ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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体調不良で…
2024/06/05

本当は、今日から盛岡へ行く予定でした。

今回の岩手クラスは2日間合宿。あれもやりたい、これもやりたい、2日あるからかなりできる、と意気揚々としていた。おまけに前情報で「今回、お食事も楽しみに」的なことを伺い「やったーー」と喜んでおりました。

し・か・し…まさかの体調不良。で、キャンセルさせていただきました。本当に皆さんにはご迷惑をかけてしまい、申し訳なかったです。こういうこともあるよな、仕方ないよなあ、と自分を納得させましたが…。自分が楽しみにしていたことでもあったので、楽しみにしていた遠足当日に熱が出てお休みしなくてはいけない子供のような気持ちになりました。

私は、腰痛持ちだし、坐骨神経痛も時々出るし、蕁麻疹もでやすかったり、子供の頃は小児喘息で大変であったり、大人になってからも病院に行くことが多く、決して丈夫ではありませんでした。それでも今まで、こうしてそれなりに(本当にそれなりに)生きてきたんだなあと改めて思いました。

この、それなりに、ということが誰にとっても大事なことなんじゃないかと思うんです。それなりに、には、年齢に伴う、いろんな変化や、そのときそのときの自分をとりまく環境や、条件など、を受け入れ、そこに柔軟に自分を合わせて、変化させていくことなんだろうと思います。それなりがあるから生きていかれるのかも。

ということで、しばらく日記があいてしまうかもしれません。まずは体が回復するように1週間ほどはのんびりと過ごしたいと思います。

強さ
2024/06/03

強さは大事です…が…強さってなにさ?がある。

何があっても折れない、どんなにダメージを受けても愚痴らない、他人からの誹謗中傷にも傷つかない、ブレない、メンタルも体も強靭。へこたれない、いつも元気で明るい、とか。で、誰でもが(最初)はそこを目指します。強さとはそういうものだから、そういう強さのある人にならなくては…と思い自分をそこへ向かわせます。

このあたり(この領域)においての強さってそんな感じだと思います。で、その領域に多くの人はいるし、自分もそこに長年いたので、それは皆の共通の強さに対する意味づけ、イメージです。それはそれでひとつです。

でも、人の強さってそういうものだけではないです。自分のパターンと向き合い、傷ついているインナーチィルドと向きあっていくうちにきっと気づいていくと思います。そういうもろもろの弱い存在、それらが自分の内にあって、それらと一緒に生きて来たんだ…と。そして、それらを認め、受け入れ、弱い存在だからこそ永遠なる「強さ」を持っている「私」がおもりしていってあげればいいと。

そこには新な「強さ」が感じられると思います。強さとは自分の弱き存在を大事にできることなんだ。それらがそのまま存在していられるように(でも、振り回されるのではなく)してあげられることなんだ。

こうして強さの意味づけは領域によって変わっていくのです。そして、強さの意味づけを変えていくために、もともと人には弱さが与えられているのだと思います。

言葉に惑わされないように、支配されないように。それそのものには絶対的な意味付けがあるのではなく、いろんな可能性を秘めているものです。多くの人たちとの共通の意味づけも持ちながら、そうではないものも持つことができる。選択肢が多い分そのほうがスムーズだし、楽。何より楽しい。

待つ
2024/06/02

5月31日に書いた日記「現実を創っている」は、わかりにくかったかもしれません。一瞬一瞬、創られていてそれが現実化ってことです、ってやつ。

これについてはまたお会いしたときに直接お話しようと思います。

でーーー、とにかく興味を持って、楽しく学ぶことが一番なので、わからなくても、「ふーーーーーん」くらいに聞いておいていただいて大丈夫です(いつかわかります)。今、わからなくても、根拠はないけれど、いつかわかるんだな、という理解の仕方で十分なんです。

こういう目に見えないものごとを学ぶって、今までどうりの考え方で考えてもわからず、やり続けているといつかわかるというわかり方です。「そんないつになるかもわからないことをやっていられるか」という方もいらっしゃいます。そういう方のほうが圧倒的に多い。

