ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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2025/01/27

今、顔がえらいことになってしまっています。24日から両頬が真っ赤になって、熱をもって腫れている気もする。これは皮膚科へ行った方がよいだろうと思い、行きました。アレルギーでしょう、ということで薬をもらいましたが。

先生から、アレルゲンを聞かれましたが、よくわからない。前日に食べたもの、いつも使っている化粧品が急に合わなくなった、はたまた例年より早く飛び始めたらしい花粉、気付かぬうちに顔に触れていた物…本当にわからない。私の場合、身体に出るものには心因性のものが多くをしめるので、それは何か?

で、この年になっても顔に出るものは嫌ですね。もうこの年だからなんでもいいじゃん、とはなれないものだなあと思いました。こういう事へのパターンを超えるのはまだ私にはできていないこともよくわかりました。

私は若い頃からずっと肌トラブルの連続でした。肌が汚くてふられたり、笑われたりということもあったので、これこそ私のコンプレックスです。肌が健康で綺麗な人がうらやましいとずっと思っていました。

で、ここのところプライドの話が出ているのですが、私は、それに対してプライドは働かず、ひたすら純粋に(笑)うらやましいでした。他のところでは働くプライドなのに、完全に自分には得られないと観念する物事には私のプライドは働かないのだろうか?ここはもう一度考えてみようと思います。

でも、この肌も私の一部。両親からもらったものです。どんなときにも一緒に生きてきた肌だから、死ぬまで面倒みてあげよう。今持っているものをどう使うのか…自分のベストの状態として、というところでしょう。

「肌と言うのは不思議で…」とお会いしている方が話していらした。肌は体中の何かを表したり、心の状態も表したり、何かを語るようです。そうですね、そう思う。

そんな中、昨日の大相撲千秋楽。今場所は照ノ富士の引退もあり、大好きだったので悲しいでしたが、それも含め、ドラマチックな場所でした。優勝決定戦は三つ巴の闘いとなりました。三つ巴って3人が土俵に入って一斉に闘うのか?と一瞬思ったが、そうではなかった(あたりまえか)。気迫のある3人の力士の取り組みでした。そして、大関豊昇龍が優勝。感極まって涙していた。おめでとう。横綱昇進という話も出ているそうで、ますます大相撲が楽しみとなりました。次回は3月。それまでには私の肌も元気になってほしい。

性格
2025/01/26

先日の先生とのカウンセリングで「性格」の話が出ました。「性格」…その人が生まれつき持っている個性、気質というものでしょうか。

で、先生が私の話を聴いているときに、あることに対して「ようこちゃんは、そういう性格だからね、そう考えるのは仕方ないわあ」と言いました。それを聞いてそうか、そういう性格なんだ私と思いました。それと同時に性格って、パターンと混同してしまいやすいと思いました。

例えば、とても弱虫な自分だとして、それは、私は弱虫だ、という黒パターンとも言えるし、もともと持って生まれた性格とも言えます。このあたりをどのように考えていくのか、と後から考えました。

で、黒パターンと捉えても(この場合ははっきりと感情感覚が伴います)性格だと捉えても、それが今の自分にとって不健全であったり、向かいたい自分に反していたり、生き方を狭めてしまったり、自分を落としてしまうようなものであれば、選び変える、又は、変えていくとか、などすればいいのかも、と思いました。

どれがパターンでどれが性格なのかとはっきりとした線引きはできないので、このあたりの視点を持っていればいいのかもしれないと思いました。

ただ、今回、それは私の性格なんだと、思ったときに、とてもすっきりと、安心感がありました。ということは、それが今の私には真理なんだと思いました。

・・・・・というように、最終的には自分の心の感覚(「私」の感覚)に答えがあると思います。それがよい感覚なのかどうか、です。そこを磨くために「私」を育てたい。それには「私」が納得するものごとを選び続けるということなんだろうと思います。

カウンセラーには哲学がある
2025/01/24

「カウンセリングとは、そういう人を育てること」この言葉は先生とのカウンセリングで先生がおっしゃったものです。

「そういう人を育てる」「そういう人」とは?…自分の哲学を自分で作り、それを指針にしてこの社会の中を生きていく人、と先生はおっしゃったのだと思います。

道場の「そういう人」とは新たな領域を生きる人のこと。そこへ向かう階段を上り、その都度の自分が自分の哲学を作り、自分の人生を創造して生きていく人、と思っています。

で、それぞれのカウンセラーには哲学があり(ないカウンセラーは多分いないと思う)、例えば、共感をしてその人に寄り添うことが自分のカウンセリングの哲学、という方もいるし、傾聴を通してその人を理解し、その人が楽になれるように指示を出すことが自分のカウンセリングの哲学、という方もいるし、とにかく本人に考えてもらうように質問をたくさんしていくことが自分のカウンセリングの哲学、という方もいるし、帰るときには少し元気になって帰ってもらうようにということが自分のカウンセリングの哲学、という方もいます。

