ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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そのままでいい
2025/05/21

自分に執着しすぎることが、自分を苦しめるということになっていきます。

自分への執着とは、パターンが思っている、自分の姿のことです。それは外見から、内面にいたるまで。そして、そんな自分がおくる生活全般へ、他人へ、社会へ…と執着は広がっていきます。

特に自己探求を続けていくうちに、自分の内面への執着が強くなっていってしまうことがあります。それは一見すると、自分に一生懸命に向き合っている、と思えるかもしれないし、外側から見ても、頑張っている、と見えるのかもしれません‥が‥ここは注意が必要なところです。

内面を整えようとする気持ちは、持っていたほうがもちろんいいのですが、整えるということをもしかしたらパターン的な捉え方をしてしまっているかも。

整える。正しくある、きちんとした、誰からも良い人と思われる、優しさ、ぶれない、などなど、一般的なイメージの整えるになっていないだろうか。

それを自分の心(パターンの住む部屋)にあてはめようとしても無理です。無理なことをやろうとすると苦しくなる(それは違うよと言うサイン)。それをやっていないだろうか、というところを見てみます。

そもそも心はそのように創られていないので、そこにパターン的整えるを持ってくることはできないのです。本来の在り方にあわせていかないと結局は苦しくなるんです。本来の在り方は、パターンたちはそのままでいいという在り方です。そう思える「私」であれば、彼らを抱くことができれば、何も変えることはなくていいのです。

となると、やはり「私」の技量の問題となります。その最たるものは「そのままでいい」というものです。この「そのままでいい」を感じられていかれるように、語りかけではその言葉をパターンに伝え、それが体験できるようにパターンたちに手伝ってもらいながら練習させてもらっているのです。だからありがとう、パターンです。

輝かせて…
2025/05/20

私は自分の命を輝かせて生きたいと思っています。

輝かせてって、目立たせる、とか、きらきら、とか、どうよ、私…ということではなくて、この命が本来持っているものを十分に使って、命が喜ぶようにしてあげたいということです。それに伴い、身体も。

命は魂であり、魂は尊き真ん中に在るもの、という意味なんだそうです。これは昔、先生から教わったことです。自分の真ん中に在る尊きもの、それはまさに「私」。それを輝かせてあげたい。

そのために(そこへ向かうには)今、自分に何が必要で、何を手放すべきか、何に挑戦しなくてはいけないのか、課題は何か、が具体的にわかっていないと動けない。それがわかれば、それに従っていけばいいだけだということになります。やってみて「あっ、違うか」ということもあるのでその時はまた考えてみます。

そしてそれを継続すること。継続は力なりと言いますが、本当にそうだと思います。継続し続けて得ていく自分の新な力、能力、結果、現実の変化などなどを通して、自分の成長というものが感じられるのだと思います。で、私はそれがとても嬉しい。きっとそれは、この体験が最もやりたいことであるからだと思う。

魂を成長させたい、ではなく、輝かせてあげたい、と思う近頃。これ自体も自分の変化であり、やり続けてきたことから得られたものであることがわかります。

いや、得られたのではないな、与えてもらったですね。今日もひとつひとつの選択を積み重ねて過ごしていきたいと思います。

適応力
2025/05/19

自分の寿命を終える日までの間、人は刻々と変化していく自分の身体、心、環境、人間関係、仕事、お金などなどに適応して生きていかなければなりません。

この「適応」するということがたくましさであり、柔軟さであり、知恵を個性を発揮する時なんだと思います。

メンタルが強い、頑強な体を持っている、やる気がある、前向きである、めげない、ことが生き抜く力と思われると思いますが、ここだけにたよってしまうと、それが出来る人は選ばれた人のみ。もともと持って生まれた性格とか個性とか育った環境で成されていくものだからです。

しかし、適応力、と考えてみると、これは大人になってからでも作っていかれるものなのではないだろうかと思うんです。いや…大人になってからのほうがいい。なんせ何十年も生きてきているし、それなりに皆、苦労もしたり、病気をしたり、人間関係のわずらわしさも体験しているし、逆に感動や感謝や喜びなど、たくさんのことを体験してきているからです。こうして生きてきたという現実。

そして、何より、他人を変えることはできないことや、自分に起きることを避けることだけをし続けることへの疲弊や無力感なども知っていて、だとしたら、そこと闘うのではなく、それを自分の手中におさめてしまうほうへ動いてみようという気がわいてきます。

しかしそれは自分が耐える、ということではなく。だいたいうまい具合に、年を重ねるごとに耐えることができなくなっていくので、だとしたら、知恵を使い、柔軟さを使い、いいあんばいに適応していくという新しい選択をするのはいいと思います。

