何か | - 2024/09/04
- 何かをしていない(持っていない)自分ではだめだ、と多くの人は思っていると思います。
ここでの何かとは、誰が見ても、納得する仕事(職業)。誰もが羨む、誰もが一目置く地位とか肩書とか立場とか外見とか。又は、高級な暮らしとよくできた家族。又は、特別なことを知っている、持っている、価値あることをやっている、向上しつづけている、いくつになっても輝き続けている…などなど。何か。それが自分の支えになるのだと思います。
それがない、普通の自分ではだめだという黒パターンです。だから、その中のどれか、自分が手にできそうなもので勝負しようとするのだと思います。これは気づかない間はずっと続きます。
そういうことが好きで、そこに生き甲斐を感じ、その生き方に自分が満足する人はそれでいいんです。そういう人は主体的に生きているので、きっと幸せを感じられると思います。そう、主体的であればいいんです。
しかし、多くの人の場合は、主体的ではなく、周りに自分を認めされるため、とか、自分の存在意義を感じたいため、とか、皆がそうやっているから、とか、皆そこに向かっているのだから、という主体的なエネルギーを感じないままそこに突入しています。
主体的ではないのに、そこまで力を注げるのは、それによって他人が自分を知り、自分を認め、そうであれば、自分は何かをしている人、何かを持っている人になったと思えるからでしょう。そういう領域もある。でも、領域はそこだけではない。私たちが知らない、見えない領域がいくつもあるのです。
何かをしていなくても、何かをもっていなくても自分の内から湧き出てくる「幸せ」を感じて生きている人もたくさんいます。他人から見ても目立たず、他人に取り上げられることもなく、でも、ひとりで、何もないのに自然と湧き上がる幸せを感じながら生きている。ただ、普通に生活をしている。
何か、は、いつかなくなります。何かが永遠に続くことはないんです。でも、このふと幸せを感じることはなくなりません。目に見えない、なくならないものが真実。
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