| 流れに乗る感覚 | - 2025/10/16
- 「川」「帯」の流れに乗って生きる。そこにこそ安心があります。
しかし、私たちが目を向けているところは貯蓄額を増やす、家を持つ、ずっと続けられる仕事を持つ、健康でい続ける、家族がいる、他人から認められている、才能がある、など。それらがあるから安心できると思っています。だからそれを得るために頑張る。しかしそれらは無くなったり、変化する可能性も十分にある。
でも、流れに乗って生きる事での安心には、自らそこを出ようとしないかぎりそこは普遍的な状態で在り続けるものなので、結果、安心とともに生きていくことになります(この流れ(ルール)と共にいることが神と共にいるということだと気づきました)
で、昨日書いたように流れに乗るには黒パターンで生きない、ということなんですが。ここで、誤解しやすいのが、黒パターンで生きない=黒パターンはよくないもの、だから抑え込む、というものです。パターンに引っかからない状態ではなくて、パターンが引っかかれない状態にもっていってしまうというものです(これもパターンがやっています←だから自分を深く見ることが大事です)これは気を付けてください。
勝手に引っかかるパターンが悪いのではありません。それを管理するべき「私」が育っていないことがまずいのです。パターンは今のままずっと一緒にいて引っかかるときには自由に引っかかるものです。それをそのまま赦している「私」なんです。
そして、たとえ、抑え込んだことで引っかからなくなっても、流れには乗れないです。そういう外側の変容のことを言っているのではないからです。心底の変容の事を言っています。
それは、どんな感覚のものなのか。「もしかしたら…〇〇と、もう、決めつけなくてもいいのかもしれない………」この言葉を言っているその瞬間の自分の感覚です。その瞬間に心身に感じているその感覚、それを自分の身につけていき、少しずつ時間をかけながらそれが普通になるようにしていきます(これを一気にすぐにやろうとしない←これもパターンがやりたがる)そこには一瞬感じる安心感があると思います。それでい続けること(そう振舞うのではなく)を自分で練習し、心身につけていきます。
それから昨日書いたように、今、どんな感情が湧いているのか、に、敏感になってそれを必ずすくい上げること。それも、続けることで今、この一瞬にあるということがどんな感じなのか、感覚としてわかってくると思います。今に在ることの心の在り方も流れに乗るのには必要だからです。又、このようにしてあらゆる感情に対しての軽さや無差別を心身で覚えていきます。
思考ではできないこれら。心身で感じ、自分のものにしていく。というようにいろんなことを行いながら、流れに乗る自分を創っていきます。修行にしないで。
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