人は快が好き 2 | - 2024/08/18
- 昨日の続きですが、快は「私」にとっての快なのでいつも「私」の快の感覚に従っていけばいい、ということです。これはすごく単純なことです。
「私」がハートで善いと感じるものごと、「私」が正しいと感じるものごと、その良き感覚に従って、それに沿う心もちで行動をしていけばいい、これだけのことです。
そうやって自分が選択したこと(決めたこと)に脳も協力し、量子も動く。だから、自分は決めるだけでいいということでもある。
それを躊躇してしまうのは、黒パターン。自分の感覚は間違っているかもしれない、あの人の言ったことのほうが正しい、だいたい、根拠もないそんなことを信じるのは危険だ、など思います。
しかし、他人はほぼパターンで生きているので、それこそわかりませんし、それが自分に合うことなのか、もある。根拠がないと言いますが、根拠はあるとも言える。実際そうやって安定し、すっきりと生きている人たちは世界中にはたくさんいます。
そして、自分の感覚を疑うことなく従うためには練習が必要ですが、2つの部屋に入った感覚、白黒ワークをしている時の感覚、語りかけをしている時の感覚、など、全て「私」の感覚を育てる練習を自然にしていることになります。そうしながら自分の感覚は養われていきます。
一気にはできないとしても、毎日やり続ければ、そこは必ず磨かれていきます。ただ、継続することが苦手な人が多いように思います。最初はやる気があってもいつのまにかやらなくなってしまっている。ここが一番足をひっぱるのではないかと思います。
この「私」の感覚がわかれば、何かを決めるときに、ああでもない、こうでもない、と時間とエネルギーを使って疲れながら決めなくていいし、自分が今何をすべきなのか、自分という魂をきれいなまあるい形にするには何が欠損しているのか、何をプラスしていくのかがよくわかるようになります。それは、よーく考えて導き出すのではなく「わかる」んです。
それは勇気と継続力と行動力と意志力とを必要とするようなことだと思いますが、それが「私」の快なんです。それを選んで動いているときの自分に「快」を感じませんか?それによりどんな結果がきたのか、ではないんです。プロセスに「快」を感じる。多分、そのときにはもう、結果のことを忘れているのだと思います。今というこのときに何を選んで、どうしていくのか、というところです。
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