ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

8月のワークの結果
2024/09/06

8月は「大人のインナーチャイルド」に会いにいく月にしよう…と決めて(毎日ではなかったけれど)会いにいくことをしました。

その結果です。まず、これは本当にやってよかったということ。子供のときの自分には目がいきやすいですが、大人だから…ということで忘れがちになります。しかし、自分でケアすることをまだ知らなった自分は、一般的な考え方で解決しようとしていたり、常識、とか、正しいと言われていることを信じていてそれでより複雑にからまってしまっていたことが判明しました。子供より知恵がある分、大変だったと思う。

そして、現在と過去は今も続いているということが明らかになったのは、現在の私(「私」)の影響を少しながらも受けているのでは?と思ったからです。

傷つき、悲しみ、いろんなことを恐れて、未来への希望もなくそこにいたそれぞれの大人ではありましたが、どこか、変更可能であることをほんの少し感じていました。だから、そこをプッシュした。

本当に大変であった33歳の自分は、もちろん生まれて初めてのアクシデントにかなりダメージを受けながらも、どこかでこれで全てが決まったわけではないことを知っているようで、どうしていきたいのかもわかっていました。その思いを一緒に叶えていこう、とこれもまたプッシュ。

当時の自分を思い出したときには、自分の人生はこれで終わったと思っていたので、今はその時の自分とは違う気がしました。これは現在の「私」の影響だろうと思います。

こうしてみると、インナーチィルドワークは、実はとても威力のあるものなんじゃないかとあらためて思います。大人にも子供にももしかしたら、卵の部屋の最下部にいる縁のある過去世の人たちにも次元を超えて影響を与えるのではないか…と思いました。

だいぶ整った私の過去。小さかった自分から大人の自分まで、一つにつながったような感覚があります。皆でこれからを歩んでいこうという気持ちになりました。心強いです。結局、大事なのは「私」の力なんだと思います。「私」とは愛そのものなので、その力は自然と善き影響を与えていくのだと思います。

ということで、意識的に時間をかけて行うこのワーク、大切にしていかれるといいと思います。

自動反応
2024/09/05

黒パターンって、自動的に反応する。と先日書きました。

これ、よくわかると思います。誰かが言った言葉にすぐ反応(ひっかかる)する。その速さたるや。その敏感さたるや。とにかくすぐに。そして引っかかると同時に感情や感覚を生み出し、そのパターンが思考し…という一連の動きがあります。

それがあるから語りかけの文章も作り、語る、という作業ができるわけですが。そういう意味では黒パターンの反応により私たちは成長できていると言えます。ありがとう、黒パターン。

で、黒パターンへの語りかけは黒パターンを落ち着かせていくものなんですが、これは、自動的に起こる反応を、緩和させていく、その分量や回数を減らすということです。自動反応はコントロールできないという説もありますが、自分の体験や周りの方達を見ていて、できないことはないと思っています。

かといって消滅させる、のではありません。ずっと一緒にいようね、というとても平和的な解決法なんです。

で、緩和させる、その分量と回数を減らすには、思考ではできません。例えば、誰かの言った言葉にひっかかったときに「あの人はそういうつもりで言っているんじゃない。何か事情があるんだ」とか「言われたその言葉は本当に本当に本当に自分を傷つけているのか?」とか「気にしすぎるのはやめよう」とか「大丈夫、大丈夫」とか。

その時はいったんそれで収まるけれど、またそれは起こります。

ここで言っている解決法とは、自分の精神性の領域を変えるということなんです。すごーーーく単純に言ってしまうと、今までは自分に向けられたその言葉はパターンが引っかかる言葉ではあったけれど、新な領域においては、その言葉はもうそれではないものになっているということです。

