| 私はできる | - 2025/09/24
- 「最後は何を信じているか」なんだね…という話をしました。うん、そうだと思う。何を信じているかというのは、自分の内で自分は何を信じているか、という身近かなものごとのことです。
で、最強のそれは「私はできる」というものです。「私はいつかできるだろう」「これはできるはず」「続けていれば私はできる」「私、やれるな」「私、いける」…というようなものです。しかし、ここでのそれはパターンのそれではないです。パターンの場合は「私はできている、わかっている、できる人間だ」という感じなので、それとは言葉は似ていても反対にあるものです。
「私はできる」の根拠は一切ありません。それで全くいいのです。なぜかというと、それは自分が内側で決めていることだから。もう少し深く言うと、どこかでわかっていることだからです(わかっていれば根拠はいらない)それがひっそりといつもずっと自分の内に在る。それもごく当然に、自然に、という人は強いです。
そういう人はなんだかいい塩梅でいきます。もちろん魂は成長したがっているので、色々とセッティングしてそれにより悩んだり、苦労したりもあります。でも、そういう時にも「最後に信じているもの」があるということは強いです。
人によっては「自分はどんどんよくなることがわかっている」と言う方もいるし「自分には必要な物事はその時に与えられるから」と言う方もいました。これも根拠なし。でも、その方は見ているとそうなっていっているのです。で、その体験からまた自分の決めているものをより決めるようになり、それは大きくなるのだと思います。
これ、天のルールのひとつです。これは特別な人だけに与えられているものではなく皆が持っているものなんです。全員、天の内に住んでいるから。心が綺麗だから与えられる、とか、正直だから与えられるのではなく、自分の内のそれを認識する。
自分の今までの生活の中で、この体験も誰もがしているのではないかと思います。自分の中ではこれはこうなる、とわかっていることです。それを具体的に思い出してその感じを感じてみる。それと同じなんです。
それを自分のうちの「私はできる」にあてはめて、その感覚を感じてみるといいと思います。最後はそこ。
以前やった「根拠はないけれど…」の瞑想。これをやってみるといいかも。あの言葉の中にそこへの気付きや誘いがあります。
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