何かを成す | - 2024/10/07
- 何かを成すってどういうことだろう。
一般的には何かを成した人は認められ、賞賛され、特別な人に見られる、というのはあります。そこでの何かというのは、誰もが一目おく仕事や地位についていること、それで稼いでいること、を言います。政治経済の世界から芸能界まで、あの人だ、と誰もが知っているような人はここまでくると成功者とも言われます。
ここまでではないとしても、それなりに皆が承認している仕事をしている、特別な能力を使うことをやっている、フォロワー数が多いなども、何かを成したことになるのだと思います。その領域においては。
そして、それを天職といったり、自分を生きている、と言ったり、自分のやりたいことをやっている、と言ったり、自己実現と言ったりします。
‥‥という世界に多くの人は住んでいるので、そこでの何かを成しているかどうか、という判断に自他をあてはめていきます。そして自他をその中においてどのくらいのところにいるのかを判断し、そこに確定していくことになります。
この領域において、専業主婦で子供を育て、親の介護をし、自分で稼ぐことはしていない人は何かを成したとは認められないんです。
しかし、その自分を支えている何かがなくなってしまう日は必ずやってきます。ただの人になる。昔こうでした…と話しても今はそれがない。そうなるとその人は過去は天職に生きた、自己実現したが、今はそうではないとなるのでしょうか。天職って、自己実現って、そんな薄っぺらいものなのでしょうか。そんな一時のものなのでしょうか。
大切なことは、どう生きるかです。自分は成していないという領域を出て、いわゆる成していたものがなくなっても、自分を成す生き方が自分はできているのだろうか、と自分に新な視線を向けることです。そして、その生き方を身につけるから(自分の成すを見つけること)心は安定し、それこそ天職につき、自己実現したと自分に言えるのだと思います。
自分が何を信じて生きているのかをもう一度見直してみるといいかもしれません。そして、そこにいたいのかどうかも感じてみます。
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