ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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必死に在る
2017/11/29

ある画家の話です。

その方は、自分の腕を上げるために、以前から、指導してもらいたいと思っていた方に会いに行きます。その方は山の中に住んでいて、険しい道を何時間もかけて、画家は、自分が師と仰ぐ方に会いに行きます。

その師は、彼がたずねてきてくれたことをとても喜び「せっかくなので、一緒に絵を描こう」と言います。こうして、山の中の小さなアトリエで2人は、それぞれ絵を描きます。

その姿がとても対照的なんです。

画家は、必死に描いている。顔をゆがめながら、一心不乱に描いています。鬼気迫るものがそこにはあり、とにかく必死さが伝わってきます。

そして、師は、というと、逆で、風が吹くように、水が流れるように、一切力むことなく描いている。それは何かによって描かされているようにも見えます。師ともなると、余裕があります。

でも、私はこの画家の必死さがとても尊いものに思えます。なりふり構わず、描くということだけに向かっている姿は、師のそれに比べるとまだまだ力みがありますが、きっとこの必死さをたくさん体験して、あるとき、自然に師のような領域に入っていくのだと思います。

師もきっと彼のように必死に絵を描いていたときがあったのだと思います。必死に何かに向かうということはとても大事なことです。その体験がなくて、力をぬいた在り方というものはできません。最初から力をぬいた在り方をしようとすると、ただ、怠惰になっていくだけです。

必死に在るという体験はすごく大事なものだと思います。そういう姿の人を周りは「力みがあるよねえ」とか「余裕ないよねえ」とか「一生懸命で恥ずかしい」とかとか・・・言う人は多い。でも、そう言う人は自分自身にそういう体験がないのでしょう。そんな言葉に、揺さぶられる暇なんかないくらい、自分でいればいいです。

語りかけの続き
2017/11/28

語りかけは、ちゃんと文章にしてください。パターンの言いたいことを箇条書きにしてそれを読み上げているだけという、事務的なことはやめてください。

目には見えなくても、自分の中に生きている彼らがいます。その子たちにきれいな(…というのはきれいなことを言うというのではなくて)文章を聞かせてあげてください。それにより、小学生なみの黒パターンたちも「私」の力を感じ、少しずつ落ち着いていきます。

そして、語るときには、気持ちを込めて語ってください。そのためには集中して丁寧に語るということです。1日に1回でいいですから、棒読み状態や、とりあえずやるかという気持ちや、面倒くさいという気持ちや、あまりに子供扱いしてただ「そうか、そうか、わかってるよ〜はい、はい」というように語るとか、これらはNGです。

自分の中に存在しているものたちです。大切に扱ってあげてください。そんな自分に向ける愛の行為により彼らは「私」を信じて、安心していられるようになります。自分を大切にしてください。

きっと今まで体験したことがない語りかけ。自分で自分をケアしていく、自分の心を整えていく、それにより、ずっとからまるようにごちごちゃしていた心はひもとかれていきます。だから風が通るようになる。光が射すようになる。そして軽い心になる。

でも、間違えてほしくないのは、語りかけは黒パターンを排除したり、変容させたり、手放すことではないということ。黒パターンが悪いのではなく「私」が未熟であることで問題が起こっています。「私」を今自分の中にいるパターンを全て抱えられるまでに育てる、ということから語りかけは「私」を鍛えることになります。「愛」のかたまりである「私」を鍛える。

想像以上に大切で有効な語りかけです。どうぞ大事に行ってください。きっと見えてくるものがあります。

語りかけ
2017/11/27

語りかけはシンプルに。今一度、そのことを確認してみましょう。

語りかけは、できるだけシンプルに作るクセをつけてください。(パターンの言いたいこと3つくらい、感情3つくらい)

パターンが言いたいことを事細かに、全て吐き出させることが語りかけではありません。それは「私」がパターンの言いたいこと、そこで生み出される感情を代弁するということであり、パターンにしゃべらせることではないのでそこはくれぐれも間違えないようにしてください。

