ponta日記

・主婦カウンセラーの日常・・・は?

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過去の思考を選ばない
2024/08/16

今朝もまたパターンの話ですが。

自分の内にいる黒パターンとそのとなりにいる白パターン。それぞれがその特徴を持ってそこにいます。どんな特徴かというと、黒パターンは「過去にある、他にまかせる」白パターンは「未来へ向かう、自分にまかせる」すごくすごくざっくり言えばそういうものです。

黒パターンの「過去にある、他にまかせる」というのは、今まで自分が生きてきた間に教えられたものごと、大人になってその時に自分で体験したことを通して決めたものごと、皆がいる領域だけが全てだと思っていてそこに合わせようとすること、など、昔から多くの人たちの間にある、価値、ルールを信じてそれに縛られている、それに頼っている状態の事を言います。

そして、そこでは思考が優先されています。思考で導き出せるものごとは多くの人を納得させられるし、納得した人数が多いということで確かなものごとにもなります。

白パターンは、未来へ向かうもの、自分にまかせるものです。そこでは、思考よりも感覚が優先されていきます。はっきりしないものごと、あいまいでつかみどころがなく、快なのか、不快なのかが重要になり、そこに漂っている無数の可能性の中から自分にとって必要なものごとを見つけ、手にする。そしてそこには過去のルールに基づくものはなく、これからの自分、未来の自分、自分にまかせる自分へ向かうものとなります。

こうして進んでいくときに、過去にあるままの精神で進むことはできません。過去に信じて来ていた物事を自分なりに、選択、更新していく必要があります。その時に人は怖さや不安を覚えるのだと思います。まだ知らないことを選ぶって怖い、自分にはできない、できなかったらレベルが低いことになる、など、思うのかも。これは、まさに、過去にある、ということです。

でも、誰でもが初めてのところからスタートしています。初めて歩いた時、初めて言葉を話した時、初めての幼稚園、学校、社会、仕事、そして初めてのカウンセリング、自己探求。どれも初めてからのスタートで、それなりにどきどき、したり、怖かったりしたのだと思います。それでもやってこられている。そのキャリアがあるのですから、白パターンを選ぶこと、行動することには過去にあることはやめて、新しい一歩を踏み出すことへの、わくわく感や、楽しみを持っていかれるといいなあと思います。とにかく感覚の世界ですから。そして人は快が好きなんです、

白パターンを選ぶ、ということを過去の意識でやらないようにしてください。できる、とか、できない、という過去の思考を選ばないでください。

8月は…
2024/08/15

今日は「終戦の日」です。この大戦で亡くなられた全ての方々の魂がやすらかでありますように。そして、今も続いている戦争が終戦をむかえてほしい。

8月は「広島の日」「長崎の日」「終戦の日」とあり、8月は私にとって両親や祖父母から聞いた戦時中の話が自然と蘇ってくる月です。普通に生活をしていた市井の人々が、戦争に向かっていかざるを得ない状況に追い込まれていくことを思うと本当に怖いです。いくら自分がそうありたくないと思っていても、大波に飲み込まれていくように、強制的に、追い込まれていく。人が人ではなくなってしまう怖さです。

小学4年生頃だったと思うのですが、夏休みで家にいたときに、同じクラスのT君のお母さんが家にいらしたことがありました。母とT君のお母さんは特別に親しかったとは思わなかったのですが、多分、学校行事で一緒になったのかもしれません。

母とT君のお母さんは、和室に座って、なにか話していました。私は「あちらへ行っていなさい」と母から言われて、隣の部屋でひとり何かしていたのだと思います。どのくらいの間、話をしていたのかはわかりませんが、T君のお母さんが帰られるときに、目からあふれる涙をハンカチで抑えながら、帰っていかれたのを見ました。

私は「何でT君のお母さん、泣いていたの?」と母に聞きました。母は「T君のお母さんはね、広島というところに住んでいたときに、原子爆弾が落ちて、それから病気になってしまったの。病気になるとみんな悲しいでしょ。だから、このことは学校で話してはだめよ。」と言いました。

ちょうど学校の授業で、私は初めて、原爆が投下されたときのビデオを見たので、母の話しを子供ながらに理解しました。涙を流していたT君のお母さんの姿は今でも覚えています。

そして、今思うに、もしかしたらT君にも何かあったのだろうか、と思います。もし、そうだとすると、T君への申し訳なさでご自分を責めていたのかもしれません。戦争がなければ、こういうこともなかったのに。

