技術、マインドの進化 | - 2024/10/04
- 昨日のピアノの記事から思ったのですが。
私が子供の頃はピアノは子供のときからやるのがあたりまえのようであったと思います。当時は、50代、60代、70代でピアノを初めて習うという大人はいなかったんじゃないかと。これは他の楽器もそうだったかもしれません。
しかし、今や、いくつであろうと、自分がやりたいと思って始めることはごく普通なことになっています。ここには、時代や社会や人間の変化に合わせてピアノを教える人たちの技術、マインドの進化があったんじゃないかと思うんです。
「ピアノを習うって、こういうことです」というひとつの形のところでしか私は育ってこなかったですが、私がピアノから離れていた約45年の間にそれへの捉え方や教え方の幅が広がり、もっと身近で、誰にとっても親しみやすいものにピアノの教授法は進化していたのではないだろうか…と。その年代に合った教え方、その人に合った教え方、音楽を楽しむために、というものが広がっていたのだと思いました。
これはバレエもそうだ、と以前、聞いたことがあります。大きなバレエ団でダンサーの身体のケアをしていた人が話していたことで、バレエ界も変化していて私が習っていたころのバレエと今のバレエは違っている。ということでした。
このように、クラシックなものも、その基盤を持ちながらその時代に、もしくはより人間的に(その人の心身を重視して)進化しているんじゃないかと思いました。それは、人間の精神性が上がってきたからだと思います。
イギリスの思想家バークは「保守のための改革」という言葉を残しているのだそうです。脈々と継承されてきたものごとの根本にある精神の部分は変えずに時代に合わせて細部を微調整していくことの重要性を説いたのだそうです。
このことは、自分自身にもあてはめて考えてみようと思いました。
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