パターンにしゃべらせるをやってしまうと、まず、語りかけのボリュームが大きくなりすぎます。そして、どこかで「私」が代弁するのではなく、パターンモードになっていき、そこには過剰な感情が加味され、その世界にひっぱられます。

また、ノートを見ないと語りかけができないということが起こります。語りかけは、暗記するのではなく、その心を察知できていればノートなくどこでも簡単にできるものであることを忘れないでください。

又、パターンの言いたいことを全て吐き出させないとすっきりしないというときは、語りかけからずれてきています。すっきりしたいから語りかけをするのではなく、あくまでも傷つき怖がり悲しんでいるパターンを救済するものです。すっきり感を求めてしまうときは、すっきりしたがっているのは誰なのかと自分を見てください。

シンプルな語りかけでも「私」にはパターンに起きている事態は手にとるようにわかっています。だって自分の中で起きていることですから。だから「あなたは〇〇さんにあんなふうに言われて悔しかったんだよね」という1文だけで、〇〇さんの言い方、態度、そのときの周りの人達の態度、などを理解しています。ですからそれで十分なんです。ここをひとつひとつ出していくとボリュームが付きすぎます。

私達は物事を複雑に深刻にすることが得意です。そこであえて今まで使ってこなかったシンプルに事を語るということをしています。それにより、だんだんと起きていることが深刻ではないということ(ひいては、実は深刻なことはないのに、いつも自分が深刻にしているということにも)にも気付いていきます。そのクセを全般につけていきたいのです。

はじまりがあれば・・・・
2017/11/26

TV番組で安室奈美恵さんのインタヴューを見ました。

40歳で引退ということだそうで、惜しまれる声も多いと思います。

デビューしたころの映像〜今の安室奈美恵さんを見ていて、その苦労たるや私達の想像以上のものだったと思います。彼女のように有名になりたい、皆の憧れのまとになりたいと思う方は多いと思いますが、人より秀でるということはそれにみあった苦労と悲しみがつきものです。そこを超えられるからトップに立てるんですね。

インタビューの中で「そうか」と思わされた言葉がありました。それは「はじまりがあるということは終わりがある」という言葉です。「デビューがあったということは終わるときもある」ということをデビューしたころから思っていたと話ていました。

そうなんです。私も、この「魂の道場」をスタートさせたわけですからいつか終わりがやってきます。それがどんな形でくるのかわかりませんが、それは必ずやってきて、今お会いしている方達との別れはきます。それが道理です。

そして、もっと大きな目でみればこの世に生まれたということはそれもいつか終えるときがくるということです。魂は生き続けますが、今生を終えるときが必ず来ます。そう考えると、今お会いしている方達との一緒にいる時間を大切にしたいし、私個人に残された時間も大切にしたいと思います。

全てが一期一会、だからこそ1日1日を大切に今できることを先延ばしにしないで生きることが幸せだと感じました。

私の白パターン
2017/11/25

昨日の黒パターン王の反対、白パターン(王)とは何だろう。

黒パターン王は「全て思い通りじゃないと嫌!」に対して白パターン(王)は「全て思い通りじゃなくてもいい!」となるのですが、それでは…ちょっと…と思われると思います。でも、進む方向はそこなので、そこへ向けていかれるように白を考えます。

例えば「もしかしたら、全て思い通りじゃなくてもいいのかもしれない」「もしかしたら、全て思い通りじゃなくても大丈夫かもしれない」などなどちょっと進んで「全て思いどおりじゃなくても大丈夫な自分になりたい」「全て思い通りじゃなくても大丈夫な自分になろう」〜「なる」などなど。このあたりを自分の様子を見ながら、選んでいかれるといいと思います。

そして実践です。思っているだけではだめです。

こんなふうに白パターン(王)を考えていたときに、ふと、この言葉が浮かんできました。

…「私はもう、全て思い通りにしなくていいんだ」…
…「私はもう、全て思い通りにしなくてよいことを許された」…

これは、今までにない、深い解放感と安堵感を与えてくれました。それはいわゆるポジティブな感情というものとは質が違うものであり、それは「私」が求めている在り方です。それから、、私は全ての自分の白パターン(王)として、これを使いはじめています。