しかし、何故母だったのだろう…。これは全くわかりません。こういうことも(まだ子供だった私ですが)「私」のセッティングであり、ご縁であり、それは大人になった今、そうであることもわかります。人はこのように小さな出会いや縁であっても、意味があるのだと思います。私は、今のこの平和な時に感謝し、自分がやるべきことをやり続けようとあらためて思います。

決めつけから離れる
2024/08/14

黒パターンは、頑固な決めつけをしています。

「自分には自信がない」「自分はダメだ」「自分には無理」「きっとできない」「社会とはこういうもの」「人生とはこういうもの」「成功者とはこういう人」「絶対なるものがあれば大丈夫」などなどなど。まだまだ他にもあります。

そして、それぞれの黒パターンはそれを決めつけています。そこにはパターンの言い分があります。パターンは実際体験したことや、ずっと親や周りの人たちから言われ続けてきたことや、同じことを繰り返すうちにその決めつけを強め、どんどん大きくしていってしまいます。

いずれそれはごくごく普通のこととなり、そうであるから、何の疑問を持つこともなくそれに合わせて生きていくようになります。そして、自分でも気付かぬうちにパターンが「その人」になっています。その大きなパターンがその人になってしまっている、ということです。

多分、このことをもって「あの人って偉そうだよね」とか「あの人って弱そうだよね」と、他人がその印象を言うのだと思います。それはその人の印象と捉えていると思いますが、そうではなく、パターンが人格化した状態であり、本来のその人ではないと私は思っています。そのパターンが王になっているということです。

黒パターンに力があるのではなく、決めつけでしかないのです。本当は多くの選択肢(それに対しての意味づけ)があり、その中から自分に合うものを「私」が選んでいいようにできているのに。そのことを知り、そのことを少しずつ受け入れ、新な行動を継続することで(白パターンを選ぶことで)その決めつけから離れていくことになります。

で、白パターンとしてよく使うものとして「○もしかしたら、もう、自分には自信がない、と決めつけなくてもいいのかもしれない」というものがあります。この白はどの黒パターンに対しても使えます。「もしかしたら、もう、○〇と決めつけなくてもいいのかもしれない‥‥(←この‥‥の持つ余韻、そしてもしかしたら、という今まで全く思ってもみなかったことへ、新しい風を吹き入れる言葉が大事)」と言う白パターン。

そしてその白パターンの部屋から聞こえてくる言葉は…?自分のモチベーションを上げ、よし、進んでいかれる、進もう、進みたい、という気持ちを生み出す光の言葉。それを豊かに、たっぷりと、響かせてみてください。

そこにあらわれる世界を感じてみます。人は、気持ちのよいものを選びたいんです。魂は真・善・美に向かいたいからです。その在り方が本来のものだからです。そして、気持ちのよいものは白パターンが持っています。

学んできたことの質を上げていく
2024/08/13

今回の2日間岩手クラスも無事に終えることが出来ました。感謝です。

台風5号、皆さんはどうだったのだろう。色々な災難が無事に過ぎていかれるように、大難が小難になっていかれるように、祈り続けよう。

備えをすると同時に、覚悟しながら、でも、過敏に神経質にならずに、やはり、感謝を持っていきたいと思います。そして、今まではこうして自由に動けることがあたりまえであり、クラスが普通に開けることがあたりまえであり、でしたが、そういうことでもないということを今は思います。毎月のクラスが開けることは普通のことではない、特別なことなんだと思いました。だから大事にしたいです。

今回の岩手クラスも、ぐいぐい行われました。で、よく起こることですが、今までのやり方が間違っていたことに気づいたり、今までやれていると思っていたけれどそうじゃなかったことに気づいたり、ということは誰でも、あることです。

そのときに、それは自分がダメだったのではなく、自分はできていなかったのではなく、今までが無駄だったのではなく、今までのやってきたことの質を上げていくために新しいことを学んだ、知った、と捉えていけばいいということを話しました。

実はあらゆることの学びはそうだと思います。あるところまでできるようになったころに、それについての新しいことを学んで、知って、今までのものがより熟成されていくということです。この感じを大事にしてほしいです。

今まで間違えていた、できてなかった、では、今までのものを切り捨てて、新たにやっていくということになります。そうではなく、今までのものをよりよいものにしていく、ということで、それは以前からこれからまでずっと繋がっています。そうやってひとつのものごとを自分が創っていっています。

