| 「私」はとても仏陀的。 |  - 2025/06/01
 
  - 仏陀の教えの大前提となっているのが「思い通りにならないのがあたりまえ」ということだそうです。
  人間とか人生とかって、そういうふうにもともとできているのに、自分の思い通りに自分自身を、人生をコントロールしたいという強い欲望が、そうなれない自分を、結局、苦しめていくことになる、ということです。
  だから、それが腑に落ちてわかったとき(それを受け入れたとき)から、人は心が軽くなり、生きることが楽になっていきます。これがありのままということです。
  人の苦しみって、決まっていることに抗うから。ということであるのなら、今、自分が苦しいのは、思い通りにならないことを思い通りにしようとしているのかもしれません(パターンが)そこを見てみるのもいいと思う。
  で、道場的には「黒パターンを嫌い、その黒パターンを思い通りにしたがる黒パターン」が先ほど出てきた人生をコントロールしたいという強い欲望だと言えます。もちろん、認められたい、とか、他人にすごいと言われたい、というストレートな黒パターンはあります。それはわかりやすい。
  そしてその他に黒パターンを嫌い、その黒パターンを思い通りにしたがる黒パターンがいることに気づいていないと、それが「私」になりすまして語りかけをすることもあるだろうと思いました。これが、きっとプライドパターンなのだろう。
  …黒パターンに執着する黒パターン…です。
  そのパターンは自分が語りかけをすることで、他のパターンを抑えつけたり、出てこなくなると思っていたり、ひっかからなくなると思っていたり、語りかけをすることで苦しさから逃れられる、楽になると思っていたり、何かが変わると思っていたり、全てのパターンが言うことを聞くようになると思っていたり、自分の思うように心を整理したい、そして、自分が思い描く自分になろうとします。そのような衝動を感じたときには、こいつかも、とみてみるといいです。自分が思い描く、ここがポイント。
  この黒パターンは他の黒パターンも、自分自身さえも、思い通りにならないのが当たり前という事を知らないのです。ですので、語りかけにやたらと執着します。たくさん語ればもう苦しまなくなるんだ…と。
  しかし「私」はすべてそのままでいいと言います。ということは、黒パターンはいつ出てきてもいい、いつひっかかってもいい、黒パターンは成長しなくていい、変わらなくていい、なぜならば「私」が毎回受け入れられるからです。そして、そういう「私」が行う語りかけはあっさりしていて、語ったらあとはほっておけるようなかんじです。なんせパターンたちはそのままでいいわけだから。「私」はパターンに(も)執着していないんです。
  心を整える、統合していく、というのはそもそものありのままの心にOKを出せるようになっていくということです。「私」はとても仏陀的。自分の内に仏陀がいる。そしてそれが本当の自分。    
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