それはそれぞれのカウンセラーの哲学なので、どれが正しいとか、どれがレベルが上か、ということではありません(道場は欲張りなのでそれぞれもちょっとずつ持ちながらです)こうして、カウンセリングを受けるクライアントさんがそれぞれの哲学を持つカウンセラーと相性がいいかどうかで選べばいいわけです。多くのカウンセラーはそのあたりは告知しています。だからいろんなカウンセラーがいていいということ。

私は先生と出会い、先生に鍛えていただき、そのときには全く気づいていなかったけれど先生の「そういう人を育てる」という哲学とも相性がよかったのだと思います。相性って、ただ、気が合うということだけではなくて、すでに感じ取っているものなのかもしれません。

そういう事も時間をかけて今なんとなくわかったこと。人とのご縁って深いものなんだと思います。

若い頃には見えなかったそういうこと…
2025/01/21

「魂の道場」で学ばれている方々は、お一人の方を除いて皆さん10年以上の方々です。

で、そういう話を他の方にすると「え?そんなに悩みって解決されないんですかぁ…」と言います。その言葉からは10年以上もかけているのに解決できない力のないカウンセラーととらえられていることを感じます…が…説明してもわからないので、何も言わず。

そもそも私自身が時間をかけて何かをすることにそれ程の抵抗がなく、それを面倒、嫌だ、と思わないんです。本来、なんでも時間をかければかけるほど、新な何かがそこに在ることを体験しているので、そこで見つけるそれが楽しいんです。

ただ、私の場合、ご飯作りは面倒と思うのでこれはその対象ではありませんが、それが好きな人にとっては、ご飯作りも時間をかけるほど新なそれを(ご飯作りを通しての何かを、その後ろにあるものを)知ることになると思います。このように、自分にとって時間をかけられるものとそうではないものがあります。

一つの習い事を、仕事を、20年、30年、40年と続けている方はたくさんいらっしゃるし、何かを研究していたり、発見、発明されている方も長年にわたります。

そして、最も時間をかけてあげたいのは自分自身だと思います。生まれて、成長して、だんだんと大人になり、今度はだんだんと老いていき、またあちらへ帰る。この人の一生って、最も時間をかけていくものです。そして、時間をかけて今まで見えなかったものが見えてくる。自分自身について。他人について。生きるということについて。死について。若い頃には見えなかったそういうことが、時間をかけて生きてきたから見えるようになっているのだと思うと、そういう自分であることだけで十分だと思えます。

人生をどのような視点で捉えているか、で、日々の言動は変わり、それにより、見えてくる世界も変わるのだと思います。

小さな努力の積み重ね
2025/01/20

で・・・・・プライド。

誰もが持っているもの。なぜならば、あらゆる自分の内にあるネガティブなもの(黒パターン)に負けないように、それらを抑えていくのがプライドだからです。

あらゆる自分の内にあるネガティブなもの(黒パターン)を認めてしまうと自分の全てが成り立たなくなるとプライドは思っているから。その状況はつらくてつらくて仕方がなく、そんなんじゃ、自分に自信が持てない、自分を肯定できない、とプライドは思っているから。そうなると、他人に受け入れられることもないとプライドは思っているから。そうやってはじかれてしまうと、生きていかれなくなってしまうとプライドは思っている。それを回避するためにプライドが活躍します。

プライドはパワフルで、負けん気が強く、強引です。その力で弱弱しいパターンたちを抑え込み、時にはそれも武器にして大きく育ち、それが自分だと思いこませていきます。そうやって、ほとんどの人が自分のプライドに支えられて生きているのです。

周りを見ても、争いはプライド同士の小競り合いであり、それが大事になることももちろんあります。日々の他人との比較での勝った負けたも、どっちが正しいのか、上なのかも。戦争もそうでしょう?

それがおかしいと思う人はほぼいなくて、それがあるから自分は生きていかれる、時には人から強い人ですね、勇気がありますね、と賞賛されることもある。そんな歪んだ認識をお互いに持ちそれに慣れて、ますますプライドで生きることになります。

それが心底、自分を解放し、穏やかにいられているのならそれはそれでいいんだと思いますが、ほとんどそんなことはなく(パターンだから)日々闘いが続きます。

そこから抜けるためには、自分のどうありたいかという想いがプライドより勝った瞬間を持つ自分で居続ける努力を続けるしかありません。小さな努力の積み重ね。そして、そのうち、プライドを上回っている自分を感じるときが来ます。そこまでの忍耐力も必要になります。これがいい感じ、いい気分でいるということ、と、クラスで話しました。ここはわかりにくいところなので、また話していきます。

