| 創造の続き | - 2025/07/16
- すでに決められている領域の価値を信じて、そこに自分を合わせて生きるのではなく(そういうパターンを使うではなく)自分の価値を自分で創造する。
それは今までの価値とは違うものだと思いますが、それが自分にとっての豊かさを感じられるものであったり、自分にとっての幸せな在り方であったりします。既製品ではなくオーダーメイドですから。
自分にとって仕事とは、お金とは、健康とは、家族とは、生きるとは、死ぬとは…あらゆること全てに自分の価値を創る。こうして自分で創っていいんです…が…ここでパターンが騒ぎます。それは「創り方がわからない、そうは言っても自分には無理、やったことがないことはできない、創れる自信がない」などなど。
で、そのパターンは言います「自分には才能がないから、自分は頭がよくないから、自分は身体が弱いから、今までやってこなかったから、誰も教えてくれなかったから、親も創造できる人たちではなかったから、自分は年だから」と。しかし、それらのどの黒パターンにもその横には白パターンがあります。ただ「私」がそれを選らばないのでずっと使ってきた黒パターンがそのまま継続しているだけです。
創造するためには黒パターンにまかせることなく、新に白パターンを選んでいかなくてはなりません。それは今までと同じです。
又「創造」と聞くと、大きな何かを創っていかなくてはいけないんだろうか、と思うかもしれませんが、そうではありません。「創造」という言葉のイメージからそう思うのかも。それもパターンであり決められた価値なんです。
「創造」はそれだけではないんです。もっと身近な自分の生活の中で小さな「創造」だってできるのではないだろうか…という視点を持ちます。
例えばですが、花瓶がないときにお花をいただいて、お花を入れるのは花瓶と決めてしまうことはないということです。いただいたブーケをばらして少しずつ手元にある食器や、空き瓶や空き缶に入れてみたらどうだろう(…と思ったらすぐやる)すると、けっこういいじゃないですか。ということがあります。ちょっと深さのあるお皿にお花を寝かせるようにして入れるのも素敵。これ、ひとつの創造です。
これにより、花瓶に入れる、という事も知っているし、花瓶以外に入れることも知っているということになります。今までの決まり(価値)を切り捨てるわけではなく、それが一般的に在るという事を知りつつ(ほぼ使わないけれど)自分の新なそれについての創造をしています。
そうして気付けば、自分に合う、新な価値をそこに見出している自分になっています。こうなってくると毎日が楽しいです。それこそ、自分の好き(決して物事だけではなく、精神性に対しても←そしてこちらのほうが大事)な物事に囲まれ、自分の以前よりも健全で、美しく解放された精神性を持って、生きているのですから。その種をまいた結果です。続く。
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