ、それを使うチャンスがなければ、意志力の発揮はできないだろうと思います。これは全ての能力がそうです。知恵も、素直さも、正直さも、勇気も、行動力も、リーダーシップも、慈悲も、許しも、創造力も。自分で鍛えていかなければ動き出さないものです。そして、それをするために私たちは今ここにいます。

それら全ての能力をひっくるめて「愛」なので、「愛」そのものはひたすら鍛錬により創造されるものといえます。何もしない人に「愛」の深い人などはいません。何の努力もなしに理想的な力を発揮できる自分にはなれないということです。

どの能力に対してもそうですが、この鍛錬し続けていくという、自分を創るためには、とにかく何でもいいので、毎日やることを決めてやってみるという練習法があります。それは祈りでもいいし、瞑想でもいいし、スクワットでも、散歩でも、本を読むでも、とにかく毎日5分位でかまわないので、毎日ひとりでやるということを続けます。

私としてはこれにぜひ語りかけワークを入れていただきたいところです。

これらは、ときにはムダに感じたり、面倒くさいと思ったり、嫌になったりするかもしれませんが、それでもやるうちに、そうできる自分に気づくと思います。自分がもう1か月も毎日続けられた、という気づき。そこには確実に意志力が育ってきています。こうやって能力は作られていきます。「あの人はいいよねえ、意志力があって」ではないんです。あの人も、こつこつと自分の意思力を育ててきたということです。

体も心も自分で創る
2018/08/27

定期的に「おうちでバレエ」を続けて、たぶん1年半くらい(?)このおかげだと思いますが、体が軽いです。

やり始めのころはジャンプを8回もやればぜーぜーいって、心臓のどきどきがなかなかおさまらなかったのが今は32回のジャンプを4種類できるようになりました(2種類のジャンプの後1分ほど休んで次の2種類だけど)これは自分でも驚きです。もちろん、今も、息が上がるけれど、心臓のどきどきのおさまりは早くなりました。

62歳でもこうなるのだから40代、50代の体は十分変えられると思います。私の場合、椎間板ヘルニアのせいか下の椎骨がくっついてしまっていて、いわゆる腰痛もちで、10年ほど前からは右のおしりのあたりがずっと痛かったのですが、今はその痛みがなくなりました。体は動かしてナンボなんだと思います。

皆にバレエが合うとは言えませんが、何か自分に合った体を動かすことをみつけてとにかく細く長く続けることはお勧めです。細く長くの継続で少しずつその人の本来の体を再構築していくのではないかと思います。

これは心も同じです。心の中で鍛えていくのは「私」です。パターンへの語りかけも白黒ワークも日々の言動の選択も「私」を育てるためのものです。「私」を育てる鍛錬を細く長く継続することによって、パターンで生きていたときに味わう苦悩からは解放されます。

これだけでも生きること自体が楽になりますが、「私」で生きることの喜びはここで終わるというものではありません。そこからはそれはより純化され、個性的になり、なおかつ自己を超えて全体的になります。そのときに、初めて私たちは自分を超えた存在のエッセンスと溶け合い、そこからまた学ぶことをしていきます。それはきっと大きな喜びになると思います。

その段階にいくためには、とにかく自分を「私」が観察し、「私」が選択するという事を意識的に続けてください。面倒だと思ったり、さぼっちゃお・・・と思うときもあります。それはそれでいいです。でも、気付いたときには元のところに戻ってきてください。体も心も自分で創っていくということは自分への信頼にもなっていきます。

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