自分の人生をそれなりに生き抜くには「適応力」が必要なのだと思います。それも自分の適応力。そして、それ自体も変化していきます。それが、どなたかが言っていた「生き方を学び続ける」ということなんだと思います。

新な自分の普通
2025/05/17

語りかけワーク…「そうだよね…」から始まるとてもシンプルなワーク。道場では、最初に行うワークであり、きっと初めて自分の内にあるものに目を向け、そこに声をかけることを知るものだと思います。

簡単(そう)なワークなので、ついつい慣れてしまったり、やればいい、という気持ちになったり、やらなきゃ、やれば楽になる、などなどやっていくうちに自分の判断や理解でワークをしてしまいがちですが、このワークはとても奥が深いものです。

そこに気づいていき、そこでの気付きから何を学んだのか、というところが問われるものでもあります。それは感覚だけではなく、どんな言葉を使うのか、と、言葉についての感度を上げていくことになります。それが、カウンセリングにいかされていきます。美しく、クライアントさんに合った言葉を…。そういう練習にもなります。

そして、このワークが「如実知見」(ありのままに見て知る)に自然と向かっているということ。ここが最大の良さだと思います。ワークを通して、この在り方を練習していっていることに気づいているでしょうか。この在り方がワークで培われていっていることを感じているでしょうか。「如実知見」は智慧の力で見て知ることなのだそうです(肉体で見て知るのではなく)智慧の力=「私」。語りかけは「私」そのものも育てているわけです。

難しいことではないんです。やり続けることでそれは心身に定着していきます。それが普通になります。新な自分の普通です。新な普通が認識できて(顕在意識に上がってきて)はじめてそういう自分になっていきます。

おしゃれ
2025/05/16

昨日、散歩の途中で、前から気になっていた「セレクトショップ」に立ち寄ってみました。

そこは、おしゃれな女性が営んでいるお店で、オーナーの好みで集められたものたち(服、小物)が飾られていました。そこに集められているものたちを見るとその方が好きであろうものがなんとなくわかる気がします。

オーナーの方は多分、70代の方だろうと思われますが、きっとおしゃれが好きで、若いときからこの道を歩まれてきたのだろうなあと思われるような方でした。

私と言えば、散歩の帰りだったので、より軽装。おまけに何も持たず、ぶらりと立ち寄ってしまいました。そんな私ではありましたが、たくさんの物がある中から私が好きそうなものを選んで見せてくれるあたりにプロを感じました。変な言い方ですが、あたりをつけていく、というところがわざとらしくなく自然に行なわれていて、なおかつ、それは表面的なものではなく、一緒に楽しんでくれているような感じが、プロだな…と。

お店全体、そして、そこでの接客も自分のものにしている、という感じでしょうか。決して押しが強いのではなく、ソフトで可愛らしく、しかし、ご自分のセンスを信じているというその方がとても感じられる時間でした。

で、私に勧めてくれたいくつかのもの。確かに、そのオーナーの美意識からすると似合うのかもしれません。鏡に映る自分を見ても「そうね、この年代でのおしゃれってこういうことかも」とも思う。しかし、どこか違和感がある。何なんだろうと考えたときに、思ったのは、一般的には、この感じは、おしゃれと言われるだろうということでした。

一般的には…なので他人から見たらおしゃれに見えるのかも。でも、自分の美意識って違うところにある気がする。そのあたりの違和感だったのでしょう。そして、このお店にあるものが最も似合うのはオーナーの方なんだろうなあとも思いました。

私は、散歩するための軽装、これが結構好きなんだと思いました。

そういうことを色々と感じたり、考えたりすることができた、素敵なお店とオーナー。時々のぞかせていただこうと思いました。

理解の力
2025/05/15

「ただ、あるものをその状態でOKと思える心を自らつくっていくこと」如実知見への道。少しずつ少しずつそちらの世界へ…。

それは、とにかく全てを受け入れろということか?どんな理不尽なことも、どんな苦しいことも、嫌なことも、怖いことも?その状態でOKって?…我慢しろということか?だとしたら、無抵抗のまま耐えろということか?と思うかもしれません。

そうではないんです。在るもの(目の前にあるもの、自分に起こったこと)は、そもそもは意味のないものとして存在しています。そのものごとに対して持つもの(本来の意味づけ)として「(ただ)在る」という選択肢があります。それを先にもってきてみてみると?そして、その後に、そのあるものに対して今の自分はどう考え、何をしていくか、を具体的に考えることができるのでは?ということです。それもたくさんの選択肢(プラス意味づけ、マイナス意味づけは作れるので)の中から選べる。