大きな課題
2025/01/19

今年初の茅ヶ崎クラス。幸先の良いスタートだったと思います。

1日目に「プライド」についての話が出て、今回特にそれについてやろうと思ってはいなかったのですが、この流れに反してはいけない。家に帰ってから、プライドについてわかりやすい資料を出してきて、それを2日目に使いました(以前やったやつだけど)。

まず、この流れの感じが私は好き。やっぱりね…自分ひとりでセミナーを行っているわけじゃないんだよなあとすごく思うんです。クラス全体を、参加している方達を、善きほうへ動かそうとしてくれる何か。それが作る流れです。だからそれに従っていく。初回のクラスからこの感じだったので、今年はますますそちらにゆだね、柔軟にやっていこうと思いました。

そして「プライド」。もうねーーー、これ、手ごわいんだわ。そして、自分が本来の在り方をしていくためには、絶対に超えていかなくてはならないものなんです(動物として生きるのか、人間として生きるのかというところのもの)

今回は多くの時間を使ってプライドの話をしました(岩手クラスも来月やります)そして、それぞれがそれを自分の内に確認できて本当によかったと思います。

プライドというと自分に自信がある、とか、自分はこんなことができる、とか、いいイメージがありますが、それは黒パターンの領域。こうして他人より上に立ち、自分を保っているだけのものです。また、自分は自信がないし、特にできることもないからプライドはない、と思う人もいると思いますが、よくよく自分を見てみれば、無いことに対する、自己否定や、悔しさや、不安や、焦りや、怒りがあったりもする。それもプライドが生み出しているものなんです。プライドがあるから、自分を否定するし、悔しいし、不安だし、焦るし、怒るんです。

本来は他人に対抗できるものを持っていれば自他にわかりやすくプライドの武器にできるのですが、それが無い場合も、プライドは自分には無いことは認めず、自分だって何かあるはず、自分だって持てるはずだ、それに値する人間なんだ、だって人間は皆平等なんだから…とスピリチュアルの世界では言っているじゃないか、と、納得しようとする。そうやって自分を保とうとする。この在り方自体がプライドなんです。

ここで生きるってすごくしんどいはず。なんせパターンなんで、そこで生きてしまうとずっとその重苦しさは続きます。

・・・・という大きな課題で、スタートした今年。きっと善いほうへ皆が動くだろう。

あらゆることを…
2025/01/16

今日は、今年初の茅ヶ崎クラスです。今年の茅ヶ崎クラスには、毎回、岩手クラスからおひとりずつ参加される方がいらっしゃいます(岩手クラスの皆さま、遠いところありがとうございます)今年からは、茅ヶ崎クラス、岩手クラス、そして個人の方も、お一人お一人の課題や方向性を重視して、行っていこうと思います。今まで以上にお一人お一人へ言うことが違ってくるだろうと思いますが、また1年、よろしくお願いいたします。

さて、先日の先生のカウンセリング。数日たって、じんわりと気付いたり、再度考えたり、先生の言葉を反芻したり、とあります。これがカウンセリングの醍醐味だ。

で、そうすることでまた先生に聞いてみたいこと、疑問などが生まれてくる。「…っていうことって?こういうことですかあ?先生」と。私はこういうことがおもしろいと思い、好きなんだとあらためて思う。こうして自分が疑問をもったり、質問をしたり、そうしながら物事の深みを知り、感じ、間違えて捉えていたところを見直し、正し、今の自分を知り、自分を組み立てていくみたいな作業。こういうことが根っから好きなんです。

そして、これからの自分が目指す所へ行くために…というよりは、その時その時にわいてくる自分の知りたい事、それを理解したり、納得したりすることがおもしろいと感じています。

そして、この頃理解したのは、こうしていることが、目指す所へ行く努力をすることよりも、結果、そこへ向かっていた、そこへ入っていた、ということです。こうして考えてみると、いわゆる一般の「学ぶ」とは違うんだね、心の世界、本質を学ぶって。

そして、その在り方が二極の片方なんだと思う。誰もがもう片方は今まで十分にやってきた。だからあとの片方を学んできれいなまあるい自分になればいいんだと思います。そのためには、目指さないということだと思います。何より楽しむこと、好きであること。と言っても頭でそうしようとするのは違うので、自分はどうなんだろう?好きか?楽しいか?おもしろいか?と感じてみるといいと思います。

あらゆることをそんなふうに感じてみるといいと思います。

行動あるのみ
2025/01/15

今年は、なんか、善い動きになると感じている。お会いしている皆さんが…です。

皆さんのブログを朝読んでいるんですが「そう、そう、それでいいね。その心持ちでいこう」と思います。この「そう、そう、それでいいね」が増えてきていて、これはやはり去年からの努力の成果なのでしょう(…という年だそう。詳しくはまたクラスで)

