| 創造の意味づけ | - 2025/08/02
- 人が楽に生きるためには、自分の全てを赦すこと、そして自分の個性に沿って自分の全てを創造することだと今の私は思っています(今の道場はここにいる。ここを担当分野としています)
自分の全てを赦すことは自分の内に存在している全てのパターンを赦すことであるのはわかると思います。どんなパターンも赦す。そこには、長い長い魂の旅路の中で持ち越してきてしまったものもあると思います。そして今世で書き込まれたり、作ったものも。それら全てを赦す(そのままでいい)ということです。もちろん黒パターンのやりたい放題にしておくということではありません。
ここは、皆さんできるようになっています。だから次へ…。で、創造なんです。
自分の全てを創造すること、というのが、最初のうちはわかりにくいと思います。創造なんて大それたことは自分には無理と思うと思います。創造と聞くと、神がこの世を創られたように、無から有を生み出すことが創造だと思うからだと思います。それもあります。
しかし、創造をその意味づけだけにしてしまうと、そのひとつだけになってしまうので、自分には無理と思うのです。どんな事象であってもたくさんの意味づけを生み出すことはできます。
そして、自分も実は毎日を創造して生きているんだということに気づけるといいです。今、何かに怒りを感じ、傷つき、悔しさや絶望感を感じて生きているとします。それは自分が創造しているものなんです。怒り、傷ついて、悔しさや絶望感を感じている…という現実を創造している。ということなんです。自分の意思で。
そんな嫌なこと、自分の意思で選ぶわけないと思うかもしれませんが、心の中でこの現状を選び(ここでも意味づけを1つにしています)それを現状として創造しているということなんです。
確かに怒りを感じるできごとはあったと思います。しかし、それはパターンが感じていることで「私」はそことは別にいます(「私」の領域でのそれについての意味づけがある)。その「私」がこの状況があるものとしてわかっていても、それはその領域に置いといて(あっていいものだから)何を選びたいのか、自分はどうありたいのか、を選択すれば怒りを感じたできごとは映画のスクリーンに映っているもののように感じます。
この時点ではこれを創造している。創造って一瞬一瞬に行われています。このように私たちはすでに自分自身と自分の日々の生活、しいては人生を創造し続けています。
で、自分の個性に沿って自分の全てを創造するということは、どんなものごとを創造すれば自分の個性は喜ぶのだろうか、自分らしくいられるのだろうか、ということです。ここには決して、何を創造すれば他人から認められるのか、とか、賞賛されるのか、とかは出てきません。それはすでに多くの人達がやっていること。ということは、それはわりと簡単にできるというものでもあるんです。他人優先でいけば、パターンの力強さを使えば、そこそこそれはできると思います。まずは、創造の意味づけをやってみるといいと思います。
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