それでもこのような学びを続けていきたいという方達に、ぜひ育てていってもらいたい資質として「待つ」があります。誰でもすぐに答えが出るものや、誰にでも簡単にできるもの、わかりやすいものが好きなんですが、そうではないものごとというのもあるということです。

そういうものには即効性やわかりやすさはないですが、地道に組み立てていく面白さがあり、そこでできていくものは以前に戻ることがありません。

待てる自分。自分を、そして自分を待てれば他人も待てる、そんな資質をぜひ育てていってください。待てるということは、何かを信じているから。何を?自分をだと思います。そして、宇宙(天、神)を。

ブルース・リプトン博士(スタンフォード大学医学部にて、細胞膜に関する画期的な研究に従事。遺伝子は単なる生物の設計図に過ぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子のふるまいを変えることを明らかにし、エピジェネティクス(epigenetics)という新しい分野の端緒を開きました。その研究と啓蒙・啓発活動は、人間と生命の本質への理解を促進し、人は自らの人生をいかにでも創造できる存在であり、よりよい地球の未来の共同創造者であるという新しい生命観・世界観の普及に寄与しました。五井平和財団より)の言葉に「まず宇宙を信じること。すると宇宙が自分を連れていく」というものがあります。

そう、まず、宇宙を信じよう。そして宇宙の子である自分を信じよう。

美容師さん
2024/06/01

いつも、髪をカットしてくれる美容師さん(男性、30代?多分)もう3年くらいおせわになっていると思います。

カットって、その人の頭の大きさとか形とか、毛質や量や年齢によりどんどん変化してくることや、何よりお客さんからのリクエストに応えることなどいろんなそれらに対する知識や技術やその人の在り方が必要になると思います(これはどの仕事もそうなんだけど)そこの質を高めていくにはたくさん学び、たくさん練習して、実践しながら体得していくものなのだろうと。知識だけでは無理な仕事です(これもどの仕事もそうなんだけど)

カットしている途中で話すことも、私がカウンセリングの仕事をしていることを知っているので、色々と質問されたり、自分がこう考えているという話をしてくれたり、笑える話で大笑いしたりと楽しい時間を過ごしています。

切り終わった私の頭を前からも後ろからもじっと見つめて何かを感じている様子が見て取れます。「うん」と言っている彼からはこの仕事に対する熱と自信が感じられて好感がもてます。

今の美容師さんに出会う前は、フジコ・ヘミングさんによく似た、飛び出し感いっぱいの、自分の道をいくかっこいい美容師さんに何十年もおせわになっていました。この方の影響もずいぶんと受けたと思います。今はもう亡くなられましたが最後のカットでお会いしたときに「洋子ちゃん(←洋子ちゃんと呼ばれるくらい若いときからお世話になっていた)長い間ありがとうございました。本当にありがとう」と言われました。そのときの様子が凛としていて、この方は最後までかっこいい、と思った。生き方が、とにかくかっこよかった。

自分との相性のいい美容師さんはいいものです。その時間が楽しく過ごせると思います。

現実を創っている
2024/05/31

昨日書いた「あじさい」のように人の意識を修正してくれるものはたくさんあります。

意識のレベルを数値化したものを見てもわかるように、自分の意識レベルより高いものは多く身のまわりにあります。で、それらは一瞬にしてその時、人をその領域まで連れて行くことで今の状態を修正してくれたりします。

しかし、そこから離れてしまうとまた元に戻ってしまうという事も普通にあります。できればそれを継続しておきたい。そのいい感じで過ごしたいと誰もが思うと思います。そこで、その良い感じを継続させるのが自分のやるべきことなんだと思うんです。

