| 諦めていくことで…。 | - 2025/10/30
- 現実を見る。
現実ならもう嫌と言うほど見てきましたから、という人もたくさんいると思います。
仕事の大変さ、お金を稼ぐことの大変さ、家族の問題、自分自身の健康やこれからの生活、介護、老後のこと、などなど、自分はそれに直面してやってきたから現実はわかっていると思うのだと思います。
しかし、私が感じている現実はそこではなく「他人は自分を助けてはくれない、与えてくれない、満たしてくれない」という現実(事実と言ってもいいか)です。他人は自分を助けてくれない、というのは、他人は、自分のパターンをパターンの思うように助けてはくれない、与えてはくれない、満たしてはくれない、ということです。
認められたい、愛されたい、理解されたい、優しい言葉をかけて欲しい、期待する、などのパターンが他人に求めているものごとを他人は与えてはくれないのです。そして自分も他人に与えることができない。これは他人に優しくするな、とか、他人の優しさを信じるな、ということではもちろんありません。そこは常識で判断するとして。
この現実。どこか抵抗感があるような、厳しい、と感じるようなこの現実。これが痛い諦めとともに本当に自分の内に落ちたときに、「私」が動くのだということです。自分のパターンを助けられるのは「私」だけだと覚醒する。目覚める。
もう、他人に求めることが無理なんだという諦め。だから「私」がパターンを救うのです。「私」は他人とは違い、本当にパターンが欲しいというものごとを的確に判断して与えます。しかし、それはそのパターンを増長させるようなものごとを与えるのではありません。今までパターンが知らなかった、パターンの存在そのものへの安心を与えています。それができるのは「私」だけで他人ではありません。
仏陀の言う「自分を洲とし、拠り所にせよ」という境地にたどりつくには、この、他人への諦めがいいように働いてくれるんじゃないかと私は思います。
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