次回、10月は岩手、茅ヶ崎の合同セミナーです。無事に皆が集まって開催できることを今から願っています。

しとめる
2024/08/07

マンション住まいのよいところ(何階に住んでいるかもあるけれど)は、虫に悩まされないところかも。特に虫が苦手な人はそう思うかもしれません。

私は、蚊が苦手です。夏場、樹々のあるところへいくと必ず刺されます。それも連続でいくつも。皮膚が薄いのか、その刺されたところが痒みと痛みで熱を持つ感じがして、すぐに薬を塗るもおさまりが悪い。

そんな私にはマンションはありがたいのです。実際、部屋の中で蚊に刺されることはありませんでした。

で、先日、明け方、なんだか足の甲が痒い、痛い、熱い。そうしたら耳元で「ぷ〜〜ん」という蚊の飛ぶ音が聞こえました。飛び起きてみたら足の甲はあの蚊特有のぷっくり跡がありました。それも4個。「やられた」と思ったと同時に「しとめる」と思いました。

部屋の扉をしめてこの部屋に蚊をとじこめ、探しました。殺虫剤という方法もありますが、できれば使いたくない。しかしいくら探してもみつからず。とりあえず、部屋をしめたままにして用事をすませて、また数時間後、部屋に入りました。やはり姿は見えず。

これは、おびき出すしかない、と思い、足と腕を出してそのままじっとしていたら、きた、きた、腕にとまりました。慎重に叩く、しかし、逃げられる。逃げた先を目で追いながら、近くに会った雑誌を手にして…タンスにとまったところを一気にたたきました。

で、しとめたんですが。大きなやぶ蚊でした。これで今夜は安心して眠れるとほっとしました。

蚊1匹のことでこんなに大騒ぎするのもおかしな話なんですが、私にとってはけっこうなできごとでした。この高さでも蚊はやってくる、というのが教訓でした。

今日はこれから盛岡へ行ってきます。6月の合宿をお休みしてしまい、今月合宿ができるようになりよかったです。2日間あるので、ゆっくりと、じっくりとやってきたいと思います。暑さも続きそうです。皆様、どうぞお元気でお過ごしください。

だから、この、今を…
2024/08/06

誰でも、スタートは同じところからです。きっと全員が過去世でクリアできなかった課題を持って、この2極の世界にやってきて、その課題が何であるか、自分とは何かを忘れて、圧倒的に人数の多いところでの生活をはじめていきます。

そこは黒パターンが普通であるところです(黒パターンだから間違っているということではありません)そして、そこで一生を終える人がほとんどだと思います。

多くの人がそうであるので(群集心理がはたらく)自分とは、人生とはこんなもんだと思います。

しかし、そこではないところへ向かおうとする人たちも数は少ないかもしれませんがいます。歴史上にあらわれた素晴らしいマスターたち。その方たちはまさにそういう方たちであり、新なところへ向かおうとしている私たちの背中を押してくれます。

で、それはどういうことなのか。今まで自分が信じていた、信念、あまりに普通になりすぎている物事、を見直し、そこはもう十分にやったのでそれではない物事を選び続けていくということです(しかし、以前の信念を削除するということではありません。時にはそれも必要になるので持ちながらです)

そのために必要になるのが「勇気」そして「意志力」「継続力」です。人は誰でも今までやったことのないことをやるのはとても怖いのです。未知のものなので。でも、そこへ入っていかなければその先にあるものへ到達できません。自分がそれをやりたいかどうかだけなんです。

今日は、広島原爆投下から79年目の日です。犠牲になられた方々がどうぞやすらかでありますように。そして、同時に、自分がどんなに恵まれているのか…と思う。

自分ひとりの心の世界の責任を自分が負うことに向き合う、という今までの信念とは反対にあるものへ向き合えるという事はとても恵まれていることです。だから、この、今を有意義に使う。

