何を選ぶのか? | - 2025/06/28
- 先日の「あなたは老人なんですよ」という先生の言葉。
それに対して、物質領域に存在していて、そこでの価値を信じているからこそ反発するパターンへの語りかけをしました。
そして「もしかしたら…もう、私は老人ではないと決めつけなくてもいいのかもしれない‥‥‥」も言っています。この言葉を言ったときに、パターンは老人という言葉に反応しているのがわかるし「私」はそうではないものを知っている、というギャップを感じます。どっちでもいいよ、というのが「私」でもある。領域が変われば、何もないので.。
真逆の白パターンは、私は老人である、です。この言葉が存在している位置の清々しさも感じます。さすが白パターンだなとも思った。
で、これらを行ったり、考えたりして、「何を選ぶのか?」というたくさんの選択肢のあるところからの選択という、もしくは新に創るというわくわくするようなところを熟考しました。
まず、現実を歪みなく見よう(年々体力気力は落ちているということ)その自分に合った選択をする(全てをコンパクトにする、本当に必要なものだけを持つ)そして、そうやって削ったことで得た空間や時間は、自分の在りたい自分に向かうことや、そのほかのこの個性が楽しいと思うことに使う。というものでした。
これが「何を選ぶか?」というわくわくするような質問の答えだと納得できました。
‥‥と考えると、鼻の頭に老人性イボができて、受診して、先生の言葉があり、焼き切るをびびりながら初体験し、そこでの自分の弱さを実感し、ということがあったから、何を選ぶのか?がやってきたわけで、全てが必要なことだったとわかります。イボよ、ありがとう。
こんなふうに人って生きているのだと思います。誰でも。だからよく言われるように全てに偶然はない、必然であるということ。そして、必然だと思い、それを起こすもの(与えるもの)が存在していると思うのです。だから、ひとりで頑張らなくていいんです。起こることが起きて、なるようになる、そしてそこには「何を選ぶのか?」という自分の参加という枠も用意されている。
今回の事を通してそう思いました。…とこの記事を書いていたら、ぽろっと、鼻の頭のカサブタが落ちました。ちゃんと代謝している肌にも感謝です。
|
|