| 自分は正直にパターンを見ているか | - 2025/10/04
- 道場でやっていることはとにかくシンプルなこと。
感情・感覚を感じたら、それを生み出しているパターンをみつける。みつけたら「私」が語りかけをする。これが基本です。その後に白黒ワークや意味づけワークがありますが、基本は先ほどのものです。
この基本はすごくシンプルなものなんです。ただ、どうしてもそこにパターンの思考が入り込んで複雑に難しくしていってしまいます。そうなると、重くなるし、なんだかうつうつとしてきます。
で、この本来のシンプルなワークをやれない原因に、正直に自分を見ていないということがあります。正直さとはあるものをありのままにただ観て知るという、まさに「如実知見」の状態です。この状態で自分を見られるようになってほしいです。それにより、シンプルなワークに(だけではなくシンプルな生き方にも)つながります。
感情は、以前からみたら、かなり感じられるようになっていると思います。そのパターンは?というときに、オブラートにかかったような(もっとストレートなものがあるのに)パターンをみつけようとしていないだろうかということです。だとすると(「私」はありのままでOKなので)そこにも何かのパターンが働いているのだと思う。こんな自分ではないはず、とか、自分はそこまで落ちてないとか、そのパターンを認めたくない、とか。そういう類のパターンが動けば、オブラートにかけたようなパターンを出してきます。そこに語りかけをしていても実はしょうがなく。違う所に語っているので。本当のパターンはより、もやもやしていきます。
語りかけはカラっと、というのはこういう事を含んでいます。いいじゃないですか、どんなパターンだって。それより、何故それを大事にしないのか。愛の人になりたいと思っているのでは?自分の内に天国をつくりたいと思っているのでは?そうして天の流れに乗りたいと思っているのでは?だったら、自分の内に差別を作ってはいけません。全てあるがままに。そのひとつひとつが生きているのだから…というカラっとした気持ち。ここはとってもとっても大事なところです。
如実知見は他人に対してではないです。これも、まずは自分にです。こうして、カラっとした、太陽の光いっぱいの、オーソレ・ミオの心を作っていってください。「私」は太陽ですから。
自分は正直にパターンを見ているか?ここをいつも問うといいと思います。オブラートで見るクセがついてしまうと、分からない、気付けないという事も起きますが、これも練習です。それにより正直に見るという感覚は戻ってきます(そもそもは誰でも持っているものなので)ここも焦らずに自分を見てあげてください。
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