例えば、私のあわあわ状態、頭ぐるぐる状態は、もう、パターンに乗っ取られての思考と行動なので、それに気づき、それはパターンであり本来の自分ではないのだから、それは選ばない、とします。で、一連のワークをします。そして本来の「私」が選びたいものは?「慌てないで、ひとつずつこなしていこう」という現実的な白と「あじさいの側に立っていたときのあの感覚を思いだそう」という内的な白を選び、その通りに行動する。

また、あわあわがやってきても、それは選ばないであじさいを思い出す。これが、あじさいに助けてもらって体験したいい感じを継続することになる行為です。こうしていけば、あじさいが連れていってくれたところへ、又はひきあげてくれたところへ自分の力でいくことができる。それが何度も繰り返されていけば、自分の内に定着していくこともできる。そして、それが自分でできた(あじさいの力を借りなくても)ということの達成感も感じられます。

ココカラ本題。人って、こうして一瞬にして現実を創っているんです。あわあわ、頭ぐるぐるの現実があり、次には、あじさいとの落ち着いた現実がありました。その間、わずかな時間です。本当に一瞬です。意識が現実化するってこういうことなんです。一瞬、一瞬が現実化しているでしょう?あわあわ〜やすらぎへ。人って、こんなにもその時その時で現実化していることが変わるんです。

だから、ずっと何かについて考え続けている人は「考え続ける」という現実を創っている。ずっと探し続けている人は「探し続ける」という現実を創っている。ずっと迷っている人は「迷い続ける」という現実を創っている。ずっと解決を求めている人は「解決を求め続ける」」という現実を創っている。これらは一瞬一瞬の連続として続きます。だから、どんな一瞬を生きるのかということで、その連続でこれからが決まっていきます。

そのためにはいつも自分に気づいていることが大事です。いい感じではないとき(黒パターンで思考・行動しているとき)に気付いたら、ワークをして、その時の自分をひきあげてくれる自分よりも数値の高いものごとに接したり、かつてのそれを思い出したりして(そういうものたちに助けてもらいながら)いい感じの瞬間の現実を生み出してみてください。それをやったからと言って問題が解決はされませんが、問題に立ち向かえる心の状態は作っていかれます。

こうして、黒パターン的な瞬間を生きていても、そこに白パターン的なものを入れていく。そうして少し白パターン的なもののほうが多くなっていけばいいわけです。これは卵の中の白黒の分量にも似ていますね。若干白パターンのほうを大きくしていくような。そのためにも自分がいい感じになる物事(自分よりも数値は上のものですよ)をいくつか持っているといいと思います。

あじさい
2024/05/30

マンションの裏側の入り口の近くに、今、薄紫色のあじさいが咲いています。

去年ももちろんこのあじさいは見ていて「きれいだな」と思っていました。今年はより大きくなっていてみごたえがあるのですが、今年のそれは去年のそれとは全く違うものに見えている自分に気が付きました。

遠くから歩いてきてそのアジサイが見えるのですが、その瞬間から、そこだけ違う空間にあるもののように見えているんです。そこだけどこか違うところから来ているような、周りとの異質感がある。

で、私があわあわ状態で、あれやってこれやってと頭ぐるぐるしながらそのあじさいのそばを通り、それを見ると、一瞬にしてその思いが消えて、本来の自分にリセットされることにも気づきました。

これがパワースポットなのかもしれないし、何か、この次元のところのものではない、それよりも少し高いところのものだから一瞬にして私の本来とは外れたものを修正できる力があるのかもしれないと思いました(修正してもらったあとは、もちろん自分の努力が必要。これがその状態が継続される秘訣です)

だから、今は、このあじさいの姿を実際見なくても時々思い出したりしてその時に感じる自分の内側を観察、確認したりしています。ここでしょ?というふうに。それがまた自分の学びになっています。

今年はこのようなことが起きていて感覚を磨く時なのかもしれません。これもまた自分を深く見ていくということのひとつなので、地道に、地に足をつけて、いきたいと思います。もうすぐすると、さるすべりの花も咲き出し、なんかなあ…という茅ヶ崎の街もきれいな時季を迎えます。