それは言葉が変わったのではなく、自分が変わったからです。結局、自分の変容しかありません。やはり、自分を上げていくということになります。

何か
2024/09/04

何かをしていない(持っていない)自分ではだめだ、と多くの人は思っていると思います。

ここでの何かとは、誰が見ても、納得する仕事(職業)。誰もが羨む、誰もが一目置く地位とか肩書とか立場とか外見とか。又は、高級な暮らしとよくできた家族。又は、特別なことを知っている、持っている、価値あることをやっている、向上しつづけている、いくつになっても輝き続けている…などなど。何か。それが自分の支えになるのだと思います。

それがない、普通の自分ではだめだという黒パターンです。だから、その中のどれか、自分が手にできそうなもので勝負しようとするのだと思います。これは気づかない間はずっと続きます。

そういうことが好きで、そこに生き甲斐を感じ、その生き方に自分が満足する人はそれでいいんです。そういう人は主体的に生きているので、きっと幸せを感じられると思います。そう、主体的であればいいんです。

しかし、多くの人の場合は、主体的ではなく、周りに自分を認めされるため、とか、自分の存在意義を感じたいため、とか、皆がそうやっているから、とか、皆そこに向かっているのだから、という主体的なエネルギーを感じないままそこに突入しています。

主体的ではないのに、そこまで力を注げるのは、それによって他人が自分を知り、自分を認め、そうであれば、自分は何かをしている人、何かを持っている人になったと思えるからでしょう。そういう領域もある。でも、領域はそこだけではない。私たちが知らない、見えない領域がいくつもあるのです。

何かをしていなくても、何かをもっていなくても自分の内から湧き出てくる「幸せ」を感じて生きている人もたくさんいます。他人から見ても目立たず、他人に取り上げられることもなく、でも、ひとりで、何もないのに自然と湧き上がる幸せを感じながら生きている。ただ、普通に生活をしている。

何か、は、いつかなくなります。何かが永遠に続くことはないんです。でも、このふと幸せを感じることはなくなりません。目に見えない、なくならないものが真実。

見たいように見、聞きたいように聞く
2024/09/03

自分が見たいように全てを見ているし、自分が聞きたいように全てを聞いているんです。

そして、それを決めつける。それにより、相手が悪い、相手によって傷ついた、腹がたった、悲しい気持ちになった、と思っていて、思うことでより決めつけは強くなる、ということを反応的に繰り返しています。

これをやっているのは黒パターンです…が…このことが腑に落ちてわかるまでには時間がかかります。頭では皆わかっている。でも、自動的に反応する黒パターンは見たいようにしか見ないし、聞きたいようにしか聞かない。自動的に反応し続けます。そしてそうだ、と決めつける。そして、それが正しいとも思う。

ここから抜けていくことが楽になるということだと思います。

で、どうしたら、そこから抜けられますか?と思うと思いますが、まず、この質問が黒パターンなんです。それは、何かを得るためには何をしたらいいのか、という今までのやり方を出してきています。それをやれば得られる、それをやれば変われるとパターンは思っているので、どうしたら?という事を言ってきます。

確かに今までいた領域ではそれが通用します。しかし、何度か言っているように、これから進んでいく新な領域では、自分が努力したことに対して何かを与えてくれる(時には与えてくれない。その人のこれからを思って)のはあちらであり、自分がどうにかしたら手にできるところではないんです。

しかし、そこに楽がある。なーーんて言うことをパターンが聞くと動揺すると思います。わけがわからないことへの不安やいらだちもあるかもしれません。こうすればいい、こうしたら大丈夫、というものがとにかく欲しいんです。パターンは。

そういうパターンを抱えて、新な道へ入っていく(これからは白パターンの領域を開拓です)そのためには「私」を先頭に立てるしかありません。パターンを使ってしまっていたら、全員で迷子になります。

具体的に何を自分が今、選ぶべきなのか、やるべきなのか、という自分でいることです。皆、わかっていると思います。白パターンの勧めることは。それが自分にとって善きことであれば、納得できることであれば、自分の哲学に反することのないことであれば、これからのイメージ、感覚があるものであれば、勇気を出してやってみる、ということになります。

