ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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仕事
2018/06/25

近所の顔なじみのコンビニの店長と、話をしました。店長は60代、男性。

「この仕事は休めなくて、18年間1日も休んでない」という店長の話を聞きびっくり。「疲れませんか?」と聞くと「うーーーーーーん、疲れないですね」ということにもっとびっくり。

「このお仕事、合っているんでしょうねえ」と聞くと「いや、いや、伊藤さん、なんでこの仕事を選んだんだろうと今は思いますよ。でも、いまさら転職もないし。この仕事は自分に合っているだろうと思っていましたが、実際仕事になると、大変なことがほとんどで」という話でした。「何の仕事もそうなんでしょうね」と言うと「そうなんでしょうねえ、あの人の仕事はいいだろうなあ、楽しそうだなあ、楽そうだなあ、嫌なことないんだろうなあ、と見えても、その人にしかわからない大変さが仕事にはあるんでしょうねえ」と話しが落ち着きました。

そう、それが仕事なんだと思います。

仕事は外側から見ているのと、実際やるのとでは大違いです。でも、天職を持つ人もいるでしょう?というのもありますね。皆が共通でイメージしている天職(自分の好きなことを仕事にする)を持つ人はきっとほんの一握りだと思います。そこにはその人の魂の課題や目的なども関わると思います。又、天職であるからこその大変さはより大きいと思います。

そして、誰かの本に書いてあったのですが、天職とは、今の仕事を嫌でも続けて続けて、それに慣れて、それのよさがちょっとわかった仕事がその人の天職になるのだそうです。そうやって天職とは与えられるものではなく、自分で生み出していくものだという方もいます。これもわかる気がします。

さて、今日から北海道のトミーの実家へ里帰りしてきます。1年に1回しか帰れないのが本当に申し訳ないです。その分、親孝行の真似事ができたらと思います。そんなわけでしばらく日記はお休みになります。皆さまもどうぞどうぞお元気でお過ごしください。

自分を縛らなくていい
2018/06/24

初志貫徹という四字熟語があります。

・・・・・・初志貫徹(しょしかんてつ)とは、はじめに決めた志を貫き通すこと。「初志」は最初の志のことで、「貫徹」は考えや方針などを貫き通すこと(四字熟語辞典より)・・・・・・・

意志力の強さを感じさせる言葉ですね。そして、その初志のとおりに貫徹した人は高く評価されるので、自分もそうでないと、と、私たちは刷り込まれている気がします。

「自分が決めたことだから」「自分が選んだことだから」という言葉が時には私たちを縛ります。この言葉を他人から言われることもあり、動けなくなってしまうこともあると思います。

でも、どうなの?例えば、20代に私が決めたこと、選んだことが30代の私にはもうすでに興味がなくなっていて、30代そのときの私が決めたこと、選んだことが40代で私は違うなと思い、またそこで初志を決めて、選んだことが50代でやっと開きはじめ、そこでまた違うと気付き、また初志をもつ。この私が70代でどうなるのか。ということが自然な流れです。初志の更新。

もちろん若いときからの初志を貫徹をされる方もいるでしょう。それがその方の「私」のそれであればきっとその結果は善きものとして他人にもいい影響を与えていると思います。しかしそれはごく一握りの人かも。多くの人は変化していく流れにさからわずにもっと気楽に生きていいと思います。

「言っていることが変わるね」とか「飽きっぽいね」と他人から言われてもそれはその人のパターンです。人は自分の言ったことに責任を持つべき、自分の言動は変えてはいけない、など、が言っていることです。他人の言うことはほとんどパターンです。そのことがわかってくると他人の言葉に揺れることもなくなっていきます。

全てがバランスの世界なので、ここがあまりにゆるすぎてもアンバランスですが、どうも、ここがタイトな人が多いです。

そして、本当に貫徹したいものは誰に何を言われても貫徹します。ですからあまり自分を縛らないようにしてもいいのではないでしょうか。

語りかけは大事に。
2018/06/23

語りかけは落ち着いて、心をこめて行ってください。

語りかけを感情が湧いたときに、その場でやれれば一番いいですが、それが難しいようであったら、その日の夜に、語ってあげてください。1回でいいです。心を込めて。

そして、お皿を洗いながら、お風呂で体を洗いながら、語るというような、ながら語りはしないであげてください。パターンは生きていて、ながらでやられると(私たちも同じだと思いますが)雑に扱われていると思います。そうなるとパターンが「私」を信頼することはできません。

それから、とりあえず、リアルタイムでやっておこう、ということで、例えば腹が立ったときに「そうだよね、腹立つよね〜、ほんと、腹立つよね、あの態度。あの言い方。くやしいよね、バカにすんな、と言ってやりたいよね」と声をかけることは語りかけではありません。こうすると少しすっきりするということもあるかもしれませんが、これはパターンがパターンに同調しているからです。同調って、一瞬のすっきり感をもたらしてくれます。語りかけは(これはカウンセリングも同じ)同調ではなく、共感です。