たまらなく面白い
2024/05/29

お会いしている皆さんが成長されているのと同じように私も成長しています。

時には、少し先が見えてくるというものであったり、時にはそれについて深まっていくものであったり、今までわからなくて保留にしていたものの答えがやってきたり、これからのことを教えてもらったり、ほんの些細な小さな気付きが、あることをきっかけにして感じられたり、自分と他人の意識の違いが感じられたり、それらにより自分の意識の広がりを感じます。

で、それらの体験のひとつひとつが私には、感動的で、驚きで、たまらなく面白いんです。だから私は続けているのか…と思います。好きだからやっている、結局、私にはそれだけなんだろうなあと思う。

最初は、自分が苦しくて、つらくて、問題が多くて、どうにかしてそこから逃れたくて入ったスピの世界とカウンセリングの世界でしたが、私はそこだけでは解決せず、2つを合わせたような今のやり方を続けていくうちに、知った世界は、今までの苦しみや問題や悩みのある世界と違うところに元々あったものだった、と知りました。

それは普遍的に永久に、すぐ、そこにあるものなのに、自分がそれを知らなかった、ということだけだった。そこでの探求がまさか自分のライフワークになるとは当時は全く思っていませんでしたが、この世界を知ること、感じられるようになること、この感覚、を、望んでいる人には伝えていきたいです。

で、そういうものを望んでいない人のほうが圧倒的に多いというのもわかっているので、そういう方達も自分の好き、を探求していかれるといいなあと思います。皆がそれぞれの好きで生きていかれれば、きっと、比較や競争は減ってくるだろうと思います。そうやって、軽く生きている人が増えれば、きっと地球も嬉しいだろうと。

それぞれの好きを探求してください。好きこそものの上手なれ。

目を覚ます
2024/05/27

結局、ごくごく普通になりすぎている「思い込み」から目を覚ますということなんだと思います。

目を覚ます、そのためには、疑問がないと目が覚めないと思うんです。ごくごく普通であって、それを信じているうちは、疑問なんて持たないのが当然なので、従って、目を覚ますということもないです。

社会とはこういうもの、仕事とはこういうもの、良い人とはこういう人、自信とはこういうもの、責任とはこういうもの、幸せとはこういうもの、一般的には、普通は、誰でもそうだから、多くの人のいる中で生きるためにはそれがあたりまえ。それを強固に信じていて、そこから外れてしまう自分はだめだとなります。もしくは、そうならなくてはいけないと思い、そこに合わせられる自分になろうとする。そのように小さい頃から私たちは教え込まれてきています。

それでいいと言う人はもちろんそれでいいんですが。そして、その中での必要なものもあるのですが。

何か変だ、何か違う気がする、何か自分には合わない、何が一体違っているのだろうか?などなど、感じることもあるかもしれませんが、そこは無視してしまいます。どうして?自分が感じていることや、考えていることに自信がないからと多くの人が言います。自分の思いや考えは確かではない、正しくない、合っているのかどうかわからない、間違っていると大変なことになる、バカにされると聞くことがあります。

で、それ自体が「思い込み」なんです。誰も確かで、正しくて、合っている人なんていないんです。ただ、誰かが作ったルール、概念、があって、それが皆の共通の普通になっているのでそれが正しいことと思ってしまう。それは人の思いや思考をストップさせ、自由に生きることを止めます。それも恐怖と不安を持つことで自ら止めるようにつくられている。

目を覚ますことが大事です。そして、目を覚ますということは領域を広げていくということだと思います。同じところに居続けない、そこを持ちながらも新たな体験をし、それを自分のものにしていく。そうやって領域が広がっていけば、今まで信じてしがみついてきたものも自分の内に持ちながらも、それだけに縛られることはなくなっていきます。

優越感
2024/05/25

優越感は誰にでもある感情です。優越感を生み出すパターンとして、自分は特別、自分は誰よりも上、自分だけが持っているものが在る、自分には才能がある、学歴がある、権威がある、誰もがうらやむような生活をしている、自分は多くの人から認められ、求められている、自分は誰よりも美しい、などなどあります。

