| ただ、今、ここに、あるだけ | - 2025/10/06
- ついこの間、気付いたことがあり。
それは、私はこの頃、持ち続けるということがなくなった、ということです。若い頃は、自分が失敗したことや、人に迷惑をかけてしまったことや、嫌なことを長い間持ち続けていたと思います。10代、20代、30代、40代は特にそれが強かった気がします。そのころは頭痛持ちで、特にそういうことがあると必ず頭が痛くなっていました(痛み止めの薬をよく飲んでいました)
これは、うまくいったこととか、褒められたこととか、認められたことについても同じで、当時はそれが自分の自信になると思っていたし、その時のことはずっと自分を支え、他人を納得させるために持ち続けていた気がします。これをやってきた、あれは私がやった、感謝された、自力で頑張った、自分でやってきた…と…私、自負しております…というようなものです。
ところが、この頃は、そういうものがないという事に気が付いたのです。今でももちろん、あれはまずかった、と思い、反省し、謝ることはあるし、自分が行動したことでよかったと思うこと、感謝されることもあります。しかし、どちらも、その時にそれを感じて終わる、というものに変わっていることに気が付きました。一体いつからかはわかりません。一気にそうなったのではなく少しずつ気づかないうちにそうなっていたのだろうと思います。
そこで終わるというのはその日で終わっていて、それをこれからの自分を律していくために、支えていくために、使わなくても大丈夫という感じです。もちろん、かなりハードなことであれば数日、それが心を支配しますが、若い頃とはあきらかに違うことがわかります。
自分が日々体験する、ネガティブな体験もポジティブな体験も、抵抗したり、過剰に握りしめたりしなければ、もともとは自然と流れていくもので、両方とも持ち続けなくてもいいものなのだと思いました。一般的には、良き体験は、それを自信として、そういう成功体験を増やしていこう、と考えがちですが、これもまた持ち続けることで執着になります。そして、こっちのほうが厄介。良き体験こそしがみつきます。
毎日同じ日ではないように、人も毎日同じではなく、朝が来たときに新しい自分として1日を過ごしていくのが自然なのだと思います。そして、そのためには身軽なほうがいいです。だから過去のあらゆる良き体験も、良くない体験も、そこに置いていけばいいんだと思いました。
「ただ、今、ここに、あるだけ」という昔使っていたフレーズを久しぶりに思い出しました。今だけだと軽い。
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