昔は全て思い通りになるから、解放され安堵すると思っていました。だからそうなるように闘い続けてきたわけですが、今は全く逆のことで解放と安堵を感じる。不思議です。

この言葉は、もう、自他に向けて、起こる物事に向けて、思うようになるようにと闘わなくていい、もう、闘うところから降りることが許された、ということを感じられました。思い通りにするための闘いが自分を疲弊させ、それにあった現実を創り、自分の世界を狭め、苦しかったのだとよくわかります。

少しずつですが、そんなふうに人の意識は成長・進化していくのだと思います。

修練が必要
2017/11/24

ここのところ、グループでの課題で「黒パターン王」についての話をしています。あらゆる黒パターンは、結局、思い通りであれば満足するものです。それら枝葉の黒パターンの大元は「全て思い通りじゃないと嫌!」という「黒パターン王」です。

で、王だけあってその根は深く、太いため、その王と対峙していくためには、「思い通りじゃなくても大丈夫!」な自分「私」を育てることになります。そのためには、自分が苦手に感じる所(場所であり、そうではない状態)にあえて自分をおいて、自分を鍛えていく、修練していくことが必要になります。

具体的に行うことは人それぞれなので、これをやってくださいということは言えませんが、なんとなく自分のそれを皆さんわかっていると思います。

例えば、人に自分の意見をちゃんということ、人に迎合することをやめること、人に自分を開示すること、人に対して待つこと、勇気をもって行動すること、逃げないこと、逃げること、などなど、色々です。それらを行うことで「全て思い通りじゃないと嫌!」と言い張る黒パターン王にひっぱられない自分を創っていきます。

黒パターン王が怖がっているのは自分の思い通りにならないことです。なぜならば、それに負けてしまう、対処できない、引き受ける自信がないので自分が死んでしまうと思っているからです。

そこで、この思い通りにならないことと一緒にいられる自分「私」になる=ネガティブなことに慣れるということに向かっていきます。慣れたことが自分を創るということになります。苦手なこと、嫌なこと、弱いところをみつけ、ぜひそこへ挑戦していってください。

純化
2017/11/23

沖縄クラス、無事に今年も終了しました。

今回は茅ケ崎からのゲストが参加されて、また違った風が吹いたクラスでした。

いつも言っているように、やっていることは同じなので話が早いです。仲間がいるっていいですね。仲間はときには(…というより、よく…)自分のパターンにひっかかります。でも、それによって自分を知り、またそこを超えていくことができます。それをお互いに行っているのが仲間なんだね。見つめている所は同じ。仲間は同志です。

さて、自分を「純化」していくことが最も大事だということ。

純化というと、イメージ的に、優しい、柔和、清い、無垢、というようなイメージがあると思います。従って自分を純化させるというと、そんなふうに振るまおうとします。他人に優しく、おだやかに接する、清い言葉と行動に無垢さがただよう。もう1歩突き出て、そうなれるようにイメージしたり、マントラを唱える、パワーをもらいに行くなど。

私が言っている純化とは、そういうことではなくて、心にあるもの全てに光を当てるということです。心に存在しているパターン全てに。そこには、見たくないパターン、触れたくないパターンが必ず誰でもあります(見たくない、触れたくないというパターンがあるということ)できればそこはスルーして純化したいし、触れないでいきたい、そして、それらが消えることが純化するということだ、と思うかもしれませんが、そういうことではありません。

差別なく心にあるものたちに光(「私」の目)を向け、それを認め、受け入れ、ケアし、選択し、実践していくことで、心の純化はなされます。正直に、素直に、言い訳したり、すりかえたりせず、愚直なまでに、そのままに。そうして、全てに光があたっている心になる。光のあたっている心は他人に光を届けます。