で、道場での学びをしていくうちに、自分は誰も知らないこの学び(ただ、単に知名度が低いからだけだと思う)をしているというパターンが生まれて、そこから優越感が湧き出てくるということがよくあります。特に同業の人に対して、とか、今まで自分を下に見ていた人に対してとか。

それらがあってもいいんです。実際あるので。でも、パターンなので、それを感じた場合は必ずケアし、白に選び変えていってください。

スピリチュアルの世界ではこの優越感を感じている人が多いです。物質界においては成功できなかった、ぱっとしなかった人たちが、そのことを認めたくなくて、自分が輝けるところをさがして入ってきやすいのがスピの世界だからです。

あなたはすでに完全なのです、天使があなたを守護します、誰もが平等なのです、自分の思い通りの人生を生きていいのです、特別な力を伝授します、などなど、甘く優しい言葉が並んでいます。そこに属しているというだけでも物質界で闘っている人たちよりも自分はレベルが上だという変な優越感さえ持つことがあります。

こうなると、物質界だろうが、スピ界だろうが同じです。優越感を持ってはいけない、ではないですよ。そんな黒パターンを使って喜ぶレベルの自分でいいのか?というところです。

自分はどうありたいのか・・・・そこへの志を持ち、こつこつと歩み続ける、そうできる人であれば、物質界でもスピ界でも自分の道を歩んでいかれると思います。

本来へ戻る
2024/05/24

人は、本来のところへ戻る、本来の姿でいる、本来のおさまるべきところにおさまったときにほっとするんじゃないだろうか、と、近頃、とても思うようになりました。

それは、以前より、より自分の感覚を指針にしているからじゃないかと思います。

直感、直観に従うことをお勧めしていますが、なかなかそこを使うことは怖いと思うかもしれません。そんなことで大きなミスをしたら、もし、うまくいかなかったら今まで以上に大変になると考えるからだと思います…が…考えて考えてのときのほうが、よくないということは体験ずみなので(そして大先輩方はそう言われているように)私はやはりこちらをお勧めです。

ただ、練習は必要なので、以前お教えした、リスクの低いところでこれを使って、自分のそのスキルを育てることをするといいと思います。今日のお昼は「パスタ」か「そば」かというような。明日の休日は「映画」か「美術館」というような。軽く部屋に入り、一瞬の感覚で決め、決めたことは必ず実行する、がスキルアップの練習になります。

でーーー、これを2,3回やりました、では練習ではありません。練習ってそこでのこつ、とか、うまくいく感覚をつかむところまでやるのが練習ですのでそこは間違えないでください。

で、本来のところへ戻る、本来の姿でいる、本来のおさまるべきところにおさまるということですが。本来=そもそもです。自分とはそもそもなんなのか、とか、事象とはそもそも何なのか、とか、生きるとはそもそも何なのか、とか。それを頭を使って導き出すのは言葉ゲームのようでおもしろいですが、それを、直感で、直観で捉えられるようになっていくと、それは自然と腑に落ちていくので自分の血肉になると思います。

例えば、中立ワークで「ただひとつの体験」というプラス意味づけでもマイナス意味づけでもない部分があります。これは、全ての事象には本来、意味がないという根源的な在り方を表す言葉です。この言葉を言ったり、この言葉を感じたときに、自分の中に安堵感があるんです。そもそも、全ての事象はそうなので、その言葉は本来のところへ戻る言葉であるからだと思います。本来あるべきところへ戻ると人ってほっとするんじゃないのだろうかと思うんです。

本来あるべき姿、自分は「私」、おさまるべきところにおさまっている、宇宙のルールの中で生きている、とか、それを信じて生きている、とか。「本来」というものによって私たちは、心の安堵感というものが体験できて、そのよき感覚は、それは真理ですよ、と教えくれていると思います。

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