で、成果というと、よいこと、うまくいっていること、できたこと、成功したことと捉えがちですが、そうでもないんです。一見、よくないこと、うまくいっていないこと、できないこと、失敗だったこと、など、パターンがネガティブさを生み出している物事を持つのも善い動きであることもあります、というか、善い動きに自分がしていかなくてはいけないんです。ここがすごく大事。

で、人の意志力とか知恵とか行動力って、ここでこそ使わなくてはいけないと思います。いわゆるいい感じでスムーズに生きている人ってここが上手なんだろうと思います。

一見、よくないことが起きたときには、何を選んでの今なのか?をクールに検証し、では、それではない「私」が納得することを考え、感じ、選んで、それに沿った行動をする(ここでの一致性がまたまた大事。気づいていても行動に移していなければ結果は同じ)。このように自分でよくないことを善い動きに自分でしていくということです。

これをどこかで勇気を持ってやってみてください。1回できると、また次もできるようになります。そうしていくうちにそれが自然と普通になっていく。やはり行動あるのみです。

成人式
2025/01/14

昨日は「成人式」だったんですね。いつも行く中央公園に着くと、向かいにある文化会館からどーーーーーっと晴れ着姿の女子、和装、洋装の男子が大勢出てきました(式典が終わったのでしょう)そのご家族も一緒なので、とにかく人数がすごい。

そして皆が向かいの公園に、道を横断して移動するので、信号前で細い歩道は一般の人も混じり、動けない状態になっていました。私もちょうどそこにいたので、しばし、華やかな女子にまじり、待機。じろじろ見るのは失礼なので、でも、着物や髪型やメイクをちらちらと見てしまいました。

皆さん、豪華です。流行りなのか、着物にブーツやピンヒールの靴をはいている人もいるし、髪には、金銀のモールのようなものが巻き付いていたり、水引で飾られていたり、全体にラメが散っていたり、小さな扇子や小花が飾ってあったり、と、色々です。レトロ風な着物の人もいれば、華やかで、凝った模様の着物の人もいます。変形型着物(?)の人もいます。帯もそれぞれ素敵でした。そういう女子に囲まれ、ネギが見えているエコバッグの私はどう見ても場違いでしたがこういう状況にならないかぎり、ここまで細かく見ることはなかっただろうと思いました。

で、自分の成人式の時は?と思い出す。私、当時はとんがっていたので「成人式?出なくていい、着物も着ない」と式典に出ることなく、着物を着て写真をとることもなく、そのころバイトしていたところで働いていました。そういう私に、両親は何も言わなかったというのも不思議です。でも、このことは後悔はしていないので、私はそうだったんだというところで終わっています。

成人になられた皆さま、これからの人生、山あり谷ありだと思いますが、たくましく生き抜いていってください…とまるで孫を見る様な私。

自分の好きなものごと
2025/01/13

ワークとはやらなくちゃいけないものではないし、やったら、こんなふうに変わるんだ、だからやろうというものでもないです。まして、私に「やれやれ」と言われるからやるというものでもありません。

ワークを善きものとして、続け、それを自分のものにして、自分の成長に使うためには「やりたいからやる」というものがないと、やらされている感が起こると思います。そうなるとただ、やっているというワークになり(パターンがやっている)そこで変化なく停滞します。

この「やりたいからやる」という動機で、その心持で、「私」が続けるワークには必ず、結果が出てきます。それは、楽になる、問題が消える、というパターン的な結果ではなく(そうなる場合もあるが)「なるほどねーーー」というような結果です。

今まで漠然としていたものの形がはっきりしてくる、私がやれやれと言っている意味がわかる、なんか整理されていく、芋づる式に次々と分ると言った方もいらっしゃいます。それは、楽になった、問題が消えた、もう、ひっかからない、というような単純なものではなく、どちらかというと「これ、おもしろい」というものです。この体験ができるといいなあと思うのです。

で、何事も、実は「やりたいからやる」という心でとりくむから、向上したり、理解が深まったり、結果に結びつくということ。やりたいからやるというところには、なんか興味がある、とか、なんとなく楽しい、とか、わからないからもっと知りたい、とか。知的好奇心がくすぐられるものがあります。で、楽しんで行うことは進んでいきます。ワークが皆さんにとってそういうものであるといいです。今年はここへの挑戦もいいかも。

そのためにも、まずは、よくわからなくても、ちゃんとやる(ちゃんとやるというのは言われた通りにやることをベースにして、自分でもそれについて考えるということです)、そして「なるほどねーー」を知る体験をする(それは善くできているということ)ことです。そうすれば、もっとやってみたい、もっと知りたいとなります。この、状態になれるものが自分の好きなことなんじゃないかと思います。

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