清濁併せ持つ
2024/09/02

清濁併せ持つ…黒パターンと白パターンを併せ持つ、とも言える。これが本来の姿です。だからここに到達したい。というか、もう、すでに、もともとそうなんだけれども、それに抵抗したり、自分の思い通りにしようとしたりして、そもそもに到達できず、苦しいんです。

本来の在り方にさからってはいけないということだと思います。

で、併せ持つってどういうことかというと、自分の内にある清(白パターン)も、濁(黒パターン)も全てあるがままに知って、受け入れるということです。受け入れているのは「私」です。「私」の受け入れにはジャッジがありません。そして「私」が理性的な、健全な、良心的な、行動を決めてその行動を起こす指示を出すということです。

こうして清濁のバランスを「私」がとっているということです。バランスがとれてしまえば濁があってもいいわけです。

人生後半からは、ここへの興味を持ち始める人や、ここへ向かう人が増えてくるのだと思います。自然と。自分の内の「私」が教えるのかもしれません。

後半っていつから?人生100年と考えて50歳くらいから?人によっては40代かもしれないし、60代なのかもしれません。今までの生き方、在り方を卒業して、清濁併せ持つ自分をまるごと慈しみ「私」の本領を発揮していく練習のときにしていかれるのではないかと思います。

人は今までの領域のおもちゃに飽きて、心惹かれるところへ移りたくなる、と先生から教えられました。その心惹かれるところは「真・善・美」です。

そしてそこに清濁併せ持つがあると、私は思っています。

皆の思いが…
2024/08/31

昨日は朝から不安定な天候の茅ヶ崎でした。

雷とともに急に大雨が降ってきたと思うと、少し晴れ間が見える時もあり、再び雨になり、…と目まぐるしく変わる1日。

そんな中、サザンビーチでaikoさんのライブが催されました。夕方、外に出たら、駅のほうから多くの人が歩いてきていた。サザンのときとはまたちょっと違った人、人、人。ロックフェスティバルっぽい。何かあるの?

で、調べてみたら、aiko さんでした。ライブは入場無料で茅ヶ崎でのライブは不定期に行っていて、6年ぶりなんだそうです。

しかし、気になるのは台風の影響による雨風。開演後、ベランダから時々、様子(空に向かってライトが交差する、時々曲が少し聞こえる)を見ていて、順調にいっているのだろうと思いました。雨はやんでいたり、小雨程度で、無事に終えられたようでした。15曲を歌い切り、特にこのような天候の中だったのでファンの皆さんの感動は大きかったと思います。

きっとaikoさん、スタッフの皆さん、ファンの人達の「大雨になりませんように」という気持ちが届いていたんじゃないかと思いました。

…で、このみんなの気持ち。これが想像以上に大切だと思います。皆が共通に思うものは大きくなり、強くなる。道場では朝晩にお祈りをお勧めしていますが、その中にぜひ、災難が無事に過ぎていきますように、大難は小難になって過ぎていきますように、という思いを入れていきましょう。これから、何がどうなっていくのかわからない時をむかえ、どうしても不安や恐怖が勝ってしまいます。そうなると、自分のことだけにもなりやすい。

でも、そういうときだからこそ、他人へ、日本への思いを1つにしていきたいです。それぞれの置かれたところで気持ちを発し、同じ気持ちが繋がりあっていきますように。

どうしよう
2024/08/30

とても後悔することがありました。

昨日、雨がけっこう強く降っている中、駅近のスーパーマーケットに買い物に行きました。歩道の所々には水たまりが多くあり、できるだけ水が溜まっていない箇所を見つけて、歩いていました。それでも靴はびしょぬれになりました。