1日1回の語りかけを意識的に丁寧に心をこめて行ってください。そうやってパターンを見守り、大事にしていくうちにパターンは「私」の言葉に耳を傾け、「私」を信頼してくれるようになります。そこにいくまで、とにかく、大事に語りかけを行ってください。

語りかけは「私」がパターンに語っています。従ってパターンは語ってもらっている=存在を認めてくれている、わかってもらえている、愛してもらえている、ということを感じていきます。その安心から涙を流すことも多いにあります。いわゆるここまではケアの部分です。パターンに関してのケアはその後、白黒ワークへと続きますが、その他に、語りかけを続けていくと、それがパターンのケアだけではないこともわかってくると思います。そこはまた次の段階です。それを体験することも楽しみにしながらこつこつと行っていってください。

成長の証
2018/06/22

「深刻にならなくてもいい」という言葉を聞いて、ほっとした、安心感が出た、肩の荷がおりた、とか・・・・・と感じられている方がほとんどであることを知り、とてもよかったと思います。

と言うのも、この「深刻にならなくていい」と言われたときに、腹が立ったり、激しく怒りがわいたりする場合もあるからです。その怒りは「深刻にならなくてもいいなんて、自分が楽だからそんなことが言えるんだ、私はこんなに大変なのに。人の気も知らないで」というところからのものです。

そういう人を下に見て言っているのではなくて、誰でもパターンにのみこまれているときというのは、そこに起きていることが自分だと思っていて、そこで展開される問題や悩みに苦しまされています。その状況に「深刻にならなくてもいい」なんて言われても・・・・と思うのは当然です。

今の自分の意識のいる領域というものがあります。「深刻にならなくてもいい」という言葉をさきほどのように受け取る領域があります。それが良いとか悪いとか正しいとか間違っているのではなく、ただ、そういう領域があります。そして、私たちはその領域を必ず通ります。そして、いろんな体験をしながら、その領域を卒業して次の領域にいくことで「深刻にならなくてもいい」という言葉の意味をまた新な捉え方で捉えていくときに、ほっとした、安心感が出た、肩の荷がおりたなどの感情・感覚を感じるようになります。そこにはその前の同じ言葉に対するものとは違うものが自分の中に生まれていることも感じられると思います。

このように、成長・進化をしていくということは同じ言葉を聞いても、同じことが起きても、今までとは違う捉え方を自然に、気付いたら、しているようになります。ひとつの成長の証です。「深刻にならなくてもいい」から感じられる気持ちや感覚をたくさん味わってください。

迷想
2018/06/21

瞑想をするも、迷想する、という話。

苦しいとき、いっぱいいっぱいになってしまったとき、ごちゃごちゃになってどうしていいのかがわからないとき、そんな自分を落ち着かせようと、又は、本来の自分をとり戻そうとして瞑想を試みます。

静かな心をとりもどしたい、落ち着きをとりもどしたい。それは、何ごとにも揺れない心になりたいということがあるのかもしれません。そのために瞑想を・・・と思います。しかし、どういうわけか心は迷想してしまいます。どうしてなのか。求めるというところに迷いがあるからです。

どんな迷いなのかというと、今起きていることと、そうではありたくないこととの間に起きる軋轢、闘いが迷いです。こうありたいのにそうではない、そういう迷いです。それが意識を瞑想にむけたときにただ、そのまま、あるものとして現れているだけです。

しかし、それは失敗ではないんです。それはそれで教えてくれていることがあります。それが教えてくれていることを知ることが迷想を終わらせるものになります。

それは何なのか。それを知るために、瞑想をして迷想を何度も体験していくといいと思います。それは、これですよ、と言ってしまうとそれは思考で理解したところで終わります。そして思考で理解したことはそのようにしようとして、できた気分になります。しかし、瞑想は、それではなくて、体験をしていくことになります。迷想を通して、何かに気づく。そんな体験が必要です。

そして、これは、語りかけや白黒ワークや対話などを通しての気付きの体験も同じです。自分で体験するしかないものです。うまくできない、結果があらわれない、嫌になる、わからない、そういう体験を通さないとその真意はわからないものです。だからやる、ということになります。

禅のマスターが言っていました。「苦しみを超えないと心の自由はない」と。その通りだと思います。苦しみとは迷想であり、ワークがうまくできない、結果がでない、嫌になる、わからない、ということです。本当に心の自由がほしいのであれば、苦しみの体験をしてその先にあるものを自分で見つけていかなくてはなりません。