ですから、ここを嫌がったり、怖がったりしないで(これもパターン)自分の心にあるものたちをしっかりと見つめてください。ほとんどの場合、自分でさえも気付いていない、それらがあります。それも、自己観察、内観を続けるうちにどんどんわかるようになっていきます。

匙加減
2017/11/17

本屋さんで目にした本「100歳の精神科医が見つけた こころの匙加減」高橋幸枝 著。

その表紙の帯にこう書いてありました。「頑張りすぎず、自分を甘やかせすぎず。我慢しすぎず、他人を頼りにしすぎず。」そんなこころの匙加減なのでしょう。

この世は2極の世界ですが、その中心あたりをふらふらと行き来できると心はおだやかで、安定していきます。わかっていても、その両極のどちらかに動いてしまうのが私達です。自分のこころの匙加減を自分で探していくことが、自分専用の使用書を創るということですね。

本来「幸せに生きておいで」と言われて旅立ってきた私達です。その旅に、自分専用の使用書をもっていると、旅の途中でのアクシデントも軌道修正しやすくなります。自分専用の使用書は他人と同じものではないので、それは自分で自分という個性を把握しながら創っていくしかありません。これすらも、楽しんで創っていかれるといいですね。

さて、今日はこれから沖縄です。今年最後のクラスです。どうぞ皆さまも良い週末をお送りください。

高校生の授業
2017/11/16

TVで、栃木工業高等学校の高校生たちが、小学生にPCの使い方〜簡単なプログラミングを教える、というのを見ました。

小学生は高学年の子どもたちだったと思いますが、皆、目をきらきらさせて、高校生お兄ちゃんたちから教えてもらっていました。そうやって、自分で作った小さな作品に大満足しているようでした。

学校の先生とは違い、自分たちとも年が近くて、親近感があるお兄ちゃんたちから習うことが楽しくてしかたがないようでした。教えている高校生たちも、どうしたらわかりやすく伝えられるかを考えて、考えて、教えています。高校生の一人が、教えることが好きと言っていました。

これ、すごくいいですね。

こういう授業が実際行われるといいと思います。

自分が得たことを、自分がおもしろいと思っていることを、それを知りたい、やってみたいと言う人に、どんどん自分のものを与えていくことって、すごくいいと思います。いや、自分はそんな先生ではないし、とか、資格がないし、とか、教えるのがうまくないし、とかではなくどんどん教えてあげるといいと思う。そうやって、誰かが得たものを誰かにわたしていくことは教える人も受け取る人も豊になります。

人ってこういうことなんじゃないのかと思います。自分のために得たもの、それはいつか他人に与えるもの。

フェイクファーで十分
2017/11/15

先日、横浜へ出かけたときに、目にしたお店。

毛皮専門店です。

お店自体は小さなものでしたが店内のあらゆる毛皮が外からも全て見えていました。コート、帽子、手袋、マフラー、小物にいたるまで、たぶん、ミンク、コヨーテ、タヌキ、キツネ、ウサギなどなどが並んでいたと思います。

道ゆく若い女性達が「かわいい」と手にしたウサギのマフラー。確かに毛皮のフワフワ感とあたたかさはフェイクファーに比べて格別なものです。

しかし(この時季になるといつも書くけれど)その毛皮がどのように作られているのか、その現実を知ってしまうと、もう「かわいい」とは言えなくなります。

毛皮用の狭いゲージの中で肥大に育てられ(より多く毛皮がとれるように)外に出るときは殺されるときです。ひとつの命として生まれてきた彼らは、ただただ人間の欲望のために生かされ、殺されていく。

もう、毛皮はいらない。

そんな中、Gucciが毛皮を廃止したり、VOGUEパリ版がリアルファーの問題を取り上げたり、チェコ共和国が毛皮農場を禁止をしたり、なども起こってきています(アニマルライツセンターより)これらはきっとこれからの毛皮産業にも影響を与えていくのではないかと思います。

今はかわいいフェイクファーもたくさん作れる時代です。それでおしゃれも楽しめます。


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