| 生き方を学び続ける | - 2025/03/23
- 日記が止まってからなんと1か月以上たってしまいました。今まで、こんなに長い間書かなかったことはありませんでした。ご心配をおかけしました。
で「元に戻りました」…と以前なら言っていましたが、今回の日記休み(いや、去年後半から今年に入って自分に起きたことの数々、自分の選択、言動、その結果)から学んだことがあります。それは、もう…私は元には戻らない…ということです。
元に戻ったらまたきっと同じことを繰り返し、今回起きたことから何も学ばなかったことにもなります。何かが起こるのは、より善い方へ動くため。だから、そこから学ぶべきものごとを知る、そしてそちらへ自分で動く、ということがない限り、人は同じことを繰り返し続ける。
なんて、偉そうに言ってますが、ここに至るまでの間には、戻らずに、次へ進むところへ誘うような他人との関わりがあったり、誰かの言葉にそこへのヒントがあったり、と、自分について考えるありがたいこの1か月ちょっとでした。
で、思い出したのが「生きている限り、生き方を学び続けなさい」という古代ローマ哲学者セネカの言葉です(55の魂に響く…のどこかにあった)。
生き方を学び続ける、とは、その時々の自分の生き方があるのだから、それを学べということなんだと思います。私はここがわかっていなかった。
それは、今までの生き方に執着することなく、その時々の自分にとって、必要な生き方とはどういうもので、それを生きるために何をどう変えたらよいのか、を「私」に沿って考えるということだと思いました。それを生きている限り続けなさいと賢人は言っている。
ということは、そういうふうにして生き方は変化していくものであり、そこへの柔軟性と知恵とフットワークの軽さが自分を新な生き方へ連れていくのだろうと思いました。
そして、そこにはネガティブ(これがないと人は動かないから)な物事とそれを手放すことが伴います。今までの生き方で使ってきたものごとを手放して、新な生き方をする。
手放すというと、怖い気がするかもしれませんが、今回体験したことは、手放すって、誘われていく、導かれていくということなんだなと思いました。こうして次へ向かうことなんだと。それは怖いことでも不安なことでもなく、ごく自然なことだったのだと思いました。
人ってこうやって生きていくのか…という体験をしたこの期間でした。なんだか、新な年を迎えたような気がします。
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