目の前にひとりのおばあちゃんが歩いていました。傘をささずに、ご自分で作ったと思われる、大きなビニール袋を開いてマントのようにしたものを洗濯ばさみでとめて、頭から身体までを覆っていました。杖をつきながら、ゆっくりと歩いています。周りの人達は雨足が強くなってきているので急ぎ足で歩いています。

そのおばあちゃんの後ろを歩いていた私は、おばあちゃんに声をかけて私の傘に一緒に入ってもらおうと思ったんです。でも、もう少しでおばあちゃんは駅ビルに入れるくらいの所にいるから、このままでも大丈夫だろうと、思いました。ご自分のペースで歩きたいのかもしれない、などとも思いました。それと同時に、声をかけてあげたほうがいいのでは?という思いもまた浮かびました。

「どうしよう…」と思っているときに私の後ろにいた女性が私を追い越して、おばあちゃんに声をかけました。「駅ビルに行くのですか?だったら一緒に傘に入っていきましょう」と。私よりもずっと若い女性の方でした。その女性とおばあちゃんは駅ビルの入り口に入り、私もそのあとに入りました。女性の方は「レインコートはどうしますか?脱ぎますか?それとも着たままでお買い物をしますか?」と聞いていました。

その女性を見ていて、本当に自分が恥ずかしくなりました。なんで、すぐに声をかけなかったんだろう私。何を躊躇していたんだろう私。今までだったら、どうしようなんて考えることなく、すぐに動いていたのに。この「どうしよう」が出てきたときは、より自分を見定めないとだめだな、と考えました。思ったときにすぐに動いていればおばあちゃんはわずかでも濡れずに行かれたのは確かです。

この自分を知る、そのためにあらわれてくれたおばあちゃん、そして、その女性。今後、このような後悔をしないように行動しよう、と思った。

おばあちゃんは、本当にうれしそうにその女性にお礼を言っていました。その女性が輝いて見えました。

全く知らない他人が先生。全ての人が私の先生。その先生たちから私は教えられることが多いです。

丁寧さと誠実さ
2024/08/29

ここのところワークについて書きました。

で、気付いている方もいらっしゃると思います。ワークって純粋に今にある、という、瞑想的作業です。そして、その今という一瞬一瞬を丁寧に過ごす体験ができるものです。

昨今、この、丁寧さ、というものが、一般的には少なくなってしまい、雑になっていってしまっているのは、即効性とか合理性とかコスパ、タイパが主流になっているからだと思います。それらは本来、使い分けるべきものなのが、全てにおいてその意識が働くので丁寧さは減っていってしまっているのだと思います。

特に自分に対しての丁寧さがです。

一般的に丁寧に、というときは他人に対してです。相手を気遣う、そういう丁寧さ。何故だかそれだけになってしまったりもしている気がします。

それに反するように、ここでの学びは、自分への丁寧さや自分への誠実さが求められます。まずは自分に丁寧に向かい、自分へ誠意を向けること。自分で自分に向けられた丁寧さと誠実さを体験したものは、いつか自然と他人に向けられていきます。だから、本来は「共感」を意識して人の話を聴くこともないんです。

丁寧さと誠実さを自分に与える努力は自分が担ってやっていかなくてはなりません。おまけに、その努力があっても、結果は天にゆだねる、という、なんか、解せないと思われるかもしれません。でも、この在り方がそもそもだと私は思うし、これが最も楽だとも思っています(何がなんでも自分でつかみ取ろうとしなくてすむから)

丁寧さと誠実さを自分に与える努力、これは自分にしかできないことであり、それを本当に望むのであればその努力の最中には喜びがあります。そして受け取るものはそうやって努力ができる自分であるという体験と自分への認識。それで十分じゃないかと思うんです。