目の前にあるもの、自分に起こったことに、最初からどうにかしなきゃ、となっていくよりも(パターンが反応していることが多いので)ちょっとまてよ、そもそも意味がない状態で在るんだ、を先に持ってきてから、自分はどうするか?と考えたほうが、それに対してよりよい選択が落ち着いてできると思うのです。そういう意味の冒頭の言葉です。

そして、これはスピ的なというより、とっても現実的なことだと私は思っています。日々の生活をいかにスムーズに気分よく過ごしていくか、というところにあるものだと思っていて、特にそこが生きる上で必要な私にとってはここの強化がすごく大事です(なんせ、ストレスに弱いので)

自分に起きるいろんなこと、それがよいことならいいけれど、そうではないことも普通にたくさん起きるのが人の人生です。誰でもそれは嫌です。だからこそすぐにどうにかしなきゃ、と思うのだと思います。又は、それを避けることを前持って考える。しかし、避けることよりも創ることの方が建設的だし、現実的です。これは、そう思えばいいよね、という方法ではなく、そんなふうにそもそもできているんだ、というところへの理解なんです。理解の力です。

間違えないように
2025/05/13

ここを間違えないようにしてほしい…という大事なところなんですが。

パターンが何かに反応して感情や感覚を生み出す。そして、そんなパターンが主体になっていれば、それがあふれ出し、ネガティブな感情、感覚が自分を飲み込んでいき、あたかも自分がそうであると思います。苦しい、悲しい、怖い、不安、怒り、虚無感、挫折感などなどのパターンが生み出している感情そのものにそういうときにはなっています。

しかし、その感情・感覚が湧いてきたときに「これはパターンだ」と理解すればその理解は同時に「それは「私」ではない」ということを確認しています。

この理解と体験が成長なんです。今起きているそれは何なのか、それは誰なのかが理解できれば、感情・感覚に飲み込まれ続けることはないということです。難しいかもしれませんが、この微妙なところが大事であり、これも練習を重ねることできっと体験すると思います。

それから、間違えないようにしたいのは、パターンにひっかからないようになりたいと思ってしまう、ワークをしていればいつかそうなるんだろう、領域が上がった人はパターンにひっかからないだろう、と思ってしまうことです。そうであればネガティブな感情・感覚に飲み込まれないですむからということだと思うのですが、それはさきほど書いた状態のことで、パターンにひっかかるからつらいのではないということです。

パターンにひっかからなくなることがあたかも正しい、善きことと思ってしまうのは違います。いつでも好きなようにパターンはひっかかっていいんです。それが彼らの個性であり、ずっとそのままのあなたでいていいよ、と王である「私」は言っています。だからずっと引っかかり続けることが正常です。「私」はパターンがどんなことにひっかかろうとも、どんな感情を生み出そうともいいわけです。

こうしてみると、パターンに引っかかっることを、嫌がり、ストレスに感じるパターンがいるということです。そのパターンが描いている成長に知らず知らずのうちに向かっていってしまっていないか。

成長とはパターンをおさめて静かにさせることではなく、パターンにひっかからないようにすることではなく、「私」としてあろう、「私」として生きる、などのよくわからない、状態でいようとすることではないのです。ただ、あるものをその状態でOKと思える心を自らつくっていくことです。領域を上げていくってひたすらここのところのことです。時々自分でチェックをして、そのパターンに従ってしまっていないかどうかを見てみるといいと思います。そして、もし、そうであればそのパターンへ語りかけをしてあげてください。

やっていることはそういうこと
2025/05/12

5月の茅ヶ崎クラス、無事に終了しました。

今回から新メンバーが参加。そして今年は岩手クラスからお一人と時々沖縄からお一人参加してくださいます。岩手も沖縄も近ければ、毎回、皆で集まれるんですけどねえ。

で、クラスは新なフェーズに入っているので、難しく感じることもあるかもしれませんが、基本は今まで通り、自分を繊細に観察し、どんな小さな感情、感覚もスルーせず「私」がパターンを見つけ、王である「私」がそのパターンへ語る…を続ける。そしてしばらくして白パターンは?とその一連の作業に入る。を繰り返すだけです。やらされてる、ではなく、自発的に。

ここまでを、シンプルに、気持ちよく、思考せずに続けていくということです。ワークをしながら、または、ワークの途中に色々と思考してしまわないように、どうすれば自分はそれができるかを試行錯誤しながら見つけていってください。

自分の内に起きていることは本当に単純なことなんですが、そこに対してすぐ思考するのでごちゃごちゃするし、複雑にするし、だんご状態になってしまって、何が、どこが元だったのかがわからなくなってしまいます。で、しょうがないから、パフォーマンスだけを変えようとする。もっとこうしてみよう、とか、こんなふうにすれば、とか、こんな考え方もあるし、とか、以前はこれでいけたから、とか。

