パターンと「私」の大きな違い | - 2025/07/20
- パターンと「私」の大きな違い。
パターンには1つの考え方(選択肢)しかないが「私」にはたくさんの考え方(選択肢)があるということです。
だからパターンはどうしてもずっとその1つを通そうとします。相手が違っても、状況が違っても、何年たっても、何十年たっても、その1つを押し通し、それを成就させることに時間とエネルギーを注ぎます。で、成就すればそれで満足し、それを継続しようとします。
例えば「自分は正しい」というパターンにはこの1つの考え方(選択肢)しかないということです。そうであるから、誰といても、どういう状況でも「自分は正しい」を基盤にしています。表面的には、皆違っていい、と言うし、一人として同じ人はいない、人数分だけの正しさがあると言っていても、心はそうは思っていないんです。
又、相手が自分を軽くあしらったり、相手が自分の間違いを指摘したりしたときにはいつも以上にパターンは騒ぐと思います。1つだけのそれをないがしろにされたと思うので、そこは強固に守ろうとするからです。
これに対し「私」にはたくさんの考え方(選択肢)があります。ですから、それを柔軟に使い分けて、自他にとってよきものを、その場にとってよきものを、長い目でみたときによきものを選ぶことができます。
時には自分を表明し、時には相手に譲り、時には関わらないことを選び、時にはあえて関わることを選び、時にはその場を離れることを選び、時にははっきりと相手に言うことを選び、時には自分から相手を切ることを選び、又、他人から切られることを選びます。まだまだ「私」の持つ選択肢は多方面にわたりたくさんあります。
たった1つの選択肢しかないのと多くの選択肢があるのとでは、その後の展開が違ってくることはわかると思います。だからパターンで生きてはいけないんです。なんせ1つしかないからです。柔軟に、軽く、臨機応変にたくさんの考え方(選択肢)を屈指していくには「私」を使わなくてはいけません。
そういう「私」を育てる。今の自分がそういう「私」を育ててくために何をしたらいいのか(ワークだけではないです)何をやめたらいいのか(自分の普通にしていることをが何なのかを見ることでやめることは見えると思う)を自分に与えてあげてください。
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