しかし、その後、思いもかけないものがやってくるんです。それは人それぞれだと思います。あちらが与えてくれるものなので、その時には心を開いて受け取ろう。

すぐに動いてしまわない
2024/08/28

昨日書いた「黒パターンがみつかった→白パターンはこれだ、とすぐに動かないようにしてください」ということについてなんですが。

ここもついついやりがちかもしれません。白パターンを作って、それを選んで、実践していく、ということはやっているので、つい、すぐに動いてしまうのだと思います。時には、黒パターンが出て、即、白パターンが何かわかる、ということもあるかもしれません。しかし、白パターンはわかる、とか、降りてくる、とか、何かがメッセージで教えてくれる、ものではなく「私」が頭を動かして考えて作るものです。そして作ったその言葉を感じるものです。

まずは、王と民の対面。そこをじっくりと、イメージを使って行なってからの白パターン作りです。

すぐに動いてしまうのは、もしかしたら楽になるために、白パターンを選びたいのかもしれません。白パターンには楽になるものは含まれているから。でも、もし、そうだとしたらそれは「私」ではなくパターンがやりたがっているのだと思います。そのパターンは何かにひっかかっているパターンを嫌うパターン。それのせいで、苦しい、悲しい、もやもやし続けていると信じているので、すぐに白パターンを選ぼうとします。

そこは、ぜひ、王のルールに従わせるようにしてください。これがパターンを甘やかさないということです。甘やかさない、って、厳しくって、管理している感じで、自由がないと思うかもしれませんが、そうではないです。自分でもどうしていいかわからずにいる子供のパターンを守っていくために、それはひいては国の平和のために行っていることです。

王の望む国を作るために。その国はきっとそれぞれの民がそのままの自分で安心していられる国なのだと思う。だからパターンを嫌うパターンにすぐに白をみつけさせないようにします。

白を作るのは王。そろそろかな、と感じたときに。ここも、再確認して、基本に立ち戻ってやっていってください。

漢字の書き順
2024/08/27

語りかけは基本中の基本なので、自分流にしないで、習った通りに行ってください。そして、集中して、丁寧に。でも、神経質ではなく、深刻ではなく、重くなくです。1日1回でいいですから、パターンと正面から向き合う姿勢で語りかけをしてください。偉大な王が民と会っている大事な時間です。

慣れてくるとどうしても自分流にしてしまいます。それにも慣れてしまうと崩れていってしまうのですが、そのことに気づかなくなっていきます。多分そのときには黒パターンが王になりすましているのだと思います。

例えば、小学生の時に、漢字の書き順って習ったと思います。その書き順が身についていれば、それが普通になるのですが、こっちのほうが書きやすいから、結局、その漢字が書ければいいんだから、と適当に書いているうちにそれが自分の普通になっていきます。確かに見た目はその漢字なんですが。

でも、あの書き順に意味があり、リズムがあり、だからこそのあの漢字なんじゃないかと思うんです。結果よりもプロセスが大事ということじゃないかと。

「人」という漢字。左から書き出して、右側を書く。これ、逆から書いても「人」になる。しかし、左側の部分を勝手に自分と見立てて、右側の部分が他人である…と思うと、自分はこうして他人に助けてもらっているんだ、感謝だなあ、と思えます。反対に右側の部分、他人を先に書き、次に自分である左側を書くと、まるで他人に覆いかぶさるようにして自分は乗っており、自分を支えてもらっているという気持ちになる。これは、あくまでも勝手な私のイメージですが。

漢字って意味があるものです。ですから書き順は大事だと思うんです。

で、語りかけ。それも同じ。語りかけという行為は意味があるものです。だから、どんな心で、どんな姿勢で、正しく行うことが大事です、そして、語りかけの文章を作るとき、ノートにスペースをとって書くとき、イメージして「私」(王)が語っているときは、その本来のところにいさせてくれるものだと私は思っています。だから、スキップしないで行ってください。

そして、黒パターンがみつかった→白パターンはこれだ、とすぐに動かないようにしてください。これもスキップしていくことになります。王と民の時間を楽しんでください。

menu前ページTOPページ次ページspace.gifHOMEページ

- Topics Board -