| いかに自分に使うか | - 2025/08/29
- 今年からの体調不良にともない、今、私はお二人の整体の先生のお世話になっています。
お二人とも若い。多分40代前半。もっと施術してほしいと思うのですがお二人とも「そんなにやらなくていいです」とおっしゃいます。
そしてお二人がみたてている私の心身への見解も同じです(それは自分では気づいていないところ)お二人から感じる印象も似ています。お二人ともAIを屈指し、なおかつ、目に見えない世界のことも学んでいて、そこへのご自分のセンサーを大事にしています。そしてお二人とも謙虚です。それはうわべのことではなく、今まで、嫌な思いや、辛い思いをたくさんして、鍛えられてきた賜物だと感じます。
でーーーーー、気付いたのですが、私にとって施術は、自分自身への気付きであったり、先生から課題をもらってそれを行うことであったり、新に疑問を持つことであったり、先生のおっしゃっていることへの質問とか自分の考えとかを伝えたりと、施術を超えて、自分の知的好奇心を満たすひとときになっていると思いました。そちらの方へ私が傾きすぎると先生は今の身体についてのところに話を戻す。そのあたりの暴走しやすい私の偏りもわかっているのだと思います。
で、ここからが本題で。良い先生に巡り合ったことへの感謝はあります。しかし、それが絶対ではないということです。それはその先生たちが伝えていることを鵜呑みにしてはいけないということではなく(その担当分野にいるということですからそこは素直に受け取ります)この世に(人が作ったものに)絶対はないということを知らなくてはいけないということです。そういう意味では「魂の道場」も絶対ではありません。そう認識できると、この世に依存できるものごとがないこともわかると思います。
大事なことは、出会いや、機会や、体験したことや、それら全てをいかに自分に使うかということなんです(創造です。そして、創造が自立です)ここはたくさん持っているといいです。もちろん、何を持つのかを吟味することは大事だし(スペースは決まっているから)持つことは、もちろん、そこへ依存するということではありません。あくまでも、自分にとってのそれをどう使うのかです。これが自分はどう在りたいか、というところです。何があっても自分はどう在りたいか…。こうして創造し続けていく…という道を歩み出しているんだ、自分、と思っていてください。
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