選んだところでやる
2018/06/20

AかBかはたまたCか、どれを選んだらいいのか?と迷う事は誰でもあります。

ここでのどれを選んだらいいのか?というのは、どれが最もリスクがなく、失敗がなく、なおかつその先に得になること、得られるものごとがあるか、というところで考えるものなのだと思います。

特に失敗がない=選んだことは間違っていなかった=後悔しなくてすむ、というところは大きいです。自分の選んだことを後悔したくないというパターンはたぶん、ほとんどの人が持っていると思います(これは、どうして?・・・とパターンに聞いてみてください。これはけっこう大事なパターン)ですから迷ったときの選択はとても慎重になると思います。

しかし、AにもBにもCにも、メリットとデメリットはあるんです。そういう意味では何を選んでも同じ。何を選んでも、そこには後悔はありうるということです(そのパターンで選んだら)で、その後悔にぶちあたると、こんなはずじゃなかったのに、だったら他を選んでおけばよかったと思いますが、他のものを選んでいたとしても同じです。

大切なことは選んだところでやるということです。自分が選んだところでです。

スピ系によくある、潜在意識にインプットしてそれを現実化させれば全ては思いのまま、よきことだけを引き寄せる、ということはないんです。これもまた違った領域で見れば、起きたことを魂で捉え、意味づけ、よきことに創りかえていくということをしていくと考えれば、それはよきことだけを引き寄せるとも言えるかも。

いずれにしても、まずは今選んだところでどうにかやってみるということになります。ただ、選んだそこが自分の心身を破壊し、魂(「私」)が望んでいる物事ではない場合は、方向転換をすることを選択するというそこでのやるべきこともあります。

手をさしのべずにいられなかった
2018/06/19

先日の、東海道新幹線のぞみの車内で殺害された方のご遺族が弁護士を通してコメントを発表したという記事をみました(時事通信社記事)

「私にとって世界一優しい夫」「たくさんの優しさと愛をありがとう」「悲しい事件が二度と起こらない社会になることを強く願う」という奥様のコメントと「目の前の危機に手をさしのべずにいられなかった息子の勇気に、わが子ながら心を激しく揺さぶられている」というご両親のコメントでした。

大事な方をああいう形で亡くされたご遺族の気持ちを思うと、やるせない気持ちでいっぱいになります。特に「目の前の危機に手をさしのべずにいられなかった息子」という言葉には、ご遺族の苦しい葛藤を感じます。そして、亡くなられた方の魂(「私」)を感じます。

遮断機のおりた踏切の中で動けなくなっているお年寄りを助けようとして亡くなられた方、線路に落ちてしまった方を助けようとして亡くなられた方、津波にのみ込まれている方を助けようとして亡くなられた方、などなど今までにもそういう話を多々見聞きしたことはあります。

以前、知り合いの方が、職場が火事になり、消防車到着前に、人がまだ中にいるかもしれない、と聞いたときに、何も考えずに飛び込んでいったという方がいらっしゃいました。無事にその方は戻りましたが、その後、もし、自分がそれで死んでいたら、奥さんと小さな子供たち3人を悲しませ、苦労させることになっていたと考えたと話していらっしゃいました。しかし、そのときにはそんなことは全く頭になかったということでした。

それは正しいことだったのか、無謀なことだったのか。家族のことを思えば、そうすべきではないのではないか?といろんな意見があると思います。しかし、ここで起きていることはそういうことではないところの行動なんだと思います。

手をさしのべられずにいられない。困っている人を、助けを求めている人を、苦しんでいる人を、ただ助けたい、という「私」の衝動です。そういうところではたらく「私」でもあります。しかし、それは、他人のために自分を犠牲にしなくてはいけないということではもちろんありません。その方の心底ではたらく「私」の力です。

このようにして亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

深刻にならなくていい
2018/06/18

「深刻にならなくていい」という言葉。

この言葉は、きっと多くの方をほっとさせてくれるのではないかと思います。いろんなことを考えすぎて苦しくなってしまったら、又は、どっちを選んだらいいのか考えすぎてわからなくなってしまったら、自他のふがいなさに悩んでしまったら、この言葉を言ってみよう。

・・・・・・・「深刻にならなくていい」・・・・・・・

この言葉を意識的に、心の中に響かせてみると、ああ、そうだな、と思えると思います。もちろん深刻にしたがるのはパターンなので、それへのケアや選び変えは必要ですが、それとは別に、この言葉を自分にかけてあげることもいいと思います。

そして、とっても変な言い方ですが、皆、生まれた次の日から死に向かって歩んでいます。この歩みを誰も止めることができず、この歩みからはずれることもできません。1日、1日、と死に向かっています。その決められていることがあるのだから、もう、深刻にならなくていい、と私は思うときがあります。決められたこと(死)がないと、これからのことを思うと不安だし、不安であれば全てを深刻にしていきます。

