原因と結果 | - 2025/05/30
- 先日、夜ご飯がおいしくて、ばくばく食べてしまいました。おなかいっぱいになりはじめていたのに、もうちょっと食べたいと思い、おかわりをして。
で、夜中に胃が変。「これはーーー食べすぎーーー」と胃をさすりながらあんなに食べなければよかったと後悔しました。
で、すべて、こういうことなんだと。
胃が変になったのは結果であり、その胃の不調に見舞われた夜中という現実。その原因は食べすぎ。それも自分が食べることをやめずに、食べ続けたという自分の選択。この現実は結果であり、そこには自分の選んだ原因があるということです。こうして夜中も、次の日も胃が不調…という現実をつくる。
今の現実というのは、このように自分が選んだものごとの結果なんだとあらためて思いました。これは身体についてのことだけではなく、心、生活、人間関係、仕事など今の自分の現状は結果なんだということです。
その結果が、自分の望んでいる結果を大きく外れているのであれば、何か自分が選んできたことが違うのかもしれません。又、信じていること、あまりに普通になってしまっていて当然だと思っていることが、自分にはもうふさわしくないのかもしれません。そういう目を持って自分を見てみると、これを手放したほうがいい、とか、これをいつまでも握りしめなくていい、とか、新な選択という可能性があることへ目が向いていくと思います。
このこと自体も、そんなことあり得ない、自分ではどうしようもない、ということを選んでいれば(原因)そこはそのまま(結果)となります。
そして、そこで気づくといいと思うのは、そんなことはあり得ない、自分ではどうしようもない、というのは今までの領域に属しているものであるということです(それは、自分の内の誰が言っているのか、考えているのか、行動しているのか、と同じ視線で、それはどこに属しているのか…)今までの領域は、普通は、とか、一般的には、とかの制限がかかっているところなので自分自身にも他人にも制限をかけていきます。そこからはみださないようにして、生きるところです。だからそこに居続ければそこだけしか知らずにいることになります。
しかし、それが全てではなく、今までは知らなった新な選択というものがあります。原因があり、結果があり、そういう現実にいる自分。だとしたら、自分にふさわしい、新な原因を自分が選ぶ、作ることをやっていってもいいのでは。これを少しずつ、実際自分が体験していけば、こうやって作っていけばいいんだということもわかってくると思います。ただ待っていても与えられることはないから。
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