とてもよかった
2024/08/05

7月29日の日記に書いた、この夏に絶対やろうと思っていた「大人のインナーチャイルド(?)に会いにいく」というやつ。やっております。8月は強化月間。

思い出した自分…10代〜50代のそれぞれの自分がいました。その数6人なので、連続で会いにいっています。

さすがに10代、20代はだいぶ弱っていました。まだ、何も自分を救う術を知らない時の自分。外見を笑われて、ドン引きされて、かなり傷ついていました。

10代の私には、ただただ、一緒にいて抱きしめて、話すことがなくても隣にいて、そして、少しずつそのときの自分が何を考えていたのか、どうしたいのか、などなど話を聴いていくと、家族の問題なども出てきて、心を痛めていたんだということがよくわかった。10代の私はひとりになりたい、ということだったので、今は家族から離れて好きな場所で大好きな犬や猫や鳥といます。10代で(いや、どの年代でも)家族の問題を背負い、自分を後回しにしなくていい。

そして、20代のときの私も、隣に一緒にいることと、そのときの私が好きだった音楽を、つらいできごとがあったけれど、その音楽のほうへ向かうことでこの先があることを伝えました。音楽を聴くその感性があることを一緒に確認して、それを喜ぶ。そう、好きなんだよね、音楽。音大では挫折の連続でしたが、音楽は好きだったんだ、ずっと、と思いました。

30代の私は、今までの人生で最悪の出来事があった時の自分です。そこで受けたショッキングなできごとに混乱していました。今までなんでほっておいてしまったんだろうと反省。今、一番時間をかけて話しているのはそのときの私です。まだ、まだ、一般的な常識にがちがちに囚われている自分。でも、自分に疑問をもってもいて、でも、どうしたいのかもわからず。きっと元気を取り戻しつつある、10代、20代の私がこの30代の自分の力にもなってくれると思います。その自分とは、もう少し、時間をかけてもっと話をしてこれからのことを一緒に考えていきたい。

その後の40代、50代(2人)と続いたわけですが、この3人からは「それ程のダメージじゃないから大丈夫」と言われました。その大丈夫という根拠もちゃんと持っていて、笑ってしまうようなものでした。

こうしてみると、40代以降はそれなりに自分を生きていたんだとわかりました。まだカウンセリングをやり始める前の頃から、自分なりに他人の言葉や態度に対してまだまだ脆弱でありながらも自分の考えとか、生き方を持つことへ向かおうとしていたようです。

こうして過去の自分が今の「私」に教えてくれます。今の「私」が彼らを守るということだけではなく、今まで見落としていた部分を彼らが教えてくれました。今回、これをやってとてもよかったです。

自動思考
2024/08/04

『黒パターンを持ちながら「私」としてどうありたいのか』ということ。くどくて申し訳ありません。でも、ここだけと言ってもいいくらい、ここ‥なんです。

以前どなたかが本に書いていましたが「腐ったリンゴの中からフレッシュなリンゴを選ぶ」…この感じだと思いました。黒パターンは決して腐ったリンゴではありませんが、フレッシュなリンゴがあるのに、それを選ばずに腐ったリンゴを選んでいては、結果は苦しいです。

そして、パターンの反応を「自動思考」と一般的には言われているということを先日知りました。以前から「自動思考」という言葉を耳にしていたのですが、何?…でした。

「自動思考とは、状況に対応して非常にすばやく、自分の意志とは関係なく自動的に湧き出る思考を指す」(Wikipedia)とありました。

これって、道場で言うところのパターンの反応のことです。人の持つパターンがそのように反応してしまうのは仕方のないことです。

それゆえ、スピ界やカウンセリング界において「自動思考」と名前がつけられるくらいのものとしてある。それによる苦しみがあるのです。

それについて、自動思考は抵抗せずにそのままにしておけばいい。それはただ起きているだけだから。自分の意思ではコントロールできるものではない。それをただ眺めていく、というスピ的考え方から、その自動思考を止めることはできないけれど、それが暴走してしまうことで生活に支障が出てしまうこともあるので、できるだけその思考を止められないものだろうか、というところに着目している、カウンセリング的考え方もありました。

例えば、自動思考で頭がいっぱいになってしまっているが、それは本当なのだろうか?こう考えられないだろうか?より、理性的な考え方に置き換えられないだろうか?又は、瞑想や運動をしてその思考から離れる、などなど。

一般的にも問題視されているものでした。・・・ということは、人にとって自動思考とはやっかいなものと意味づけられています。しかし、そうなのだろうか。パターンが瞬時に反応するのはごくごく自然なことです。彼らの役割だから。それをやらせてあげながら「私」がどうしたいのかということでいいんじゃないだろうかと私は思います。

そこにもともとあるものを何ひとつ変えずに、より、気持ちの良いものを選べば、反応してしまうパターン、自動思考してしまうものも本来のままいられます。自分の内を自分が(パターンが)思うように整えたいということをパターンは望みますが「私」はただただあるがままなんです。