こんなふうに自分の人生を大きな目でみたときの「深刻にならなくていい」は、あまりに今の自分とかけはなれていてぴんとこないと思われるかもしれません。しかし、あまりに自分のことだけに目が向いてしまい、八方ふさがりになってしまったときには、このように、大きな目で自分の人生を見てみると、いう、知識を使うことで今までの深刻さが抜けていくときがあります

今日も自分に言ってあげよう「深刻にならなくていい」

未熟だから
2018/06/17

過去の自分がやってしまったこと、いわゆる、失敗、汚点、ネガティブなことなど、後悔する出来事をずっと責め続けているという方は多いです。そういうことは恥の部分なので他人に話すことはありません。

しかし、その人の心の中ではずっとそのことを責め続けています。そのときの自分を許さず、そんなことをしてしまった自分を否定したまま生きていきます。そして、時にはそんな自分に厳しい罰を与えて、その苦しみを大きくすることで少し自分が許されると思ってしまうこともあります。

しかし、それは違います。

まず、誰にでもそういう部分はあるということです。決して自分だけではないんです。ただ、先ほども言ったように誰にも話さないことなので、皆がそんな風にだめなのは自分だけだと思っています。

何故、誰でもがそうだと言えるのかと言うと、皆、機能不全からのスタートだからです。これは誰でもです。仏陀やイエスクラス(特別な魂)の人ならば、子供のときから私たちとは違う生き方をするのかもしれませんが、ほとんどの人は、皆、機能不全の状態ではじまります。しかしこれは出来が悪いのではなくて、機能不全だから、大人になっていく時点で機能する自分に自分でなっていく(覚醒する)ことができます。そして、それをやりにきています。

機能不全ということは平たく言ってしまうと未熟だということです。未熟な自分がそのときに選んだ言動、それは仕方がないことでした。だって未熟だったから。でも、そう開き直っていては先に進めません。

未熟な自分だったら、熟した(機能する)自分になっていこうと決めることです。それが反省ということになります。反省には自責は含まれていません。反省は何が違っていたのか、何を変えたらいいのか、そして、これからのことを考えて新な選択をしていくことです。そうしていくことで未熟な自分を熟した自分にしていきます。

熟した自分は過去の未熟な自分を許します。未熟な自分を理解できるからです。そのときの苦しみも、後悔もちゃんとわかっています。ですから、今までの自分を責めたり、嫌って否定したり(・・・・という、これも、もちろんパターンです)しない自分を選んでいっていただきたいと思います。

自分の全てを愛することができますように。

レモスコ、ユズスコ
2018/06/16

盛岡は予想以上に寒かった。風が強く、冷たかった。しかし、数日前には30度の日もあったらしく、この寒暖の差は全国的なものなのかもしれません。茅ヶ崎も寒いです。

毎回、盛岡に行くと、帰りに何かしら野菜を買ってしまいます。これは沖縄でも時々ある。新鮮な野菜を見ると、明日のスムージーに使うといいかも…と思い、買ってしまうんです。今回は岩手産ロメインレタスを買いました。

で、そんな気持ちで買っているのに、新幹線や飛行機に乗ると、悲しくなるんです。「なんで、出張に行ってまで野菜を買ってくるんだろう、なんでこういうときまで主婦なんだろう」と。だったら買わなきゃいいじゃない、と思うのに、見るとまた買ってしまう。そして悲しくなる。

これが野菜ではなくて、フルーツとかお菓子とか調味料とか漬物ならいいんです。なんかそれらはお土産という感じがあって、それを食べるのが楽しみという気持ちがあるんですが、野菜はどうもそうなれず。しかし、目につくのは野菜。やはり新鮮さにひかれるのだと思います。

数か月前に盛岡で「LEMOSCO」(レモスコ)を買いました。瀬戸内産広島レモン+藻塩+青唐辛子のすっぱ辛い調味料ソース。これは岩手のものではなくて広島のものですが、これが我が家では大人気で、今回、盛岡で再び買うことにしました。

そして、それとは別に「YUZUSCO」(ユズスコ)というのもあり、こちらはゆず皮+醸造酢+唐辛子+塩、というものでユズの香りがしつつ辛い調味料ソースです。こちらは福岡のもので今回初めて買ってみました。

で、帰ってきてから試してみたら、こちらもかなりおいしいです。お肉にも魚にも、サラダにも、ぎょうざ、野菜炒め、味噌汁、なっとうにもいけました。

この2本を茅ケ崎で見ることはないので(通販で買えるとは思いますが)これからも盛岡で買うことになると思います。こういうお土産はうれしいんだけど。

いつか、野菜を買っても悲しくなくなるときはくるのか。

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