あきらめる | - 2025/03/24
- 昨日書いたセネカの言葉「生きている限り、生き方を学び続けなさい」。
この言葉から思い出したのが「悟りのプロセスとは、移ろいやすい人生に影響されない能力を増すことです」というデヴィッド・R・ホーキンズ博士の言葉です。生き方を学び続ける、ということは、正に、移ろいやすい人生に影響されない能力を増す、ということです。
そう…人生って、心が移ろってしまうようなことがたくさん起きるんです。そういうときには影響されない能力が自分を助けるということになります。それはその事象に合わせて、生き方を選択することであり、今までのやり方ではないものを選ぶことでもあるでしょう。これが影響されない能力のことです。
では、影響されない能力とは具体的に何か。ここには色々なものが在ると思いますし、それは、それを選ぶ個性にもより変わってくるとは思うのですが、共通する能力として「あきらめる」という能力があるんじゃないかと思います。
今起きているということをあきらめる。起きていることの意味を知る、みつける。そして、それといられている自分を感じてみる(ここは少しずつ)あきらめるというと、ひたすら自分を抑え、我慢して、心はもんもんとしながらしぶしぶといるという事をイメージしますが、それではありません。「あきらめる」は、あきらめることの意味を理解した自発的行為だと思います。
例えば、今、こうなっている(結果)ということは、その種を自分がどこかで蒔き、それを刈り取ることが今起きていて、ここは勇気を持って、自発的に刈り取ろうとするのもひとつのあきらめ。私は、刈り取った(終わらせた)ということ自体が新な種にもなるんじゃないかと思います。
又、悟りのプロセス(悟りへのプロセスというほうがわかりやすいかも)とは…という言葉もあり、悟りというものもとても人間的な現実的なことだと感じます。自分自身がどれだけ、生き方を学ぶのか、影響されない能力を増していくのか、という地に足をつけて行うことの必要性がここでは語られています。
このためにも、意味づけワークをたくさん行ってみるといいと思います。そこで出てくる新な意味づけが、きっと新な生き方、影響されない能力になり、それからの自分を支え、よりよき道を歩んでいくことになるからです。
で、そういう生き方をしている人にサポートをしてくれる何かが、そういうルールがこの宇宙にはあるということです。生きるってこことの二人三脚。
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