今、怒りが湧いてきていてそれをつくっているパターンはこれで。でも「私」はそれではない、というスタンス。平和的解決だと私は思います。

「私」優勢にする
2024/08/03

黒パターンがなくなることはありません。

いや、なくなってはいけないものです。なくなってしまったら、とたんに人間としての質が下がります。

語りかけでも言っているように「あなたはそのまま、そこにいていいからね」です。決して「あなたがいると大変だから、もう、いなくなりなさい」とは言わないです。それは、この宇宙の在り方に反しているもの(陽と陰)だからです。

黒パターンは本来必要であるもの。そして、彼らは彼らの役目をはたしてくれています。どんなに暴れても、傷ついても、悲しんでも、悔しがっても、彼らの仕事はそういうことです。

で、大切なのは、その黒パターンを持ちながら「私」としてどうありたいのか、です。パターンが暴れているときにそれを持ちながら「私」はどうしていきたいのか、何をするべきか、どうしたらいいのか…とちょっとパターンを超えて考えます。この状態のときにはパターンと一緒にいながら「私」が優勢になっています。

ここで、そのネガティブな感情や感覚をどうにかしようとするパターンに従ってしまうのではなく、パターンがそういう状態であることはわかっていながら「私」を主にしていきます。

パターンが瞬間的に反応して、感情がぶわーーと出てきて、一瞬それに飲み込まれ、でも、そのあとに「私」を優勢に持ってくる。でも、これは黒パターンを抑圧しているのではなくて「私」優勢を今選んでいるので、後からパターンには語りかけをしてください。

この状態を少しずつ持てるといいです。パターンの生み出す感情に飲み込まれていいんです。私も飲み込まれます。しかし、そのままにしないで、そのあとに「私」を優勢にすることをしてみてください。自分の意思で、自分を動かしていきます。

これができることが人間としての質を上げるということではないだろうかと私は思っています。初めから、これができる人はいないです(多分、そうであれば人間に生まれる必要はないと思うから)。

とにかく練習をすることです。そこでの努力は報われると私は思います。

「ない」から「ある」へ
2024/08/02

自分を褒めてあげよう、とよく私は言っていますが。

私たちはどうしても自分の出来ていない(…とパターンが思っている)ところや、足りてない(…とパターンが思っている)ところに目がいってしまいます(…と「私」ではなく、パターンが物事を見ている)。そして、そこを変えよう変えようとします。それもパターンが望んでいるようにです。

私たちは、子供の頃から、ここができていない、ここが足りていない、と、言われてきていたので(なんでもできることがいいことだと)それはパターンとして刷り込まれ、どうしてもそこは過敏に反応してしまいます。

しかし、それはパターンのせいではないし、誰かのせいでももちろんありません。気づいたのであれば、自分で変えていけばいいだけです(この単純さを持ってください)。

で、そのひとつとして、自分を褒めてあげよう、なんです。

自分を褒めるなんて、何でもできる人だけに許されることだとパターンは思っているかもしれませんが、自分という人間を俯瞰して、昔の自分と比べて見てみれば、褒めるところ満載であることがわかります。

この視点を持ち、できてない、足りてないという「ない」から自分を褒めることで「ある」に目が向くようになります。自分にはこれもある、これもある、と、ある、あるになっていく(あるのカードを引き続けている→量子動く)。そして、脳は「ある」を見つけようとし、そこへつながることを考えます。

ただ、このある、は、他人と比べて、他人よりも優れているところや、成功体験や、人から褒められたことなどを思い出して自分を褒めてあげようということではありません。そこには他人は出てこないし、今までの成功体験ではないし、他人から褒められたことでもありません。

自分にしかわからない自分の成長、進化、気付き、そして新に行動したこと(←これが最も大事。勇気を使うから)それによって、得た結果(結果は本来おまけ)など。自分が意識的に得てきた自分だけにわかるもののことです。それを感じられるのは自分だけ。だから自分を褒めることができます。

「よくやった」「すごいぞ自分」「私って天才」「たいしたもんだ」「自分、最高」などなど…なんでも。他人に聞かせる言葉ではないのですから(私は他人にも言うけれど)オーバー気味に単純に言ってみてください。それがスムーズに自然に言えるようになったころには今迄の自分には「ない」から「ある」に変わっています。

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