でもやりたいことはそういうことじゃないんです。パフォーマンスを(外側を)変えるための方法を探すことではなく(それは問題や悩みと同じ領域にい続けることになるため先がない)起きていることに対しての深い理解(そこで求めらえていることは何なのかに気付くこと)とそこへまつわる意味づけができる人間に自分を育てるということです。

で、それは他人にすぐにやろうとしてもできないんです。まずは自分の内にいるパターンに対してワークを通して練習させてもらいます。ここでも練習が必要になります。

やっていることはそういうこと。内側を変えるって、やはり大変なことなんです。私のカウンセリングの先生は人が変容するには血の涙を流さないと、とおっしゃっていました。癒されるーー、楽になったーー、だけでは変容はできないということだと思います。しかし、全ての魂はそれをやりたくて来ています(と私は思う)来世に持ち越さないように、今世こそは、ときっと思ってやってきたのではないだろうか。その想いを叶えてあげたいと思うのです。

すぐに検索
2025/05/08

今や、本当に便利な時代になり、わからないこともちょっと調べればすぐに回答を得ることができます。

私は今だにスマホを持っていないので、調べものは家にいる時にパソコンでと限られますが、ほとんどの方はスマホを持っているので、外出先でもいつでも回答を得ることができます。これはきっと本当に便利だろう(特に緊急事態のときには)

しかし、それに慣れてしまうと回答を得られないままでいる、ということができなくなってしまうのではないだろうかとも思います。すぐにわからないと不安とかいらっとするとかあるかも。

で、自己探求には、わからないままいくという側面があります。初めて歩く道、わからないことが色々と出てくると思います。それについて、検索しても回答は見当たらず。そのときにはわからないままそれを持っていく、ということしかありません。

この、わからないことを、わからないこととして持っていく、というのが苦手というか嫌というか。なんでもすぐに納得したい、納得できるから安心する、というようなことだと思います。

納得したがっているのは黒パターン。黒パターンはものごとは納得できて当たり前で、納得できないということはだめなことと思っているのだと思います。

しかし、もやっとしたり、悩んだり、お手上げ状態だということのひとつひとつが実はとても大事なんだと思う。その体験があるから、思い通りにいかない現実を、だんだんと受け入れられるようになるし、現実をより見られるようになるし、人というものがまたひとつわかるようになると思うんです。

それは大きな自分の力になります。すぐに検索…と思ったときに、しばらくこのままにしておこう、という練習もしたりしながら、現代人がものすごく苦手にしているこの力を自分のものにしていくのもいいんじゃないかと思います。今日はこれから2日間の茅ヶ崎クラスです。新なクラスがはじまります。

自然と練られてきた
2025/05/07

新な領域、黒パターンよりも上の領域。それは道場的には白パターンの世界です。そこは、黒パターンの次にある領域です。そして、そこには健全で、自他のためになる(天の意思に沿った)解決があります。

でも、それは、そういう解決策がいくつもちらばっている、ということではなく、その領域で少しずつ生きていく体験をすることで、それを自分で生み出すということなんだと思います。

こう言われてしまうと、そうか、とにかく白パターンなんだ!と思い、そうならなくちゃ、早くそちらへいかなくちゃ、と、自分をそちらへ動かそうとしてしまいやすいのですが、それは、苦しさから早く楽になりたい、早く解放されたい、早く成長したい、という黒パターンがやろうとしていることです。白パターンで生きる=楽、と思っている。

でも、そうではないんです。そもそも、なぜ白パターンを選ぶのか。それは、自分の可能性を広げるためです。今まで、知らなかった自分の内なる力を育て、使い、自分の可能性を広げてその人本来の在り方で生きていくためです。

楽になりたい、成長した自分を実感したいために白パターンを選んでいるのではないということです。

成長の過程において、人は誰でも、進んだと思ったら、戻る、そしてまた進んだと思ったら、戻る、わかったと思ったら、わかっていなかったことを知る、またわかったと思ったら、またわかっていなかったことを知る、を繰り返しながら、少しずつ進んでいきます。これは今までずっと使ってきたやり方とは違うので、人によっては(こちらのほうが圧倒的に多いですが)耐えられなくなるのです(こんなに時間がかかることなんてやっていられない、と)やったら何か手応えがあるはずだと思っているからです。

しかし、この在り方が白パターンの住むところへ知らず知らずのうちに移行していくということになります。考え、試し、エラーしながら行くところ。いや、そうやって行くことが赦されているところ。だから慌てなくていいんです。自分に向き合っているということだけでも十分にすごいことですから。自分に向き合うというとても地道な作業によって自然と練られてきた、自分の内側の力に気づいてください。そこを狙ってきたわけではなかったのに…。それと同じように白パターンについても思っていかれるといいと思います。

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